磯女<7>
その時、琥珀の目がかっと開き、ぶつぶつと呪文を飛ばした。
黒髪を伝って稲妻が落ちる寸前、磯女の表情から妖気が抜けた。
これは…、何事だ?
磯女の黒髪が、生え際でぐぐっと結い締められた。
全ての黒髪が何かで束ねられ、強い力で締め上げられているのだ。
磯女と黒髪が、分断されている。
妖力の源である黒髪に、磯女の指令が届かない。
磯女は、黒髪の妖力を遮断された。
琥珀、天后、そして天空剣を捕えていた黒髪は、力なく解けた。
「な…何が、起こった?」
自由に剣を扱えるようになった天空が呟いた。
天后も黒髪から逃れ、砂浜に立った。
琥珀は、既に砂浜に立ち、天空に言った。
「天空、黒髪の根元を切れっ!」
その言葉に、我に返った天空は、何かの力で束ねられている磯女の黒髪を、根元から天空剣で切った。
磯女は『ぎゃあああ』と叫ぶと、その場に倒れた。磯女から切り離された黒髪は、しかし、蛇のようにまだうごめいている。
琥珀は、白色に輝く隔離の五芒星を、その黒髪に飛ばした。五芒星の中に黒髪を閉じ込めたのだ。
そして、木、火、土、金、水、五行相生の印を切ると、五芒星が赤色に変わった。
遮断の五芒星だ。五芒星の中に閉じ込めた邪悪な妖力を遮断する。
「琥珀、どんな術で黒髪を操った?」
駆け寄ってきた天空と天后が、口々に聞いた。
その天空と天后の後ろから声がした。
「あれは、琥珀が先にアオジに放った土蜘蛛の糸だ」
答えたのは大裳だ。
「そうか、蜘蛛の糸ね」
「だから、目を閉じて念じていたのか」
琥珀が頷いた。
「しかし、磯女がこれほど強い妖怪とは知らなかった」
天空の言葉に大裳が答えた。
「磯女は、黒髪を海水で濡らすことで、強い妖力を得ていたのですね。
わたしも危うく襲われるところでした」
「あっ!大裳、おまえイザという時に、自分だけ身を隠して…」
天空が、大裳をなじった。
「いやいや、あれで磯女に隙ができたのです。その絶好の機会を、しくじったのは天空、あなたですよ」
天空には返す言葉がなかった。
「それより、その磯女、どうします?琥珀」
磯女は、妖力の元である黒髪を切られ、もう戦う力はない。
だからと言って放置するのも危険だ。
「結界に封じましょう」
みんなは同意したが、大裳は封じる前に、もう少し磯女に聞きたいことがあると言う。
磯女が封じ込められていた異界のことだ。
琥珀は、磯女に回復の呪文を投げた。
磯女は、よろよろと立ち上がったが、すぐにその場に座り込んでしまった。
その磯女に大裳が声をかける。
「磯女、もうひとつ教えてください。おまえが封じられていた異界は、どこにあるのか」
「ううぅ、分からない。少し前、光る玉が異界に現れた。その後をつけたら、浜に出た」
磯女は苦しそうだが、答えた。
「その光る玉とは?」
「知らないよ、青白い玉…。玉と言うより光る点だった」
「それは妖怪か?」
「妖気は…、なかった…、でも、その光る点が…連れて行った…」
磯女がそこまで言ったその時、再び、あのミサキ現象が起こった。
北東の方角から現れた光る点が、今度は磯女を目掛けて落ちてきた。
天空は剣を走らせ、その光る点を切った。
「ううっ」
天空剣は確かに光る点を捉えたのだが、剣をすり抜けた光点は磯女に当たって消えた。
光る点に襲われた磯女は、その場で完全に生気が消滅し、一瞬で屍と化した。
そして、磯女の妖力が尽き、赤い五芒星に封じられていた黒髪も消滅した。
「い…今のは…、例のミサキ?」
琥珀が、聞いた。
「ミサキです。しかし、あれは、磯女のミサキではなかった…、のか…」
大裳が唸った。
天空がそれを受けて言った。
「自分を襲うミサキはないだろう。磯女のミサキではなさそうだ。
それなら、ミサキを発する何者かが他にいることになる。
この天空剣をすり抜けるミサキを持つとなると…、
正体は分からないが、相当強力なやつだぞ。神か?仏か?霊か?…」
「それに…、磯女が言った『異界に出た光る玉』って、さっきのミサキじゃあない?」
天后が、もうひとつ疑問を呈した。
三人は考え込んだ。
そして、大裳が徐に発言した。
「琥珀、磯女の事件は、どうやらもう一段奥がありそうですね。
異界に纏わる妖怪アオジ以外に、別の何者かが異界に関わっていると考えるべきでしょう。
封印の解けた異界にミサキを送り込み、磯女を異界の外へ誘導した。
そして、磯女がその存在を詳しく話す前に、口を封じたのでしょう」
妖怪アオジ以外にも、異界に関わる何者かがいる。
晴茂を探す手掛かりがひとつ増えたのか、それとも更に複雑な迷路に迷い込んでしまうのか、琥珀の表情は曇った。
「でも磯女の話から、ひとつ疑問が解けましたよ」
みんなの暗い表情を察して、大裳が明るく言った。
「何だよぉ、疑問が解けたって…」
天空の質問に大裳が答える。
「毒蜘蛛ですよ。我々は、大蝦蟇が言っていた『毒蜘蛛』という妖怪を知らなかったのですが、
どうやら土蜘蛛の中で最強であり、しかも船岡山の巣の持ち主が、毒蜘蛛のようです」
「そうだ、磯女がそんなことを言っていたぞ」
「と言うことは、晴茂様を蜘蛛の糸で絡め取り、喰らった土蜘蛛。
そしてあなた方が倒した土蜘蛛が、『毒蜘蛛』と呼ばれているのですねぇ」
「晴茂様は、喰らわれていないわっ!」
天后が大裳を怒鳴りつけた。
「あっ、いやいや、そうでした。晴茂様は喰らわれてはいません」
大裳は、頭を下げながら、話を続けた。
「妖怪大蝦蟇、妖怪磯女、これらの妖怪はどんな訳があったかは分かりませんが、
毒蜘蛛によって異界に封じられていました。我々が毒蜘蛛を倒したことで、異界の出口が開き、
これらの妖怪が異界から出て来た。ここまでは、何となく正しいように思えます。しかし、…」
「うん?何か引っかかるのか?」
天空が続きを促した。
「もし、晴茂様が毒蜘蛛に喰われた後、晴茂様も同じように異界に封じられたのなら、
既に異界の封印は解かれたのですから、大蝦蟇や磯女と同じように異界から出て来れるはずです。
しかし、そのような兆候はこれまでありません。晴茂様ともあろう人が、封印の解けた異界を出られないはずはないと思うのですが…」
琥珀、天空、天后は、大裳の疑問を頷いて聞いた。
「やはり、何か別の力が作用している?」
天后が、ぼそっと言った。
「はい、異界を探ればいいという程、単純な話ではないかもしれません」
「うーん…」
天空も腕組みをして考え込んだ。
押し黙った三人に琥珀が言った。
「でも、今は異界を探るしかない。異界を探ることで、新たな事実が浮かび上がってくるはず。
そのひとつの手掛かりが、妖怪アオジ。
そして、今回の磯女の事件で判った、ミサキを放つ別の何者かが、二つ目の手掛かり」
「うん、そうだな」
天空が頷く。
「磯女が現れる前に、七里御浜の北の外れにある鬼ケ城から出る、異様な気配を感じた。
七里御浜は、磯女が若者を襲った第一と第三の事件の現場。あそこに何かあるかもしれない」
「琥珀が感じた異様な気配とは、妖怪か?」
「うううん、妖気じゃない。大裳は感じなかったようだけど…」
「あっ、はい、わたしは何も感じませんでした」
天空が、天空剣を見ながら言った。
「琥珀は、晴茂様から貰った杖がある。その杖が感じたのかもしれない。
俺には天空剣がある。天空剣も異様な気配を感じるかもしれない。そこへ行ってみよう、琥珀」




