磯女<5>
その時、天空剣が伸びてきて、天后の足首に巻き付いた黒髪をスパッと切った。
そして、天后の前に天空が現れた。磯女の後ろには、琥珀が構えた。
身動きができるようになった天后が立ち上がり、天空の横で構えた。
「ほぉー、仲間がいたのかぃ」
磯女は海の方に移動し態勢を立て直す。
「おまえたちも、式神かぃ?式神がいくらいても、わたしの敵ではない」
磯女はそう言うと、海に入った。
全身が海水で濡れる。黒髪も海水に濡れ、黒髪に纏わりつく海藻が更に黒髪を強固にした。
充分に海水を含んだ磯女は、ふわっと空中に浮いた。そして、黒髪を振った。
黒髪は無数の束に分かれ、天空、琥珀、天后を襲った。
天空剣が黒髪を掃う。
琥珀の杖が黒髪を掃う。
天后の呪術で黒髪を凍らせる。
しかし、あまりにも多過ぎる。掃えども、掃えども、黒髪は襲ってくる。
『黒髪を首に巻き付かせてはいけませんっ!命取りになります』
大裳の声が三人に届いた。
そんなことを言われても、黒髪の攻撃を避(避)けるのに必死だ。
高い松の梢で戦況を見守っていた朱雀は、琥珀たちが劣勢になってゆくのを感じた。
少しでも加担をしようと、朱雀の火を飛ばした。
しかし、海水をたっぷり含んだ黒髪に叩かれ、朱雀の火は消される。
強いっ!
妖怪磯女は、強い。
十二天将の四神と琥珀を相手に、磯女は余裕の戦いぶりだ。
磯女がこんなに強い妖怪だったとは、大裳も知らなかった。
何とかしなければと大裳は焦った。
その時、一瞬避け損ねた天后の右手首を、磯女の黒髪が絡め取った。
『しまったっ!』
それに気が付いた琥珀は天后の側に飛び、琥珀の杖を振ろうとした。
だが、各々が自分自身を防御するのが精一杯だったのだ。
琥珀が天后に気を取られたその瞬間、黒髪が背後から琥珀の腰に巻き付いた。
「うわっ」
巻き付いた黒髪は、琥珀を高く引き上げた。
地上では天后が手首を取られ、空中では琥珀の腰に黒髪が巻き付いている。
天后も琥珀も、黒髪の妖力で身体が痺れ動きが鈍い。
徐々に、二人は身動きができなくなっていった。
天空は、琥珀と天后に巻き付いた黒髪を天空剣で切ろうとするが、別の黒髪が天空の動きを制限する。
勝ち誇った磯女の甲高い声が響いた。
「はははは…、止めなさい!おまえたちが、わたしに勝とうと思う方が間違いよ」
磯女の目は爛々と燃え、天空を見据えていた。
突然、浜の一段高い場所に立った大裳が大声で言った。
「磯女!おまえは何故、この南紀にいるのか?」
その声の方を振り向いて、磯女は言う。
「おやっ、もう一人いたのかぃ」
「おまえは、九州の西岸に出没する妖怪だ。南紀に来たのは何故だ」
「何故ここへ来たかって聞くのかぃ?はははは…、分からないよ、そんなことは…。
異界から出たら、たまたまここだったってことさぁ」
磯女は大裳を見ている。
しかし、黒髪は天后、琥珀を捉え、天空には無数の黒髪の束が四方八方から睨みを効かしている。
その内のひとつの黒髪の束が、するすると大裳に向かった。
黒髪の束には海藻が絡まり、海水が滴り落ちる。
その黒髪の束に目も呉れず、大裳は気丈にも続けた。
「おまえは、異界にいたのか?何故、異界にいたのだ?どうやって異界から出て来たのか?」
大裳に向かった黒髪の束は、大裳の周りで様子を伺っている。
この式神は強くないと磯女は判断したのだろう。
「質問ばかりで、うるさいやつ。答えてやるから、聞いたらおまえはどこかへ消えろ。
わたしは、おまえのような弱いやつを相手にはしない。はははは…、わたしは強い妖怪だからね」
大裳は、琥珀と天后が捕まり、天空も敵わない状況を打破する手立てがあって出て来たのではない。
このままでは、この三人は磯女に倒されると思い、いたたまれず出て来たのだ。
ところが、大裳に対して磯女の態度は攻撃的ではない。この隙に、何か良い知恵が浮かべばと、大裳は焦っていた。
「わたしは、異界にいた。長い間ね。何故異界にいたかというと、異界に封じられたのさ。
あの憎っき毒蜘蛛にね。わたしが初めて負けたやつだ」
磯女が話している間、天空は磯女に隙ができるのを待っていた。
少しでも隙があれば、天空剣で磯女を貫くつもりだ。
だが、磯女の黒髪の束は、天空を取り巻き、こちらも油断なく天空を見張っている。
「毒蜘蛛とは、どういう妖怪だ。土蜘蛛ではないのか?」
「おやっ、妖怪土蜘蛛を知ってるのかぃ。そうかい、そうかい」
「妖怪土蜘蛛は、陰陽師、安倍晴茂様と我ら式神で倒した」
「土蜘蛛は、この日本のどこにでもいる妖怪だ。左程、強くはない。
おまえ達が土蜘蛛を倒したとしてもあり得る話だ。
しかし、その中でも、京は船岡山に棲む土蜘蛛は、恐ろしいやつだ。
そいつを毒蜘蛛と呼ぶ。土蜘蛛の大将だわ」
磯女の話に、琥珀たちは驚いた。あの晴茂を喰らった土蜘蛛が、毒蜘蛛だったのだ。
「京の船岡山に棲む土蜘蛛は、我らが倒したぞっ!」
天空が叫んだ。




