七話 吸血鬼少女と妹(後編)
「きゃぁぁぁぁ!?」「わぁぁぁ!?」
「何だ!? どうした!?」
二階から聞こえてきた急な叫び声に、俺は慌ててトイレから飛び出した。
取るものも取り敢えず、二段飛ばしで階段を駆け上がる。
もしかしたら、二階に不審な人物でもいたのではないか?
もしくはもっと、別の要因で……?
頭の中を悪い予感ばかりが駆け巡る。
壁に掛けてあった装飾用の短刀を懐に忍ばせて、音を立てないように、それでも急いで、悲鳴の聞こえた方に向かっていく。
先にある角の向こうから、声は聞こえたようだ。
ゆっくりと近づいて、警戒しつつのぞき込むと……
「なぁにこの子!? めちゃめちゃ可愛いじゃない!?」
「あうあうあう」
「ほらほらそんな固くならないで? お姉ちゃんにまかせてー」
「あばばばば」
そこにあったのは、今にも死にそうな顔で呻いているシルヴィと、ハイテンションに彼女に抱きつく、エリナの姿だった。
◇◆◇
「……じゃあ、お兄ちゃん。説明してもらいましょうか」
なんとかシルヴィを引きはがすと、妹はいくらか冷静になったらしい。
先ほどの上機嫌な様子はどこへやら、まるでゴミを見るような目で俺を見てくる。
「まさか、恋愛経験なさ過ぎて、こんな小さな子にまで手を出すほどの変態になっていたとは知らなかったよ。お兄ちゃんだってまだ若いけど、この子、どう見ても十代始めか、良くて半ばぐらいじゃない! 軽蔑するな…… お兄ちゃんがそんな変態だったなんて」
「説明の余地は残してくれよ!?」「ち、違うんです!」
説明を求めておいてそれはないだろう、と、俺とシルヴィの二人の声がそろった。
ただ、それでもエリナは訝しげな視線をこちらに送ってくるだけだった。
こうなればもう、仕方ない。
隠し通すことは、できそうになかった。
「分かった。ちゃんと説明するよ」
そして俺は、昨日と一昨日、自分の身で体験したことを話し始めるのだった。
◇◆◇
「ふむふむ…… お兄ちゃん、偉い!」
「……第一声がそれかよ」
話を聞いている途中、妹は何度もシルヴィに絡みに行こうとして、そのたびにやんわりと拒絶されていた。
その様子からではきちんと自分の話が伝わっているのかどうか不安だったが、どうやらそれは杞憂だったらしい。
「シルヴィちゃんみたいに可愛い女の子が死んじゃったら、それはもう世界全体の損失だよ! それを救ったお兄ちゃんは、世界を救ったと言っても過言じゃない!」
「いや、過言だろ…… それにあんまり言い過ぎるなよ、シルヴィが困ってるじゃないか」
「なんと!? もうシルヴィちゃんのことを呼び捨てにしている!?」
「頼むから人の話を聞いてくれ……」
前言撤回。
こいつはやはり、基本的に人の話を聞いていない。
「……あの、エリナさん」
「ん? なあに、シルヴィちゃん」
「――あ、いえ…… なんでも、ないです」
「えー、もーなんだよー。きになるなー」
恐る恐る、といった様子で何かを尋ねようとしたシルヴィだったが、それに対応するエリナの笑みに恐怖を覚えたらしく、逃げるように俺の方へと寄ってきた。
――妹よ…… 今の表情は流石の兄でも少し引いたぞ……
「ま、いいや。お兄ちゃんはいつも通りだし、こんな可愛い子にも会えたし」
そ、れ、に……、とエリナは続ける。
「お兄ちゃんもなんとか生きていけそうだしねー シルヴィちゃんがいれば、私がいなくても大丈夫! みたいな?」
「そんなこ……」「そんなことないです!」
妹の放った、彼女らしからない後ろ向きの言葉。
慌てて否定しようとして、そして俺の言葉はシルヴィの強い否定によってかき消された。
「ルネスさんは、いつもあなたのことを考えて行動してました。二日間しか接していない私でも分かるくらいに強く、あなたのことを思いやってました」
――私と話すとき、ルネスさんはいつも、あなたの話をしていたんです。
そう、シルヴィは言った。
「あなたがルネスさんを必要としているように、ルネスさんもあなたを必要としています。だから……」
そんな後ろ向きな言葉、言わないでくださいよ。
そうシルヴィは締めくくった。
その後ろ姿からでは、表情を読み取ることはできない、ただ、エリナはシルヴィの表情をじっと見つめて、そしてその顔は、どこか吹っ切れたような、晴れ晴れとしたようなものになっていた。
◇◆◇
「あはは…… 私としたことが、ちょっと弱気になってたみたいだね。大丈夫、もう、大丈夫になった」
数十分後。
小さな鞄に必要なものを全て詰め込んで、エリナは玄関の前に立っていた。
来たときと同じように、大きな帽子をかぶっている。
「……やっぱり送っていこうか?」
「ううん、大丈夫。迎えはもう呼んであるし、シルヴィちゃんにも、元気、貰ったから」
それじゃあ、またね、と。
そう言ってエリナは小さく手を振って、玄関を出て行く。
向こうにちらりと見えた景色では確かに、診療所の先生が迎えに来ていた。
「……すみません、さっきはあんな出過ぎた真似を。本当なら、ルネスさんが言うべき言葉だったのに」
扉が完全に閉まって、おもむろにシルヴィはそう口を開いた。
先ほどから表情が暗かったのは、どうやらそれを思い悩んでいたかららしい。
「いや、言ってくれて良かったよ。俺の言いたいこと、そっくりそのままだった」
「だったらやっぱり……!」
「……だからこそ、シルヴィが言ってくれて助かったんだ」
自分の本当の気持ちを自分で伝えてしまうと、それはなんだか嘘くさく感じてしまう。
それが俺の持論だった。
気持ちを直接伝えられるよりも、他の人から聞いた方が、その心の伝わり方は段違いに早い。
シルヴィが言ってくれたから、妹は本当に元気を得られたのだろう。
「だから、シルヴィ。ありがとう」
「……どういたしまして」
戸惑いながら、照れながらもそう言ってくれるシルヴィを見て……
――今度は二人で見舞いに行こう。
俺はそう決心したのだった。