何もないところで転んだのを大勢にも見られているような羞恥心。
俺の両親は俺が小学生の時に離婚し、母親に引き取られた。
その母が今年から海外赴任となり、ろくに生活力のない俺を親戚の家に預けたのが今年の4月。もう3か月も前のことだ。
最初は若干の居心地の悪さがあったのだが、あーちゃんを介して、徐々に佐藤一家とのコミュニケーションがうまく取れてるようになった。やはり子どもの存在は偉大だ。
あーちゃんがふざけて「しょーらい、おとーさんじゃなくて、りっくんとけっこんする!」と言って、家庭内に一瞬不穏な空気が立ち込めたような出来事もあったような気もしないでもないが、そんな過去も今は昔。
と、過去に思いを馳せながら珍しく早めに家を出て、学校へ向かうバスに乗ったとき──事件は起こった。
◇
(バスの雰囲気がいつもと違うような……?)
現在俺が乗っているバスは柊木学園行きなので、乗客9割は柊木生徒。
女子生徒が、やけにこっちを見て友達とひそひそ話をしている。
(ははーん、さては俺に惚れたな──)
と、自惚れる俺ではない。そもそも俺はあいにくそんな評価を下せるほど自己評価は高くない。あー二宮くらいぶっちぎりでイケメンだったら人生イージーモードだろうなあ……。
それにしても。
……やけにこっち見てくるな。一体なんだろうか?
(あーなるほど……俺の顔になんかついてんのか!)
さすが察しのいい山市さんだぜ、と思いながら適当に顔を触ってみる。
が、異常はない。
(あれ、違うのか? あー分かった寝癖か!)
窓に映る自分を確認する。
しかし特におかしいところはない。いつも通りの自分が映っているだけだ。
(え、なんだこの状況……割と恥ずかしいんだが)
何もないところで転んだのを大勢にも見られているような、それに似たような形容しがたい羞恥心が湧き上がってくる。
(しかも、なんか距離を感じるんだよな……)
バスの前方にある二人掛けの座席の窓側に座っているのだが、なぜか誰も隣に座ってこない。
しかし、自分より前方の二人用の座席は全て埋まっている。
立って学校まで我慢する人も一定数いるのは理解しているが、学校が近づくにつれて乗客が増えていくので、いつもならとっくに誰かが座ってくる時間だ。
(今日のバス、いつもより空いてんのかもな……)
と思って、後ろを振り返る。
すると──全席埋まっていた。
(え……なんで!? 待ってめっちゃ怖い!)
もうなりふり構っていられず、何度も身だしなみをチェックする。
(チャック空いてるとか!? 襟が立ってるとか!? 制服に穴が開いているとか!?)
しかしどれにも当てはまらない。
(落ち着け。どんな窮地でも勝ち筋を手繰り寄せる歴戦の軍師参謀のように……ってこれどっかで聞いたな!? とにかく落ち着け俺!)
心なしか、慌てふためく俺を見る周囲の視線が多くなっていく気がする。
さらに追い打ちをかけるように、
「ねえねえ……(ぼそぼそ)」
「あの人……(ぼそぼそ)」
「もしかして……(ぼそぼそ)」
と、ひそひそ話をする女子生徒の声が聞こえてきた。
(わっけ分かんねえ! 超恥ずい!! これ超恥ずい!! もう無理!! この場から逃げ出したい!)
窮地に陥り、半ば錯乱状態の軍師参謀が下した決断は──
『ピンポーン。次、停まります』
バスの降車ボタンを連打することだった。
◇
「まじでなんだったんだ……!?」
よく考えれば、柊木の制服着た奴が学校より前のバス停で降りるのは、かなり違和感のある行動に違いないが、心の安寧が最優先だった。
しかしバスを逃げ出して朝からそこそこの距離を歩くハメになった分、冷静になることができた。
「……これ絶対昨日の放送のせいだろ」
そうとしか考えられない。
しかし疑問はある。
「……そんな一日で俺の顔と放送の山市凛空が一致するか普通?」
全校生徒に知れ渡るようなタイプの生徒ではないことは、自分が一番分かっている。もちろん二宮は放送前から知れ渡っているだろうが。
昨日の放課後はもちろん二宮先生のところに伺っていないので、放送の反響というものがいまいち把握しきれていない。
しかし新校舎に流れていないのは確定。3年から人づてに伝わったとしても、いくらなんでもたった一日で大勢が知れ渡るということにはならない。
とりあえず情報が欲しいところだ──
と、その時、
「おい、山市じゃないか。珍しいな」
自転車通学をしている二宮にばったり遭遇。
「おお二宮、ちょうどよかった。学校まで後ろ乗せてってくれ」
「え? まあいいが……妹以外を後ろに乗せるのは気が進まないな」
「ならその席は永遠に空席だな。まあ頼む、非常事態なんだよ」
「……非常事態?」
『山市……』
「どした?」
『……反応が来ない』
「情けないこと言うなよ!?」
『し、しかし……』
「きっともうすぐ来るって……(チラッ)」