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六話 吸血鬼少女と妹(前編)

「まずい! シルヴィ、隠れててくれ!」

「え!? でも隠れるってどこにですか?」

「どこでも良いんだ!」


 妹の姿が網膜に叩きつけられた瞬間、俺は反射的に動きだしていた。

 どうして帰ってきてるんだ、とか、入院はどうなったのか、とか、疑問は尽きなかったが、それらは全て放っておいて、まず頭に浮かんだのはシルヴィのことだった。


 医者からは、妹の入院はこの先もしばらく続くだろうと言われていた。

 だからこそ、その間に新しい職を見つけ出し、万全を期した状態で、見舞いに行こうと思っていたのに……


「まさか、いきなり帰ってくるとは……」


 できる限り音を立てず、しかし自分の出せる最高の速度で、家の中を駆け回る。

 血のついたガーゼの入ったゴミ袋を表からは見えない場所に隠し、二人分の食器を片付けた。


「おにーちゃーん、愛しの妹が帰ってきたよー。早くあーけーてー」


 妹は俺が寝ているとでも思っているのか、向かいの家まで聞こえそうな大声で叫んだ。

 ……今まで入院していたとは思えない元気さだ。


 とりあえず隠せるものは隠した。

 先ほど階段を駆け上がっていく音が聞こえたのは、きっとシルヴィのものだろう。

 大方、俺が寝ていた来客用の部屋にでも逃げ込んだのかもしれない。


「……わかった、今開ける」


 少なくとも表面上は取り繕えたことを確認して、俺はいかにも『今起きたばかりです』といった風情を醸し出しつつ扉の鍵を開けた。

 ガチャリ、とドアノブが捻られる。

 扉が引かれ、外の景色が露わになる。

 思っていたよりも強い日の光に、一瞬だけ、目が眩む。

 

 ただ、その光にもすぐに慣れ、その先に立っていたのは……


「遅かったじゃない、何してたの? お兄ちゃん」


 薄い栗色の髪を背中まで伸ばして微笑んでいる、俺の妹、エリナがいた。


   ◇◆◇


「なんだかここに帰ってくるのも久しぶりな気がするなぁ」


 玄関で靴を脱ぐと、しみじみとしとした様子で妹は言う。

 その姿を見て、今まで入院していたとは思えない、などと思ったことは全くの間違いだったと痛感させられた。

 青白く、強く握れば折れてしまいそうなほど細い腕が、血の気のない顔の色が、妹が今、病気に冒されつつあることを否応なしに実感させてくる。


「何か飲むか?」


 一緒にリビングに向かいながら、尋ねた。

 ただ、廊下を歩くだけのことなのに話しかけていないと存在そのものが消えてしまいそうな、そんな錯覚に捕らわれる。


   *


 『虚妄化症候群』

 それが医師が妹に下した診察結果だった。

 魔力との親和性が高い人間に起こる希な病気で、その名の通り、何かの拍子でふと、自身の存在が嘘や幻であるかのように消えてしまうという症状が出る。


 空気に溶けるように、まるでワープでもするかのように、透明になって、消えてしまう。

 それは十年後かもしれないし、今かもしれない。

 正体不明の時限爆弾を、病人は抱えているようなものだった。


 ただ、昔は不治の病だったこの病気も、今では医療技術の発達により症状を軽減することができるようになっている。

 それに、魔力への親和性を少しずつ低くしていけば、治る可能性もあると言われている病気とさえ言われていた。

 治療にはかなりの時間がかかるらしいが。


   *


「はいこれ」

「うん、ありがと、お兄ちゃん」


 テーブルの前、椅子に座る妹に、小さなマグカップを差し出す。

 妹がほしいと言ったのは紅茶だった。

「久しぶりに、お兄ちゃんの紅茶が飲みたいな」と言ってくれたのだ。


 小さな唇がカップの口に触れる。

 そしてすぐに口を離して、不思議そうに首をかしげた。


「……お兄ちゃん、紅茶、こんなに美味く淹れられたっけ?」

「えっ―― そんなに違ってたか?」

「うん、何というか、いつもなら物凄く濃いか、物凄く薄いかのどっちかなのに、今日はなんだか、ちゃんとお茶の味がするよ」


 見よう見まねでやっただけなのだが、恐るべし、シルヴィの紅茶スキル。

 ただ、それ以外には特になにか違和感に気づいたといった様子もない。


――まぁ、それもそうか。

 俺だって、家に帰ってきてすぐに、『妹が吸血鬼を助けたんじゃないか』とは疑ったりしない。少々不自然な箇所があったとしても、核心に迫られることはないはずだ。


 そう考えると、途端に目の前が明るく開けたような気がした。

 大丈夫、これなら、妹に余計な心配をかけなくてもすむ。


「いやー、先生が『仮退院して、必要な荷物持ってきなさい』って言うからさ、見たら今日、お兄ちゃんが月に一度の休みの日だったから、驚かそうと思って――もしかして、迷惑だった?」

「い、いや、大丈夫だ」


 心配そうな顔をされると、そう返すしかなかった。

 瞬間、妹の表情は一転して笑顔になる。


「だよねー、お兄ちゃん、彼女とかいたことないし、迷惑なわけないかー。もしかして、このまま《ウィザード》になっちゃたり」

「うっさい、あと五年はある」

「〝五年しか〟じゃなくて?」


 よかった、いつもの妹だ。

 家の前で少し暗そうな表情をしていて心配だったが、話をしていると、それが杞憂に過ぎないことが分かった。

 思えば、妹はいつも、こんな明るい性格で、俺のことを励ましてくれていた。

 もしかしたら今回も、そういう意図があったのかもしれない。


――などと、安心していたのが間違いだったのだろうか。


 それは一瞬にして起こった。

 俺が少しトイレに立った、その隙に、妹が二階に上がっていったのだった。

 

 この家にトイレは二つしかない。一階と二階、それぞれ一つずつだ。

 だから、俺が一階のトイレに行ってしまった以上、妹が二階に行くことは当たり前のことだろう。

 

 ただ、その時丁度、シルヴィもトイレに立っていたのだ。

 それが完璧な誤算だった。

 長らく二人で過ごしてきた弊害で、そこに気を配ることができなかった。

 

 結果。


「きゃぁぁぁぁ!?」「わぁぁぁ!?」


 妹の悲鳴と、シルヴィの悲鳴が、家の中に響き渡った。

後編は夕方(7時から10時)くらいに投稿します。

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