片えくぼの彼女
十二月初旬の空はよく晴れて、冷ややかな風が少しだけ吹いている。
クリスマスの飾りつけが可愛い小さな教会の前には、正装してコートを羽織る人々がいる。
その中には、敏と純の高校時代大学時代の友人たちの姿も。
久しぶりに高校時代の後輩たちから挨拶を受けたあと、貴久は翔と渡に合流した。
「結局、憲人は無理だったな・・・」
翔は残念そうに、純たちの学生時代の友達の方を見る。
「これでよかったんじゃないでしょうか」
渡は感情を見せずに言った。
「ん?」
貴久が渡を見る。
「きっと、憲人には、純ちゃんの花嫁姿はキツいと思います」
と、渡は言って、まっすぐ前を見ていた目を空へと移した。
貴久は心の中で『そうだな』と、つぶやく。
出来ることなら、自分も純の結婚式に、親族としてなんか出席したくはなかった。
でも、もうどうしようもないことだ・・・。
ため息が出そうになるのを、純のハレの日だからと、我慢するしかなかった。
教会の中から年配の女性が出て来て、教会の中に入るように指示が出る。
ぞろぞろと、皆で教会の礼拝室に入った。
本当は貴久も最前列の親族席に座らなければならないのだろうが、素知らぬふりをして、翔達と左右十二列ある席の真ん中あたりに座る
弟の泰久が貴久を見つけて、母親の京子に居場所を教えている。
京子は『仕方ない人ね』とでも言うような顔を貴久に見せ、前を向いてしまった。
そうこうしているうちに、式が始まった。
新郎が入場する。
濃いグレーの花婿衣装の村上敏。
高校時代よりも背も高くなり、あのころはどこか頼りない感じだったのに、いつの間にか逞しい身体つきになり、年齢よりもずっと落ち着いた雰囲気になっている。
続いて、新婦が入場する。
父の勝に手を引かれ、ゆっくり敏の待つ祭壇前へと進んで行く。
たくさんレースを使った純白のドレスが、純の可愛らしさを更に引き立てる。
ふっと前方の京子が、涙を拭いているのが見えてしまった。
貴久もつられて涙ぐみそうになるのをこらえ、純の花いっぱいのヘッドドレスを見つめ続けた。
純と敏が永遠を誓う間、貴久は幼い頃からの純をゆっくりと思い出していた。
一生懸命にピアノに向かっていた幼い純の小さな手。
バイオリンに載せた白い顎のかたち。
母親が亡くなって、貴久の家の隣の祖母の家に越してきたときの、不安そうな顔。
その祖母も突然に亡くなって、泣いてばかりいた純の華奢な肩。
一緒に暮すようになって、少しずつ取り戻して行った笑顔。
そして、積み重なって行った、自分の純への気持ちも・・・。
隣の渡から、ティッシュペーパーがこっそり渡された。
それで初めて、自分の目から何が流れて腿に落ちていたのか知った。
翔は気づかないふりをしてくれている。
式次第がすべて終えて、新郎新婦が退場すると、ざわざわと招待客が席を立ち始めた。
その人たちの流れに乗って、貴久は翔と渡より一足先に礼拝室を出た。
泣いた顔を見られるのが気まずかったから。
そして、狭い中庭に出る。
四十人ほどの招待客だけで、庭は一杯だ。
女性客のおしゃべりと笑い声が聞こえる。
このあと、ブーケトスがあるとのことだ。
貴久は、教会の建物から離れ、牧師の住居に近い庭の片隅に立った。
紺色のワンピースを着た同じくらいの年齢の小柄な女性が、貴久の隣にやってきた。
その女性も、貴久と同じように赤い目をしている。
彼女も貴久の目に気付いたのか、そっと微笑んでうなずくような挨拶をして来た。
貴久も頭を下げて挨拶を返す。
新郎新婦が教会の建物の中から出て来た。
若い女性客たちが、ブーケを手にした純のそばへと押し寄せている。
貴久は隣の女性に『行かないんですか?』という眼差しを送った。
それには答えず、彼女は微笑みをみせる。
その微笑みが哀しげに見えて、悪いことを聞いちゃったかなと、貴久は『ごめんなさい』のつもりで、同じ微笑みを返した。
目の前では、女性たちが満面の笑みでブーケを待っている。
晴れ晴れとした笑顔の純は、その笑顔のままきょろきょろと誰かを探しているようだった。
女性客の一群には、その誰かは見つからなかったようで、中庭をくまなく見ている。
純の眼差しが、貴久の隣の女性を捉えると、純はすぐさまくるりと来賓に背を向け、ブーケを投げた。
ブーケは手を伸ばす女性客の頭上を越え、貴久の目の前に飛んできた。
と、同時に、隣の女性の紺色のワンピースが視界からスッと消えた。
無意識に貴久の腕が動いて、ブーケを受け取ってしまう。
振り返った女性客から悲鳴を聞こえた。
顔色を変えた純が、ウェディングドレスをひるがえして走り出す。
純の目指す方向、貴久の斜め後ろを振り返ると、紺色のワンピースの彼女が倒れていた。
片方の靴は脱げ、パーティバッグは手から離れたところに落ちている。
貴久は、手にしてしまったブーケを近くにいた誰かに押し付けると、ひざまずいて彼女を起こした。
「大丈夫ですか?」
貴久が声を掛ける。
「美香先輩、大丈夫?」
純はウェディングドレスが汚れることなどお構いなしで、しゃがみこんで『美香』の顔をのぞき込んだ。
「私が、ブーケを絶対に取ってってお願いしたの・・・ごめんなさい」
純が青ざめている。
「純ちゃん!」
純よりももっと慌てて、もっと青い顔をした敏が、いつの間にか純を抱え込んでいた。
「純ちゃん、お腹の赤ちゃん、忘れたらダメだよ」
敏が純に説教するような口調で言ったから、純たちの事情を知らなかった招待客が、口々に喜びの声をあげた。
「そうなの?本当?」
美香が自分の状況を忘れて笑顔になる。
貴久は、美香の左の頬のえくぼ気付いた。左の頬にだけ出来るえくぼ。
大人しそうな雰囲気の人なのに、えくぼが出来るだけで、パッと華やかになるのが不思議に思えた。
「純ちゃん、良かったねぇ・・・痛っ!」
美香は笑顔から急に顔をしかめた。
「どこ、痛めました?」
貴久が問いかけると、
「足首、くじいちゃったみたい・・・」
美香は右足首をさすっている。
「ああ、失敗した・・・」
そう言うと、悔しそうな顔を見せた。
「どこか、病院で診てもらってください。この近くで診察してもらえるところ、聞いてみます」
敏が美香に声を掛け、牧師館の中に消えて行った。
近くの整形外科が開いているということで、貴久が美香に付き添って行くことになった。
招待客と新郎新婦は披露宴会場へと移動して行った。
牧師さんの好意で、杖も借りることが出来、貴久と美香はタクシーを呼んで病院へと急いだ。