四話 吸血鬼少女と紅茶
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「なぁ、シルヴィはさっき、『吸血鬼も人間と同じものを食べる』って言ったよな?」
「え? ええ、そうです。肉も、野菜も、魚も、穀物も。人間ほど凝った調理するような文化はありませんけれど、たいていは同じものを食べているとおもいます」
少し遅れて食事を終えても、俺とシルヴィは向かい合って座っていた。
空いた食器はすでに下げて、今、机の上に置かれているのは、一つのティーポットと二つの小さなマグカップだ。
つまり俺たちは現在、食後のティータイムと洒落込んでいるわけだった。
ちなみにこのティーセットは、この家に越してくる際に『来客用に』と買ったものの、今の今まで使われることのなかった逸品である。せっかくの機会だと思い、使ってみることにしたのだった。
中には紅茶が入っている。棚の一番前にあったものが、それだったのだ。
「いや、本当に良かったよ。吸血鬼が御伽噺と同じように血しか飲まないなら、それなりの覚悟をしなきゃいけなかったからな」
「……たしかに全く吸わないというわけではありませんが、今では滅多にありませんね。第一、吸血自体、戦闘時の緊急補給のようなものだったそうですよ」
私も片手で足りるくらいしか吸ったことありませんね、とシルヴィはしみじみとした様子で語る。
「――って、すみません。あまり気分のいい話ではないですよね」
「いや、大丈夫だ。もう少し話を聞かせてくれ」
喋りすぎた、そう言いたげにシルヴィは顔を下に向けた。
確かに、人間の血を吸う吸血鬼が、その人間に吸血について語るなんてこと、配慮にかけていると思っても当然の感覚かもしれない。
ただ、俺は全くそのようには感じなかった。
シルヴィが自分のことを語ってくれているという事実が、ただ単純に嬉しかったのかもしれないし、遠い誰かの話だから、他人事だと思って実感が伴っていないのかもしれない。
どちらにせよ、俺はシルヴィの話を聞きたかった。
◇◆◇
「あの…… そろそろじゃないですか?」
しばらく話していると、不意にシルヴィはそう声をかけてきた。
「そろそろ? 一体何の話だ?」
「その、紅茶、ですよね、そこに入ってるのって」
彼女にティーポットを指さされて、そして思い出す。
そうか、何もない会話で手持ち無沙汰にならない様に、紅茶を入れたんだったか。
会話に夢中になりすぎて、完全に忘れていた。
「ああ、もう良いと思うぞ」
どれだけ時間が経っているかなんて見当もつかなかったが、まあ、蒸らし時間としては申し分ないだろう。家でお茶を入れるのはもっぱら妹の役目で、俺はあまり触ったことがなかったのだが、見よう見まねでもどうにかなった。
「じゃあ、私が淹れますね」
「……ありがとう」
『安静にしてくれ』とはいったものの、流石にそれを止めることはできなかった。
焦げ茶色の液体が、注ぎ口から白いカップへと注がれる。
丁度2杯のカップの八分目あたりまで、紅茶が入った。
「では、いただきま……」
注ぎきるや否や、病み上がりとは思えない素早さでシルヴィはカップに口をつける。
その赤色の薄い唇が紅茶を啜り、そして……
「――す」
動きが完全に止まった。
「だ、大丈夫か――ってぶぇなんだこの苦さ!?」
飲みきるでもなく、カップから口を離すでもなく、飲んだ瞬間、そのままの体勢で固まるシルヴィに不吉なものを思いながらも紅茶を啜った次の瞬間。
舌を襲った強烈な苦みに、目の前が吹っ飛ぶのではないかという衝撃を受けた。
これは苦いとか言う次元ではない。
もはや劇物の類いの味だった。
「……ルネスさん、これ、どうやって入れました?」
ギギギギ、と。
まるで錆びかけのブリキ人形のような動きでこちらを向くシルヴィの瞳には、何か危険な色が混じっているように見えた。
具体的に言うと、その赤の色が2、3割濃くなっているような、そんな印象を受ける。
「どうって…… 普通に湧かして、普通にポットに入れただけだ…… 多分」
最初の『普通』で赤色が倍になった。
次の『普通』でシルヴィの瞳が発光し始めた。
そんな錯覚を覚えるほどの強い眼光で見つめられて、最後には『多分』とつけることしかできなかった。
「はぁ…… 分かりました。せっかくですし、私が淹れましょう」
やがて諦めたのか、シルヴィは小さく溜息をつくと、ティーセット一式を盆に入れ、ベッドから立ち上がる。
「お――」
「止めないでください。ルネスさんの劇物のせいで、死にかけました」
呼び止めようとする言葉は、発する前に一刀両断される。
……それにしても、『死にかけました』は言いすぎじゃないか?
確かにあれは、飲めるものじゃなかったが。
「わかった。じゃあ手伝いくらいはさせてくれ」
とはいえ、一人で行かせるわけにもいかない。
俺は彼女について行くべく、ソファから立ち上がったのだった。
◆◇◆
「ふーんふふーん♪」
手伝う、とはいったものの、俺がしたのは紅茶の葉を用意することと、やかんに水を入れて火にかけることだけだった。
シルヴィは鼻歌を歌いながら、俺の淹れた紅茶(という名前の毒に近しい何か)を流しにざばぁ、と豪快に流していた。
余程恨みがあるらしい。
これ以上何かやっても邪魔になるだけだろう。
そう判断して、俺はできるだけ迷惑のかからなさそうな場所に立っておく。
これではどちらが看病しているのか分からない。
「ルネスさん、紅茶っていうのは、お湯の温度にさえ気を遣えば、誰でも普通に入れられるんです」
「お湯の温度……? 沸いてすぐじゃ駄目なのか?」
「はい。沸いた瞬間に火を止めてしまっては、水の温度は八十度かそこらって所でしょう。だから……」
丁度タイミング良く、やかんからゴポゴポと空気の漏れるような音が鳴り始める。
なるほど、湯気がでただけではなく、沸騰させることが大切らしい。
「そして少し高めから…… こう!」
そういうとシルヴィは茶葉の入ったティーポットのたっぷり40センチは離れていそうな高所からお湯を落とし始めた。水の飛び散る音と、湯気がティーポットから立ち上っていく様子、そして楽しそうなシルヴィの表情が湯気の向こうに映っていた。
「で、蓋をして待つんです」
じゃあ、持って行きましょうか。
蓋をして満足げなシルヴィは、そう言ってこちらを見てくる。
熱湯で温められたティーポットを盆に移すのは、思った以上に大変だった。
◇◆◇
「う、うまい……」
数分後、二つのカップに交互に紅茶は注がれた。
最後の一滴まで落としきって、シルヴィはそれをこちらに渡してくる。
光の加減によって、琥珀色にも紅にも見える澄んだ液体。
見た目の時点で何かが違うことは分かっていたが、口に含むと、その違いは一目瞭然だった。
紅茶としての香りも、苦すぎず甘すぎない絶妙な味も、ほとんど完璧といっても良いほどだろう。
「これが、『普通』の紅茶です!」
やはり、『普通』を連呼したことが、彼女の気に障ったらしい。
やや勝ち誇ったような顔でそう言うシルヴィを見て、下手なことは言わないでおこう、そう胸に誓った。
「本当に美味いよ、これ。温度に気をつけるだけでこんなに差が出るものなんだな」
「ルネスさんの場合、蒸らし時間も異様だったのであんなに濃く出てしまったんだと思います。とはいえ、私もまだまだですよ」
「いやいや! 俺のと比べたら全然……」
「あれとは比べないでください」
場を和ませる冗談のつもりだったのに。
余程トラウマになったのか、軽く睨み付けられてしまった。
「でも、感謝はしています。ルネスさんはわた、しに……」
「シルヴィ!?」
パタン、と。
まるで力尽きるように横に倒れ込むシルヴィに、俺は慌てて駆け寄る。
無理をさせてしまったのか!?
それとも本当に俺の紅茶のせいで!?
嫌な予感が頭を駆け巡る、が……
「すぅ…… すぅ……」
緩やかに上下する胸と、その安らかな表情を見るに、寝ているだけのようだ。
起きたり立ったり眠ったり、忙しい奴だな。
一安心しつつ、俺はもう一口、紅茶を啜った。
「やっぱり美味い」
私は紅茶よりもコーヒー派ですね。
でも、体調の悪いときは、紅茶の方が美味しいと思います。
ちなみに次回、妹が出ます