#8 生存者
吐瀉物は砂利や土をおっ被せてなるべく臭いが広がらないようにしておいて頭を軽く叩いて意識をはっきりさせる。
それにしても、車自体はパワーがあって頑丈でも車外に出れば途端に無力か……僕はこの車の使用を諦めるも念の為に車に鍵を掛け、キーだけ頂いておこう。
学校でもしもの事があればここに逃げてもいいし、仮にもしもの事がなくとも車と歩きじゃ安全性に大きな違いも出てくる。確保しておくのは当然のことだ。それに学校にこのまま乗り付けないのは……本当に最悪の事態になった場合、一目散にここへ逃げてくればすぐに移動のアシが確保できる。
僕はとりあえず目星になりそうな場所を探すかと屋根に剪定用の梯子(庭先の生け垣近くに掛けっぱなしだった)を掛けて登り周囲を確認する。双眼鏡はないから当然元来の視力頼りだ。
……学校へ続くバイパス道路(距離は約500m程度)には大きなコンテナトラックが横転していて通行止め。近くにも大量の放棄&事故車輌。
……今居る山際の道から進んだ道(距離にして約150mほど)ではゾンビの群れ。近くに生存者でも居るのかやけに動きが活発化してるご様子。
……脇道を通って学校の裏手へと繋がるであろう山の中は、確認できず。まあ下手に進んでも視界や足場の悪い場所で襲われたら一巻の終わりだから止めておこう。
可能性があるのはバイパスに上がってからトラックの脇を通って学校に行く道かな。少し遠くなるだろうけど道は開けていて視界がよく通り、いざとなれば大型車輌の上に避難できる(ただし仮にそうなったとしたらほぼ確実に“詰み”となるが)。
何処か嫌な予感を感じ取るも、僕は背中に重くのし掛かる荷物の重さに耐えながら目的地を目指し歩き出した。
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……嫌な予感というのは嫌なタイミングで当たるから嫌な予感なのだ。
「ちょっと、そこの君ー! 助けてくれなーい?」
この光景が僕の幻覚や妄想じゃなければ、目の前の小さな公園では滑り台の上で近寄ってくるゾンビと戯れている女性が居た。
見たところ武器の類いは持っておらず己の脚だけで近寄るゾンビ達を踏みつけ、蹴飛ばして追い払っている。随分とタフな人だ、もうとっとと降りて逃げればいいんじゃないか?
「あ、足を片方捻っててまともに走れないのよ! ちょっと気を引いててもらえればいいから! お願い!」
僕が怪しんでいるのを察知したのかそう弁明する女性。
確かに先程から片足しか使ってないみたいだし身体を浮かせるように手摺にしがみついていたが、それはそういう意味でやってたのか。怪我人だし見捨てるのは何だか……しかし、ここで彼女を助けることで自分に何のメリットがあるというのか。
その一文が脳裏を過ると途端に思考が冷静さを取り戻す。そうだ。あくまでも相手は初対面の赤の他人、僅かとはいえ命の危険を犯してまで助けるほどの義理もない。
そこでふと、彼女とつい数時間前にバスから助けを求めてきた女性の姿が重なった。あこ時の必死に縋ってくるような顔が、僕の胸をぐさりと深く刺す。
……ああ、クソッ! 何でこう優柔不断なんだ僕は! もうどうにでもなれ!
僕は力を抜きかけていたシャベルを再び握り直した。
「こっち向け!」
滑り台に集まっていたゾンビ達を大声で引き付けると、近くに居た一体のその顔面に遠心力を乗せたシャベルを叩きつけ倒していく。
同じような要領で全部倒した後に一通り周囲の安全を確認し直し、念の為にもう一度それぞれの頭にスコップの刃を脚も使って掘り起こすように突き立てると女性に降りるよう促す。
その光景を見た彼女は一瞬呆気にとられたような顔をしたが何も言わず、怪我を負っているのであろう足を気遣うようにゆったりとした動作で降りる。
「いやー、ありがとうね。 昨日から脚怪我してたし、見つかんないようにと思って早朝から出てきたら早速アレだったのよ。もしも君が居なかったらと思うとゾッとしたわ」
「あ、いえ……別に……大した事では……」
僕はお世辞にもモテるような外見ではない。女性との会話などそうそうある事ではなかった僕の口からは自分でも驚くほど小さな声しか出なかった。
……特に顔見知りという訳でもない、完全に初対面で礼も既に言われた。場に残る妙な空気。
突然、女性が僕へと歩み寄ってきた。
勢いよく近寄ってくる彼女に僕は驚きのあまり後ずさることも忘れてその場で立ち竦んだ。ずいっと差し伸ばされる右手。
「アタシ、富良野 羽佳。君は?」
「えっと、あ……ハイ。炉端 嶺午……です」
女性の有無を言わせないそのテンポにノせられた僕は同じく手を差し伸ばして握手をし、ペラペラと自分の名前を喋ってしまった。
それを聞く女性の表情はみるみる怪訝なものに変わっていく。――確かにこの容姿と不釣り合いな名前だって事くらい自分でも分かってるが、聞いてきてその態度はないんじゃないのか?
「偽名じゃないよね?」
偽名って、失礼だな……本当に何なんだこの女性は。
「ゴメンゴメン、悪かったって。滅多に聞かない名前だったから、さ。つい疑っちゃったのよ」
「そ、そうですか……」
電力が切れて止まってしまった近くの自販機をシャベルで抉じ開けて手に入れた缶コーヒーを飲みながら、僕ら二人はベンチに座り互いの話をしていた。
地元の大学に通っている彼女はその日、大学構内でひとり提出課題に取り組んでいたそうだ。そして外が騒がしくなったことに気付き、慌てて逃げる用意を始めていた所でゾンビに襲われやむ無く撃退。殆ど着の身着のまま逃げ出したという。
そしてこの六日間で食事と言えば開けっぱなしで放置された他人の家にある食材をそのままと、僕と丸っきり変わらない生活だった。
しかし運悪く二日前に逃げる途中で足を捻ってしまい、その時に武器や荷物なんかを落としてしまって現在に至る。という訳だ。
なんとも運がないというか……一歩間違えば自分もこうなってしまっていたと考えればゾッとする話だ。
「でさあ……悪いんだけど……何処か行く予定があるなら、一緒に連れてってくれない?」
――ですよね……その提案が出てくるのは今までの話からして想定内だった。
武器も食料もないから戦えない。逃げるにも脚にハンデを負っていて逃げられない。そんな所で助けてくれた武器を所持したハンデを持たない人間。そりゃ僕だって同じ状況なら相手に庇護を求めるよ。
富良野さんには悪いが、僕には自分の分の武器や食料しかないし体格も彼女と比べて頭半分ほど小さい。
万が一集団に襲われた場合は助けるどころか連れて逃げることさえできない。昔から親には『他人の世話を焼くなら、まずは自分の事をどうにかしてからにしろ』と口酸っぱく言われてきた身からすると、ここで彼女を同行させるのは責任が重大すぎる。
無言の僕から目を逸らすように俯いた不安そうな顔が僕の視界に映る。
止めてくれ。そんな顔をされたら……断れないじゃないか、畜生。
「……分かりましたよ」
「ホント!?」
僕の渋々といった了承と同時に喜色満面に顔を上げる富良野さん。変わり身が速すぎる!
「ただし! すぐそこの高校までですよ? そこから先は自分でどうにかして下さいね?」
「分かってる分かってる! ありがとーホント!」
こうして僕に頼れるのか頼られるのかよく分からない同行者ができた。全く先が思いやられるなあ……