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十話 吸血鬼少女とすれ違い

 朝。

 今日も俺は、美味しそうな匂いで目を覚ました。

 窓の外を見ると、陽の光はもう、すっかりと高い場所まで登っている。


 十分に睡眠をとると、朝とはこんなにも爽快に感じるものなのか。


 

 清々しい朝というか、健康的というか。

 長年の習慣とはいっても、日常を過ごしていれば、少しずつ薄まっていくらしい。 


 昨日感じた喪失感は、今日はずっと薄いものへと変わっていた。


 ただ、そんなのんきなことを考えていられたのは、俺が匂いの発生源――

 キッチンにいるシルヴィの顔を見るまでだった。


「どうしたんだ!? そのクマ!?」

 

 シルヴィの顔を見て、驚きで一気に目が覚める。

 昨日と同じように手際よく朝食を作るシルヴィの目元。

 そこには、大きなクマがあったのだった。


「……これですか? 大丈夫です。自業自得なので」


 反応にあった不自然なタイムラグ。

 どこかローテンポな話し方に、時々足下がふらついている。


 何がどう自業自得なのかは分からなかったが、シルヴィが昨日、まともに寝ることができなかったことだけは、はっきりと理解できた。


「なんで―― ってああ!」


 どうして眠ることができなかったのか。

 もしかして体調が悪かったんじゃないのか。

 その理由を問いただそうとして、そして俺は思い出した。


 昨日、自身がやらかしてしまったことを。


 そうだ。昨日現実に打ちのめされてしまった俺は、シルヴィに優しくされて、舞い上がってしまったのだった。

 冷静になって思い返してみると、完全に()()()()()()()()()()()『一緒に風呂に入ろう』という言葉を間に受けてしまった。


 自分可愛さに《水着》という予防線を張ったものの、シルヴィにとっては『自分よりも10も上の男が冗談を間に受けて一緒に風呂に入った』という悪夢のような状況だろう。


 夜に眠れないのも無理はない。


 眠っているところを、襲われるかもしれないのだから。


 ――なんということだ。


「悪かった、シルヴィ!」


 何をのんきに椅子に座っているんだ、と、頭とは別で完全に起ききっていない足に無理やり血を送って立ち上がる。


 こんな状況でもシルヴィが朝食を作ってくれているのは、ひとえに義務感に他ならない。

 その感情にいつまでも甘えているわけにはいかなかった。


「今日は俺が作るよ。変わってくれ」


 俺が近くによると、シルヴィは肩を跳ねさせて少し距離を取ってくる。

 やはり、相当な恐怖だったようだ。


「大丈夫だ。朝食を作るだけだから」


 出来るだけ怖がらせないように、俺は出来るだけ距離を保ったまま言う。


「何ですか、藪から棒に」


 怖がっている表情を見られたら興奮されるとでも思ったのか、シルヴィの返事は、想像以上にそっけないものだった。


「いや、シルヴィが寝不足なのは俺のせいだから、せめて残りだけでも代わろうかと……」

「別にルネスさんのせいじゃないですよ」


 私の自業自得なんです、と再度シルヴィは言う。

 寝不足だからなのか、顔を下に向けていて、表情までは見ることができない。


 ただ、拒絶されたことだけは、嫌でも知ることになった。


――何をやっているのだろうか、俺は。

 自分は、昨日あれほどシルヴィに元気づけられたじゃないか。

 

 そんな相手を、わざわざ怖がらせるだなんて。


「――わかった」


 それでも最後に。


「じゃあ、少しだけ謝らせて欲しい」

「――え?」


 シルヴィが聞き返してくる声が聞こえたような、聞こえなかったような。

 しかし、言うべきことは言わなくちゃいけないだろう。

 それが、俺にできる精一杯だ。


「シルヴィ、怖がらせてしまってすまなかった」


 頭を下げる。

 このままひっぱたかれたとしても、文句はなかった。


「はい? ……あ、いや、え、なんでルネスさんが頭を下げて……? ほんとは私が、あれ、え……?」

「俺にできることなら何でもするつもりだ。助けて貰った恩なんて、感じなくて良いから……!」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 聞き返すような、戸惑うような声が聞こえて、俺は矢継ぎ早に言葉を並べ立てる。

 ただ、その言葉は、悲鳴にも似たシルヴィの声で強制的に停止させられた。


「あの…… ルネスさんは、何について謝っているんですか?」

「なにって、そりゃあ、あんな冗談を真に受けて、一緒に風呂には行ってシルヴィに怖い思いをさせたことについてなんだけど……」


 ここまで来て、俺は自分の壮大な勘違いに気がつく。

 もしも、シルヴィが本当に『慰めるため』に言っていたなら?


「……もしかして、昨日寝れなかったのは、俺のことを怖がってたからじゃ、ないのか?」

「……ルネスさんこそ、私のことを『変態』って思ってるんじゃ、ないんですか?」


 ここまで、起きてから十数分。

 俺たちはようやく、昨日からのすれ違いを認識するのだった。


   ◇◆◇


「なんで俺がシルヴィのことを『露出狂』とか思わなくちゃいけないんだよ」

「だって、今朝のあれ、『変態の作るご飯は食べたくない』ってことじゃあ……?」

「あれはシルヴィが寝不足そうだったからで…… そう言ったろ?」

「えぇ……? 言いましたっけ?」


 自分たちの認識違いを確認し合って、ひとしきり笑い合った後、俺たちは普通に朝食をとっていた。  

 心配して損をした、と思うと同時に、どこか安心している自分もいた。


 もしこれが本当に恐怖されていたのだとしたら、この生活は早くも破綻していただろう。

 

 もしかすればシルヴィは義務感で『俺の仕事が決まるまで』家事をしてくれるかもしれないが、そこに昨日までの暖かさは抜け落ちてしまっているだろう。


 あの日、夕立の中で傘を届けに来てくれたシルヴィのことを思い出す。


 〝あれ〟がなくなってしまっては、この関係は成り立たない。


「――それで、今日はどうするつもりなんですか?」


 『露出狂』という単語が恥ずかしかったのか、若干頬を赤らめながら、シルヴィは話を逸らすように、そう聞いてきた。


「ああ、それか」


 ただ、俺にとってその質問は丁度良いものだった。

 昨日から気になっていたのだ。

 今、シルヴィが来ていたのは昔、妹が来ていたものであって、シルヴィのものではない。


 彼女だって自分の服があった方が、何かと楽だろう。

 それに、久しぶりに〝あの人〟に会いに行きたいと思っていたところなのだ。

 仕事をクビになったことを伝えるのも、悪くないかもしれない。


 だから――


「シルヴィ、一緒に服を買いに行こう」


 今日の予定は、それで決まりだった。

明日は正午に更新します。

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