#4 HERE'S DEAD END?
……あれから、何時間が経過しただろうか?
扉を叩く無数の音も、遠くでちらほらと聞こえていた悲鳴も、ゾンビの唸り声すら消えても、僕はずっと床に座り込んだままだった。
設けたバリケードを崩して店先から出ても大丈夫だろうか? だがもしまたあの大人数で待ち伏せられていたら? 今度こそ逃げる事は出来ないだろう。
裏口の分厚い金属扉は僕の細い身体と今の持ち物ではどうやっても開ける事など出来ない。仮に開けるにしても無理に抉じ開けようとして大きな音を立てれば折角の裏口という逃げ道の向こうから大量のゾンビが雪崩れ込み、本当に死ぬまでここから出られなくなる。
他に脱出できそうな場所は念入りに探した。しかし通気孔は人が入れるほど広くもないし、小窓なんて掌を通すのがやっとだ。
後、調べていないのは同居人(恐らくゾンビ)が入っている便所だけだ。これで何もなかったら、本当に店の方へ戻る事を検討しなくてはいけなくなる。
どうするか、選べる選択肢は限られている。僕は立ち上がると空きっ腹に冷蔵庫から出したチョコバーを詰め込み、ちょっとした確認をする事にした。
便所に閉じ込められたゾンビと内鍵の掛けられた裏口の存在。
偶然ではない筈だ。もしかしたらその人物が裏口の鍵を閉めたのかもしれない可能性がある。
そう考えた僕は組んだバリケードを音を鳴らさないよう細心の注意を払って取り除く。そして折り畳んだ状態で握ったマルチシャベルの尖端を見つめ息を整える。
大丈夫、相手は既に死んでるんだ。
僕がやるのはただ、自分の身を守るための死体損壊。
兎に角、素早くコレを向こうの奴の頭に叩き込むだけ。
そう自分に言い聞かせた僕は思い切って扉の鍵部分を狙い全力で蹴り込んだ。
合板の扉がミシリと軋む。中のゾンビもそれに反応し扉を破壊しようと滅茶苦茶に暴れ回っているようだ。
更に三回ほど蹴りを入れて壊れやすくしておき、扉の脇に身を潜めじっと中から相手が出てくるのを待つ。
扉を破壊して現れたのは如何にもスポーツショップの店員って感じの爽やかそうな青年だった。生憎、頬を喰い千切られ生気を失った顔は見るに堪えないものとなっていたが。
その無防備な後頭部に、僕はシャベルの斧のような刃を渾身の力を込めて打ち付けた。
バキリ、ともグシャリ、ともドチャリ、ともつかない奇妙な感覚だった。皮膚を裂き、肉を切り、骨を断ち、脳組織を潰すその一撃にゾンビは声も出さず膝から崩れ落ちた。
前回や前々回の時とはまた違う緊張感に息が上がってしまう。実に気分が悪くなるな、待ち伏せというのは。
「そうだ」
鍵を持っているか確認しなくては。
すっかり呆けてその事を失念していた僕は早速死体の懐を漁る。力を失った身体はまるでゲル状の物体が入った袋のようにぐねぐねしており非常に気持ちが悪いが我慢して死体の頭からシャベルを抜き取ると、服のポケットを念入りに叩いていく。
「無い! 無い! 無いッ!」
裏口の鍵は果たして男のポケットに入ってはいなかった。ポケットからはオイルの切れたライターや落書きらしき紙屑など到底訳に立ちそうにない物ばかり。
これで本当にお仕舞いか、と自棄になりかけた時。くしゃくしゃに丸められた紙屑に小さく『金建』『定』の文字を見つけたのを見て、僕は思わずそれを手に取り広げた。
『閉店: - 2 :00
玄関 錠 - 20:30→20: 5
在庫整 - 1:00~22:00
裏 施 定 - 2: 0(厳守!)
内鍵は全てレジ 中へ入れ確言 表にチ ックす 事
外金建は つもの場 斤へ』
「……あーあー、最高じゃねーか畜生」
……神様はどうしてこう、絶望の淵に立たせたり希望を持たせたりするのが極端なのだろうか。
文字が所々血で滲んではいたものの意味ある文章として十分に読み取れるメモの存在が鍵の在処を教えてくれた事に、僕は生まれて初めて神に感謝してもいいと思った。サンキュー神様。
ただ問題は、レジの置いてある店内の現在が表通りから僕を狙いにやって来た多くのゾンビに占領されているという事。
どの道、このままでいたら餓死か喰われるかしか選べないんだ……やるしかない。
胃がひっくり返りそうな気分を落ち着かせ、僕はシャベル片手に店内へ戻る算段を必死に建てる。
やはり足枷となるような重い荷物はこちらへ置いていくべきだろうか。もしも問題が発生してこの部屋に戻って来れなくなった場合に回収が不可能となるのは不味いが、命に代わる価値はない。
走るゾンビと言えば最近ブラピの出演した映画で面白い物があったな、と死体の服と仮眠室の毛布・あとその辺に落ちていたハサミとガムテープを貰ってちょっと工作を……
そうして作ったのは警察犬訓練なんかに使う腕に巻いてわざと噛ませるアレだ。もしもヤバくなったらゾンビにこれを噛ませるも良し、ヤバくなくてもラリアットのノックバック力が上昇する優れものだ。
荷物をその場に置いて店舗側のバリケードを退かすと、僕は装備を確かめる。
シャベル良し・バット良し・フォーク&ナイフ良し・噛ませるアレ良し。
そういえばこういう店の電気は自動で切り替わるのだったか、扉を僅かに開けて覗いた店内は夕暮れ時に差し掛かりそうというのに照明によって十分すぎる明るさが確保されている。
ゾンビも相変わらずだ。食事となる生き物がいなくなってしまったか、大部分はあちこちを彷徨きながら歯を鳴らし頻りに周囲を見回している。
こっちにあるブレーカーを落として視界を潰すか? 内外の連中を刺激するかもしれないが、こちらが見つかりにくくなるというメリットは捨てがたい。
メリットとデメリットのバランスに少々悩み、結局僕はブレーカーを落とす事に決めた。
漏電ブレーカーを落とし、フロアの全ての電気を遮断するとそのまま音を立てないようにそっと扉から店内へと侵入する。最初の方は唸り声が幾つか聞こえたが少し経つとそれは止み、今度はそこそこの距離から割れたガラスを踏み締める音が疎らに聞こえた。
恐らく異変を察知した外の連中が集まっているのだろう。あまり悠長にやってられる時間がないことを察しカウンターに身を隠しながらゆっくりとレジを薄ら闇の中、カウンター下から手探りで探していく。
……あった。ゆっくりと中身の確認をさせてもらいたいからそのまま脇に抱えてスタッフルームへと戻らせて――。
後方からの唸り声。
振り返ってみれば、そこには1体のゾンビ。歯を剥いて、血混じりの涎を垂れ流し、悪意の籠った視線をこちらに向ける、敵。
どうしてバレた? 折角あれだけ考えて、あれだけ注意して、あれだけ念入りに省みて行動したのに、何で?
僕はヤツが飛び掛かると同時にレジを落とした。辺りに響くドスンという重い音とそれに混じる小銭の軽い金属音。
突き出すのはシャベルではない、厚い布で覆った自らの右腕だ。そしてわざと噛ませカウンターに叩きつけると、その無防備な頭頂に分厚いフォークを渾身の力で突き立てた。
そこからはここへ初めて来たときの再現となった。数十のゾンビからレジを脇に抱えて逃げ、スタッフルームへと逃げ込みバリケードを築き直す。懐かしい映画を再び見るかのようなデジャ・ヴ。
背後のゾンビはこの際気にしない事にしてブレーカーを戻し、レジのご開帳と行こうか。
紙幣が合わせて31万4300円。そして500円硬貨はなんと大量、37枚だ。
……いや、硬貨による誘導作戦は前回の時に致命的な弱点が判明したからな……手持ちにも11枚あるし、今回は全てここに捨て置く事としよう。
おっといけない。肝心なのはキーだったな、裏口の。勿論あった。ラッキーもラッキー、地獄なこの建物とオサラバできるならもうどうでもいい。
裏口の鍵を開けてみると、なんという事だろう。あれだけの事があったのに裏口には数えるほどの血痕しかないではないか。しかもゾンビは皆無。最高だね。
「……SHIT」
そしてタイミングは途徹もなくバッド。空は夕日で真っ赤に染まってしまっているのを見て思わず口から罵倒の言葉が漏れる。
……このまま移動して夜になって、それで襲われたら元も子もないか。ついさっき欲張って行動する事で自分の身を破滅させる事を覚えた訳だし、今日はここに留まるしかないか。
とはいえ死体(しかも爽やかなジョック系クソッタレ野郎)と流石に一緒になる気はない、彼には悪いがその身体は外へ退去してもらう事にすると、今日の疲れがどっとぶり返すように僕は布団で死んだように眠った。