#5 新世界の朝
『――非常事態宣言が発令中です。日本国民の皆様は自宅へ避難し極力外出等を行わず、警察・消防・自衛隊の救助を待っていて下さい……繰り返します――』
……とびっきりの悪夢だ。
翌朝、九時四十八分。ラジオから流れてくるのは遂に合成音声による非常事態宣言のリピートだけとなった。
まるでこの広い地球でたった一人、最後の生存者になった気分だ。もう他には誰も生存者など居らず、僕が最後の生き残り。冷たく無機質な声は僕をそんな気分にさせてくれる。
僕はラジオを切ると、まずは腹に何か詰めねばと倉庫を漁る。朝食は粉末スープとカロリーバーという手抜きオブ手抜き。料理? 知らない子ですね。
それはそれとして置いといて、ここから生きて出られる算段は昨日の内に付けた。
ゾンビは理由は不明だが人を喰う。人が集まるのは避難所があり物資の集めやすい市街地だ。ゾンビは彼らを追ってより人口の多い都心部へと流れていくのだから、自分はその流れから離れればいい。
最終的に選んだのは、僕の母校でありそこそこ市街地から離れた場所にある小さな高校だった。
小さいとはいえ600人ほどは収容出来る広さを持ち、避難所にも指定されているため食糧備蓄も為されている。おまけに市の殆どを一望できる高台に立地している事もあり、拠点とするには好条件だった。
問題となったのは道程だ。
距離はおよそ5、6キロほど。現在居る繁華街から南下し住宅地を抜け、幅の広い国道を通り過ぎた先にある。とてもじゃないが連中を警戒し迂回しながら行くには2、3日は必要になる。
一番近いのは父方の実家だろうか。しかし彼らの生存は絶望的な上、必要になりそうな物は特にない。
自宅に戻るという手もあるが学校よりも更に遠くなる。
結局、高校へ行く案が最適と考えた僕は準備をしておいた。
まずは荷物の整理だ。流石に数日がかりの移動となるとある程度の荷物整理をしておかなければ途中で思わぬ足止めを食らいかねない。
現在、この部屋にある使えそうな物の数は以下の通り。
・金属バット(600g) - 1
・マルチシャベル(600g) - 5
・テーブルナイフ(50g) - 3
・テーブルフォーク(50g) - 3
・即席ガントレット(100g) - 1
・マグカップ(100g) - 1
・フラッシュライト(150g) - 1
・ヘッドライト(50g) - 1
・ランタン(300g) - 1
・ジッポライター(50g) - 2
・ポケットラジオ(100g) - 1
・キッチンタイマー(100g) - 1
・現金(紙幣) - 60万1000円
・500円硬貨 - 48
・チョコバー - 3
・カロリーバー - 4
・スープ粉末 - 29
・プロテイン1kg - 6
・飲料水500mL - 11
・ライターオイル - 3
・ホワイトガソリン4L - 4
・単二乾電池 - 16
・単三乾電池 - 12
・単四乾電池 - 10
目安としては手に持つ荷物が2kgまでとリュックに入れる荷物が6~8kgまで。確か親父が軽いハイキングでそれくらいの荷物を入れていた。
まずは武器。バットよりかはマルチシャベルの方が使い勝手がいいから予備も含めて持っていくとして、ナイフとフォークをどうするか。一応食事用に一組だけ持っていく事にする(無論未使用の物を)。
続いてツール類。ガントレットは前回の事で有効性が判明したため続投。フラッシュライトとヘッドライト、ランタンについてだが、どれか一つを故障したり紛失してもいいようにここは全て持っていく。ラジオはどうせもうまともな放送には期待できない、置いていく。500円玉は10枚だけ残して残りは全て破棄、紙幣は端数の1000円だけ置いて残り60万を持っていく。
後は食糧。カロリーバーとチョコバー、スープ粉末を全てとプロテインを1袋、飲料水を3本だけ持っていく。
リュックが段々膨れ上がってきているのが見てとれるが、多少の無茶は承知でそこにホワイトガソリン1缶とライターオイル3本、乾電池全てを押し込む。
重さは……大体10kgくらいか。
スコップを両手に持って腰に1本差せばリュックの重さは8kg、よし。ギリギリ許容範囲内だ。
しかし用意したはいいけど、あの走ってくるゾンビ相手にこの貧弱な身体では心許ない。何日か身体作りに専念しておくべきだと思う。その間の食糧はここに置いていくつもりだったプロテインや水があるし、トレーニング期間はプロテインだけ飲んでいれば身体を鍛えた時にも筋肉が付きやすいと思ったからだ。その分炭水化物を減らせば腹についた贅肉も多少は減るだろう。
トレーニング器具……なんて高尚な物はないが、ここにはウェイトトレーニングに使えそうなくらいには重いレジスターや腕立て伏せなどをするには十分なスペースもある、換気用の窓の縁を掴めば懸垂も出来そうだ――こういうのは考えてみると、結構思い付くものだな。
そんな訳で、目安は三日ほどの僕の独学トレーニングが始まった。
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世界が走るゾンビによって滅亡の危機に瀕して(もしかしたらもう滅亡してるかもしれないけど)から四日目の朝が来た。
三日間の運動の末。僕の身体は余計な脂肪の一部が削げ、全身に筋肉がうっすらと付いた。それに身長も心なしか伸びたような気がした。
トレーニング内容は主に腕立て伏せ・素振り・スクワット・腹筋・懸垂の五つだ。
流石に当初予定していたプロテインオンリーの食生活は最初の一日で断念した。プロテインを水で溶いて飲むかそのまま食べるだけとか正気じゃ耐えられない、ムリだ。
途中からインスタント粉末やカロリーバーで味にアクセントを付けてみたけど如何せんプロテイン自体にはチョコとかバナナとかの味が付いてて味の組み合わせがどうにも悪かった。
結局食事は普通に摂ってプロテインは飲み物として少しづつ飲むだけとなったが結果は見ての通り。
試しに荷物を背負ってみると、三日前と比べて明らかに軽くなった事を実感できる。
今までの事を考えると決して過信は出来ないが、それでも目に見えて結果となったのは非常に喜ばしかった。ひ弱な僕でもここまで成長できたと実感できたのが嬉しかった。
……この四日間で外の音も随分と減った。三日目には銃声もしていたから警察官や自衛官がまだ生きているかもしれないが、この状況では救出してもらう事は期待できないだろう。
「はあ……」
仮眠室で壁に凭れながら虚空に向けて溜息を吐く。数日前のあの恐怖は軽くなりこそすれ、今でも忘れられない。
人の死を目の前で見たのは初めてじゃないけど、死ぬ間際のあの絶叫や断末魔、絶望や苦しみに彩られた表情はその恐怖と共に眼に焼き付いたままだ。
もしかしたら助けが来るかもしれない、ここに居た方が安全かもしれない。そんなネガティブな思考に侵されまいと頭を頻りに振る。
恐らくきっと、助けなど来ないのだ。自分の力で生き残るしかない。
他の皆は今、どうしているだろうか。
両親は仕事で家を出ている。二人とも結構な歳だ、生存は絶望的かもしれない。
兄貴は……東京の方のイベントへ行くと言っていたな。創作作品では大都市が一番酷くなっているのだが、あの兄貴が死ぬ所は少し想像できない。きっと逞しく生きている事だろう。
弟……あの生意気な奴は(誠に不本意だが)、生き残る技術においては僕よりも上だ。大学に入ってから何もしていない僕とは違い日々運動部でトレーニングをしているから身体も強いし、おまけに今は合宿で山に行っているらしい。下手したらこの惨状も知らないかもしれない。
日頃から付き合いのある二人の親友も心配だ。一人は太っているから走るゾンビから逃げられないかもしれないし、もう一人はホラー全般が苦手な奴でゾンビにビビってまともに動けないかもしれない。
「……らしくないよな、うん。頑張ってる筈だ、頑張れ僕。生きて会えれば、それでいい」
明日には学校へと向かう。それ以外はまだ、考える余裕がない。
溢れ出しそうになるネガティブな感情を顔を両手で叩くことで散らすと、僕は身体を抱くように丸くなり、そのまま目を瞑った。