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1 六年目の星夜祭(前編)

 ――もうすぐ、星が降る。


 沈みゆく夕陽を背に受けながら、マイラは足を急がせていた。

 夕陽を浴びた山の木は朱に染まり、吹く風も冷たさを(まと)っている。もう秋も終わる時分だ。日が沈み始めると、周囲の気温は一気に下がっていく。


 ぶるりと身体を震わせて、マイラは新調したばかりのローブをかき寄せた。その拍子に懐の手鏡が指に触れる。目的地まであと少しだというのに、つい足を止めて鏡を取り出すとマイラは何度目かになる身だしなみチェックを始めてしまった。


 ……うん、大丈夫。

 鏡に映る自分の顔を見て、力強い瞳で頷く。


 何度も丁寧に櫛を通した明るい赤い髪のポニーテールには、少しも崩れがない。昔から続けている髪型だけど、いつの間にかまとめる髪も随分と伸びてきた。それが自分の成長に感じられて、マイラは軽く唇を(ほころ)ばせる。


 少し視線を下げれば、薄い肩を覆うすべすべの光沢がある紺色の新しいローブが目に入った。

 この色合いがこの国最高峰の賢者を示しているなんて、きっと()は知らないだろうけど。でも色が違うことだけでも気づいてくれれば良いななんて、袖についた落ち葉を払い落としながら考える。


 もう一度鏡に目を戻せば、鏡越しの自分が向ける力強い紫の瞳と目が合った。

 少しだけつり目の、強い意志を宿した瞳。人によっては「生意気だ」と言われることもあるけれど、彼はその目を「綺麗だ」と言ってくれた。

 ……そんな思い出が、マイラの歩みを勇気づけてくれている。


 ――うん、今日の私のコンディションはバッチリ。




 今夜は、一年に一度の星夜祭。

 死者となった魂が、星と一緒に地上に還る日。ひと晩中降り注ぐ光は雪のように柔らかく、蛍のように仄かな輝きで生者の幸福を願う。


 星降る夜空を一緒に眺めた相手とは、永遠に結ばれる――そんな言い伝えのある星夜祭は、想いを告げる絶好のタイミングとして広く親しまれている。

 そしてマイラもまた、その星夜祭の言い伝えにあやかる一人であった。星夜祭の告白も、今年でもう六度目。……といっても、相手は毎回変わらないのだけれど。


(勇者さま、どうしてるかな……)


 この先に住まうのは、魔王を(たお)した救国の英雄、勇者である。だというのに、周囲の木立はあまりに静かだ。

 落ち葉に紛れて見失いそうな細い道を進み、マイラは慣れた足取りで彼の住む屋敷を目指す。その落ち葉を踏む彼女の足音だけが、周囲の静寂を埋めている。


 ――仲間たちの誘いや王からの提案を断って、魔王を斃した彼はこの寂しすぎる場所に引きこもってしまった。

 いっさいの栄誉に目をくれずに、隠遁(いんとん)生活を送るにはまだ若すぎる身体で。


 ふぅ、とマイラは思わず息をついた。なにしろ僻地(へきち)すぎるのだ、ここは。

 本来であれば、魔導師であるマイラにとって移動は簡単だ。転移魔法陣を描けば一発なのだから。

 しかし、ここは森全体に魔術の通用しない結界が張られている。その所為で、目的地まではてくてくと地道に歩いていくしかない。

 安易にやってくる者がいないようにしたい、というのが結界を張った勇者の言であった。


 このとんでもない規模の結界には、天才魔導師として名を馳せているマイラですら目眩を覚えてしまう。彼は本当に、何もかもが規格外の能力を持っているのだ。




 そうしてどれだけ歩いたことだろう。さすがにうんざりし始めた頃にようやくオレンジ色の屋根見えてきて、マイラはホッと安堵の息を漏らした。


 (はや)る足取りで進み、扉につけられたノッカーへと手を伸ばす。ちょうどそのタイミングで、彼女の到着を予見していたように目の前で扉が開いた。


「久しぶり、マイラ」


 頭上から降ってる、懐かしい柔らかな声。

 その声に勇気づけられて、マイラが顔を上げる。途端、この国では珍しい黒い瞳と目が合った。


「……っ!」


 目が合った瞬間、久々の想い人との再会にマイラの頭は一気に茹で上がってしまった。何を言うつもりだったかも忘れて、ただ呆けたように彼の前で立ち尽くすことしかできない。

 その一方で、役に立たないマイラを置き去りに、目だけはやたら貪欲(どんよく)に眼前の視覚情報を取り込んでいく。


 覗き込むような姿勢で、少し困ったような笑顔を浮かべる勇者リュート。相変わらず、彼は見上げる程に背が高い。

 この一年でだいぶ背が伸びたつもりだったけれど、残念なことに身長差はあまり変わっていないようだ。


 瞳と同じ色の黒いふわふわとした髪は、以前会った時よりも少し伸びただろうか。柔らかなその髪の手触りは、きっとマイラだけが知っている。


 でもそれ以外、彼は本当に変わっていない。少し切れ長の黒い瞳も、控えめな鼻も、薄い唇も……。


 実際のところ、顔立ちだけで言えば彼はどちらかというと凡庸(ぼんよう)な方だ。

 それでも、マイラは百人の人混みの中からだって彼を見つけられる自信があった。恋する乙女は鋭いのだ。




「入らないの?」


 不思議そうに問われ、ようやく理性が戻ってきたマイラは慌てて首を振った。

 覚悟を決めてありったけの勇気をかき集め、キッと彼の顔を仰ぎ見る。……それだけで、「ああ」と、リュートは察したようになんとも言えない表情を浮かべた。


 その反応の時点で、気持ちが挫けそうだ。それでも必死にその瞳を見つめ、声を振り絞った。


「勇者さま、す、好きです! どうか私と今夜、星降る夜空を見てくれませんかっ!」


 頬に熱が集まって、どんどん顔が熱くなっていく。なけなしの勇気なんて、告白の言葉を終える頃にはすっかり使い果たしていた。

 これ以上彼の顔を見ることができなくて、マイラはそっと視線を落とす。


「……もう、そんな時期になるのか」


 途方に暮れたような、ぽつりとした独り言。そしてリュートは、疲れたようにため息をひとつ落とした。


「去年も言ったと思うけど、マイラの気持ちには応えられない。君にはもっと相応しい人がいるよ」

「勇者さまじゃなければ、意味ありません! 来年も、再来年も、その先も……勇者さまが『うん』というまで、私は絶対に諦めませんから!」


 噛み付くような勢いで言い切ったその言葉に、リュートは困った顔で笑う。


 ――どうして。告白を断った彼が、私よりも傷ついた顔を浮かべているのだろう。


 その表情の意味するところがわからなくて、マイラは左手を握り締めた。その真意はわからなくても、彼の哀しそうな笑みは確実にマイラの胸をぎゅっと締めつける。


「僕は、マイラに幸せになってほしいんだけどなぁ……」

「私の幸せは、勇者さまのそばにいることです」


 きっぱりと断言しても、彼は何も言わず首を振るだけだ。その反応に、そろそろ潮時だな、と長年の経験が判断を下した。




 それ以上言葉を重ねることを諦めて、マイラは手に提げたバスケットを掲げてみせる。


「わかりました、今回は引き下がることとします。祭りのご馳走を色々持ってきましたから、晩御飯をご一緒しませんか?」

「もちろん、喜んで。外は寒かっただろう? 暖炉で温まると良いよ」


 あからさまな安堵の表情を浮かべ、彼はいそいそとマイラを室内へと招き入れる。


(ああ、やっぱり今回もダメだったなぁ……)


 屋敷へと足を踏み入れながら、マイラはこっそりと嘆息した。

 もう何度も繰り返した、このやりとり。すでにその内容は、断られることまで含めてお約束のようになってしまっている。

 それでも告白することにもフラれることにも、マイラは未だに慣れることはない。これで通算六回目の惨敗だ。


(だけど……いつかきっと、振り向かせてみせる)


 屋敷の中へと先導する彼の背中を見つめながら。

 マイラはフラれたばかりの失恋の痛みを胸に、挫けることのない決意を固くしていたのであった。



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