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琥珀色の心 Ⅱ  作者: 柴垣菫草
第3章 鉄鼠
28/53

鉄鼠<1>

 南紀に美しい浜がある。熊野古道伊勢路を伊勢方面から下ると大台山系の松本峠がある。

その峠を越えると、眼下に太平洋熊野灘に面した白砂青松の美しい浜が見える。


弓状に湾曲したこの長い浜は、七里御浜(しちりみはま)と呼ばれる景勝地だ。

その七里御浜の北端に鬼ケ城という小高い岩山がある。

岩山の岸壁は、熊野灘の荒波にうたれ、奇岩、巨岩が並ぶ。


 その鬼ケ城の入り組んだ奇岩の上から、海を(のぞ)き込む三人がいた。


剣を持ち、今にも海に飛び込みそうに身を乗り出す、猿顔の青年、名を天空(てんくう)という。

いかにも御人好し風の中年の男性、大裳(たいも)は、岸壁から一歩下がって慎重に海を覗く。

褐色の長い髪、褐色の肌、手には木の杖を持った娘、琥珀は、海に身を乗り出して何かを叫んでいる。


これらの者は、陰陽師、安倍晴茂(はるしげ)の式神だ。


天后(てんこう)ぉぉー」

琥珀は、海に向かって叫ぶ。しかし、何の返答もない。


天后が探っていた異界が、たった今、その出入口だった大岩もろとも消滅したのだ。

琥珀は、なぜ天后を異界に残してきたのかと自分を責めた。


「天后ぉぉー」

海に向かって琥珀の叫び声は続いた。


それを制したのは、一歩下がって冷静に周囲を観察していた大裳だった。

「琥珀、…少し…、静かにしてください」

大裳は、琥珀の肩に手を触れそう言って、耳を澄ませた。


「なに?」

琥珀が、大裳を見上げた。


「琥珀の叫び声が大き過ぎてはっきりとしませんが、…」

「何だ、大裳…?」

天空も、大裳を見上げた。


「いやっ、さっき妖怪アオジの…鳴き声が…」

「えっ!本当?」

琥珀は、そう言って目を閉じ気を集中する。天空も目を閉じ、天空剣を高く掲げた。


三人の式神が聞き耳をたてる。だが、波の音しか聞こえない。


「大裳、しっかり聞いたのか?」

天空が疑いの顔で大裳を見る。


「そんな気がしたのですが…、なにしろ、琥珀の叫び声と波の音が大きかったものですから…」

「そんなことだろうよ。聞き間違いだぜ。それより、天后を助ける方法を考えてくれ」

天空がそう言って、再び海を覗き込んだ時だった。


波の音に消されつつも、(かす)かに『チチチチチ…』と鳴き声が聞こえた。

琥珀も天空も、お互いの顔を見合い、確かに聞こえたと確認し合った。


聞こえた鳴き声は妖怪アオジだ。


「大裳、どっちからだ?」

天空の問いに大裳は首を振る。


「海の方から聞こえた」

琥珀が天空に答えた。


「くそぉ、こんな時に厄介な妖怪が出るのかぁ」

天空は海に向かって身構えた。


妖怪アオジの鳴き声は邪悪な妖怪を引き出すかもしれないのだ。琥珀は妖気を探る。

今のところ、辺りに妖気はない。


その時、天空が海に異変を見つけた。

「おいっ、あれを見ろ!」


琥珀と大裳が、天空の指差す海を見た。

海から小さな泡がわき上がり、海面で(はじ)け、(もや)のようにその辺りを覆い始めた。

わき上がる泡の勢いは徐々に大きくなる。まるで、その部分の海が沸騰(ふっとう)しているようだ。


「何か、来る!」

琥珀と天空が、同時に声を出した。


ごぉぉーと海底から響くような音が聞こえた。琥珀と天空は、杖と剣で各々身構える。

地鳴りのような音が消え、泡も少なくなった、その時だ。


海の中から、白く太い六角形の柱が、ずぼっと飛び出してきた。


その柱の先端は尖っている。

丁度、琥珀がいる場所と同じ高さまで先端が飛び出した格好だ。


その太さは二十メートル以上あるだろう。巨大な六角柱だ。

その浮かび上がった柱の位置は、砕け散った異界への入り口の大岩があった場所だ。


垂直に上がってきた柱は、やや傾いて止まった。表面はぶつぶつと泡が弾けている。


「うっ…何だ、これは?」

天空が(うな)る。


琥珀が答える。

「妖気は感じない。危険はなさそう」


二人は、構えを解いた。海面が落ち着いてきた。


立ちこめていた靄の隙間(すきま)から柱を見た大裳が言った。

「こっ…、これは…、氷の柱!…です」


こんな大きな氷の塊が、この温暖な南紀の海にある訳がない。

更に靄が薄れた。天空が、ぼそっと言う。


「確かに、…氷だ。氷だとすれば…、これは、天后」


天后は冬を司る天将だ。

冬の寒さを呼び、あらゆる物を冷気で一瞬に凍らせる技を持つ。

しかし、こんな大きな氷を造れるのだろうか。


「天后なの?…?

そうに違いない。天空、剣で氷を突いてみてよ」


琥珀の提案に、天空が答える。

「いや、待て、琥珀。まだ天后と決まった訳じゃない。

それに、天后の造った氷なら、俺の天空剣でも刃が立たない」


天后の氷柱で造る防御壁は、何者も壊せない鉄壁の強さだ。それは、琥珀も知っている。


もしこれが、天后の造った氷でなければ、どんな妖怪が潜んでいるかも分からない。

この氷の柱を壊すことは、危険を伴うことになる。


「天后は異界から脱出したのよ、きっと!あの氷は、異界の水で造ったのだわ。

だから、天空剣の魔力で壊れるはず」


「待てよ、琥珀。さっきアオジが鳴いただろ。

アオジが鳴く時は邪悪な妖怪が出るかもしれないんだぞ。(しばら)く様子を見た方が…」


「なに言ってるの、天空!天后からの合図だよ、これは。

早く天后を異界から出してやらないと、死んじゃうよ。

悪い妖怪が出ようとも、わたしが戦うからっ!」


あまりにも強い琥珀の言葉に天空は(うなず)くしかない。


「おお、そうだな。天后の合図か。よぉし、やってみるか」

天空は、剣を構えた。


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