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ビッグマック・ストライクス・アゲイン

作者: 寝袋男


これは僕が20歳を迎えた日の夜、23時40分から始まる物語だ。


僕はその日を、家族や友人から祝福のメッセージを受け取り、最愛の恋人と過ごし、たらふく食べ、たらふく飲み、のんびりしたセックスをして、満たされた気持ちでベッドに潜り込んでいた。明日からまた始まる日常。非日常が徐々に溶かされ、薄くなったそれの向こうに明日が見える。非日常を失う寂しさもあるが、何と言っても20歳だ。なんだって出来るし、なんにだってなれる。明日への希望が寂しさを大きく凌駕し、高揚感が顔を熱くする。


そんな時、僕の腹から実に間の抜けた、ぐるるという飢えた音が流れた。おいおい、これから始まるっていうのに、なんと締まりがない音だ。しかし不思議だ。あれだけ食べて、あれだけ飲んだ。いくらセックスしたからと言って、そんな事にはならないはずだ。僕は少しばかり困惑した。幸せと黄金の微睡みは夜の闇に飲み込まれて、なんとも寂しい空腹と不安だけが、部屋を支配していた。こんな空腹は生まれて初めてだった。もしかしたら、20歳になって何かが変わってしまったのかもしれない。


恋人を起こしてしまわぬ様に、こっそりとベッドを抜けだし、キッチンに向かった。今日も含め、ここ数日外食が続いていて、自分の冷蔵庫に何が入っているのか、確信が持てなかった。でもまだギリギリ誕生日だ。きっと食べ物がそこにあると、希望的観測をしている自分がいる。サッと何かを腹に入れて、素早く歯を磨く。彼女が起きない様にそっとベッドに戻る。大変スマートに。


だがその希望的観測は、0時ぴったりにはっきりと打ち砕かれた。


冷蔵庫の中には瓶のソーダ2本、もう少しで無くなるペッパーソース、賞味期限が近づいている粉チーズ、半分のバター、もやし。彼らは間違いなく名脇役だ。主役が居てこそ映える。現段階での価値はエキストラというか、パーティにあぶれたパッとしない男女のようなものだ。


0時になってしまったからだろうか。23時59分に冷蔵庫の扉を開いていれば、そこには何かしら食べ物があったんじゃないだろうかという気がしてならなかった。何度も冷蔵庫の扉を開け閉めして、その度に瞬きしながら現実を噛み締めた。


さて、どうしたものか。

確かにこのまま寝る事だって出来る。しかし僕はそうしなかった。出来なかったというのが正しいかもしれない。過ぎたとは言え、せっかくの幸せな1日をこんな形で終わらせたくはなかった。打開しなければ、僕は永遠に空腹と不安を抱えて生きていかなければならないような気がしてきたのだ。


僕はソファに放っておいた赤いパーカーを拾い、鍵と財布をポケットに突っ込んで玄関に向かった。


ここは少し辺鄙な場所にあって、徒歩の範囲に、気の利いたレストランも深夜営業のコンビニエンスストアもない。


車のキーを回しながら、何を食べるかを考える。あまり時間はかけられない。僕だって眠りたいのだ。素早く食べられて、この大いなる空腹を蹴散らせるヤツ。

すぐに思い浮かんだ選択肢は2つ。牛丼とハンバーガーだ。考えた末、バーガーショップに向かう事にした。深夜に牛丼屋へ行くというのは、何処か草臥れた雰囲気がする。僕は20歳だ、クールでなくちゃならない。


「只今、業者を入れて機械を洗浄しておりまして…誠に申し訳無いのですが…」

その、今時珍しい牛乳瓶の底のようなメガネをかけた店員は、なんとも申し訳なさそうに頭を下げた。申し訳なさをここまで体現出来る人間は少ない。ラインスタンプにしたいくらいだ。

「どれくらいかかるんですか?」

「今さっき始まったばかりですので、まだ当分は…」

「でも店は開いてる」

「ポテトとジュースはご注文いただけます、はい」

「そうじゃない。そうじゃないんだ」

「ごめんなさい…」

僕はこの「ごめんなさい」という言葉に弱い。「すみません」や「申し訳ございません」とは違う、自分の言葉という気がして、行儀の良い事務的な言葉を使われるより、よっぽど気持ちが伝わってくるのだ。彼にはどうしようもない。


僕は何も困りはしないという態度で店を出た。

どうしたものか。口はもうバーガーの口になっているし、牛丼にはケチをつけたばかりだ。

もう一軒のバーガーショップはある。少し離れているが、車ならすぐだ。でもなんだか馬鹿げた話に感じる。僕は夜中の0時過ぎに、一体何をやっているんだろう。なんだかものすごく遠くに来てしまったような気がする。


再びキーを回す。ベッドに戻るのは簡単だ。だけど、そうすると今まで費やした時間と距離はなんだったんだという事になってしまう。馬鹿げていようがなんだろうが、僕はもうベッドを出てしまっているんだ。


「強盗が入ったんだ」

警察官は、さも胡散臭い事件だというように、そのハンサムな顔を歪めてそう言った。

「強盗?ファーストフード店に?」

素っ頓狂に飛び出した声は、自分のものではない様に響いた。

「実に馬鹿げているだろう?その上、奪取されたのは金銭じゃない。ハンバーガーだ。バーガー30個」

「ご冗談を」

「冗談だったら幾分マシだろうな。こんな事件は初めてだよ」

「という事は、ハンバーガーは買えない?」

警察官は帽子を取り、頭を掻いてから、お前も胡散臭いなという表情でこちらを見た。


暫し呆然として、バーガーショップの看板を眺めていた。僕はどうしてしまったんだろう。非現実的過ぎる。何かの間違いで分岐器が作動して、違う線路に乗ってしまったんだろうか。もしそうだとすれば、どうすれば戻れるんだろう。


車に乗り込もうとすると、

「ちょっと君、待ってくれ」

と先程の警察官が無線を片手に僕を呼び止めた。

僕と車を交互に見ながら、無線で何か話している。嫌な汗がTシャツの下を伝う。

彼は通信を終えると、こちらに向かってきた。

「君、署の方で話を聴きたいんだが…」

「どういう事ですか?」

「20歳前後男性、身長175センチ程、黒色短髪、赤色フード付き上着、」

僕は自身の格好を点検してから、

「そうですね」

と答えた。

「一緒に来てくれ」

呆然は再びやってきた。そして呆然としたまま僕はパトカーに揺られている。


署では赤ら顔の男がお出迎えしてくれた。

「刑事の赤西です。ご協力ありがとうございますです。」

その男はろくに家に帰っていないのか、シミのある草臥れたシャツにヨレたネクタイをだらしなくぶら下げていた。牛丼屋の常連かもしれない。

「もう話はある程度聞いておりますかな?」

「いいえ」

「それはいけない。実によろしくない。強制ではないのだから。貴方も貴方だ。用件を聴いて、それからついて来るべきです」

「確かに」

男は頭を掻いた。そして手帳を取り出し、

「今夜0時20分頃、先程貴方がいらしたバーガーショップに強盗が入りました。拳銃を持ってね。そして金銭ではなく、バーガー30個を所望した。手荒な行為は無く、実にスマートだったそうです。そんなスマートな彼と、貴方の風貌は実に似通っている。相違点としては、お面を被っていない点ですかな」

「お面?」

「犯人は山羊のマスクを被っていたそうです」

「山羊」

単語をリピートする僕の声は、まるで自分のものではないようだった。

「で、どうなんです?持ってますか、山羊マスク」

絶妙に嫌な温度の部屋にいる時の様な、ワナワナとした気持ちがこみ上げてきていた。

「僕は今日、いや、昨日誕生日で20歳になったばかりです。そんな馬鹿げた事をすると思いますか?」

刑事赤西は顎を掻いて、空中を見つめた。そしてじっとりした目で僕を捉えた。

「正直言いましょう。20歳を迎えた事を誇りに持った青年は、その夜、あんな時間にバーガーショップ付近でウロウロしていますかね。それこそ馬鹿げていませんか?」

ごもっともだ。嘘と響いても仕方ない。今夜の僕は恐ろしく馬鹿げている。

コンクリートの天井を見つめて、ベッドを出た自分を悔いることしか出来なかった。自室の天井が見たい。何色だっただろう。彼女はどうしているだろう。もう1時を過ぎている。ふと目を覚まして、僕の不在に気付いて、混乱しているかもしれない。もしかしたら家族に連絡しているかも。大ごとだ。いや僕だって、いや僕こそが大ごとだ。明日を見据える若者から強盗事件の重要参考人にまでなってしまっているんだ。僕は何処へ向かい、何処に辿り着くというんだ。

再び焦点が天井に合う。そう、今色々と考えを巡らせても仕方がないんだ。天井の色を思い出すんだ。あれは確か…。


気がつくと僕は自分の部屋によく似た部屋にいた。天井はそうだ、グレー。

視線を下げると、そこには山羊のマスクを被った男がいた。背格好は僕に似ていて、赤いパーカーを着ている。そして僕は赤いパーカーを着ていない。

「これは呪いだ。呪いの空腹。大いなる渇望」

男の声は、僕の声に似ている気もした。また、少し低い気もした。

「呪い?誕生日だったんだ。欲しいのは祝いだ。冗談じゃない」

僕の声も、少しばかり低く響いた。

「お前は何処にも行けないよ」

僕は怒って、相手に迫ろうとしたが、男はポケットから拳銃を取り出し、銃口を僕に向けた。引き金に指が掛かる。

「おきてください」


「オキテクダサイ」


「起きてくださいよ」

肩を揺らされ、コンクリートの天井、赤ら顔が目に入る。

「朗報ですよ。犯人が見つかったんです。貴方ではなくてね。本当に申し訳ない」

僕は、僕が整うまで待った。

「誰です?」

「まだ身元は分かりませんが、河川敷に車を停めて、バーガーをたらふく食べて寝ていたそうです。手際が良い割に、間抜けな犯人ですな」

「素直にここに連れてこられた僕も、貴方たち警察も、です。間抜けな事件だ」

「むっ、おっしゃる通りです」

赤西は笑った。外見の割に品の良い笑い方をする男だ。


車に乗り込みエンジンを掛けていると、赤西と、僕を署に連れてきた警察官が駆け寄ってきた。

「誠にすみませんでした、本当にごめんなさい」

帽子が地面に落ちる勢いで、ハンサムは頭を下げた。

「貴方は悪くない。悪いのはハンバーガーを誘拐する方だ」

僕は「ごめんなさい」に弱い。

赤西が割って身を入れてきた。

「もしかして、まだお腹が空いていたりしませんかね?」

呪いはまだ終わっていない。僕は頷く。

「お詫びと言ってはなんですがね、これを…」

封筒を僕に手渡す。

「これは?」

「お金じゃありませんよ。バーガーのサービスチケットです。被害に遭われたお店の店長さんが、事件解決のお礼にとくれたんですがね、本来こういうものは受け取れないのですよ。それに私は牛丼の方が好きでしてね。ほら、もう一つバーガーショップがあるでしょう。是非使ってやってください」


機械洗浄はとっくに終わったようで、静かな店内に「いらっしゃいませ」の声が響く。

牛乳瓶の底が笑顔で言う。

「おかえりなさいませ、ご注文はお決まりでしょうか?」

洗浄が終われば、向かうところ敵なしだ。


「一番デカいのを頼む。呪いが飛ぶ様なデカいやつ」


ベッドに戻った時、辺りは明るくなり始めていた。

彼女がうっすらと目を開けて、次に口を開いた。

「おかえり、何処へ行ってたの?」

僕はパーカーを脱ぎ、布団に身体を滑り込ませた。

「20歳になると大変なんだ。今度ゆっくり話すよ。今は眠いんだ」

彼女は僕に身を寄せながら、

「アタシも来月で20よ、大変になるかしら?」

僕は彼女を抱き締める。


山羊のマスクを被った女が立っている。


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