新しいいのち
純と村上敏の結婚式までの三週間は、あっという間だった。
この三週間、純の母親代わりをつとめている京子は、結婚式の準備のために、忙しそうだった。
結婚式の三日前の夜、純と敏が結婚の挨拶をするという名目で、金松家へやって来ることになっていた。
玄関のチャイムが鳴って、貴久も出迎えに行くと、敏が純を抱えるように立っている。
「どうしたの?」
京子がオロオロしながら、家の中に招き入れる。
「純ちゃん、ちょっと気持ち悪くなっちゃったみたいで・・・」
敏がそう言いながら、純の巻き髪を掻き揚げ、顔を覗いた。
『ああ・・・』貴久は心の中でため息をついた。今までだって幾度となく、敏と純の仲をうかがわせる場面に遭遇しているのに、ちっとも慣れることが出来ない。
もう、間違っても、純の柔らかな巻き毛を、自分はもう触れることすら出来ないなんて・・・。
「ソファに横になりなさい」
京子は純に声をかける。そして、かつて純が使っていた部屋にある毛布を、貴久に取りに行くように言いつけた。京子自身は、二人のために温かな飲み物を用意しに、キッチンに入って行く。
貴久が二階から毛布を抱えて降りて行くと、ソファに座る純の身体には、敏のコートが掛けられていた。
周りに、何故か笑顔の母と父。顔を赤らめて微笑んだ敏と純。
展開が読めなくて、貴久は毛布を手にしたまま怪訝な顔を母親に向けた。
「あのね、貴久」
「あ、僕から言います」
京子が口にしようとしたのを、敏がやんわり止めた。
「僕たちに、赤ちゃんが出来たんです」
「へ?」
顔を赤らめた敏とは対照的に、貴久は顔からサーッと血の気が引いて行くのを、止めることが出来なかった。
京子は、そんな貴久の様子に何も言えず、キッチンに逃げ込む。
父の久は、そんな母子の様子に気付かず、敏に笑顔で話しかけている。
貴久は『おめでとう』の一言も言えず、純に毛布を押し付けると、ふたたび二階へ駆け上がった。
自分の部屋で、ベッドに腰かけてボンヤリしていると、ドアをノックする音。
「貴兄さん」
純だ。
急いでドアを開ける。
「おい、大丈夫なのか?階段なんか上がったりして」
「うん、もう気持ち悪いのは収まったし」
貴久は慌ててベッドの上を整えると、『ここに座れ』と言うように、手招きした。
「そうじゃなくって・・・」
「え?」
「いるんだろ?ここ」
純のお腹を指さす。
「どういう意味?」
「赤ちゃんがいるのに、階段なんか上がったりして・・・大丈夫なのか?」
「あ?あはは・・・」
久しぶりに純の笑顔を見た気がする。ここ最近の大人びた笑顔ではなく、子供っぽい笑い顔を。
「貴兄さん、何か間違ってるよ。妊娠は病気じゃないんだから。階段なんか平気だし、無理したらいけないけど、普通に生活するし、ちゃんと仕事もするつもりだよ」
「うん、そうか・・・何かよく分かんないけど。ともかく、おめでと」
「ありがとう」
純は頬を染めて微笑んだ。
二人並んでベッドに座る。
「結婚式を急いだのって、子供のため?」
貴久は浮かんだ疑問をそのままに聞いた。
「ううん。赤ちゃんが出来たって分かったのは、今日の夕方。ついさっき。敏君のプロポーズにへ返事したのは、ひと月前だから」
「敏のプロポーズって、ずいぶん前だったろ。何でそんなに結婚を迷っていたのかは、母さんから聞いたよ」
「そう。お父さんの会社のこととか、敏君にいろいろ迷惑をかけたくなかったから・・・。でも、結局、結婚するのが正しい・・・正しいっていう言い方は変かもしれないけど。これで良かったかなって」
純の方を向いて、貴久はじっと純の目を見つめた。
「きっと良かったんだよ。正しいことなんだよ」
たぶん、自分が今、最大最高に言ってやれる言葉はこれしかない・・・貴久は痛む胸をおさえた。
「それに・・・赤ちゃんも作っちゃったし、ね。・・・あのね・・・」
純は顔を赤らめて言葉を繋ぐ。
「あのね・・・貴兄さんだから言うけど。赤ちゃんは出来ちゃったんじゃなくて、作っちゃったんだからね」
貴久は目を泳がせて、純の言葉の意味を理解しようと努めた。
「そうか・・・」
貴久は、何で自分が純のこんな告白を聞く羽目になったのか、茶の間を逃げ出したことを、いまさらながら後悔せずにはいられなかった。