その夢の続きを見たいのなら
「スー、スー。」
彼が道端で拾ったその女は、彼の家でゆっくりと眠りにつく事ができた。
さすがに、高熱で道端に倒れていた彼女を放っておけるわけもなく、彼は名前もわからず、素性もわからない彼女を、家へと連れ帰っていた。
そんな彼女は、薬が効いたのか、今は寝息をたてて穏やかに眠っている。
「よかった…。熱も下がってきたみたいだ。」
落ち着いて眠る彼女の額にそっと手をあて、彼が安心した声で小さくつぶやいた。
「ん…。」
すると、彼の冷たくて気持ち良い手が、彼女を刺激してしまったのか、彼女が目を覚ました。
「ごめん。起こしちゃったね。大丈夫…?」
「…あなた……?」
彼女の意識は、まだもうろうとしているのか、焦点が定まらないまま、何とか言葉を紡いだ。
「覚えてる?君、道で倒れてたから、僕の家に連れて来たんだ。」
「…ごめんなさい…迷惑かけて…。」
そう言って彼女は顔を伏せたまま、占領していた彼の寝床から起き上がろうとした。
「え、だめだよ。まだ寝てないと。」
彼は、彼女の肩を少し強めに押し、優しい言葉と共にその行動をなんとか止めようとした。
熱は下がったものの、顔色はまだ悪く、お世辞にも完治したとは言い難い。
「でも…。」
「大丈夫。全然迷惑なんかじゃないよ。」
ただ、体調が悪いだけとは思えない、怯えるような彼女の目が、ちらりと彼の方を見た。
そんな、不安気な彼女を何とか落ち着かせようと、彼は優しく笑った。
「…ありがとう。」
彼女はそう小さくつぶやいて、また目を伏せた。
「とにかく、熱も下がってきたみたいだし、もうちょっと横になって。ね?」
「…本当にありがとう。」
彼は、彼女を何とか落ち着かせ、寝かせる事ができた。彼女は、そんな優しい彼の人柄にホッとしたのか、彼の言葉に従い、お礼の言葉を述べた。
「あ、僕の名前は、なぎと。」
「…なぎと……。」
気さくに笑い、彼は自分の名前を彼女に伝えた。その方が、彼女も少しは警戒を解いてくれるのではないかと、考えたからだ。
そして彼女は、初めて聞いた彼の名を、そっと口にしてみた。
「君の名は……。」
「……。」
なぎとが彼女にそれを問うのは、当たり前の事。しかし、彼女はまた、寂しげな瞳を伏せる事しかできない。
『わからない…。』
彼女のその言葉を思い出したなぎとは、しまったと思ったが、時はすでに遅し。
「…私……何も覚えてないみたい……。」
「…。」
彼女の発したその言葉に、なぎともまた、心配そうな目を向ける事しかできない。あの時、彼女が口にした言葉は、どうやら熱のせいだけでは、なかったようだ。きっと熱があって、混乱しているだけだろうと思っていたなぎとの予想は、簡単に覆される事となった。
「……自分の名前さえも覚えてない……。」
「大丈夫だよ。今は体も弱ってるし、そのうち思いだすよ。」
彼女の目が、また一層悲しみの色に染まったのを、なぎとは見逃す事はできなかった。
しかし、彼ができる事と言えば、そんなありきたりな励ましの言葉をかける事ぐらいしかない。
「ありがとう。優しいのね。」
「…さ、さあ、今はとにかく休んで。」
「…うん。」
なぎとのそんなありきたりな言葉でも、彼女は、少しだけ救われた気持ちになった。
そして、彼女はなぎとの言葉に従い、目をそっと閉じた。
次に目を開けた時には、きっと自分の名前を思い出せるようにと願いながら……。
************
「うわーーーー!!京司見えたよ!!」
なぜか、京司が手綱を引く馬に、一緒にまたがっていた風が、これでもかという位の大声を上げた。
そんなキラキラ輝く目を、真っすぐ前に向ける風とは対照的に、京司はキリキリと痛む胃に耐えながら、ため息を吐いた。もちろん、すぐ後ろに居る風には、そんな京司の様子など、見えてはいない。
「ねえてば、京司聞いてる?」
「聞こえてるに、きまってんだろう!!」
何も答えてくれない京司に、尚もしつこく耳元で叫ぶ風に、京司の不機嫌さが増すのは、言うまでもない。
「もう、いじわるーー!!ほらー!見て!城下町だよ。」
そう、キラキラ輝く風の目は、確かに、遠くに見える城下町の物々しい門を捕えていた。
「やっぱり、城下町は門も規模がでかいなー。」
「でけー町なんだろうなー。」
そんな風に続くように、大工達も関心した声を出した。
「まったく、遊びに行くわけでは…。」
風のはしゃぎっぷりに黙っていられない棟梁が、口を挟もうとするが…。
「わかってるよ!おじ、じゃない棟梁!!」
だてに、長年棟梁の孫をやってるわけじゃないと言わんばかりに、棟梁の言葉を聞き終わる前に、言葉を被せてくる。
…たく、本当にわかってんのか、コイツ。
そんなやり取りを聞いていた京司は、そう心の中でツッコマずにはいられなかった。
「城下町早く見たいなー!」
それでも尚、風の瞳はいつもに増してキラキラと輝いていた。
京司の目とは、まったく真逆の色をして…。
************
「え……私が……あそこで……?」
星羅は、マネージャーのその一言に、思わず目を大きく見開いた。
「いい機会だと思うけど、どうかな?」
「……。」
星羅は思わず下を向いて、黙りこくった。
「嫌だった?」
マネージャーが、心配そうに星羅の頭頂部を見つめた。
正直どんな反応が返ってくるのか、彼女にも想像はできなかったものの、この反応は予想外であった。
「…そうじゃないの。ただ、私にとっては、あそこは特別な場所だから。」
「そう…だったの?」
そう、マネジャーが星羅に告げたのは、ある仕事の依頼だった。
それは、ある場所で、星羅に歌って欲しいというもの。そして、その場所は、星羅にとってはとても特別な場所であったため、彼女は戸惑いを隠せないでいた。
「……こんなオファーしてくる奴なんて、アイツしかいない。」
「え…?知ってるの?」
「絶対そう…。」
顔を上げた星羅は、少しだけ自身なさげに口端を上げた。
そう、星羅には確信があった…。
…だってあそこは……。
************
「これが、城下町の入り口!?大きな門だね!!」
風は、目の前にそびえ立つ大きな門を、あんぐりと大きな口を開けたまま見上げた。
しかし、見るもの全てが珍しく、大きな声をあげっぱなしの風の声は、未だ枯れる事はない。
「いや、ただの門だから。」
そんな風を冷たくあしらい、馬を降りた京司は、門の前で立ち尽くす風を置いて、スタスタと歩き出した。
「ちょっと京司ーーー!」
その後を、ちょこちょこと小走りに風が追いかけるが、京司の大きな一歩について行くのは、やっとだ。
「いや、確かに立派な門だなー。」
スタスタと先を行く京司とは反対に、他の大工達も足を止め、門を感心して見ていた。
その門には立派な装飾が施してあり、それは、地球国だった時代から変わらないもの。その装飾はとても繊細なもので、建築に関わる仕事をする者ならば、その技術に目を奪われるのは当然の事。
…そういうもんなのか…?
京司も仕方なく一旦足を止め、後ろを振り返った。見慣れたその門を、京司は何とも言えない気持ちで見つめる事しかでない。
「さあ、とにかく宿に荷物を置きにいこう。」
やはりここでも、その場を取りまとめるのは、棟梁の役目。いつまでも、ここで足止めをするわけにはいかないため、棟梁が先を急ぐように促す。
「はい。」
そして、まだ立ち止まったままの京司の横を、大工達が追い越して行く。
「京司?」
彼らが、どんどんと先に行ってしまうというのに、門から外を眺めたままの京司は、まだそこから動こうとしない。そんな京司を見た風は、眉間にしわを寄せ、彼の名を呼んだ。
しかし、風の声は京司の耳には届かない。
…まさかまたこの場所に……。
グイ
「早く行くよ!!」
そんな京司の腕に自分の腕を絡め、風は勢いよく引っ張った。その瞬間、京司はハッとした顔でゆっくりと風の方へと視線を移した。
「たく、いてーな。」
そして、いつもの調子で口を開いた京司は、風に引っ張られるがまま、自然と歩を進めた。城下町の中へと向かって。
☆
「すごーい!!お店いっぱいある!!」
門をくぐった風の目に飛び込んできた景色は、今まで見た事のないものだった。
その門から真っすぐ伸びる道には、見た事のない数の店が並んでいた。そして、多くの人々が行き来する姿に、風は圧倒されていた。
「……。」
しかし、それは昔となんら変わらないこの町の姿。この国が昔から見てきた、なんら変わらない姿だ。
そんな光景に京司は、なんの感情も読み取れないような顔を見せていた。
「ねえ、京司、荷物置いたらゆっくり見に行こうよ!!」
「…やだよ。俺は疲れたんだから!」
目を輝かせて風は、隣に立つ京司にそう言った。しかし、京司がうんと簡単に首を振るわけはなかった。
「えーー。いいじゃん!」
「お前はただ馬に乗って、後ろでしがみついててただけだろう!」
「そんな事ないもんー!」
京司と風は、そんなたわいのない言い合いをしながら、先導し前を行く棟梁に、着いて歩を進めていた。
「棟梁、宿は…?」
ためらう事なく、町の奥の方までずんずん進んでいく棟梁に、京司は、声をかけずにはいられなくなった。正直、彼は、この町に足を踏み入れただけで、気が気ではない。足が一歩、また一歩と進む度に、心臓を打つ音が大きくなっていくのを消す事ができない。
「城に一番近い場所だ。」
棟梁は宿の地図を見て、当たり前のようにそう口にした。
「……え…城……?」
京司は棟梁のその言葉に、思わず目を大きく見開いた。「城」その言葉を、ここでまた耳にする事になるなんて、思ってもいなかったのだから。
「そりゃ、楽だな。」
棟梁のその言葉を聞いた大工の一人が、何の気なしに口を開いた。
「え……?」
「あれ、京司には言ってなかったか?」
その場に固まり石のように動かなくなった京司に、また別の大工が声をかけた。
しかし、混乱する京司の頭の中は、どうにもこうにもうまく働いてはくれない。
「今回の仕事は、城の改築を頼まれてる。」
彼らのやり取りを横で聞いていた棟梁が、そこでそっと口を開いた。
「…。」
京司は思わず言葉を失った。
……よりによって………。なんで………。
そして、下を向いて唇を噛みしめた。
なんでここへ来てしまったのだと後悔しても、もう遅かった…。
☆
「お、ここだな。」
そして、城から一番近い宿に、一行は到着した。
「…。」
しかし、京司の表情は曇ったままだ。それは、隣を歩く風も感じていた。だからこそ、何と声をかけていいのかもわからなくて、風も口をつぐんでいた。
「ワシと風は、依頼主の所にあいさつに行ってくる。みなは休んでるといい。」
棟梁がみんなを前に、そう伝えた。まずは、無事到着した事を、依頼主に報告しに行かなければならない。もちろんその報告に全員総出で行く事はない。棟梁は一応経理担当で、この中で一番体力の有り余っているであろう、風だけを連れて行く事にした。
「…京司、本当に疲れたみたいだね。」
「…ああ。」
風は、ここで何とかその一言を絞り出し、心配そうに彼を見上げた。
しかし、京司はそっけなくそう答えただけ。いつものように明るく振舞い、取り繕う事もできなかった。
「風、行くぞ。」
「はーい。じゃ、ゆっくり休んで。」
そう言って、風は棟梁に駆け寄って行った。
しかし、そんな風の気遣いの言葉など、今の京司の耳には届いてはいなかった。
…城か……。まいったな……。
「しかっし、本当に城下町ってのは、にぎやかだなー。」
「確かに、まるでお祭りみたいだな。」
大工の一人が宿に入るなり、そうつぶやいた。やはりこの賑わいは、小さな町から来た彼らからみたら、異常なほどだ。
…そりゃそうだ…。明後日は…。
しかし、京司にはわかっていた。だって彼はこの町に居たのだから。そして…
「その通りだよ。明後日は収穫祭っていうお祭りがあるんだよ。」
彼らの会話を聞いていたであろう、宿の主人が手続きをしながら、その答えを、いとも簡単に彼らに与えてくれた。
「あ、そうなんですか!」
収穫祭は秋のお祭りだ。この国では、毎年この時期に行われる行事の一つになっていた。
「なんたって年に一度の秋のイベントだからね。みんな気合が入ってるんだよ。」
「へー。ラッキーだな。そんな時に城下町に来れて。なあ、京司、町見に行くか?」
大工の一人は、そんな情報を聞き、何の気なしに京司を誘った。そんな大きなイベントが行われるのならば、ぜひ見に行きたいと思うのが普通だろう。
「いやー、俺は疲れたんで、部屋で休みます!」
京司はやっとの事で我を取り戻し、いつもの調子でへらへら笑ってそう答えた。
…我を忘れてどうすんだ…。決めたはずだ…。
そう、風達のいる町へと移り住んで、彼は決めたのだ。
ーーーこの仮面をはぐ事は決してしないと…。
「そうか?」
そう言って、大工達は荷物を置くと、京司を一人残し、町へと出かけてい行った。
「…くっそ!町なんかに出てたまるか!」
一人部屋に残った京司は、そう吐き捨て、窓の外へと視線を送った。
************
「わざわざ遠い所、ありがとうございます。」
町役場に足を運んだ、棟梁と風を快く迎え入れたのは、今回の城の改築を依頼した張本人。
「私がここの代表者のシドと申します。よろしくお願いします。」
そう、依頼主のシドだった。
「あんたが…。」
棟梁は少し目を大きくし、シドをマジマジと見つめた。今までのやり取りは、全て手紙などの書面上のものだった。依頼主本人を目の前にしたのは、この時が初めてだった。
「こんな若造ですみません。」
「いや…。」
あまりにもマジマジと見つめられ、気恥ずかしくなったシドは、頭をかきながら、そんな事を口にした。
シドも棟梁とはこれが初対面だったが、棟梁の噂はよく耳にしていた。自分よりも年は倍くらい違うし、彼の仕事に対する厳しさは、よく知っていた。棟梁の目が、自分を見極めようとしていたのを、シドもまた感じていた。
「代表者って何?」
すると、そんなピリついた空気を割くように、呑気な口調で、風が横から口を出した。やはりここでも、気になった事はすぐ様聞いておきたい彼女の、いつもの衝動が抑えられる事はない。
「私達、城下町の役場の者は、この国の復興と建て直しを行っています。私はその代表者なんです。」
「ふーん。」
シドは風の目をしっかりと見つめ、彼女の問いに真摯に答える。
今ではこの城下町の役場が、この国の中心となってこの国を動かしていた。
「私が棟梁のサクマ。そして、こっちが孫で経理や雑務を行っている風だ。」
棟梁がここでようやく、自分の事と風をシドに紹介した。
「よろしくねシドさん!」
「ああ。よろしく。」
すると、風は持ち前の明るさをもって、ニコリと笑い、シドに手を差し伸べた。
そんな少女のように、あどけなく笑う風の手を、シドが握り返した。
「で?城をどうするつもりなんだい?」
挨拶はこの位にと、棟梁が本題へと入った。
そう、棟梁は、城の改築をお願いしたいという、この仕事のざっくりとした概要しか聞いてはいなかった。
この城を一体どのように改築するのか…。それはまだ謎のまま。
「……実はまだ決めてないんです。」
「へ??」
しかし、シドから返ってきた答えは、棟梁も風も予想のしていないものだった。そんな答えに、風は思わずすっとんきょんな声を出した。
「え?じゃあなんで、私達呼ばれたの?」
そして、風は思わず眉にしわを寄せ、シドにそう聞かずにはいられなかった。
普通ならば、その概要が全て決まってから仕事を依頼するものだ。それは、棟梁の傍でずっと仕事を手伝ってきた風もよく知っている。
「一緒に考えてもらいたくて…。みなさんの知恵を借りて、あの城をどうするか。」
「……。」
棟梁は未だ口を結んだまま、シドの話に耳を傾けた。
「私達だけでは、どうもいい案が浮かばなくて、大工として、今まで様々な建物を見てきたみなさんの知恵をお借りしたいと思ってます。それに、この町の人間だけでなく、外の人々の意見も聞きたいと思っていまして。」
「…城か…。」
「うーん。確かにあんな大きなお城、壊すのも大変だし、何かに活用できたらいいよね。」
シドのその言葉を聞き、棟梁も考えこむ。そして、風も、まるで自分の事のように頭を悩ませ始めた。
「ええ。あの城を、みんなのためにどう使い、どう改築したらいいか、一緒に考えてもらえませんか?お願いします。」
すると、シドは二人を前に、突然深々と頭を下げた。
「…ああ。わかった。」
シドの頭頂部を見つめたままの、棟梁が静かに答えた。シドのその真摯な態度に、それを断る理由などない。それを見ていた風もニッコリ笑ってみせた。
「ありがとうございます。」
そして、シドも柔らかな笑顔を見せ、二人に答えた。
「あ、そうだ。ご存じですか?実は明後日、収穫祭というお祭りがこの町で行われるんですが…。」
「お祭り!!なにそれ!!」
「なるほど、それで町も活気づいていたのか。」
シドが発したお祭りという単語に、風が勢いよく喰いついた。やはりここは、どこにでもいる17歳の少女の反応だ。そして、棟梁もこの町のにぎわいに納得した。
「まあ、秋の収穫を願って行うものだけど、みんなが楽しめる催しもいくつかあって。」
「すごい!楽しそう!!」
風が目を輝かせて、シドにじわじわ近づいてくるのには、さすがのシドも少しタジタジになる。
「実は、そこで城を使ったパフォーマンスを考えたんです。」
「パフォーマンス?」
その言葉に、思わず風は首を傾けた。
「ずっとあの城が放置されたままだし、それに、あの城にいい思い出がない人も、きっといると思うんです。そんな思いを払拭しようと、この役場の一人が考えたんです。」
「へー。で?何するの?」
「それは…。」
キラキラと目を輝かせながら、その答えを待つ風に、シドは彼女の姿を重ねずにはいられなかった。
だからこそ、少しもったいぶるように、それを口にした。
************
「よっしゃ!!準備万端やな!」
城のバルコニーで、音響設備を設置していた彼が腰に手を当てて、満足気に笑ってみせた。
「……やっぱり。」
そんな彼の背中から、その美しい声が聞こえ、彼は勢いよく振り返る。
「おー!星羅!今日町に着いたんかー!」
いつもと変わらないハイテンションなりんが、嬉しそうに星羅の顔を見つめた。
「私、マネージャーのヨシノと申します。」
「おう!よろしく。ヨッシーやな。」
すると星羅の隣に立つ女が、りんに向かって丁寧に頭を下げた。りんは、それでもやっぱり、いつもの調子で軽く手を上げ挨拶を終わらせた。
そんな様子を見た星羅は、本当にこの人に、こんなちゃんとした仕事が務まるのか、と少しだけ不安がよぎる。
「まったく。無茶な事考えたわね。」
「無茶やないで?見てや。完璧やろこのステージ!」
星羅は、相変わらずな様子の彼に、ため息をつかずにはいられない。しかし、一体どこからくるのか、りんの自身は揺るぎないものであるのは、間違いないようだ。
そして、星羅はそのステージと呼ばれたそのバルコニーを見渡した。
そのバルコニーは、あの時となんら変わらなかった。初めて星羅が大勢の前で歌ったあの時から……。
「…こんな事思いつくのはあなただけね。」
「それ、最高のほめ言葉やな。」
星羅は呆れ顔でそう言ったはずなのに、りんはその言葉にニッと笑った。
やっぱりどこまでもポジティブな彼の性格は、誰かさんにも見習って欲しいと、星羅は密かに考えてしまった。しかし、それは口にはしない。それを言えば、りんがまた、更につけあがるのは、目に見えているのだから。
「まさか、またここで歌えるなんて…。」
星羅は、バルコニーから見えるその景色を見つめながら、小さくつぶやいた。
「いい舞台やろ?」
「ここで歌うのは、あの日以来ね……。」
りんが星羅にそっと微笑んだが、星羅から返ってきたのは、どこか寂しげな顔。
「ほんま、星羅の歌は、人の心を動かす力があるわ。あん時、みんなが星羅の歌に釘付けになったもんな。」
「…そんな事…。」
「いや、星羅の歌には、そんな力があるんや。」
りんは、いつになく真剣な声でそう言った。
そう、あの日、この国が終わった日、人々の心は、星羅の歌声によって動かされた。それは、紛れもない事実。りんはそれをよく知っている。
「ありがとう。」
「こっちこそ、この話受けてくれて、ほんまありがとう。」
星羅が見つめる先にある町は、夕日のオレンジに染められ始めていた。
「そういえば、この間、京司に会ったわよ。」
「な!?ど、どこでや?」
何気なく口にした、星羅のその一言に、りんは明らかに動揺を見せた。
まさか、そんな事をこんな場所で、さらりと星羅に言われるなんて、彼はこれっぽちも考えてはいなかったのだから。
「…たまたま行った町。」
「どこの町や?」
「忘れちゃった。でも、元気にやってるみたいだったし、しばらくほっといたら?」
りんの驚きようとはまるで正反対の星羅は、そっけなく答えるだけ。しかし、りんの顔は星羅のその一言に、全く同意を現してはいないのは明らか。
「わいのせいや…。」
りんは、京司の事が心配でならなかった。そして、責任さえも感じていたのだ。
「え?」
「あいつの気持ちに気づいてやれなかった。」
だからこそ、りんは彼の安否を誰よりも気にしていた。もちろんそれは、星羅も知っていた。
しかし…
「京司がこの町を出て行ったのは、誰のせいでもないわよ。あいつが決めた事でしょ。」
「…。」
「確かに私もたいがい心配性だけど、あなたには負けるわね。」
何も答えられないりんに、星羅はそう言って、苦笑いを浮かべてみせた。
りんの京司に対する心配っぷりは、今や星羅の心配性を上回っていた。
「…変化から逃げたのは、京司なのよ。」
そして、また、星羅が低い声でつぶやいた。
「…。」
りんは目を見開いて、星羅を見る。
「―――私達は生きているのよ。」
星羅は真っ直ぐな目で、目の前にある夕日を見つめていた。
「いつまでも、同じ所で立ち止まっているわけには、いかない。」
そして、星羅のその目もオレンジに染まっていく。
「…そう…やな……。」
りんも前を見据えて、少し寂しそうに小さくつぶやいた。
************
「きょうじーーーーー!!」
バタン!!
人の部屋に入る時はノックをするという常識が、飛んでしまうほどの興奮状態で、風は、京司達の部屋だと聞いた宿の部屋を勢いよく開けた。
「あれ?」
しかし、そこには町に出かけて行った大工はもちろん、部屋で休むと言っていた京司の姿もなかった。
「疲れてるって言ってたのに、いないじゃん…。どこ行ったんだろう?京司。」
タッタッタ
その足で風は町に出た。きっと京司も気が変わって町を見に行ったに違いない。単純な風の脳はそう理解していた。
町は先ほどと変わらず、人々でにぎわっていた。こんなにたくさんの人がいるような場所を歩いた事のない風は、人にぶつかりながらも、前へと進んで行く。
「あ、いた!」
しかし、幸運にも、こんな人混みの中でも、京司を見つける事が出来た。帽子を深く被って、明らかにいつもと雰囲気は違うはずなのに、風の目には、彼しか映らない。
「きょうじーーー!!」
風は人混みで、中々前に進む事ができず、このままでは、京司に追いつけないと判断し、彼に向かって大声で叫んだ。
「!?」
そのよく通る彼女の声は、嫌でも京司の耳に飛び込んできた。そして、すぐに京司は人混みをかき分け、風の方へと飛んで来た。
「あ、きょう…んぐ!?」
京司は思わず、自分の名の形をした風の口を手で塞いだ。
「お前はバカか!俺の名を大声で叫ぶな!!」
「んぐ!なんで?」
京司の初めて見たその焦りっぷりに、首を傾げるしかない風は、なんとか京司の手を剥がしてそう尋ねた。
「なんで…って。」
…俺がここに居る事がバレるだろ!!
とは、もちろん言う事ができない京司は、何とか、風を黙らせる言い訳を必死に探している。
「あのな、ここには人もいっぱいいるし、お前の町とは違うんだ。大声は控えた方が…。」
「なんで?」
もちろん、そんなとってつけたような言い訳をしても、風に伝わるはずもない。
「だから!!」
「あ、それより大変なの!!」
聞き分けの良い方でない風に、イライラし始めた京司だったが、この話は風にとってはどうでもいい事だったらしい。そして、この話題は、空気を読むという技術を持ち合わせていない彼女によって、終了が告げられた。それは、京司にとっては好都合。それよりも、風は京司に真っ先に伝えたい事があった。
「なんだよ。」
「SEILAの歌が聞けるの!!!」
先ほどの京司の忠告など全く耳に入っていなかった風の大声が、その場に響き渡った。
「へ?」
突然の風の発言に、ぼーぜんとその場に立ち尽くすばかり。
SEILAの歌が聞けるなんて、突然言われても理解不能。歌なんて、毎日のように風は、ラジオにかじりついて聞いているはずだ。ご丁寧にこの城下町に来る際も、ラジオはちゃっかりと携帯してきた。
「しかも生歌!目の前で!顔だって見れるんだよ。」
…何を言いたいんだコイツは。まったく要点がわからないしゃべり方だな…。
京司は文脈など全く無視された風の言葉を何とか理解しようと脳をフル回転させる。
「風、落ち着けって。で、何でSEILAの歌が聞けるって?」
とりあえず、風を落ち着かせて、ゆっくりと順を追ってその言葉を理解しようと努める事にする。
「だからー、さっき聞いたんだけどね、明後日SEILAがお祭りで、あのお城で歌うんだって。」
…星羅がここで歌う……。大方収穫祭の催しで呼ばれたんだろう。
京司はつたない風の説明から何とかその真意を紐解こうとする。
…でも、なんで城で…?
しかし、風が言う事が本当ならば、すぐにその疑問が京司の頭に浮かび上がった。
「夢みたいだよ!!SEILAの生歌が聞けるなんて!!」
しかし、思案する京司をよそに、風は未だ興奮が抑えきれないようだ。この事を京司に伝えたくて、京司を必死に探していたのだろう。そんな風の気持ちは京司には手に取るようにわかる。
「…夢…のよう……か……。」
京司は、少し顔を伏せ、その言葉を小さくつぶやいた。
…これが、夢ならば……。
…それを何度望んだだろう……。
…しかし……
「…あれ?」
すると、この人混みの中、一人の女が京司と風の前で足を止めた。
どこか心ここにあらずの京司はそれに気が付かない。
「え?まさか本物?」
すかさず、女が京司の顔をのぞきこんだ。
……やば!!
と思った瞬間にはもう遅かった。
「へー、なんだあんたも来てたんだ。」
その女は、そう言って、被っていたつばの広い帽子を取った。その瞬間サラサラのストレートの髪が風になびき、彼女の顔が露わになる。
「え……京司の知り合い?」
風はポカンと口を開け、その彼女を見つめた。
…逃げるか!
「私の顔を見たとたん逃げるとかありえなくない?」
くるりと方向を変えた京司の背中に冷たくその言葉を浴びせる彼女の無敵さは健在。
彼の考えなど、お見通しの華子が、冷たい視線を彼の背に送り続けているのを、京司はもちろん感じていた。
…よりによって、なんでコイツに見つかるんだ…。
「まあ、逃げたくなるのもわかるけど。」
「あの…。」
風はその場に固まる京司と、目を細めそんな彼を睨みつけるその女を、わけがわからず交互に見つめる事しかできない。
「あ、ごめんね。何新しい彼女?」
「あのなー。」
いやみったらしいその笑顔に、京司は観念するしかなかった。
風を放って逃げてどうするっていうのだ。こんな場面で逃げたら、余計ややこしくなるのは目に見えている。風への説明と、この女への説明。その両方が必要になるのは必須。
「京司この人は…?」
風が困惑した顔で京司に視線を送るが、京司は何と答えてよいものかと、思案する。
「あー。元妻。」
「オイ!!」
しかし、そんな京司の努力を一瞬にして打ち砕く一言を、相変わらず空気の読めない華子によって簡単に投下される。
時はすでに遅し。
風はその言葉に完全に固まっていた。
「あー、マジあれは私の黒歴史だわ。」
「お前!!余計な事ばっかべらべらしゃべるな!!」
…だから、空気よめっつーの!!
そう叫んだ所で、無駄なのは重々承知の京司はそんな無駄な労力は使わない。
どうあがいた所で彼女の口には敵わないのだから。
「…つ…ま……?」
その言葉をもう一度小さく吐き出した風は、不安気な瞳を京司へと向けた。
「こんな奴の言う事なんか聞くな。帰るぞ。」
京司はそう言って、その場に固まって動かない風の腕をひっぱって、その場を去ろうとした。
「誰に会いに来たの?」
そして、華子の低い声が京司の背中を撫で、京司は足を止めた。
「ま、私には関係ないっかー。」
あっけらかんとした彼女の声が今度は空へと放出された。
「仕事で来てるだけだよ。」
そう言って。京司はまた歩き出した。
「ふーん。仕事ねー…。」
☆
「ま、待ってよ!京司!」
人混みの中を京司はずんずんと進んでいく。風はそんな京司に、着いていくので精一杯だ。
「あ!」
すると、風は何かにつまずき、体が傾いた。
グイッ
その瞬間、京司が風の腕をつかんで、風が倒れるのを阻止した。
「あ、ありがとう…。」
風は少し驚いきながらも、その言葉を口にした。京司は自分の事など、放ってどんどん進んで行ってしまうかと、思っていた。でも、ちゃんと京司は自分の事を見ていてくれた。
「たく、お前、どんくさいからな。」
「ねえ、京司は城下町の人なんでしょ…?」
京司が足を止め、こちらを振り向いてくれたのをいい事に、風はここぞとばかりに京司に尋ねた。
…きっと今なら答えてくれる。なぜかそう思った。
「…ああ……。」
京司は目を伏せたまま、小さく答えた。
「…京司は、自分の事は何にも話さないもんね……。」
それが、聞いて欲しくない事なのは、風も何となくわかっていた。でも、やっぱり気になっていた。
「…。」
それは、時折見せる京司のどこか寂しそうな表情がそれを物語っていた。それを聞かない方が京司のためなんだと思っていたしかし…
「奥さんがいたなんて…。」
風はその事に大きくショックを受けていた。
「は?」
京司は風の発したその言葉に、眉をひそめる。
「だって、さっきの人……。」
「ち、ちげーよ!!」
風の潤んだ瞳が京司をじっと見つめていた。そして、京司は思わず顔を上げ、思わず叫んでしまった。
「え…?」
さっきは、大声を出すななんだって言っていた本人がこんな大声で叫んで否定している事に、風はきょとんとした顔を見せ、首を傾げた。
「あのな、あんな奴の言う事なんて真に受けるなよ。」
「でも、あの人すごくかわいかったよ。」
「いや、それ関係ないし。」
「じゃあ、なんで元妻なんて。」
素直な風が、あのKYの華子が何気なく言った一言を真に受けるのは、仕方のない事。
しかし、このまま誤解されたままでは、京司の立場はない。
「それは……。」
しかし、京司は一瞬固まった。何と説明すればよいものか…。
華子が妃だったなんて……、言えるわけはない。それは、自分の素性を明かす事になってしまうのだから…。
京司は目を白黒させながら、なんとか風を納得させなければいけない一言を探した。
ここで、風の誤解を解かなければ、きっとおしゃべりな風は、この事を棟梁や、大工達に簡単にばらしてしまうに違いない。それだけは、何としても阻止しなければならなかった。
「じ、冗談に決まってるだろう。」
京司は冷や汗をかきながら、引きつった笑顔でその一言を発するのがやっとだった。
「……なーんだ。冗談か!」
単純で素直な風は京司のその一言に当たり前のように納得してみせた。
「あ、当たり前だろう?あいつはああいう、質の悪い冗談言う奴なんだよ、昔っから。」
尚もひきつった顔で京司は笑った。そう、これは、あの性悪女の言った悪い冗談。その証拠に自分は妃を選定する事に全く関わってはいないし、彼女を妃だなんて、妻なんて認めた事はただの一度もないのだから。
「そうだよね!京司まだ若いもんね。なんだびっくりした。」
…風が単純な奴でよかった。
京司はホッと胸をなでおろした。
「でも久しぶりに帰ってきたんでしょ?家族とか会いたい人いないの?」
「…母さんは別の町に住んでるから、この町には居ないよ。」
「お父さんは?」
「……父親はずっと前に死んだんだ。」
風は何気なく京司の事について尋ねた。もちろん彼女に悪気なんて、全くない。
「あ、そうなんだ。ごめんね。」
「別にいいよ。ま、あとはあんな変な奴ばっかりだからな。」
どうやら、京司はさっき会った華子の事を言っているようだ。それは、風にも容易に想像できる。
「?そうは見えなかったけど…。」
しかし、彼女みたいな可愛らしい女性を、変な奴呼ばわりする京司に風は不思議に思い、また首を傾げた。
「…この町にいい思い出ないの…?」
そして、風は更に、そう聞かずにはいられなかった。
「…さーな……。」
しかし、京司はやっぱりはぐらかした。その答えが返ってくる事は、風もなんとなくわかっていた。
だって、そうじゃなきゃ、城下町に行く事になった時点で、自分が城下町の出身だときっと話してくれていたに違いない…。
やっぱり、京司はどこかさみし気な横顔を見せ、また歩き出した。
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「明後日は収穫祭があるんだ。」
なぎとが体調が回復しつつある彼女にそう言って笑いかけた。
あれから、なぎとの看病のかいがあり、彼女の熱はすっかり下がり、普通に起き上がれるようになっていた。
「……収穫祭?」
「そう。秋のお祭りだよ。城下町ではでっかいイベントがあるんだ。」
「……城下町。」
なぎとは、少しでも明るい話題をと思い、彼女に収穫祭の事を話し出した。もちろんなぎとは、城下町には行った事など一度もない。ただ、毎年城下町は、この時期は大いに盛り上がっているという噂だけは耳にしていた。しかし、彼女はなぜか怪訝な顔で、眉にしわを寄せる。
「え…うん。不思議なんだよなー。この国に急に温度変化ができて、キセツてもんができた。」
「え……?」
彼女は、さらに眉のしわを深く刻み、目を細めた。
そう、なぎとの言う通り、あの日…この国が滅んだ日以来、一定に保たれていたこの国の気候は一変した。この国には、温度変化ができ、4つの季節というものが作られた。季節を定めた者が誰なのか…。もちろんなぎとがそれを知る事はない。ただ、なんとなくこの温度変化を季節と呼ぶ習慣がいつの間にか定着し、人々はその季節を楽しむようになっていった。
「……この国は変わったんだ。あの日から。」
「……どういう……事……?」
彼女が暗い瞳をなぎとへと向けた。記憶を無くした彼女には、なぎとの言っている意味を理解ようとしても、簡単にはそれが出来ない。
「…。」
「なぎとー!」
すると、二人の話していた隣の部屋から、彼の母親がなぎとを呼んだ。
「あ、ちょっと行ってくる。」
そう言って、話は途中のまま、なぎとは部屋を出た。
「……ここは……二ホン…じゃないの……?」
一人残された彼女は、宙を見つめたまま、ポツリとつぶやいた。