鉄鼠<5>
天空の疑問も尤もであった。
三井寺鼠で有名な鉄鼠は、三井寺の僧侶、頼豪の怨念が生んだネズミの怨霊と伝わっている。
比叡山の寺に所蔵される経典を、その鋭い歯で食い千切ったとされる。
四人の式神の前にいるネズミには霊気はない。
だから鉄鼠ではない、と天空は言うのだ。
琥珀は、大裳の顔を見た。ようやく冷静になった大裳が解説する。
「平安時代に、天皇に皇子が授かるように頼豪は祈祷を続けました。
うまく皇子が誕生すれば、思いのままの褒美を貰える約束をされていたのです。
首尾よく皇子が誕生したのですが、褒美を貰う段になって、
比叡山延暦寺の邪魔により約束が叶えられなかったのです。
その後、頼豪はこの事を怨み、百日の断食をして果てました。
その頼豪の怨念が怨霊鉄鼠を生んだと言われています」
大裳のこの解説が正しければ、やはり鉄鼠は怨霊であり、妖気ではなく霊気を伴わなければならない。
琥珀も天后も、成る程と頷いた。
ところが、それを聞いていたネズミは、鼻で笑った。
「へへぇん、ちょっと、式神のみなさん!本物の鉄鼠がここにいるのだから、そんな伝説のような解説は要らないぜ」
大裳が聞く。
「どこか間違っていますかな?」
「いいや、話は概ねあってるぜぃ。だが、俺達は妖怪だ。
あの坊主の霊が俺の手下を乗っ取りやがった。そして怨霊に仕立てたんだぜぃ。
妖怪を乗っ取ってしまう程、強い怨念があったんだろな」
「成る程、そうでしたか…」
天空は、そんな話を聞いて感心している場合かと、大裳に言った。
「しかし、ネズミ!おまえは妖怪だとしてもですよ、あの童子が多我丸だというのは、合点がゆきません。
童子には、法力のような力を感じましたぞ」
気を取り直した大裳が聞いた。
「へへっ、長い話になるが、聞きたいかぃ?」
大裳をなめているようなネズミの口調に、天空が剣を振り上げた。
ネズミは、身を縮めて言った。
「分かった、分かったぜ、天空。きちんと話すからさ。その天空剣を仕舞いなよ」
天空の脅しに大人しくなったネズミが次のように話した。
鬼ケ城を本拠地とし、この紀伊半島の南を荒らしまくっていた鬼が、多我丸だった。
そして、勅命を受けて多我丸を成敗したのが、坂上田村麻呂だ。
その成敗を助成したのが千手観音であり、これは伝説通りだ。
討たれた多我丸の首は大馬神社に埋められていた。
しかし、百年ほど後のある大嵐の夜、大馬神社の裏にある岩山が崩れ、
多数の巨岩が転がり落ちる災害が起こった。
その内の一つの巨岩が、多我丸の首が埋まった場所を直撃したのだ。
その弾みで多我丸の首級が飛び出し、そこに嵐の稲妻が落ちた。
その衝撃で目覚めた多我丸は、再び鬼ケ城に逃げ込み、悪さを働くようになった。
それを見かねたこの祠の千手観音が、法力で多我丸を小人にし、その妖力も消し去った。
何の力も持たない、ただの小人になった多我丸は、近郷の人々に追い回され、
子供達にも苛められる毎日だった。
それも哀れに思った千手観音は、千手観音を守る童子になるなら、救いの手を差し延べてやろうと言った。
多我丸は、その言葉に感謝し、仏に帰依し、いささかかの法力を授かって千手観音を守護する童子となった。
「多我丸が生き返った話は聞いておりませんが…?」
大裳が、腕を組みながら呟いた。
「俺の話を疑うのなら、勝手にしろぃ。
多我丸が生き返った大嵐の岩崩れで出来たのが、大馬の清滝だ。大馬神社の裏山にあるぜぃ。
転がり落ちた岩を水が流れる綺麗な滝だぜぃ」
「ふむふむ…」
琥珀達は、取り敢えず、このネズミの言うことを聞くしかない。
信じるか否かは、別の問題だ。
「それで、その多我丸…、その童子は、どこへ行った?
まだ、中にいるのか?」
「多我丸は、もういないぜ。裏から洞窟を伝って、出て行ったぜぃ」
天空の質問に、ネズミはあっさりと答えた。
「ええっ、この中にはいないの?」
琥珀が嘆いた。それなら、童子を追わなければと、琥珀と天空が動き出したのを見て、
大裳がそれを制した。
「鉄鼠にもうひとつ聞きたいことがあります。童子の行方は、鉄鼠が知っているようですから…」
ネズミは、うんうんと頷く。どうやら童子の行き先を知っているようだ。
大裳はネズミに問うた。
「千手観音を守護する童子となった多我丸が、なぜ異界に封じられたのですか?
相当長く異界に封じられていたようです。我々が童子を異界から脱出させたのですが、
その後、そこの石の隙間に入ったのです」
「…?」
ネズミは、大裳の話を聞いて、目を丸くしている。
「どうしたの?異界の話は知らなかったの?」
天后がネズミに言った。
「おまえ達が、異界から救い出したぁ…。ふぅぅぅん…」
しかし、ネズミは黙ってしまった。何か考え事をしている様子だ。
そんなネズミに、天空が剣を振り上げ威嚇した。
「おおぉ、ちょっと待ってくれよ、天空」
ネズミは、身を縮めて天空に頼んだ。
暫しの時が流れた後、ネズミが話し出した。
「阿修羅…、あっ、いや、多我丸が姿を消したのは、二百年…、もっと前かな…、
兎に角、二・三百年前だぜ。
いやぁぁ、異界に封じられていたとは、知らなかったぜぃ。
俺は、てっきり千手観音の指示で、どっか違う場所に移ったと思っていたんだ。
それ以来、この祠の千手観音は荒れ放題だからな。
ほれっ、この石仏も千手観音の精が抜けてるだろ。ただの石の塊だぜぃ。
多我丸は、千手観音と一緒にどこかへ行ったと思っていたんだが…」
「二・三百年前に、何かあったのか?」
天空が、胡坐をかき、剣を大地に突き刺しながら聞いた。
「そうさなぁ…。今、多我丸が消えた頃のことを思い出していたんだが、…、
もしかして、あれが原因かと思えることがあったぜぃ。些細なことなんだが…、今思うと不思議な話だぜ」
ネズミもその場に座り込み、話し出した。
琥珀、天后もネズミを囲むように座った。




