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万華鏡

作者: 季月 ハイネ

 朝からどっしりとした雲が、今にも落ちてきそうに浮かんでいた。

 古びたラジオは今にも止まりそうな声で天気予報を告げている。少なくとも今日一日は雲が空を覆い隠したままなのだそうだ。

 窓際にかかったてるてる坊主を恨めしげに睨んでみる。ふいに入ってきた風に揺れてそっぽを向かれ、てるてる坊主にも嫌われた。

 いっそのこと雨が降れば良かった。雨だったら諦めもつく。あの雲がいつかいなくなってくれるんじゃないかなんて、淡い期待を抱かずに済んだのに。

 あの雲に頼んで、どいてもらうことはできるだろうか。いやいやそんなことできまいよ。

 雲を動かせるくらいの強い風が吹かないだろうか。いやいやそんなこと起こるまいよ。

 雲が切れるはさみは、どこに行けばあるだろうか。いやいやそんなものあるまいよ。

 自問自答に頭を抱える。

 どうしよう。どうしたらいいんだろう!

 うろうろと、行ったり来たりを繰り返す。どうしていいかわからない。ひとつだけ確かなのは、今日は一日中曇りであること。──そう、決して晴れないのだということ。

 呆然と座り込む僕に、洗濯物を干していた後ろ姿がどうしたのかと尋ねてくる。

 どうして今日なのか。どうして晴れないのか。どうしたら晴れるのか。これじゃあ空が見えない。晴れなきゃ意味がない!

 しばらくの間黙って耳を傾けていたかと思えば、少し待っていてとどこかへ行ってしまった。

「それならこれを持って行きなさい」

 戻ってくるなり、僕にひとつの箱を手渡してくる。とても軽い。上下に振ればかさかさと音がした。

 これはなあにと訊く僕に手招きをして、耳元で答えを囁いた。

「──とっておきの魔法よ」

 悪戯めいた言葉と一緒に。

 飛び出た外は灰色雲。箱を抱えて僕は走る。泣き出しそうな空の下。目指すは道の遥か上。

 息が切れ、のどがひりひり痛む。ひざが震え、左足にけつまずく。汗が目に入り、滲む視界を手の甲で拭う。それでも足は止めない。手を振り、坂道を上って、走り続ける。

 上り坂が終わる頃、ようやく白い屋根が見えてきた。

 屋根と同じ真っ白な壁。黒で四角く縁取られた扉を前にして、僕は深呼吸をした。二度、三度。やがて整った息を吐き、決意を込めて扉を開く。

 扉の向こう、開けてすぐ見えるのはひとつ限りのこぢんまりとした窓。その脇には一人がけの椅子がひとつばかり置かれていて、腰掛けながらじっと空を見つめる彼女がいた。

 いざ開けてはみたものの、中へと入るのにためらう。音に気づいたのか、こちらを向いた彼女が僕を見て微笑んだ。

 そうしてまた外を見上げるものだから、いてもたってもいられなくなり、彼女の元へと歩き出した。一歩踏み出してしまえば後は嘘みたいに足が進み、彼女の前まで難なくたどり着く。

「今日はダメみたいだね」

 空を仰いだまま、彼女はそう言った。

 カーテンへと伸ばされた手が外の景色を閉め出す。まるで、心残りを断ち切るみたいに。

 曇ってるから仕方ないかと、僕を見て笑う彼女はどこか寂しげで。無理にでも笑おうとする彼女を見ていられなかった。

「あのね、これ」

 後ろに隠していた手を急いで彼女に差し出す。かくりと傾げられた彼女の首が僕に問いかけた。

「なあに? ここを見るの?」

 渡された円筒の先端を指で差し、頷いた僕を確認してから彼女は筒を覗き込む。

 なおも首をひねる彼女に筒を回すのだと教えると、彼女の目は見る見るうちに大きく開かれていった。

「きれいね、きれい。とってもきれい。──素敵。小さな星空みたい」

 彼女の上擦った声が弾み、上気した頬で時計回りにくるくると筒を回す。僕の目の前で、何度も何度も動かされる。

 筒に夢中だった二つの目が思い出したかのようについと離され、僕を捉えてにっこりと笑った。

 寂しげだった彼女はどこにもいない。どんな光より、彼女の笑顔は眩しく映った。星よりも、月よりも、太陽でさえも、今の彼女の前では霞むほどに。

 面映さから目を逸らす。

「ありがとう」

 僕には、その言葉だけで十分だった。

 ──七月七日、曇り。一日中あいにくの天気ではありますが、ところにより一時晴れ間が見えるでしょう。以上、本日の天気をお送り致しました。



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