渦中の彼らに手向けの花を。
──昼休み。旧校舎の放送室にて。
「──っていうことがあったんだよ。ひどいと思わね?」
ドンとテーブルを叩いて向かいに座る悪友──二宮陸に今朝の出来事について感想を求めた。
テーブルをたたいた衝撃で、テーブル上に放置された放送機材のほこりが舞う。
「ああ、前々からお前の頭はひどいと思っていた」
「誰もそんな話はしてねーよ?」
相変わらずこいつは頭がおかしい。
「おかげで1000ポイント没収だぜ? 1000円と同価値だぞ?」
「それはひどい」
「まあ所持ポイント0だったからノーダメだからいいけど」
「それもひどい」
「にしても、先生に俺なりのウィットに富んだジョークが通じねえとは。教師としてのこれからが心配だよな」
「オレも聞いていたが、オレはお前のこれからが心配だ」
「うるせえ二宮。お前だけには絶対言われ──おい待て、“オレも聞いていた”……だと?」
それはおかしい。
何故なら俺と二宮は同じクラスだが、今日こいつは俺よりも後に遅刻して登校してきたはずだからだ。
今の話を知っているはずがない。
「なに、簡単なことだろう?」
「は?」
「オレも遅刻して姉貴に怒られるのが嫌だったからな。教室前の階段でお前が上がってくるのが見えたから、慈愛の精神に則って先を譲ったまでだ」
「てめえ! 俺を身代わりにしやがって!」
「お前のおかげで姉貴の怒りが静まっていたのか、オレは全く怒られずに済んだからな。ああ! なんて美しい友情のカタチなんだ!」
「この野郎……」
高らかに笑う同級生──二宮陸は、非常に遺憾で認めるのは大変難しいが、イケメンと呼ばれる人種である。
しかし突然だが、俺は世の中、案外平等に作られていると思っている。
天は二物を与えずという、古くから伝わるありがたいお言葉をご存じだろうか?
「ところで、お前に相談がある」
「どしたよ?」
「オレの一つ下の彼女の話なんだが」
「はあ!? おい待てそんな冗談やめろよ!?」
こいつに彼女だと!? だってこいつは──
「彼女が画面から出てきてくれないんだよ」
「…………そうか」
「どうしてだと思う?」
「……恥ずかしがり屋さんなんじゃないか?」
「そうか! なるほどな……」
二宮はいたって真剣な様子なのがさらに怖い。
もうすぐ『どうして……どうしてオレはあんな薄い液晶一枚越えられないんだよ!?』とか言い出すんじゃないだろうか。
「……ちなみに一つ下ってのはもしかして──」
「次元の話だが?」
「そうか。お前が何も変わっていなくて何よりだ」
「?」
そっと肩に手を置く。
こいつは二次元をこよなく愛する重度のオタクで、ラノベやアニメ、エロゲを大量摂取しないと生きられない。ちなみに数年前からは妹モノにドハマりしているらしく、その影響がリアルにも侵食してきている。
学校指定のカッターシャツの下にアニメのキャラがプリントされたTシャツを着るのは流石にどうかと思う。
そんな強烈な自己主張をする二宮は学校でも有名人だが、こいつに声をかけることができる、強心臓の女子生徒は今のところ現れていない。よかった。ほんとによかった。
「ったく、脅かすなよ。危うく大切な友人をこの手で葬るところだったぜ」
「なぜ三次元の彼女がいるだけで命を狙われるんだ……」
「そりゃお前──理数科の掟だからな」
俺と二宮が所属する1年10組は理数科であり、1組から9組の普通科とはカリキュラムから異なる。
そのため3年間クラス替えがなかったり、理数科研修と題した海外旅行があったりと、色々特徴があるのだが、一番の特徴は男女比だ。
元々県内一番の進学校なこともあってか、学校全体の男女比も男子に傾いている。
しかし驚く事なかれ──理数科に男女比という概念は存在しない。
──女子が一人もいないからだ。
一人もいないとなれば比率という概念は無に帰る。つまり帰無仮説を提唱することができ、有は無にして、無はまた有なりというわけだ(適当)。
普通科の生徒から男子校と揶揄されることも多い理数科だが、入学から卒業までずっとクラスメイトという強い結びつきのおかげで、クラスの結束力は普通科とは比べ物にもならない。
しかし、男子高校生が一番欲している女の子との甘酸っぱいイベントが何一つ発生しないことが唯一かつ最大の悩みだった。
──そんな特殊な環境で過ごしていくうちに、理数科男子生徒は一つの心理に辿り着いた。
『おい見たか!? 今日も普通科の奴らがカップルで図書室で勉強してやがったぞ!』
『くそっ! 神聖な学び舎で、なんて下劣な行為なんだ!』
『フッ、俺が普通科だったら今頃ハーレムだったってのに……』
『まあそう言うなよ。俺たちに誰も彼女がいないのって理数科だからってのも原因の一つだと思うんだよ』
『確かにな……』
『ていうかさ──』
『理数科だから彼女がいないのが普通じゃね……?』
『お、お前……』
『天才かよ……!』
『ふむ……その命題の対偶が正しいことをたった今脳内で証明した』
『帰納法でもばっちりだ』
『僕は背理法でやってみる』
『じゃあオレは演繹法で』
自分たちがモテない理由を理数科という環境に押し付けることで、誰しもが等しく公平に永久の苦しみから解放されるこの真理は、理数科に精神的安定と平穏をもたらした。
と──同時に。
『このグラフを見てくれ。先の命題を定式化した多変数微分方程式の解を無限級数に展開してみたんだが』
『おい、この解の収束……彼女がいなくても普通どころか、彼女がいる方が誤りだと!?』
『局所解じゃないのか!?』
『いや、他に解は見つからなった……つまりこれが大域的最適解だ』
『じゃあまさか……!』
『ああ。“理数科だから彼女がいなくても普通”という前提条件が正しいなら──“理数科では彼女がいる方が間違っている”ということになる』
『おいおいまじかよ……』
『明らかに前提が正しい以上、これは真理に他ならない』
『自明だな』
『そうなのか……いや、やっぱそうだよな!』
『ああ! むしろそうあるべきだ!』
『当たり前だ! 彼女いる奴なんて理数科に非ず!』
『彼女持ちに人権なんてないよな!』
迷える自分たちに平穏をもたらしてくれるこの命題が偽であってはならない。
理数科で彼女持ちなど許してはならない。
この日を境に、理数科の掟が生まれた。
“理数科たるもの、彼女を作るべからず”
この掟を破ったものはクラスメイトから万感の手厚い祝福(物理)を受ける、という旨の誓約書に理数科全員が記名済みだ。
「まあ、お前が三次元の女の子に関心があるわけねーか……」
「フッ、オレにもれっきとした三次元女性の好みというものがある。甘く見てもらっちゃ困る」
「堂々と言われちゃ困る」
「オレをそんな、二次元しか愛せない、致命的欠陥を抱えた人間と一緒にしないでくれ。オレはそこまでイカレていない」
……少しはイカレてる認識あったんだな。
「オレの三次元の理想像はな、オレのことをおにーちゃんと──」
「オーケーもう喋んな。お前はもう助からん」
「?」
再びそっと肩に手を置く。
お前がなぜ、小首をかしげて「わけが分からない」という反応をするわけが分からない。
「くそっ! 何でオレにはあんな男勝りな姉貴しかいないんだ!?」
二宮がテーブルを力任せに強く叩き、またもやほこりが舞う。
実は、俺にありがたい拳をお与えになった教師──二宮愛海と二宮陸は兄弟で、姉と弟の関係である。ちなみにこのことを知らない生徒はいないくらい、柊木学園では有名な話だ。
「贅沢言うなよ。二宮先生めちゃくちゃ美人だろ?」
二宮愛海はお世辞などではなくて本当に美人だ。すらっと背も高くしかも巨乳ときている。大事なのでもう一度。美人で巨乳。この世に存在する最強生物だ。
男女問わず、生徒内の評判もすこぶるよく、あくまでも噂だが、未婚の男性教師たちの間でし烈なレースが繰り広げられているらしい。
正直、外面だけなら俺の好みど真ん中といって差し支えない……外面だけなら。
「それならもし、お前が姉貴に付き合ってくれって言われたらどうする?」
「逃げる」
「だろう?」
条件反射どころか脊髄反射、光速を越えた思考スピードで答えを返した自信がある。
なぜなら本当に最強生物だから。
「だってキレた時の雰囲気がもう怖すぎんだよ。今朝の鉄拳制裁の時、先生のワイシャツの下からはっきりと力こぶが見えてもう絶対無理と確信したわ」
「あれで腹筋もバキバキに割れてるからな」
「まじかよ……」
「ああ、あれは女の皮を被った化け物かなにかとしか思えない」
「お前、そんなこと言って大丈夫なのか? 二宮先生に殺されんじゃね?」
二宮先生が弟を激しく叱責している光景は柊木名物だ。
「おいおい。さすがに地獄耳の姉貴でも限度というものが、ある。大丈夫……の……はず……」
ジェットコースターのようなトーンダウン。
「おいおい、そんな不安がるなよ」
「そ、そうだよな? あり得ないよな?」
その慌てぶりを見るに、学校外でもどんな目に合っているのか想像がつくが、さすがに先生といえどもこの会話を盗み聞くのは非現実的と言わざるを得ない。
もし誰かに聞こえていたとするなら、それはこの放送室のマイクがオンになっているとか、そんなベタな展開しか──
ん?
なんか壁にある放送中の赤いランプ点いてね?