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3/3

それは心に浮かべる涙のように



―――― 収穫祭当日



「あれ?京司は?」


宿の食堂では、大工達が遅く起きてきた風よりも一足早く朝食を取り終わり談笑していた。やはり長時間移動して来たため、さすがの風も疲れていたのだろう。昨晩はぐっすりと眠ってしまったようだ。


「ハハハ。今日も京司かい?」

「…もー、ただ一緒に歌聞きに行こうと思って…。」


まるで口癖のように、毎日、京司京司と口にする風を茶化さずにはいられない。そんな茶化しに、風は口を尖らせながら、席について朝食を取り始めた。


「そういえば、今朝は京司見てないな。歌は夕方だろう?そのうち帰ってくるよ。」


確かにこの大工が言うように、今朝はまだ誰も京司の顔を見たものはいない。朝食も取ったのかも定かではない。しかし、彼らはそんなに深くは考えずに、大方散歩にでもでたのだろうと、考えていた。


「…おじいちゃんは?」

「ああ、棟梁は朝食を取った後、出かけて行ったよ。依頼主の所じゃないのかなー?」

「ふーん。」


そして風はその場に姿が見えない棟梁の事も気になり聞いてみた。しかし、棟梁は京司とは違い、ちゃんと朝食には顔を出し、出かけて行ったようだ。彼が朝が早い事は風もよく知っていた。風はあくびを口にしながらも、美味しい朝食に舌鼓を打った。


************


ザ―

今日もこの場所は少し標高が高いせいか、風が吹き荒れていた。そんな荒々しい風が京司の顔面に容赦なく吹き付けていた。


「星羅が歌うよ。」


ザ―

風の音にかき消されそうなか細い声で、京司がぽつりと言葉を落とした。


「ちゃんと聞けよ。」


もちろん京司の言葉に応える者など、そこには誰もいない。ただ彼の耳に聞こえるのは風の唸り声だけ。それ以外は何も聞こえない。聞きたい声も今では聞こえない。

そして、京司は手にもっていた花束をそっとその石碑の前に置き、背を向けた。


無常にも吹き荒れる風がそこにポツンと置かれた花をゆらし、花びらをはぐように、舞い上がらせた。



************


バタン!!


「月斗!どうや調子は?」


建付けの悪いそのドアを。りんは容赦なく勢いよく開けた。ここに星羅がいたら、「乱暴に開けないで、壊れるでしょう!」と間違いなく怒られていただろう。しかし、案ずる事なかれ、ここにもう星羅はいない。


「朝っぱらからうるせーな。どけ!」


その代わりに、そこに居たのは、眠そうにトレードマークのつりあがった目をこすっている月斗だった。月斗はいつも通りの憎まれ口を叩きながら、りんを押しのけて、ドアの外へと出ていく。朝は正直苦手は月斗の目に朝の太陽が染み、彼は目を細めた。いつもなら相棒のサリに叩き起こされている時間なのだが、今日はちゃんと一人で起き、この小さな小屋の外に設けられた小さな作業場へと歩を進めた。ここは、山奥にあるかつての月斗の隠れ家。りんがこんな山奥で作業しなくてもと言ったものの、月斗は慣れ親しんでいて、人が滅多に訪れる事がないこの場所がどうやら気に入っているらしい。


「相変わらず、冷たい奴やなー。」

「まったく、人をこき使いやがって…。」

「なんやその言い方。わいは仕事を依頼した、依頼主やろ?」


月斗の憎まれ口などもう何とも思わないりんは、月斗の後について行く。しかし、月斗にはゆっくりとおしゃべりなどしている時間はない。それを重々承知のため、仕方なくこやって朝っぱらから作業へと入る。

そう、月斗に課せられた仕事は、収穫祭で花火をあげる事。もちろんその依頼主は、この収穫祭を取り仕切るりんであった。そのため月斗は中月町から城下町へと出向いていた。


「お仲間は?」

「さりは朝飯買いに行ってるよ。」

「ふーんそうか!しっかし、楽しみやなー、月斗の花火!」


今日の仕事はサリと二人でこなしていた。この頃は、ゆうじいも仕事のほとんどを二人に任していたのだった。


「こないだの花火大会で見ただろう。」

「花火大会は3カ月も前やないかい!」


そう、3ヵ月前の夏と言われる季節には、花火大会と言わる催しが開催され、そこでももちろん彼の美しい花火がこの空を彩った。もちろんその素晴らしさをりんが忘れるわけはない。だからこそ、今日の収穫祭でも月斗にこの仕事をお願いしたのだ。


「それに今日は特別や……。」

「…特別?」


そして、今日のこの日に花火を上げるのは、りんにとっては、絶対に譲れないものであり、それは必然。


「星羅が歌うんや。あそこで……。」


そう言って、りんは木々の隙間から微かに見え隠れする、城の方へと視線を動かした。


「たく何考えてんのか知らねーけど。」

「みんなが見とる。」

「あ?」


いい加減にりんのおしゃべりには付き合っている時間はないと、月斗は手を動かし始めたが、一瞬だけ眉を吊り上げ、少しだけりんの方を見た。


「天音も、青もみとるで!!」


バシ


そう言って、りんは月斗の背中を勢いよくたたいた。


「いって―な!」

「だから、あいつらに恥じないように生きな。」


りんはそこに広がる青空を見上げ、大きく伸びをした。



************


「いたー!!京司!」

「は?風?こんな所まで来て何してんだよ!」


山の麓の方まで降りて来た京司は、まさかそこで遭遇するとは、思ってもいなかった風にの姿に目を見開いてわかりやすく驚いてみせた。


「それはこっちのセリフだよ。こんな所で何してんの?」

「…散歩だよ。たくこんな所まで一人で来るなよ。お前どうせ迷って帰れなくなるんだから。」


山の麓とはいえ、この辺は木がたくさん生い茂っていて初めて来るものであれば、迷ってしまう事を怪訝してしまうに違いない場所なのだ。そんな所まで、この町の事を何も知らない田舎者の風が一人でひょっこりやって来てしまった事を心配するのも無理もない。


「京司は?迷わないの?」

「え、まあな。」

「ふーん。やっぱり京司は、城下町の人なんだね。」

「……。」


何度となくここを訪れていた京司にとっては、ここは庭のような場所。ここで迷うなんてありえない。


「あ、そうだ、今日一緒にSEILAの歌聞きに行こう!!」

「…たく。俺は仕事しに来たんだけど。」

「だって今日はお祭りだよ!仕事はまだ始まってないんだから!いこう!」


そう、今日は待ちに待ったお祭りの日。さすがにそんな日から仕事を始めるのは、刻だろうと、棟梁と依頼主は考えていた。彼らの仕事は明日から開始されるよ予定だった。そんな京司の予定が今日一日白紙なのは、風にも明確。しかし、当の本人は明らかに乗り気ではなかったが、風はそんな京司にはお構いなしに、彼の腕に自分の腕を絡め、引っ張り出した。


「はあー。」

「歌の前に、お店も見に行こう!」


テンションマックスの風に抗う事ができなくなった京司は仕方なく、彼女の仰せのままについて行くしかなかった。



************




「やっぱり、アイツ来たんだね。」


そのお墓の前に供えられていた、真新しい花束を目にした華子が小さくつぶやいた。


「…たく。本当に未練がましったらありゃしない!!」


華子がこれでもかと言わんほどの大声にのせて、その言葉を吐き出した。


ザ―


風が荒々しく吹き、花束の花びらを散らす。


「未練がましい男なんて嫌われるだけなのにね…。」


華子は寂しい気な目でじっとその墓を見つめ、苦笑いを浮かべた。

聞こえているのか、いないのか…。

それはわからないが、華子はそれでも言わずには言わずにはいられなかった。

例えここに彼女が眠っていなくても、彼女はきっと見ているに違いない。

この世界をどこかで…。

なぜかそう思っていたのだ。




************



「うわーーー!!もうこんなに人がいっぱいだよー!」


やっとの事で広場に着いた、風はその人の多さに目を真ん丸にしていた。

なんせ、こんなにたくさんの人が一同に集まっている所を見たのなんて、生まれて初めてなのだから無理もない。


「お前が一軒、一軒出店を見て回るからだろ…。」


そう、風は今まで見た事のない出店をじっくりと見て回り、かなりの時間をくってしまい、もう既に夕方だ。そのため、もう既に広場は人で埋め尽くされて、なるべく良い場所でSEILAの歌う姿を見たいと言う風の願望はあっけなく砕かれた。そして、風に付き合わされた京司は、気が気でなかったのは言うまでもないが、何とか知り合いには会わずにここまで来ることができた。


「だって…。こんなお祭り今まで見た事ないし、これからも見る事ないかもしれないしー。」


風は口をとがらせて、ブーブー言っている。まあ、確かにあの町に居たならば、きっと見る事ができないであろうこのお祭りに心躍らないわけはなく、もちろん文句を言いながらも、京司はそれをわかっていたから、ここまで風に付き合ってきたのだ。


「…にしても、ほんとすごい人だな。」

「みんな、SEILAの歌聞きたいんだね!でもこんな後ろになっちゃったよー。」


そう、風達の目の前に広がるのは人だかり。SEILAの立つであろうバルコニーからはかなり遠い場所になってしまったのは、言うまでもない。


「歌なんだから、どこで聞いたって同じだろう。」

「だって、顔を見たいもん!」


風はSEILAの歌を楽しみにしていたのはもちろんだが、彼女がどんな容姿なのか、どんな風に歌っているのか、それも見たかったのだ。歌を聞くだけでは、いつものラジオから聞こえてくるのと同じで、それでは意味がない。


「…俺は見たくないってーの。」

「え?何か言った?」


京司の思わずこぼれてしまった本音は、幸いにもこの雑踏にかき消され、風には聞こえてはいなかったらしい。



************



「緊張してるかー?」


りんはいつも通りの、全く緊張感のない声でズカズカと緊張感漂う星羅の控室に入って来た。


「…まーね。」

「星羅なら大丈夫や!」


バシ

もちろんその緊張感は嫌というほど星羅から漂っていた。

そんな星羅の背中をりんは思いっきり叩いてみせた。そこにいたマネージャーがそれを見て目を丸くしたのは言うまでもない。


「ちょっ!!痛いんだけど…。」

「ハハ、かんべん、かんべん。」


呆れながらも星羅は、口端を上げた。それを見て、りんもまた笑い声をあげた。

これがりんなりの励ましのやり方。もちろん星羅はそれをわかっていた。

しかし、叩かれた背中がヒリヒリしているのは、いただけないのだが…。


「聞いてくれるかな…。」

「…星羅…。」


そして、星羅は窓の外を見つめポツリとつぶやいた。

りんのおかげで、少しだけ気分は和んだものの、やはりその不安は拭えない。

この舞台は特別…。だからこそ見て欲しい人がいる。この歌を聞いて欲しい人がいる。


バタン!!

「ハロー!!」


その時、またもやこの空気を割くようなドアを勢いよく開けるけたたましい音と共に、元気な明るい声が二人の耳に届いた。彼女には、部屋を開ける前にノックをするという常識はどうやらないらしい。


「華子!!」


星羅は思わず立ち上がって、そこにひょっこり現れた華子の元に駆け寄った。

シドの計らいによって、星羅の友人である華子はこの控室に通されたのだった。


「久しぶりーー!」

「華子も来てくれたんかー。」


相変わらずの華子の元気そうな顔を見たりんも嬉しそうに声を上げた。

華子も最近はデザイナーとして多くの仕事の依頼が舞い込み、いろんな場所を飛び回っているらしく、彼らと顔を合わせるのは久しぶりだった。


「あったりまえじゃん!!星羅の大舞台なんだから。」

「ありがとう。華子。」


そんな多忙な華子だったが、もちろん星羅がここで歌う事は、小耳に挟んでいたため、何とか仕事をきりあげ、今日のこの日に合わせて城下町へと戻って来ていたのだ。


「で、誰に聞いて欲しいって?」


華子はニンマリとしながら、星羅に尋ねた。ちゃっかり扉の外から会話に聞く耳を立てていたらしい。


「聞いてたんかいな。決まっとるやろう。」

「…。」


しかし、星羅はその名は口にしようとはせず、押し黙ったまま。


「大丈夫や。ラジオの生中継もあるし、きっとどっかで聞いとるやろ。」


そんな星羅の気持ちを察したりんが星羅の不安を拭うように、その言葉をかける。

もちろんそんなの気休めなのはわかっている。

でも、星羅はやはり彼には聞いて欲しかった。例えこの場所に居なくても…。だって彼は…。


「あ、そういえば…。アイツに会ったよ。」


華子が少し声のトーンを落とし低い声でつぶやいた。


「え…。」

「な…!?アイツって!」


その言葉を聞いた星羅は思わず目を見開き、りんも慌てた様子で華子に詰め寄った。

この場面で流石の華子も空気を読まないはずはない。

アイツとはただ一人。

華子がアイツと呼ぶ人物は天敵である彼たった一人。


「決まってるじゃーん。元夫。」

「どこでや!!」


りんは我慢ならず、大声を上げた。


「この町で…。」

「な、なんやて!?」


驚きを隠せず声も出ない星羅をそっちのけで、彼女を上回る驚きようのりんが、またもや大声で叫び声を上げ、その声はこの部屋中に響き渡った。


************



「あー。どうしよう緊張してきた!」


風は今か今かとドキドキしながらその時を待っていた。


「お前が緊張してどうすんだよ。」


そんな様子を見ていた京司は、呆れ顔を見せるしかない。

歌を聞くだけの人間が緊張してどうすると言うのだ。あそこに立つ彼女の心情を考えたら、こんな人混みの中にいる自分達なんて、そこを歩いているアリンコみたいなもんだ。


「だってー。」


風はやはりソワソワしながらも、また口を尖らせ不満気な顔を見せた。

そんな横で、京司は呆れながら風を見ながらも、内心は安心をしていた。こんだけ人が多かったら、きっと知り合いにあっても気づかれずにすむと。まあ、つまり心置きなく歌を聞けるわけで…。


「あれ、おじーちゃん?」

「風?こんな所におったのか?」


しかし、こんな人混みでも肉親は違うらしい。棟梁が人混みをかき分け風達の近くを通りかかったのを彼女は見逃さなかった。


「そうなの、前の方で見たかったんだけど、後ろの方になっちゃった。」

「こんにちは。風ちゃん。」


……え?


そして、棟梁はもちろん一人ではなかった。彼を先導している人物がいたのだ。

ご丁寧にも彼は立ち止まり、風に向かってすがすがしい笑顔を見せ、挨拶をしてみせた。


「あ、シドさん!こんにちは。あ、京司。この人が依頼主のシドさんだよ!」


…なんだよ。…この人混みも何の意味もないじゃねーか!!

そう心の中で叫んでももう時は既に遅い。この人混みも、深く被った帽子も何の意味もなくなってしまった。そう、ご丁寧に風が京司の名を口にしてしまったのだから。


「え……。」


シドはその名を聞いて目を大きく見開く。


「はぁー…。ビンゴだな……。」


京司という名はなかなか珍しい。同じ名前の別人で通すのは難しい事は、京司はすぐに悟った。そして観念するしかなく、大きくため息をついた。


「京司……。」


シドは今度は眉にしわを寄せ、怪訝な顔で彼の名を呼んでみせた。

なぜここに彼が?その疑問は彼の顔を見れば明らか。


「よぉ!久しぶりだな!」


京司はわざとらしく、明るい声を振りしぼって、シドの目をチラリと見て、また視線をそらす。


「え?京司、シドさんと知り合いなの!」


そんな二人の様子を見ていた風が間に入り、驚きの声を上げた。しかし、それと対称に、棟梁はそんな彼らを見ても一言も発しない。


「いや、まー、知り合いっていうかー。」


観念するしかない京司は、風の問いにしらじらしい程の苦笑いで返すしかなかった。こんな人混みの中逃げるのは不可能。かといって知らんふりするのも無理な話。だってシドは棟梁に仕事を依頼した張本人。京司もこの仕事に関わるのならば、遅かれ早かれ彼と顔を合わす事は避けられない。


「…りん、お前の事血眼になって探してたんだぞ……。」

「…。」


シドは目の前に立ち、自分から顔を反らし、へらへらと笑う彼に向かい低い声でそう言った。その声から彼はもう逃げる事はできない。そして、誤魔化しの言葉も、もう口からは出てはこなかった。


「え…?」


自分にその言葉を向けられてはいないのはわかりきっていた風が、その言葉に思わず声をもらした。


「…行きましょう。」

「…ああ。」


そして、シドは彼の方を見る事はなく、棟梁を連れて歩を進めた。



シド達が去ってしばらく経ったが、京司は顔を伏せ言葉を発する事はなかった。

そして、風もまた押し黙ったまま。そこに突っ立っていた。


「いいのかよ。ここで?」

「…え!?」


しかし、その沈黙を先に破ったのは、京司の方だった。

それに驚いた風は、思わず声を上げ、彼の方を恐る恐る見た。


「アイツと棟梁について行けば、きっと、いい場所で見せてくれるぜ。顔…見たいんだろう?」

「…。」


風が見上げた京司は、いつも通りの彼だった。そう、顔は笑っていても、目の奥はどこか寂しそうないつもの彼だ。


「…んーん。ここでいい。」

「そうか?」

「ここで京司と聞くよ!」

「…。」


そう言って、また当たり前のように、風は京司の腕に自分の腕を絡めた。

彼がどこかに行ってしまわぬように。



************



たったったっ


「シド!」


大きな足音と共に、城のすぐ手前に簡易的に建てられた運営本部の場所へと、彼が勢いよくやって来た。もちろんここは関係者以外立ち入り禁止の場所。


「…りん、こんな所で何してんだ?もうすぐ歌始まるんだろう?」


りんは関係者の一人である事は間違いないのだが、この時間に彼がここにいるはずがない。彼はこの舞台の責任者であるため、一番近い場所で彼女をサポートしているはずだ。しかし、


「京司見てへんか!?」

「…どうしたんだよ急に。」


血相を変えやって来たわけをシドはもちろん察していた。しかし、シドは落ち着いた様子でりんに問う。


「華子が、京司見たって!」

「…落ち着けって。」

「でも、アイツに会わんと…。」


すぐに落ち着けと言われても落ち着けるわけがないのは、シドも重々承知の上。りんがどれだけ今まで京司の事を心配していたか、シドが一番傍で見てきた。だからこそ、先ほど京司を見たシドも心底驚いたが、りんとは考え方が違った。


「この町にいようが、いまいが、きっとアイツの事だ、どこかで必ず聞いてるだろ?」

「……。」

「だから、お前はこの舞台を成功させるだけだ。」


子供に優しく諭すように、シドはりんに語り掛けた。

シドにはわかっていた。もし今りんが京司と会ったとしても、きっと京司はさっき自分と会った時と同じ反応を見せるだろう。そして、それはりんにとって何の意味もなさない。それよりも、今はもっと大切な事がある。


「星羅のそばにいてやれよ。お前が一番近くで見ないでどうすんだよ。」

「…わかっとるがな!!」


りんはシドに諭され、冷静さを取り戻した。今自分にできる事は、どこにいるかわからない京司を探し駆けまわる事ではない事を。星羅の歌を彼女の近くで聞く事が、このイベントを企画した自分のやるべき事だという事を。

そして、りんはまた勢いよく駆け出して行った。


「たく、アイツの事になると…。すみません。お見苦しい所をお見せして。」


シドは後ろを振り返り、椅子に腰かけている棟梁の方を見て、申し訳なさそうに、そう言った。


「…いや。」

「アイツはこのイベントを考えた奴なんです。」

「そうか。」


棟梁は表情ひとつ変える事なく、いつも通りの落ち着いた声でそう答えるだけだった。


「アイツは京司の古い友人です。」

「…京司か…。アイツは何にも自分の事は話したがらん。」


そして、シドは落ち着いた声でその事を伝えた。もうシドにはわかっていた。風は当たり前のように京司の名を呼んでいた。それは即ちそれなりの仲だという事だ。もちろんそれは棟梁も同じ事。


「…そうでしょうね。」


そうして、シドは寂しげに笑って見せた。


「…まあ、ワシらも無理に聞こうとはしないが。」

「だから、アイツはあなたの所に居るんですね。」

「…。」


棟梁は少し顔を上げ、じっとシドを見た。


「私は、以前は反乱軍の一員でした……。」


その視線から逃げる事なく、シドはまたゆっくりと口を開いた。




************



「ふー。」


星羅が静かに息を吐きだした。

まるで、身体の中の不安を全て外に吐き出すかのように。


「星羅。いつもどおりに。」


マネージャーが心配そうに声をかけた。それは、星羅のこんなに緊張した姿を見たのは初めてだったのだから無理もない。


「うん。」

「星羅!」


星羅は心を静め前を見た。その瞬間騒々しいあの声が背中から聞こえた。そして、少しだけ口端を上げた。


「いってくる。」


少しだけ振り向き彼の顔を見て、また少し落ち着きを取り戻した。


「忘れんなや。みんなおる。みんな聞いとる。」


星羅の目に映ったりんは、こんな涼しい風が吹いているというのに、汗だくだった。それを見て思わず吹き出してしまいそうになったが、ぐっとこらえていつも通りのクールさをなんとか保った。


「知ってる。」


そして、星羅が花のように笑った。





パッ


日が傾きかけた時、城のバルコニーに七色のスポットライトが当たった。


「はじまる!!」


風が歓喜の声をあげ、顔を大きく上げた。


「…。」


京司は黙って顔を上げ、その舞台を見つめた。

それは、彼がこの場所から、あの城のバルコニーを見上げる、生まれて初めての瞬間だった。




カツカツカツ



星羅はゆっくりとバルコニーへと足を進めた。



カツ



そしてバルコニーの一番前で足を止めた。




『せ…い…ら……。』

『ほらー!拍手!!』

『憎しみあってた者がわかりあえないと思いますか?』

『その人の全てを見て!!きっと分かり合える部分があるから!!』



まるで時があの時に戻ったかのように、星羅の目にはあの日の事が走馬灯のよに蘇る。



「天音……。」



星羅が小さくつぶやいた。


「すぅー」



そして、星羅が大きく息を吸う。



~♪~♪~♪



彼女の歌声に誰もが息を飲んだ。

あんなにはしゃいでいた、風さえ息をする事を忘れたかのように、口を結びただその姿に、歌声にくぎ付けになった。



「…。」


それは、もちろん京司も例外ではない。


~♪~♪~♪


そして一曲が終わり、星羅がお辞儀をした。



ワーワー

パチパチ


その途端大きな歓声と割れんばかりの拍手が起こった。


「ありがとございます。」


星羅がマイクに向かってしゃべりかけた。


「この場所は私にとって、思い出深い場所です。この場所でこの国は終わり、新しい私達が始まった。」


時刻は夕暮れ時、夕日が見え始めた。



「最後にこの歌を届けたいと思います。」


そして、星羅がまた大きく息を吸い込んだ。その歌を全ての人々の元へ届けるために。


~♪~♪~♪


「この歌……。」


そこに集まる人々のほとんどがその歌を耳にした事がある歌だ。

それはあの日、この国が終わった日、星羅が歌った曲だった。


~♪~♪~♪


そして、あの日と同じように、誰もその場から動けず、誰もが息を飲んでその歌を聞いていた。


~♪~♪


「いや、それ反則だろう…。」


『星羅の歌聞いたら、みんなケンカやめるよ!!』


しかし、そこにいる人々の中でただ一人京司だけが顔を上げ、彼女のその姿を見る事ができなかった。


歌が終わり静寂が訪れた。誰一人言葉を発する事が出来ず、その場に静止していた。まるで時間が止まったかのように。

そして、星羅が最後に深々とお辞儀をした。

その瞬間、地面が揺れた。

ワー

ワー

大きな歓声と共に。


「す…ご…い……。」


風は口をあんぐり開けたまま、ただその場に立ち尽くし、唖然としていた。だが、その目は潤んでいた。



『あなたのせいじゃない。自分を責めないで。』

『また俺の前で歌って!』



「…ありがとう」



京司は歓声に紛れて、誰にも聞こえない程の小さな声でその言葉をつぶいた。



「やっぱ、すごいよ…。」


真っすぐ前を見据えたままの風は、そう言って、無意識に京司の腕を掴んだ。


「…そうだな。」


京司もまた前を見たまま、どこか、泣き出しそうな顔で、笑っていた。



************


「素晴らしい歌だ…。」


棟梁は人混みはごめんだと言い、関係者しか立ち入る事ができない本部のあるこの場所で、その歌を聞いていた。そして、思わずその言葉がこぼれ落ちた。


「ええ…。彼女の歌には人の心を動かす何かがある。」


シドも満足気にそう言って笑っていた。棟梁がシドにももっと良い場所で聞かなくてよいのかと尋ねたが、シドは自分もここで聞くと言って、棟梁の隣に腰を下ろしていた。


「…この国は変わった…。」

「…。」


棟梁がポツリとつぶやいたその言葉に、シドはゆっくりと首を動かし、棟梁の方を見た。


「彼女の歌がそれを物語っていたよ。」

「…ええ。昔ならありえなかった。こんな城の前でみんなで歌を聞くなんて。何かをみんなで共有する事なんてなかったですね。」


そして、シドはまた満足気に笑ってみせた。

彼は確信していた。このステージは絶対に成功するのだと。




************




「お疲れさん!!」


バルコニーへと続くその部屋へ戻ってきた星羅に真っ先に声をかけたのは、やはりりんだった。


「はー、緊張した!!」


星羅は緊張がほどけたように、その場に腰から崩れ落ちた。


「ハハ。めずらしいな、いつもクールな星羅が!」

「何よそれ!私だって人間なんだから!」


りんはそんな星羅を支えるように手を差し出し、わざと茶化すように笑ってみせた。

それを見て、星羅はやっぱりいつものように、顔を赤くして怒り出した。りんにとっては、このやり取りももう見慣れたもの。


「ははは、すまんすまん。せやけど、ええ歌やった。」


そして、りんは、少しだけ真面目な声を出し、目を細めた。



「当たり前でしょ。」

「届いたで。」

「…。」


そして、りんが今まで見た事のないくらい柔らかく笑ってみせた。星羅はその彼の初めて見る表情に不覚にも目を奪われてしまった。


「さ!次はアイツの番やな!」


そして、いつもの調子に戻り、りんがニッと歯をみせて笑った。





「あがれーーーーー!!」


花火に火をつけていく月斗がこれでもかと叫んだ。



『じゃあ、ちゃんと完成させろよ…。花火……。』

『花火また上げてね!』



その思いが空に届くように。




ヒュー



バーン




次の瞬間、夕日が姿を消し、その赤が少しだけ残る空に、大きな花火が上がった。







「うわーーー!!すごーーーい!!」


風はその爆音に驚きながらも、首をこれでもかというほどに傾け、空に咲き誇るその大きな花に目が釘付けになる。それも無理もない。風は生まれて初めて花火と言うものをみたのだから。


「……。」


そんな風のキラキラ輝く瞳と同じように空に輝く花火を京司はただ黙ってそっと見上げた。

その眩しさに目がくらまないように…。





「反発するだけでは、何かを変えられない。」


シドもまた、外へと出て空を見上げた。


「…。」


棟梁もまたシドの横に立ち、彼の言葉にそっと耳を傾けた。




ヒュー




「…何かを変えるには痛みが必要だった。」




ドーン




「…それを無駄にすることは、絶対にしたくない。」





彼の耳には、人々の大きな声援が聞こえた。

そして、空を彩るその大きな花が彼の瞳を埋め尽くした。



「あ、すみません。生意気言い過ぎましたね。」


シドは目線を棟梁の方へと戻し、少し恥ずかしそうに頭をかいてみせた。


「…いや。あんたが依頼主じゃなかったら、きっとこの仕事は受けてはいない。」

「…ありがとうございます。」


もちろん今までは、書面でしかやり取りをしてこなかった依頼主の彼だったが、この瞬間彼という男の内面を知ったようなそんな気がした。


ヒューバーン


「いい花火だ。」


棟梁も目を細めて空を見上げた。





「すごいね!!京司!こんなの私初めて見た。」


風は興奮しながら、痛くなるほどに傾けていた首を元へと戻し、京司の方へと向けた。


「京司……?」


しかし、彼の耳にはその声は全く届いていない事に気が付いた。

そして、その瞳に映るのは、はかなく散っていく花火。


ヒューバーン



そして、風は初めて見る京司のその表情に、口をつぐみ、戸惑う事しかできなかった。




今にも泣き出しそうな



悲し気な表情に……





――― お前らずるいよ…



――― 俺には、俺には…











――― 何もない













































































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