たったひとつの迷い道
―――死なせて。
――― 大切な人のいないこの世界では、生きていけない…。
「………じ……うじ………きょうじ……。」
え……?
誰かが俺を呼ぶ……。
その声はもしかして……。
あ…ま…ね……?
「京司!!起きてよ!」
パチ
彼を呼ぶその声に、自然とその体が反応した。そして、まるで当たり前のように、反射的に重い瞼をこじ開けた。
そう、それは自分の名前を呼ばれた人間がする、当たり前の行動。
彼もみなと同じ、どこにでもいる人間のひとりなのだから。
「京司ったら、またこんな所で寝て!風邪ひくよ。」
京司と呼ばれた彼は、丘の上の芝生に少し横になったつもりだったが、どうやらいつの間にか、寝てしまったようだ。
「…なんだ、風か…。」
京司が、そんな自分を呆れ顔で見下ろしている彼女の顔を見て、その名前をポツリとつぶやいた。
どこか寂しげに…。
「何その言い方!」
そんな京司に、名前を呼ばれた彼女、風は、肩まである、サラサラの茶色の髪が、日に当たって輝いている。人懐っこい笑顔が、チャームポイントのはずだが、今は不満げな表情を見せ、口を尖らせていた。
まだどこか少女のような面影を持つ、世間でいう所の童顔の持ち主の彼女は、京司とはたった3歳しか離れていなかった。
「ふぁー、よく寝た!」
そう言って京司は、重い身体を起き上がらせ、大きく伸びをしてみせた。
「もう、風邪ひいても知らないから!」
「まだ、秋になったばっかりだろうー。」
「あっそ!しーらない。」
風はそう言って、ぷいっと横を向いてみせた。
わざわざ心配して起こしてあげたのに、当の本人は、まるで自分の身体を、いたわる様子はないようだ。
「なんだよ。俺にケンカ売りに来たのかよ。」
京司が、わざとからかうようにそう言って、風を見ながら、クックと小さく笑ってみせた。
京司だってわかっている。風が心配してくれているのは重々。
「もー!!あ、今日も夕飯食べてくでしょ?買い出し手伝って!」
風はそんな京司の笑い声に、あっと言う間に機嫌を直して、彼女の顔には、またいつもの人懐っこい笑顔が戻っていた。
「…毎日悪いだろう。」
「何遠慮してんの?京司だって、うちの仕事手伝ってくれてるんだから。」
風は、この町の大工の棟梁の孫娘。
彼女は、棟梁と大工仲間のために、毎日夕飯を作っていて、棟梁の下で働く大工達は、みな棟梁の家で夕食を取るのが当たり前だった。
そして、京司もまた、この町に来てからは、彼ら、大工の仕事を、手伝うようになっていたのだった。そのため、自然と棟梁と風の家で、風の腕を振るった夕飯を、一緒に食べる事が多くなっていたのだ。
「まあ、俺の仕事っちゃー、資材を運んだりするくらいだけどな。」
しかし、自分の仕事といえば、大工とは言うにはほど遠い、そんな簡単な仕事ばかり。
そんな仕事だけで、毎日、毎日、夕食をご馳走になるのは気が引ける。
「いーから、行くよ!!」
しかし、京司の返事を待たずに、風は嬉しそうに、京司の腕に自分の腕をひっかけて、歩き出した。
「まったく。棟梁よりお前の方が、よっぽど人使い荒いわ。」
そう言って、京司は呆れたように、また少し笑った。風の天真爛漫さが、京司の笑顔を自然と引き出していたのは、言うまでもない。
京司の今いるこの町は、そんなに大きくはないが、平和でいい町だ。それは、京司が身をもって感じていた。
そんなこの町の大工の棟梁である風の祖父は、この国でも、5本の指に入るほどの有名な大工で、何人かの弟子である大工達と共に、この町に暮らしていた。
****************
「はい、じゃーいっただきまーす。」
夕飯の支度を終えた風が、椅子に腰を下ろし、号令をかけた。
この号令をかけるのは、いつも風の役目。
「「いただきます!」」
大工達も、風に続いて声を上げた。
そして、一斉にみなが、ご飯をかきこむ。
これが京司の見慣れた、この家のいつもの食卓の光景だ。
京司もいつものように、箸を手に持ち、大皿に盛られたおかずへと手を伸ばした。
「風、あのラジオどうした?」
すると、しばらくして口を開いたのは、この家の家長である棟梁だった。
棟梁はそこそこの年齢はいっているが、まだ現役で仕事もこなしていた。
そして、棟梁と言う名にふさわしい、強面の厳しい顔を持つ人物で、めったに笑った顔を見せる事はない。
そんな棟梁は、今までこの家にはなかったはずのラジオが、棚の上にのっているのが目につき、風に尋ねた。
「町長さんにもらったの!!」
そんな強面の棟梁とは、似ても似つかない孫娘である風が、エヘヘと愛らしく笑いながら、そのラジオを見つめた。
「あまやかしおって。」
すると、棟梁が不満そうにその言葉を吐いた。
人懐っこい風が、この町でみんなに愛されているのは、当たり前の事。
そんな風が、この町で少しばかり、甘やかされて育ってしまった事を、棟梁は危惧していた。
「そりゃ、毎日のように、ラジオ聞きに来られちゃ迷惑だからな。」
そして、京司もまた、わざと風をからかうように、そんな一言を小さくつぶやいた。
「だって、この町でラジオがある家は、町長さんのお家だけなんだよ!町長さんは、今度城下町に行って、新しいの買うから、これは風にくれるって言ってくれたの!」
ここ一年で、ラジオが普及されるようになり、人々は、そこから様々な情報を得る事ができるようになった。
「風ちゃんは、本当に歌が好きなんだな。」
大工仲間の一人が、そう言った。
風が、毎日楽しみにしていたのは、様々な歌が流れてくるチャンネルで、ここにいるみなが、その事をよく知っている。
「うん!京司知ってる?SEIRAっていう歌手!めちゃくちゃ歌がうまいの!!」
風が目を輝かせて言った。
そう、ラジオが普及した事により、歌や音楽を、人々は身近に楽しめるようになり、今や歌手という職業までも、ポピュラーになりつつあった。
「へー、風はアイツの歌が好きなのか。」
「アイツなんて言わないで!すーーーんごい歌うまくて、素敵なんだから!!」
「……知ってる。」
お味噌汁をすすりながら、京司が小さく呟いた。
「え?京司、SEIRAの事知ってるの?歌なんて興味ないと思ってた。」
「知ってるも何も……。」
京司は少し目を伏せた。
知らないと言えば、この話題はそこで終わり。終わらせるのは簡単だったが、知らないとは言えなかった。
「超、有名人だしな!!」
そして、顔を上げて自信満々に言ってやった。
だって彼女は、京司の自慢の幼馴染なのだから。
「そうだよね!SEIRAの歌聞いてると、すごく元気が出るの!だから彼女の歌がだーいすき!」
「…そっか。」
京司は少し目を細めて、ニコニコと笑う風を見つめた。
風がキラキラと目を輝かせて、彼女の歌が好きだと言っているのを見て、心が温かくなった。
…アイツの歌が誰かの心に届いている。
それは、京司にとっても、素直に嬉しかった。
「あー、生でSEIRAの歌聞いてみたいなー!!」
「そんな有名人、こんな小さな町には、なかなかこないだろうな。」
大工の一人がそう言ってみせたが、、
「えー、でもSEIRAはいろんな町や村を回って、歌を歌ってるんだよ!いつか、この町にも来てくれるよ!あー早く会いたいなー。」
風は待ち遠しそうに、ワクワクしながら口端を上げた。
そう、SEIRAはラジオに出演するだけではなく、直接自分の足で、色々な町や村へと訪れ、歌を届けていた。もちろん、ラジオの普及していない村へも、赴く事もある。
「へー。じゃあ、いつか見れるかもな。」
「うん!SEIRA、どんな人なんだろうね。」
いつの間にか、この町に来て星羅が歌ってくれることが、当たり前のように話し出した風の期待は、膨らむばかりだ。
「…おせっかいな、おばちゃんみたいな奴だったりして…。」
すると、京司がポツリと小さくつぶいた。
「え?」
風は、そんな京司のつぶやきを、見逃す事はなかった。そして、風は彼の理解し難いその言葉に、眉間にしわをよせた。
************
「ハックション!!」
星羅が、突然なんの前ぶれもなく、豪華なくしゃみをしてみせた。
「あら、星羅、かぜー?」
「んーん。鼻がムズムズしただけ。」
星羅の隣に居た女性が、心配そうに、星羅に声をかけた。
「体調管理は気をつけてよ。明日も、ラジオの収録あるんだからね。」
「はーい!」
そう、星羅の隣に居た彼女は、星羅のマネージャーとして、彼女のサポートをしている女性だった。
今や、この国で知らない人はいない程の歌手となった星羅には、いつしか、毎日沢山の仕事が、山のように押し寄せるようになった。その管理を、一人でこなすのは難しくなってきた星羅は、この女性に、自分の仕事の管理をお願いするようになっていた。
星羅の毎日は、とても充実していた。
そして、そんな毎日が、とても幸せだった。
…一人でも多くの人にこの歌を届けたい。
その思いを胸に、彼女は今日も歌い続けている。
************
――― 次の日
「あれー?京司は?」
風は、町に新しくできる建築中の小さな学校へと、足を運んでいた。
棟梁達が建てたその新しくできる学校は、もう完成間近だ。
「風ちゃん、また京司かー?」
棟梁の弟子の大工達が、からかうようにニヤニヤ笑いながら、風に近づいてきた。
風の素直な性格が仇となり、彼女の心の内は皆には明らかだ。
「まったく、毎日毎日…。」
「だって…。」
そして、棟梁も、そんな風の気持ちを知ってか、呆れ顔を見せている。
この町で真っ直ぐ育った風は、自分の気持ちを隠すなどという考えは、微塵もないようだ。
「もうここは、完成で仕事はないから、京司は畑の方に行ってるよ。」
すると、一人の大工が、京司の行方について、親切に教えてくれた。
「そうなんだ!ねえ、おじいちゃん、そろそろ京司に、本格的に仕事教えてあげないの?」
風は、棟梁の側までかけよって、そう言ってみせた。京司は、昨日の言い方だと、自分が簡単な手伝いしか出来ない事を、気にしているのではないか、と考えていた。そして、もし、京司にやる気があるのなら、大工の仕事を、少しずつ教えてもいいのではないか、と風は考えていた。
「お前はだまっておれ!それにいつも言ってるだろう、ここでは棟梁と呼ぶようにと!」
「むー!!だってー!」
風は不満そうに口を尖らせた。
棟梁は、仕事に対しては厳しく、本当に大工の道を志す者以外には、そう簡単に大工の仕事を教えようとはしなかった。
もちろん、風もそんな棟梁をずっと見てきたのだから、分かっている。大工の仕事は、そう簡単ではない。
しかし、もし京司にその気があるのなら、もしこの町にずっと居てくれるつもりなら…。
風が、そんな期待を抱いてしまうのも無理はない。だって京司は、この町のみなに受け入れられ、そして、今や風には無くてはならない存在なのだから…。
************
「きょうちゃん、今日はこの位でいいよー。」
今日の京司は、この町の農家さんの畑の収穫を、手伝いに来ていた。
「はーい。」
京司は元気よく返事をした。
京司がこの町に来て、1年が経とうとしていた。京司はこの町では、大工仕事だけでなく、今日のように、農家の仕事など、様々な仕事を手伝っていた。
「ハイ今日の分!風ちゃんの所にも、持ってってやって!」
すると農家のおじさんが、人参やら、じゃがいもやら、たくさんの野菜を京司へと手渡した。
どうやら、これが今日の報酬のようだ。
「いつもありがとうございます。」
「何言ってんだ!きょうちゃんは、この野菜以上の仕事をいつもしてくれてるんだから!」
農家のおじさんが、ニコニコしながらそう言った。
本当にこの町は、いい町だ。みんな優しくて、いい人ばかりだ。
どこの誰かもわからない京司を、すんなり受け入れてくれた。
そして、京司は、たくさんの野菜を抱えて、風の家に持って行こうと歩を進めた。
「ふうちゃんってだーれ?きょうちゃん。」
すると、そんな京司の背後から、よく知る声が彼を追いかけてきた。
そう、彼女の、まるで歌っているかのような伸びやかで美しい声が…。
「…。」
そんな誰もが魅了される程の美しい声にも関わらず、その声を耳にした京司の背筋には、嫌な汗がつたう。
「あら、忘れちゃたー?きょうちゃん?」
その美しい声が、今度は皮肉を込めて、今まで呼んだことない呼び方で彼を呼んだ。
「…のぞきが趣味だったっけ?」
観念した京司は、ため息混じりに、ゆっくりと後ろを振り返った。
するとそこには、今まで見た事のない、サングラス姿の彼女がそこにいた。
「やだー、忘れちゃった?きょうちゃん?」
そう言って、彼女がサングラスをおもむろに取り、誰もが羨む美しい彼女の顔が露わになる。
…だから、その呼び方やめろ!!
京司は心の中でそう叫んでみたものの、いつまで経っても頭の上がらない幼なじみに、その言葉を浴びせる事はなかった。
☆
「はあー、どうして、お前がここに?」
京司は、人気のない丘の上に彼女を連れてきて、その質問を早速投げかけた。
「いちゃ悪い?たまたまよ!」
「たまたま?お忙しんだろう?なんたって今や人気者だからなー。」
「…何それ、嫌味?」
「なんたって、天下の星羅様ですから。」
口の端を上げて京司がそう言ってみせるが、人気者の彼女は、その美しさが崩れる程の仏頂面を彼に見せていた。
「近くで仕事があったの。それで、たまたまこの町に寄っただけ。」
すっかりいつもの涼し気な顔に戻った彼女は、京司の問いに、なんともあっさりとした答えを口にした。
星羅は、仕事でいろいろな地に足を運ぶようになった。そう、時間があれば歌いに行った先で、近くの町や村に足を運んで探していた。
―――― 行方知らずになった京司を…。
「で?この町で何してるのかしら?きょうちゃん?」
詰め寄る星羅のその顔が完全に怒っているのは、京司には明らか。今にも血管が切れそうなそんな彼女から、京司は目を背けずにはいられない。
…まるで母親…、いや母さんですら、こんなにうるさくない。
京司は密かに心の中でそう、つぶやいた。
「…その呼び方やめろって。」
「まったく、こんな所でフラフラして…。」
すると星羅は、今度は少し呆れるように、深いため息をつく。
「なんだよそれ。俺だって畑仕事したり、大工仕事したり、いろいろ忙しいんだよ。」
「…何それ…。」
京司の明らかに言い訳としか聞こえないその言葉に、星羅は眉間に思いっきりしわを寄せる。
「あんた、この町で腰を据える気?」
そして、彼女はその言葉を吐き捨て、明らかに怪訝な顔を見せた。
「俺は気に入ってるけどこの町…。」
そう言って京司は、遠くを見た。
「あんたは、何がしたいの?」
「…やっぱおせっかいだな…。」
ピシャリとそう言い放った星羅に、京司は苦笑いを浮かべるしかない。
「月斗は花火師、りんは城下町の町役場で働いて、華子は…デザイナー?」
「は??なんだそれ?」
「服のデザインするんだって。」
「アイツが?デザイナー?」
「とにかく!!みんな、ちゃんとやってってんの!」
「俺だって…。」
…俺だってちゃんと立派にやってる……?
京司だって、胸を張ってそう言いたいのは山々だ。しかし、それを口にする事はできなかった。
つまりそれは…。
「もう、3年よ………。」
消え入りそうな声で星羅が言った。
あの日からもうすぐ3年がたとうとしていた。
この国が終わった日から、始まった日から……。
――――そして、彼女がいなくなってから。
「京司ー!!」
すると、星羅の聞き覚えのない、甲高い声がこちらへと向かって来た。そして、その声の方へと、星羅は振り返った。
するとそこには、ニコニコしながら手を振り、丘を駆け上がって来る、一人の少女が見えた。
「あれ?お客さん?」
近くまでやって来た風は、今まで京司の影となって見えていなかった、見知らぬ顔に気が付いた。
「こんにちは。」
星羅はサングラスを取る事はなく、口元に笑みを浮かべ、挨拶の言葉を述べた。
「こ、こんにちは。」
サングラスによって、顔の一部は隠されているものの、その美しさは明らか。そしてまた、彼女のまとう妖艶な雰囲気に、風が気が付かないわけはない。
この町にいるだけなら、まず出会う事のない人種に、風はたじたじになりながら、何とかあいさつの言葉を絞り出した。
「こんなかわいい知り合いがいるなんて、知らなかったわ。きょうちゃん!」
星羅がまた、妖艶に口端を上げて、そんな言葉を紡いだ。
「だから、やめろよ!その呼び方!」
その呼び方は、自分をからかっているのだという事を、幼馴染の京司には明らか。
そんな彼は、不機嫌そうに眉にしわを寄せた。
「あ、あのお二人は…。」
二人の間には、風の踏み入る事のできない空気が流れている。それを風は、怖気づく事なく、二人に尋ねた。
気になったことは、その場で聞かなければ気が済まない。それが風の性格だ。
「ああ、心配しないで、ただの知り合い。」
「ただのおせっかいおばさんだから、気にするな。」
星羅は、サングラスの下にまた笑みを浮かべそう答え、それに対し、京司は冷たくそう言い放った。
「誰がおばさんよ!!」
そして、星羅の血管がまた浮き上がったのは、言うまでない。
「え、えっと、、お話中でしたよね。ごめんなさい。あ、京司、今日も夜来るよね?」
「あ、そうだ、おじさんに芋とかもらったから、これ持って行こうと思ってたんだ。」
「ほんと?じゃあ待ってるね!ごゆっくり。」
そう言って、風は二人に気を使ったのか、そそくさと丘を降りていった。
「クスクス。」
するとまた、星羅が小さく笑った。
「何だよ。」
「あの子がふうちゃん?」
星羅のニヤニヤした口が、その名を言葉にした。
「あいつは、俺が世話になってる大工の棟梁の孫娘。」
「ふーん。かわいらしくて、いい子じゃない!」
「は?」
星羅のにやけ顔は、いくらサングラスをしていても京司にはお見通し。
「しかもわかりやすい。」
「なんだよそれ!」
「わかてるくせにー。嫌な男。」
おせっかいおばさんの止む事のない攻撃に、京司のイライラは増すばかり。
「…もう3年か…。」
そんな京司の視線から逃れるように、星羅が、丘から見える町を見下ろした。
そして、もう一度その言葉を噛みしめるように言った。
「りんも、そうとうあなたの事気に入ってるわね。」
「は?何でアイツが出てくんだよ。」
「だって、城下町に行くたびに、京司は見つかったかー?って!」
星羅はわざと茶化すように、クスクスと笑ってみせた。
「…勘弁しろよ。男に興味はねーよ。」
星羅のその発言に、はぁー、と大きなため息を吐き、京司はうなだれた。
もちろん京司も想像はついていた。自分が勝手にいなくなった事で、りんが大騒ぎしている事は…。
でも…。
「…じゃあ、男らしくなれ!!」
その京司の気持ちを察したのか、星羅が京司の背中を思いっきり叩いた。
「ったく。はいはい…。」
京司は、ヒリヒリする背中を、まるで老人のようにさすった。
「じゃあ、私もう行くね。」
「ああ。仕事…がんばれよ…。」
星羅は、また口元にいつもの優しい笑みを浮かべ、それに答えるように、京司も笑った。
「…うん。」
しかし、どこか名残惜しそうに、星羅は頷いた。
「あ、さっきの風も言ってた。お前の大ファンだって。」
「あら、本当にいい子☆」
星羅はその言葉を聞いて、上機嫌になったのか、顔を上げた。
「たく。…お前の歌で救われる人間がたくさんいる。」
「…。」
「お前の歌を待ってる奴がたくさんいる。」
「…知ってる。」
そう言って星羅は、京司に背を向け、丘を降りて行った。彼女が振り返る事はなかった。
そんな星羅の背中をじっと見つめている京司の頬を、少し冷たい風がかすめた。
************
「あ、京司!!」
京司は約束通り、夕方には風の家を訪れていた。
「ほら、今日も大量だ!」
「あれ、あの人は?」
風は、京司の隣に彼女の姿がないのを確認し、京司に尋ねた。
「帰ったよ。アイツは忙しいからな。」
「そうなんだ。…あの人、すごく綺麗な人だったね。」
風はどこか寂しげに、笑ってみせた。
「…まあ、しゃべらなければ…。」
風のその言葉に、京司は苦笑いで返す。最近の星羅は、おせっかいおばさんに拍車がかかってきているのは間違いない。と京司は確信した。もちろん、そんな事本人の前では言えるわけはないのだが…。
「え??あ、ねえ、あの人城下町の人?」
「え?」
風はまた、疑問に思った事を素直に口にしてみたが、その言葉に、京司の表情は、一瞬にして凍り付いた。まさか風の口からその単語を聞くとは、思ってはいなかったからだ。
―――城下町
「ん?だって、城下町には綺麗な人いっぱい居そうだもん。」
「なんだよ。どんなイメージだよ!」
しかし、そこで返ってきた返答に、京司は思わず噴き出した。
風は、決して何かを勘ぐっていたわけではない。ただ単純に、そう思っていただけだ。
それは、この町から外に出た事のない少女の勝手なイメージ。風がそんな純粋な少女だという事は、京司がよく知っている。
「だって、私は城下町なんて行った事ないし…。私には、別世界なんだもん!」
京司に笑われた事に腹を立てた風はプイと横を向いた。
「そうだよな…。」
別世界……。ここから城下町は、そんなに遠くはないが、この町を出た事のない風には未知の世界……。
「アイツは城下町に住んでた事もあるけど、今は仕事で、いろんな場所に飛び回ってるよ。」
「へー、かっこいいね!」
すっかり機嫌を直した風の眼差しは、京司の方へと再び向けられ、憧れの人を見るように輝いていた。
確かに星羅のようにやりたい事を仕事にし、いろんな場所を飛び回っている者は、この町にはいない。
そんな星羅が風のあこがれの対象となるのは、ごく自然な事。
「私は、この町を一度も出た事ないけど、いつか行ってみたいな。城下町とかいろんな所!」
「そっか。」
そう言って眩しい笑顔を見せる風に、京司は優しい眼差しを向けた。
「でも、知らなったよ。京司に、あんな綺麗でかっこいい知り合いの人がいたなんて。」
今ではすっかりこの町に馴染んだ彼だが、初めの頃は、まるで天涯孤独のような顔をして、この町に転がり込んできていた。そんな京司にも、ちゃんと彼をよく知っている人がいた事に、風は内心ほっとしていた。
「素敵でかっこいいねー。」
…風はあの容姿にだまされてる…。
京司はそう思わずにはいられなかった。まあ、でも世間一般のイメージも、そんなもんだろう。
彼女の職業柄、そうでなければいけないのだ。
でも…。
「まあ、また、会わしてやるよ。」
「え?ほんと!」
「ああ。きっとお前驚くから。」
「ん?驚く??何に??」
京司は、風が彼女を目の前にし驚く姿が、手に取るように想像でき、小さく笑った。
そして、今はポカンと口を開けたままの風が、その言葉の意味を知るのは、そう遠くない未来……。
************
―――― とある道端
一人の青年が馬に乗って、家路を急いでいた。
「母さん、ちゃんとご飯食べたかな…。」
彼は、母の薬を隣町までもらいに行った帰りだった。
「…?」
馬を走らせる彼の目には、何かが飛び込んできた。
始めは黒い点でしかなかったが、近づくにつれ、徐々に点は大きくなり、その物体を確認できるまでになっていく。
…ヒト…?…人が…寝てる…?
道の真ん中に見えてきたその物体は、人であった。
彼はその奇妙な光景に、馬を走らせた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「オイ!!」
彼は馬を降り、その人物に駆け寄った。その人は寝ているのではない。道の真ん中に倒れていたのだ。
「はぁ、はぁ、だれ……?」
その人物は一人の女。彼は、苦しそうに肩を震わせる彼女に駆け寄り、肩を抱いた。
そんな彼を、その女は恐る恐る顔を上げて見た。
「おい!大丈夫か?」
「はぁ、はぁ、はぁ。」
肩まである綺麗な髪は埃まみれで、彼女の呼吸は荒く、とても苦しそうに見える。
ただ事ではない事は明らかだ。
「すごい熱だ。」
青年は彼女を抱きおこし、額に手を当てた。
「どこから来た?家は?」
「……。」
しかし、彼女はうつむいたまま、何も答えない。
「わからない……。」
そして消え入りそうな声で、彼女はポツリとつぶやいた。
************
「え!!城下町での仕事!!」
風は思わず大声で叫び、勢いよく立ち上がった。
その日の夕食時、まるでタイミングを計っていたかのように、その知らせが風の元へ届いた。
星羅と会ったその日の夕食時、大工達と風、そして京司達が食卓を囲む中、棟梁がみんなに話を切り出した。
――――城下町での仕事が入ったと。
京司の箸からは、ポロリとおかずが皿へと落ちた。
「すごいね!おじいちゃん!そんな大きな仕事が入ってくるなんて!」
「さっすが棟梁!!」
風は尚も興奮気味で、食事なんてそっちのけだ。
棟梁の腕は確かで、その評判を聞いて、他の町から仕事が来る事は多々あったが、城下町での仕事は、初めてだった。そんな大きな仕事が舞い込んだことは、弟子の大工達にとっても、とても喜ばしかった。
「なんだか、びっくり!!ついさっき、京司と城下町の話してたばっかりだったんだよ。ね、京司?」
「…あ、ああ。」
京司は、なんとか動揺を隠そうと必死に取り繕ったが、その顔は明らかに引きつっている。
しかし、そんな彼の顔色に、興奮MAXの風が気付くわけもない。
「あ、きっとあの人は、幸運の女神様なんだよ!」
「……。」
そして、風のその言葉に、京司は思わず固まった。
「京司の知り合いの人が来てたんだよ。すっごい美人の!」
「なんだよ京司。そんな知り合いがいるなら、紹介しろよー。」
風のマシンガントークは止まる事はない。今日の出来事さえも、あっという間にみんなに広まってしまった。
そんな風の話を聞いた大工達が京司を茶化すが、その声は京司には届かない。
…偶然……だよな……?
「長期の大きな仕事だ。みんな総出で城下町に行くつもりだ。」
興奮気味の周りとは正反対に、棟梁は淡々と話を進める。やはりこれは、棟梁の風格なのだろうか。
棟梁は、もちろんこの仕事を引き受け、弟子である大工達を引き連れて、城下町へと行くつもりでいた。
「すごいな。城下町なんて、俺行った事ないよ。」
「そんな大きな仕事頼まれるなんて、さすが棟梁だ!」
大工達は、この仕事に、風同様にみんな喜んでいる。
「京司…。」
「へ…?」
すると、棟梁がふいに京司を呼んだ。
まさか、ここで自分の名が呼ばれる事を、全く予想をしていなかった京司は、まぬけな声を出し、棟梁の方へと視線を送った。
「お前も一緒に手伝ってくれるか?なんせ人手がたりない。」
「……え??でも俺は、大工の仕事なんて…。資材運びとかくらいしか…。」
棟梁は、真っすぐ京司を見てそう言った。
まさか、棟梁じきじきにそんな事を言われるなんて、思ってもみなかった京司は、また明らかにうろたえた。
「何言ってんだよ。そういう雑用やる奴も、必要に決まってんだろう。」
大工の一人が笑いながら、そう言った。
「……。」
京司は思わず黙りこくった。
…みんなに必要とされているのは嬉しい。ここでの恩だってある。でも……。
「何言ってるの!!行くに決まってるじゃん!京司だって、うちの一員なんだから!!」
そんな、京司に漂う不穏な空気を、なんとも簡単に、風がざっくりと切り裂いた。
「…ちょっと待て風……お前まさか……。」
その言葉に棟梁は眉をしかめ、怪訝な顔で風を見た。
「ん?」
風は悪気のない顔で、首を傾けた。
「お前まで行くつもりじゃ……。」
「何言ってんのおじいちゃん、行くに決まってるじゃん。」
さすがの棟梁も、風を城下町に連れて行く気は、さらさらなかったようだ。
しかし、風はなんの躊躇もなく、そう自信満々に答えた。
さすがの京司も、その風の発言に、冷や汗を止める事が出来なくなっていた。そして、何とか棟梁がそれを止めてくれる事を切に願った。
「はあ~、お前は仕事のじゃま…」
「何言ってんの!私だって一員でしょ!経理担当として行かなきゃ!」
もちろん彼女は、棟梁の仕事の補佐、経理担当として仕事をしていたが、現場での仕事など、経理担当には無いに等しい。
しかし、こうなった風を止める事は、さすがの棟梁にも無理。そこにいる全員が、それを悟っていた。
「遊びに行くわけじゃないんだぞ!」
「わかってるよ!!」
棟梁が尚も厳しい声を風に投げかけるも、彼女の決心は揺らぐことはない。
しかし、京司は、未だ黙りこくっている。何かを考えこむように…。
「私もぜーーーたい城下町に行くから!!!」
そんな京司の横で、風は高らかと叫び声をあげた。