一話 吸血鬼少女を助ける
「おい! 大丈夫か!?」
慌てて駆け寄る。それがただならぬ事態だと言うことは、少女の下にできている血だまりを見て、すぐに分かった。
彼女はどこかから出血しているらしい。
それも、尋常じゃない量を。
見ると、もう元の色も分からないほど赤に染まった服の1カ所が鋭利な刃物で切り裂かれたように真一文字の切れ目を作っていることがわかった。
傷口は恐らく、この下にあるのだろう。
俺の家は住宅地から少し離れた場所にある。妹の身体のことを考えると、あまり人の多くない場所が良いと考えたのだった。
ただ、今はそれが恨めしい。
この状態では、助けを呼ぶことすらできそうになかった。
少女の口元に手を持っていく。
かすかに呼吸が感じられたが、しかしそれもほとんど消えかかっている。
目を離した瞬間に死んでいてもおかしくない、そういう危機的状況だった。
「まずは止血しないと……!」
人間は全血液量の30パーセント以上の血が身体から出ると生命の危機に瀕するらしい。
今までにどれだけの血が流れ出してしまったのかわからない。
ただ、少女の顔は真っ青で、もう一刻の猶予もありそうになかった。
迷っている暇はない。
俺は少女の着ている服を破って、傷口を探す。
それはすぐに見つかった。
背中、丁度肩甲骨の下あたりに10センチほどの長さの傷がぱっくりと口を開いているのが見て取れた。
かなり鋭利な刃物で切られたようで、はみ出してくるような形で、中の赤い肉が露わになっていた。
「思ったよりは浅い、か……?」
出血の量に反して、傷が骨まで達している様子がないことで、ひとまず安心する。
骨に傷が残っているかどうかで、傷の治りにかなりの差が出るのだ。
これなら、止血剤を塗って、傷口を縫合して、安静な場所で増血剤を飲ませれば、命は助かるだろう。
「今回ばかりは、騎士団で培った技術に感謝しなくてはならないな……」
とはいえ、安心ばかりもしていられない。
ひとまず自分の上着と少女の服を合わせて簡易的に圧迫止血をする。
血は滲んだが、出血の勢いはかなり収まったようだった。
――あとの処置は家の中でやろう。
俺は少女を抱きかかえ、家の中まで運んだ。
◇◆◇
「ふぅ…… おわった」
止血剤を塗って、傷口を縫合する。
文字にすると簡単そうだが、これはなかなかに骨の折れる作業だった。
第一、任務中にやむを得ず自分を縫ったことは何回かあったが、他人のを縫うのは今回が初めてなのだ。手の震えを抑えるのがやっとで、あまり綺麗な縫い目にはなっていないことが残念で仕方ない。
ただ、これでひとまず、命は助かるだろう。
今は俺のベッドに寝かせているが、数日もすれば起き上がってくるはずだ。
そんな達成感と共に、今までは慌てていて考えることのできなかった疑問が、頭の中に溢れてきた。
どうして家の前で倒れていたのか。
どうして斬られていたのか。
そして……
「吸血鬼、だよな」
少女の銀色の髪を思い出す。
銀色の髪、それは吸血鬼の特徴だ。
人間の持つ灰色の混じった紛い物の銀髪ではなく、本当に銀をそのまま細く、細く糸にして頭に植え付けたような銀髪。
それは少女が吸血鬼であると考えるには、十分な根拠だった。
魔物、人間の天敵であり、絶対に相容れることのできない存在。
中でも吸血鬼は、その魔物の上位種として有名な《夜の王》だ。
人間では太刀打ちできないほどの怪力を持ち、悠久の時を生き、血を吸った相手の能力を奪い取る。噂によると、350年前に人類を壊滅状態まで追いやった『魔王』も吸血鬼の突然変異体だったとか。
だからこそ、騎士団内では『魔物、特に吸血鬼を見つけたら絶対に殺す』ということが信条として掲げられていた。
まぁ、あそこに居場所のなくなった俺には、そんなことは関係ないのだが。
「はーぁ、これからどうするかね」
そんな行き場のない溜息が、口からこぼれ落ちてくる。
勢いで助けてしまったものの、相手はあの吸血鬼で間違いない。
考えたくはないが、起きた瞬間にこちらに襲いかかってくる可能性もあるだろう。
見た目が年端のいかない少女だったからと言って、中身まで大人しいとは限らないのだから。
「とはいえ…… 助けない選択肢はなかったか」
今、自分のベッドで寝ているあの少女のいくらか赤みの戻った顔を思い出す。
どう見ても、12、3の子どもにしか見えなかった、
その顔を見ていると、嫌でも自分の子ども時代の地獄のような貧しさと重なってしまう。
俺が彼女を助けなくて、誰が助けるんだ。
ただ、今はどうすることもできそうにない。
俺が何か考えたところで、助けてしまったものは仕方ないのだ。
それに、これはささやかな復讐だ。
俺から、騎士団に対しての。
後ろに起こるゴタゴタは全て明日の自分に任せて、
俺はひとまず瞳を閉じた。
次話、吸血鬼少女と話します。