九話 吸血鬼少女とお風呂
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家に到着するや否や、玄関を開けた俺たちを出迎えてくれたのは、ミルクの温かい、優しい香りだった。
「ただいま……」
「――おかえりなさい」
料理の香りと共に唐突に訪れてきたのは、『ああ、俺はこの家に帰ってきたんだな』という妙な安心感だった。ただ単に衣食住の場所ではなく、いるだけで心が安らぐような、そんな『家』に。
小さく漏れ出た『ただいま』に、返事がされる。
隣を見ると、シルヴィが気恥ずかしそうに、頰を赤らめながらも微笑んでいた。
◇◆◇
「今日はシチューを作ってみたんです」
玄関で靴を脱ぐと、シルヴィは突然にそう言った。恐らく、キッチンから漂ってくる香りに気づいたのだろう。
ーーなるほど、シチューか。
と一人で納得する。
たしか保冷庫の中には牛乳が余っていたはずだ。そろそろ使わなくてはならないな、と思っていたのだった。
本当にシルヴィはよく気づいてくれる。
ただ、シルヴィはそのままキッチンへむかおうとしたので、俺は慌ててそれを引き止めた。
「え? どうしたんですかルネスさん?」
「どうしたもこうしたもないだろ…… 料理を温めるのは俺がやっておくから、シルヴィは先に風呂に入ってきてくれ。水は張ってあるはずだ」
あの、氷のように冷たかった右手が頭に浮かぶ。
シルヴィには一刻も早く体を温めて欲しかった。
「でもそんな…… ルネスさんが先に入ってください。あなたの方が雨の中に長くいた訳ですから」
「俺は半分くらい自業自得だから良いんだよ。それよりも、傘持ってきてもらった上に風邪まで引かれたんじゃ、申し訳なさすぎる」
やはりシルヴィは遠慮してきた。
ただ、今回ばかりは俺も譲る事はできない。
「ーーじゃあ、わかりました」
シルヴィは比較的にあっさりと折れてくれた。
やはり、あの雨の中歩くのはかなり寒かったのだろう。遠慮しないで、言ってくれればいのに。
などと、のんきな考えが浮かんだものだ。
シルヴィが次の一言を発する、その瞬間までは。
「だったら一緒に入りましょう。ルネスさん」
ーーはい?
「……え? なんだって? 全然聞こえなかったなぁ」
「だから、一緒に入りましょうって言ってるんです」
「うーん、雨の音が大きすぎて聞き取れないな。ま、それじゃシルヴィは先に……」
「逃げようったってそうはいきませんよ?」
現実を直視しようとしない俺に、それでも現実は、音を立てて迫ってくる。
踵を返して立ち去ろうとする俺の腕を、シルヴィががしっ、と掴む。
さすがは吸血鬼と言うべきか、その力はシルヴィの持つ細い腕からは、考え付かないほどの強いものだった。
「聞こえないって言ってるだろ?」
「ルネスさんが入らないなら、私も入る気ないですから」
「……お前なぁ、異性にむやみやたらに裸を見せるんじゃないって教えられなかったのか?」
「ルネスさんは治療してくださった時にもう見てるでしょう? 1回も2回も100回も同じです」
ああ言えばこう言う。
ただ、そのことばには『もう梃子でも動かないぞ』と言う強い意志が感じられた。
「はぁ……」
ため息が自然とこぼれてきた。
このまま押し問答をしても拉致があかない。
二人して風邪を引いてしまっては、シャレにならないのだから。
「わかった。じゃあ一緒にはいるか。そのかわり……」
人生には諦めも大切だ。
しかし、転んでもタダで起き上がるわけにはいかない。
一緒に風呂に入るに当たって、俺は一つの交換条件を提示したのだった。
◆◇◆
「……あんまりお風呂に入っている気分になれませんね、これ」
「贅沢言わないでくれ。俺としてはこれでも緊張で吐きそうなんだ」
一緒に風呂に入るに当たって俺が提示した妥協案。
それは、『二人とも水着で風呂に入る』というものだった。
真夏に海に行くかのように、別々に脱衣所で服を脱ぎ、水着を着る。
確かに違和感は凄まじかったが、背に腹は変えられないだろう。
幸いにも、風呂だけはかなり良いものを持っているので、二人入っても狭く感じる事はないが、それでも緊張するものは緊張する。
「風呂に入るのは体を温めるためなんだから、服装は関係ないだろ」
「そうですけど…… なんだかなー」
シルヴィの水着は、押し入れに眠っていた、妹の小さかった頃のものを拝借した。
少し窮屈だったようだが、それでもなんとか入ったらしい。
「ルネスさん、もしかして女の子に興味がないんですか? エリナさんも『お兄ちゃんには今まで彼女ができたことがない』みたいなことを仰ってましたし」
どこか不満げに、水の中に半分顔を埋めたりしながらシルヴィはこちらに向かって言ってくる。
「興味がないわけないだろ。ただ、お前に手を出したりしたら、それこそ妹に変態呼ばわりされるからな」
第一、俺はそんな目的のためにシルヴィを助けたんじゃない。
自分が助けた年端もいかない少女に対して性的願望を抱くのは、人として間違っているはずだ。
そんなことを思いながらシルヴィを眺めていると、何を思ったのか、風呂の水を救って、こちらにかけてくる。
「見ないでください。恥ずかしいので」
だったらなんで一緒に入ろうなんて言ったんだ。
その言葉は、心の中だけに止めておいた。
◆◇◆
「では、お休みなさい、ルネスさん」
「ああ、お休み」
結局俺たちはその後、めいめいに風呂を出て、そして一緒に晩飯を食べた。
やはりシチューの味は絶品だったが、しかし一杯食べるだけでも満腹になれるそれを、シルヴィが2、3杯平らげていたのには驚いた。
どんな胃袋を持っているんだ。
そして俺は自分の寝室、シルヴィは二階にある来客用の部屋へと、眠るべく進んでいった。
ベッドに寝転んで、午後の出来事を思い出す。
シルヴィに夕立の中慰めてもらった。
ただ、それだけのことだ。
先ほどの『風呂に一緒に入ろう』発言も、シルヴィにとって、慰めの延長のようなものだったのだろう。
しかし、それを嬉しいと思っている自分もいた。
助けたつもりになっていたが、今日は俺が助けられてしまったようだ。
胸に刺さっていた棘が、抜けたような心地よさが、全身を包んでいる。
夕立の中で感じた虚無感は、もうどこかへ消えていた。
今日はいい夢が見られそうだ。
次回はシルヴィ視点の話を書こうと思います
少し短くなるかもしれませんが、予めご了承ください




