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八話 吸血鬼少女と夕立

誤字報告、ありがとうございます。



「――しかし、本当に取りに来ただけだったな……」


 少しだけ静かになった家の中。

 俺とシルヴィは、少し早めの昼食をとっていた。


 今日のメニューは昨日と同じくパスタだったのだが、その具材は昨日、俺が作ったものとは全く違っていた。

 輪切りにされた茄子を、挽肉と共によく焼いた、たったそれだけのシンプルな具材。

 ただ、それが絶妙な塩加減で、完璧にパスタ絡まっていれば、話は違ってくる。


 一口食べるたびに自分が腹を減らしていくような、そんな錯覚に陥るほどの魅力を今回の一品は持ち合わせていた。

 昨日までパスタを知らなかった人間が作ったものだとは、とても思えない。


 一口目を口に入れた瞬間、

 エリナにも食べさせてやりたかったな、そんな呟きが、音としてこぼれ落ちる。


「……私も、一緒に食べたかったです」


 パクパクパク、と。

 まるで水を飲むような速さでそれを口に運んでいたシルヴィも、同じことを考えていたようだ。


 結局、妹がここにいたのは二時間にも満たないほどの短い時間だけだった。

 ちょっとしたアクシデントはあったものの、鞄の中に最低限のものをさっさと詰め込んで、妹は診療所に蜻蛉返りしていった。

 嵐はやってくるときも唐突だが、過ぎ去っていくのも一瞬だ。


 残るのは、小さな寂しさだった。


「……ルネスさんはお昼から何をする予定なんですか?」


 いなくなったその喪失感を少しでも紛らわすためか、シルヴィは話題を180度転換させる。

 そうだ、いつまでもくよくよしてはいられない。

 

 正確に言えば、俺は妹に『諦めて全てを話した』訳ではない。

 妹をあれ以上心配させないために、職を失ったことは黙っていたのだった。

 

 次に見舞いに行くときまでには、なんとか新しい職を見つけたかった。


「そうだな…… ちょっと新しい仕事を探しに行ってくるよ」

「仕事、ですか」

「ああ、妹にも話さなかったからな、いつまでも無職のプータローじゃいられない」


 あれから二日経ったが、ゴルドの言った『退職金』はまだ送られてきていなかった。

 あまり頼りにしていたわけではないが、それでも、仕事は早いうちに見つけておきたい。


 シルヴィもかなり回復しているようだし、早めに帰ってこられるように気をつければ、大丈夫だろう。


「……分かりました、頑張ってきてください」


 皿の底に残った最後の一口分。

 それをかき込んだ後、シルヴィはそう言った。


 相も変わらず食べるのが速い。

 俺はまだ、半分くらい残っているというのに。


 ただその、励ましの言葉はゆっくりと、心の中に染み込んでくるようだった。

 飾り気も何もない言葉。

 それでもそこにある気持ちは伝わってきた。


「わかった、頑張るよ」


 じゃあ、食後にお茶でも入れますか、と。

 席を立ったシルヴィの背中に、俺はそう返したのだった。


  ◇◆◇


「じゃあ、いってくる」


 玄関の扉の前、俺は振り返ってそう言った。

 視線の先には、シルヴィが立っている。


「……いってらっしゃい」


 『いってらっしゃい』

 その言葉は、もう何ヶ月ぶりに聞くのだろうか。

 妹が入院してから数ヶ月間、誰もいない家に『行ってきます』とだけ言う日々。


 その間、『お帰りなさい』も、『行ってらっしゃい』も、この家には存在しなかった。


 別に不満があったわけではない。

 家に帰っても人がいないことなんて、誰にでもよくある話だ。

 

――でも、それでも。

 そのたった一言だけで、


 頑張ろう。そう思うことができた。


「……いってきます」


 ◇◆◇


 夕方。


 日の光が地面と融合して、鮮やかな朱色が、雲と共に空全体に広がっている。


 素晴らしい空だ。

 ただ、俺の目の前は、真っ暗としか言い様がない状態だった。


――結論から言おう。

 仕事探しに収穫は、全くといって良いほどなかった。


 以前、帝国騎士団に所属していた。

 それだけで、最初は友好的に接してくれた店も、顔色を難しいものに変えた。

 

 なるほど、帝国騎士団の薄汚れた噂が、今、この街では流れているらしい。


『一つの部署が汚職をやっていて、関係者全員を解雇した』


 話をまとめるとこんな所だ。

 現在、帝国騎士団への市民の信頼度は、ゼロに等しいと言っても良い。

 

 だからこそ俺は職歴だけで、弾かれてしまった。

 そういうことらしかった。


「くそっ……」


 覚悟はしていたつもりだった。

 もっと酷い自体―― 例えば、俺が実名で『汚職をした責任者』として報道されている可能性も考えていた。ただ、実際に目の当たりにしてみると、なかなかどうして、心に堪えるものがある。


 自分は関係ないと思っていても、噂と職歴はついて回る。

 なかなか一筋縄ではいかないらしい。


「――冷たッ!? ……雨か」


 ぽつ、ぽつと。

 先ほどまで鮮やかな夕焼けだった空には、鉛色の雲が広がり、大粒の雨が次第に勢いを増して降ってくる。


 夕立らしい。


 家まで走って帰ることを考えたが、やめた。

 夕立ならすぐに止むだろうし、何より家までは少し距離がある。


 丁度雨宿りできそうな、屋根のある時計台が近くにあるのが見えた、というのも理由の一つにある。


 俺は急いで、その屋根の下に駆け込んだのだった。


  ◇◆◇


 どうやら悪いことと言うのは、立て続けに起こるものらしい。

 10分ほど待ってもまだ、雨は止む気配を見せず、それどころかその勢いを増していっている様に感じた。


 夕立が本降りの雨になってきているようだ。


 これなら、まだマシなうちに走って帰っておくべきだったか、と少し後悔する。

 まだ明るかったはずの一帯も、今や夜の様に暗くなっていた。


「はーあ、どうするかね」


 溜息をついてみても、雨は一向に弱まらない。

 向こうの住宅街では、点々と明かりがつき始めていた。


 それを見て、どうしようもない寂しさが全身を襲ってくる。

 妹が、シルヴィが、恋しくてたまらなかった。

 

 どうやら自分で思っていたよりも、俺は仕事探しがうまくいかなかったことに、ショックを覚えているらしい。

 まぁ、それを自覚したところで、どうしようも……


「――こんな所にいたんですか」


 急に声をかけられ、頭の中が真っ白になった。

 なんで、どうして、そんなわけがない。


 疑心暗鬼と疑問符が頭の中で渦を巻く。


 それでも、顔を上げた先に彼女はいた。


「ほら、ルネスさん、傘、持って行ってなかったでしょう」

「なんで…… こんな所にいるんだ?」


 姿を隠す様にマントを被り、一本の傘をさしたシルヴィが、右手に持ったもう一本の傘を差し出しながら、笑いかけてくる。

 その光景があまりにも自分に都合が良さ過ぎて、一瞬、これは自分の見ている幻なのではないか、と疑ってしまう。

 ただ、差し出された傘を握りしめると、これは夢でも幻でもなく、現実であることが理解できた。


「なんでって…… 傘を届けに来たんですよ。――大変だったんですよ? どこに行ったか分からなかったから。こっちに足を運んだ私の勘に、感謝してください」


 少し得意げにそう言って、そして彼女は、右手をこちらに差し出してきた。


「さ、一緒に帰りましょうよ」

「あ、ああ……」


 いつの間にか座り込んでしまっていたらしい。

 情けない姿を見せてしまったな、と少し恥ずかしく思いながらも、その右手をとる。


「……冷たいな」

「あっ…… すみません」


 何が『幸運に感謝』だ。

 シルヴィのその右手は、雨の中を歩いたからか、氷の様に冷たくなってしまっていた。

 この雨の中、探し回ってくれていたのだろう。


 その光景を思い描くだけで、申し訳ない様な、溜まらなく嬉しい様な、複雑な気持ちにさせられる。


 慌てて手を離そうとするシルヴィを、それでも俺は離さなかった。


「ま、繋いでたら少しは暖まるだろ。それじゃ、帰ろうか」

「……分かりました」


 冷たいはずのシルヴィの右手は。

 それでもほんのり、暖かいように感じた。

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