3 六年目の星夜祭(後編)
「……で、ウチの協会長が本当にいけ好かないヤツで……って、聞いてます、勇者さま?」
「ぅん……聞いてるよ……聞いてる……」
むにゃむにゃと、最後の方は不明瞭な声に飲み込まれた返事。
酒を飲みながら会話に興じているうちに、いつの間にかのリュートの顔は真っ赤に染まり、目はとろんと蕩けていた。
まだグラスで二杯しか飲んでいないというのに、とマイラは心の裡で驚く。……どうやらリュートは、随分と酒に弱かったらしい。
普段の姿からは考えられないような脱力した姿勢で、リュートはずるずると机に突っ伏していく。
「もうマイラも成人かぁ……どんどん大人になっていくなぁ……」
「なんですか、そのお年寄りみたいな感想は」
苦笑いで突っ込むが、実のところその言葉にマイラの心は弾んだ。なにしろ最初にフラれた時の断り文句は、「子供過ぎる」だったのだから。
大人として、一人前の淑女として見てくれるようになったのだとしたら、それは紛れもない進歩だ。
「どんどん成長して……いつの間にか僕に敬語を使うようになって……寂しいよ、僕は」
「本当に礼儀知らずでしたね、私は」
かつてリュートに対してぞんざいな言葉遣いで接していた頃のことを思い出す。そんな身の程知らずな過去の行動に恐縮してマイラは身を縮めたが、彼は「違うんだ」と、机に伏せたまま呟いた。
「僕はその反応が嬉しかった。君だけが、目の前の僕を見てくれていたから。……だって、そうだろう? 周囲が見てるのは僕じゃない、『勇者さま』という存在だ。それは僕じゃなくたって構わないし、魔王を斃した後の僕に誰も用なんかない――」
「っ、そんなこと……!」
――初めて聞いた、彼の本音。
今まで知ることのなかった彼の悲痛な呟きに、慌てて否定の声を上げた。
気怠そうにリュートは顔を上げて、まっすぐにマイラの視線を見据える。
「君だってそうだろう、マイラ。君も……今じゃもう、僕のことを『勇者さま』としか呼ばないじゃないか」
「……っ!」
思わず息を呑んだ。
――初めて彼を「勇者さま」と呼んだ時のことを、唐突に思い出した。
あれは魔王を斃して三年ほど経った頃だったろうか。久々に会った彼に成長したところを見せたくて、わざとらし過ぎるほどの丁寧な敬語を使って「勇者さま」と会話をした自分。
「なんだ、マイラ。そんな他人行儀になっちゃって」
振り返ってみると、その時の彼は確かに寂しそうな微笑を浮かべていた。
「私も成長したんですよ、勇者さま。淑女として求められる態度とマナーってヤツです」
「前みたいに、普通に話しかけてくれれば良いのに」
「もう子供じゃありませんから」
つんと顎を上げて、そっけなく返す。
……その言葉に嘘はなかったが、すべてが本心という訳でもなかった。
救国の英雄であるリュートは、誰にとっても特別な存在だ。
皆が彼を重んじるし、丁重に接する。そんな彼を呼び捨てにして敬語も使わずざっくばらんな態度で接するのは、魔王討伐の仲間を含めてもマイラしかいなかった。
当時のマイラは、それが彼との特別な関係を示しているようで嬉しかったのだ。
周囲が彼女を諌めることもあったが、マイラはむしろ見せつけるようにそんな態度をひけらかしていた。自分が、自分だけがリュートと対等なのだと主張するかのように。
――でも、ある日気がついてしまった。
敬語を使おうと使うまいと、リュートにはどうでも良いことなのだと。
彼は誰に対しても平等に一線を引いていて……、そしてその距離を縮めることはなかった。マイラも、その中の一人に過ぎなかった。
リュートのことが好きでずっとその姿を追っていた彼女は、それ故にそんな彼の本音を悟ってしまったのだ。
言葉遣いを変えたら少しは気にしてくれるだろうか、というのは一種の賭けであった。
……でも、彼は。
「そっか……大人になったんだね、マイラは」
そう言って首を傾げると、それ以上何も口にしなかった。
だから賭けに負けたことを察しながらも、それ以降マイラは「勇者さま」呼びを続けていたのだが……。
――どうして、今更。
呆然と、マイラは酔っぱらったリュートの姿をただ瞠目する。
「ねぇ、昔みたいに名前で呼んでよ。マイラ……」
――彼は、そんな切ない顔で私を見るのだろうか。
「……っ、リュー、ト」
以前も呼んでいたはずなのに、久々に口にするその名前は妙にマイラの喉に絡まった。マイラの掠れた声が、二人の間の空気を震わせる。
その声を聞いて、眠たげだったリュートの目がゆっくりと開かれる。酒の所為か、少し潤んだ黒曜石の瞳。
――二人の視線が、絡み合う。
マイラも、酔っていたのかもしれない。気がつけば、普段なら言えないような大胆な言葉が口から飛び出していた。
「私は貴方が『勇者さま』だから好きなんじゃない。リュートが……リュートだから、好きなんだよ」
それを聞いて、リュートは「ああ」と、熱っぽいため息を吐き出す。
酔っぱらった彼の瞼は、眠気の前にもう陥落寸前であった。ずるずると眠りの淵を彷徨いながら、独り言のようにリュートは呟く。
「ありがとう。マイラ、好きだ……」
「~~~~っ!?!?!? リュ、リュート……っ!?」
突然の思い掛けない告白に、マイラの頭が一気に沸騰した。バネ人形のように飛び跳ねて、椅子から立ち上がる。
しかし、既に夢の中に飛び立っていたリュートはもうマイラを見てはいなかった。朦朧とした譫言だけがその後に続く。
「置いていかないで……マイラ、僕を、置いていかないでくれ……」
「リュー、ト……?」
その目じりにひと筋の涙が光っているのが見えて、マイラは目を瞠った。
いつだってリュートは穏やかな笑みを浮かべていて、感情を剥き出しにするところなど一度も見せたことがなかった。
そんな彼が唐突に吐露した本音が、今まで彼が押し隠してきた哀しみを露わにする。
「……うん、大丈夫。私は何処にも行かない。ずっと、絶対、一緒に居るよ」
彼の傍に歩み寄って、右手をそっと包む。彼女の囁きに、リュートは安心したようにその手を握り返した。
救いを求める彼の手は、縋りつくようにマイラの指を絡め捕っていく。
リュートの体温が、鼓動が直接マイラに伝わってくる。まるで彼の心臓そのものを包んでいるかのような感覚。
繋がった二人の手は徐々にお互いの体温に溶け合い、一体となっていく。その感覚に安心したように、彼の寝息は徐々に穏やかなものへと変わっていく。
思い掛けない状況にしばらく硬直していたマイラは、やがて我に返ったようにふぅ、と大きな溜め息を吐き出した。
リュートの手を振りほどくこともできず、火照った頬を持て余しながらも努めて平静に彼女は思考を巡らせる。
――酔っぱらいの戯言? 揶揄われただけ? ……少しだけそんな可能性を考えてから、静かに首を振った。
ううん、そんなことはない。六年間彼と共にいたからこそ、わかる。先ほどの彼の言葉は、紛れもない彼の本心だ。
――勇者さまは、ゼッタイ何かを隠している。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
――翌朝。
「マイラ、昨日はごめん! 僕、お酒全然ダメみたいだね。気づいたら寝ちゃってて……君に迷惑を掛けてなければ良いんだけど……」
顔の前で手を合わせて上下に動かすというのが、彼の故郷の謝罪スタイルらしい。そんな独特の動きをしながら身を縮めて謝罪の言葉を述べるリュートに、マイラはすっきりとした笑みを向けた。
「全然? 気にしてないし、迷惑も掛かってないよ。客室、勝手に使わせてもらったから」
少しだけ言い淀んだけれど、何気ない調子でそのまま言葉を続ける。
「……おはよ。昨日は楽しかったよ、リュート」
彼の目が、驚きで見開かれる。
「その口調……ってか、名前……! 待って待って待って、僕、一体何を言ったの⁉︎ えっ、何があったの……⁉︎」
――面白いくらいの、動揺。
こみ上げてくる満足感と喜びに浸りながら、マイラは首を傾げた。
「特に、なにも? ……じゃあ私は帰るね。リュート、また遊びに来るから!」
「えぇえええ、説明なし……⁉︎ って、もう帰るのかよ……! あっ、こら、マイラ……!」
「じゃぁね〜」
制止する彼の声を無視して、片手を振って転移魔法陣を起動させる。
「えっ……転移、どうやって……⁉︎」
彼女の徹夜の成果に驚くリュートの声が響く。それを背に受けて、マイラは会心の笑みを浮かべたのであった……。
「うん……やっぱり、会って良かった」
やがて転移が始まったのを確認してから、マイラはぽつりと呟いた。
初めて触れた、彼の本音。「何か」に対する隠し切れない不安。その気持ちの根本的な原因はわからないけれど、それでも。
「好きって、言ってくれた……」
それを思い出すだけで、唇がニマニマと緩んでくる。繊細な転移魔術を行使している最中だというのに、その辺を転がりまわってジタバタと悶えたい衝動に駆られる。
――うん、大丈夫。リュートとの距離はちゃんと縮まっている。自分の気持ちは、一方通行なんかじゃなかった。
そんな喜ばしい結論に、マイラは力強く頷いた。
だから、彼が隠している苦悩を、秘密を打ち明けてくれるその日まで。
自分はただ、この恋を全力で走り続けていくだけで良い。