2 泉の傍で2
犬の頭に手を乗せた時、毛に埋もれた首輪に気づいた。手探りでプレートを見つけ、書いてある文字を読む。
「………ルオ」
「うぉんっ」
犬はすかさず吠えて返事をした。
「そう。あなたはルオというのね。名前があって羨ましいわ」
思わず溜息が漏れる。
するとルオが首を傾げた。人間みたいな仕草に笑みがこぼれる。
「わたしは、自分の名前もわからないの。何も覚えていないのよ」
「俺が覚えてます。レナ様」
返事があってびっくりした。
「覚えていないでしょうが、俺はレナ様のしもべです。ここは復活の泉という場所で、呪いを解くために俺がお供してきました」
「あなたは何?犬じゃないの?」
「俺は魔獣です。突然変異なので種族はありません。レナ様に拾っていただいてから、ずっとお仕えしています」
「え、ええと………レナというのがわたしの名前なのね」
「そうです。セレスティナ・レ・スタット様。我が主よ。貴女はかつてレ・スタット国の女王を務めたお方。今は引退し、隠遁生活を送っていたのですが、「死者の呪い」によりお体が限界に達した為この泉へやって来たのです。復活の泉は、「死者の呪い」を解く効果がありますから。ただし復活の泉の力は万能ではなく、復活と引き換えに記憶を失うと言われております」
そこで一旦、言葉を切り。
「それにレナ様の場合は、見た目が変わっておいでです。以前は36歳でしたから、少々お若くなりましたね。髪も目の色も変わって、まるで生まれ変わったようです。これなら、レ・スタット国の連中にもレナ様とはわからないでしょう。これで目的を果たせますね」
「ち、ちょっと待って!あなたの言っていることが、よくわからないのだけど」
「大丈夫です!」
えええぇぇ。その自信はどこから来るの。
とりあえず、レナがセレスティナの愛称だろうというのは検討がついた。
「どうして元女王が呪いにかけられるの?」
「………そうですね。レ・スタット国では、王になった者は「死者の呪い」を受けます。この呪いは能力を一時的に高めることから、「死者の祝福」と呼ぶこともあるそうです。在位中は問題ないのですが、王位を退くと、やがて呪いに体を蝕まれ死にます。通常の王は、高齢になってから引退するので問題にならないのです」
「………なんだか怖いわ」
「レナ様は復活の泉で呪いを解かれているので、ご心配はいりません。これで自由に生きるという目的が達成できるでしょう」
まるで、わたしが自由じゃなかったみたいな言い方ね。そうなの?もう、わからないことばっかり!段々、イライラしてきたわ。記憶がないって、なんて不便なの。
「まずは、荷物を取りに行きましょう。乗ってください」
そう言って、ルオは向きを変えた。
このままじっとしているよりはいいと思って、ルオに跨った。すると、ルオはゆっくりと歩き出した。少ししか揺れないのは、ルオが気を使っているからだと思う。その気遣いが嬉しかった。
考えてみれば、ルオがいてくれて本当に良かった。記憶がない状態で、1人きりで過ごすのは心細かったから。話し相手がいれば気がまぎれるし、何より独りじゃない。
ルオはよくしゃべってくれた。その話によると、わたしのレ・スタット国の王族として生まれたけれど、本来なら王位に就くことなどない低い地位にいた。それが先王の急死によって事情が変わり、幼い王子が成長するまでの繋ぎの女王に選ばれてしまったとのこと。国の為に生きて、国の為に死ぬ。それがセレスティナの人生だった。だからこそ自由に憧れて、夢を見た。
記憶がなくなるということは、生きなおすことだと思う。
セレスティナは人生をやり直すことにしたのね。家も何もかも処分して、わずかな荷物だけを残した。そして、その新しい人生のお供にルオを選んだ。
引退したセレスティナは、森の中の小屋で自給自足のような暮らしをしていた。36歳だったけれど、60歳過ぎの老婆のような姿になり、介助が必要なほど老いていたそうよ。小屋には遺書を残してきたから、彼女の世話をしていた村娘も、セレスティナは死んだと思ったはず。
そうして人生に終止符を打って、セレスティナは一人で復活の泉を目指した。
自殺を疑われないように、ルオは別行動をとって。
なぜかというと、セレスティナはレ・スタット国王から命を狙われているから。レ・スタット国では、セレスティナが王位を退位して2年経っても復権を望む声が絶たず、国政が乱れているから。というのも、現国王は女好きで、贅沢好き。政治よりも私生活優先で、実際に政治を動かしているのは王太后というから、それも仕方ない話よね。
安全な暮らしを確保するためには、レ・スタット国王の敵ではないと証明する必要があるのよね。そうじゃないと、いつまでも命を狙われることになるもの。だからセレスティナは死んだことにしたんだわ。敵が信じてくれればいいけれど、そううまくいくかしら?