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#10 DO I FEEL LUCKY?




 「う……あ、ああ、あ……」


 相手との距離はそこまで近くない筈なのに、まるで喉元を刃物が滑っていくような感覚に襲われた僕は肺から漏れ出すような声にもならない悲鳴のような何かを吐き出す。

 全身の毛穴という毛穴、血管という血管、臓器という臓器が縮み上がり視界が暗く狭くなっていく。それと同時に腰が抜けたのか下半身に力が入らなくなってしまった。

 そうしていると床に落ちた一体と眼が合って……そして、満面の笑みを浮かべるように牙を剥き出しにして奴は害意を向けてきた。




 逃げなければ。




 「うわぁああぁあぁぁっ!!」



 僕は這う這うの体で半狂乱になりながら必死に校長室のノブに取り付く……が、ノブは四半回転もしない内に止まってしまう。それにも関わらず僕は死に物狂いで――端から見れば施錠されている事を理解できずに癇癪を起こす猿のように――ドアノブを回し続けた。もしかしたら開くかも、なんて都合のいい現実逃避に身を任せて。


 「開いてくれ! 開けよ! 開けって!」


 後方から走ってくる足音が、凄まじい勢いで距離を詰めてくる。

 もう駄目だ、戦うしかない……僕はシャベルを掴もうとして、手に持っていない事に気が付いた。



 しまった。


 いつ手放してしまった?


 階段から降りる時か?


 それとも彼女を引っ張っていった時か?


 あるいはもっと前か?



 予備の物は背負っているリュックに括り付けてある。リュックを降ろして取り外す時間を与えてくれそうには……ない。


 迫る悪意を持った眼差しと血塗れの歯列。


 僕は飛び掛かってくる一体に成す術もなく押し倒され、ガッチリと床にホールドされてしまう。


 嫌だ、死にたくない。こんな所で死ぬのは嫌だ。こんな所で、何も出来ないまま、痛みと苦しみの中で死ぬなんて、嫌だ……!


 「うわぁああぁぁあああっ!!」


 それでも喚く事しか出来ない僕は必死に目の前の恐怖や苦痛から逃れようと眼を瞑った。




 ……



 …………



 ………………



 ……………………それから、いつまで待っても次の衝撃は来ない。




 恐怖で強張った眼をゆっくり、何とか開いてみると、目の前から奴は居なくなっていた。


 ――代わりに僕の首元を片手で押さえ込み、もう片方の手に警棒を持ちながら振り上げかけている警察官がいたが。


 「わ、わ、ちょちょっと待って! ゾンビじゃない! 僕はゾンビじゃない!」

 僕は跳ね起きようとして(実際は喉元を押さえられていて上半身を起こすことも叶わなかったが)自分が死んでない事を必死にアピールする。眼がマジだ! あともう少し遅かったら脳天に警棒ブチ込まれてあの世行きとか洒落になる訳ない!

 まだ青年と言って差し支えない、年若い警官は僕の慌てぶりを見て一瞬呆気に取られてから溜め息を吐き、後ろを向いて話し掛ける。


 「……どうやらコッチもまだ(・ ・)連中の仲間にはなってないみたいですよ、晴井(はれい)さんッ」

 彼の視線の先には、初老を迎えながらも肉体的な衰えを見せていない鍛え抜かれた身体を持つ警察官がいた。その肩には少女――富良野さんを俵のように担いで。

 「そうか、ならその少年も一緒にだ! 行くぞ!」

 何でどうしてと混乱していると、僕は若い警官に首根っこを掴まれて引き摺られていく。気分はまるでドナドナ……じゃない! ちょっと待ってこの人達、僕らを何処へ連れてく気!?


 「あの、ちょっ」

 「喋るな、連中に気付かれる……安心しろ、取って食う訳じゃない」

 僕を引っ張る警察官は腰の拳銃(リボルバー)――当然ながら官給品のS&W M37エアーウェイト――を抜きながら辺りを見回しつつそう答える。




--------------------




 そのまま彼に引き摺られて入った先は――生徒指導室、僕も高校時代は数回ほど世話になった部屋だ。

 ゾンビ発生時から中に誰も入らなかったのか、細部はともかく殆どが当時のままだった……数挺の猟銃や弾の詰まった紙箱なんかがテーブルの上に散乱してなければだが。



 「さて、向こうは気付かなかったようだな……大丈夫だったかね二人とも?」

 「ええ……」「まあ、何とか……」


 入口の向こうを厳重に警戒してから年配の、晴井と呼ばれた警察官は安心しきった笑みを浮かべる。僕にはその顔から打算的なものは読み取れなかった……まあ、この状況下で打算込みで人を助けるのはよっぽどの武力と胆力を持った悪党じゃなきゃ無理だろうけど。



 「私は晴井 空範(はれい うつのり)、藤城署の者だ」

 「同じく千戸 厳佐朗(ちこ ごんざろう)、晴井さんの部下だ」

 「どうもありがとうございます、富良野 羽佳です」

 「どうも……炉端 嶺午、です」

 改まっての自己紹介に僕は頭を掻きながらおずおずといった感じで返すのがやっとだった。何せ相手は一回りも二回りも歳の違う大人の、それも警察官という威圧感ある職業の人間だ。そんな人達に普通に自己紹介のできる富良野さんが羨ましい。



 「あの、えっと……助けてもらって、こんな事を聞くのは、その、失礼かと思いますが……」

 さらっと受け流してはいたが……ここで僕は思い切って気になっていた事を問い質してみることにした。


 「お二人は警官、ですよね? ですけど、ここにあるのは、明らかに猟銃じゃ……」

 テーブルに視線を遣りながら僕は二人に問う。一時期は警察官を目指していたこともありそれなりに調べてはいたが、少なくとも日本の警察官は散弾銃なんて使わない筈だ。

 しかもどれも軍用銃ではなく猟銃。二人がこれをどうやって手に入れたのか心当たりはあるが……


 「この非常事態で署内も結構混乱してたからな、巻き込まれない内にこっそり返納で廃棄待ちだった物を色々と持ち出したんだ」

 若い方の警官、千戸さんが発した一言に僕と富良野さんは眼を剥く。


 まさに想像していた通り……しかし、何という強引なやり方だ。確かに僕も妄想で警察署に返納された猟銃や証拠保管室の銃器を持ち出すとかは考えてたけど、まさか現職の警官がやるとは思わなかった。職を失うのは当たり前、捕まれば確実に刑務所に放り込まれるっていうのにそれをやってのけるとは。


 「最近、これと似たような映画を見ててな。ああいうのは流石にこんな拳銃一丁じゃどうしようもないから……ま、今死ぬよか後で捕まった方がマシだろ」

 銃を収めた腰のホルスターをポンと叩きながらそう語る千戸さん。

 法を犯した理由が映画……僕がここまで生き延びる事が出来たことといい、映画って結構バカには出来ないな。



 「でも助かって早々、猟銃に眼が行くとは……もしかしてミリオタとかいう奴か?」

 「ええ、まあ……あ、これってレミントンのM700じゃないですか! 手放す人なんて居たんですか? 買うにも40万とかするのに……」

 「最近はライフルよりも散弾銃だからな。ライフル、それも高級なヤツだと買い取れないって店も多くなってるんだよ」

 意外と話の分かる大人だ……今年で19になる自分ももう大人に片足を突っ込んでいる歳だが、そういった屁理屈抜きに僕は千戸さんに対してそう感じた。



 「……千戸君、ちょっといいかね?」



 二人でそんなちょっとしたマニアックな話(今じゃ何の役にも立たないのが大半だが)をしていると、いつの間にか紺色の上着を脱いだ晴井さん(因みに彼の銃はシグザウエルのP230JP、32口径弾を8発装填できるオートマチック拳銃だった)が仕切りの向こうから身体を半分出して千戸さんへ手招きをする。

 「? ……はい」

 「すまんね、少し千戸君を借りるよ」

 二人の雰囲気には些か怪しいところがあったが、出会ったばかりの人を一々疑っていても埒が明かない。僕と富良野さんは疲れた身体に重くへばりつく荷物を降ろしながら、息をゆっくりと吐きつつパイプ椅子へ身を預けた。




--------------------




 場所は変わり、生徒指導室の奥にあるちょっとした仕切りで区切られた空間。

 そこに千戸を連れてきた晴井は先程までのお人好しそうな顔から一転、強い意志が滲んだ眼を千戸に向けた。

 「……私はこれから、もう一度上を捜索してみる。千戸、彼らは任せたぞ」

 「晴井さん……!」

 その言葉を聞いた千戸は顔を強張らせ、思い留まらせようと声を上げるために口を開く。

 しかしそれは寸でのところで晴井に制されてしまった。晴井の表情に若干の申し訳なさが浮かび上がるも、彼はすぐにそれを掻き消して強い口調で千戸に語り掛けた。



 「あの子達は、君が、守るんだ……! ……上司として命令する、千戸巡査。警察官としての、職務を果たせ」


 「……はい」


 彼らの間で、それ以上の言葉が交わされることはなかった。




 作者は銃なんてネットで知ることのできる以上の事は知りませんので、間違っている部分もあるかと思います。

 もし間違っている部分(ついでに誤字脱字なども)があれば遠慮なく、できれば優しく教えていただければありがたいです。

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