女神と屋上でタイマンのこと
「……説明しろ」
二十年ぶりの学校生活を楽しむ余裕もなく、屋上に連れて来られた俺は、ゾーハルに詰め寄った。
「ふん。またそれか。貴様がそのように礼儀知らずになるとはな。神の御前にあって、そのような目をするな。まったく、度胸ばかりつけおって。王になどならねばよかったのに……」
最後の方はブツブツと呪詛のように呟くゾーハルだが。
「んなこと、今はいいだろ。朝の話の続きと、なんでお前が俺の家族とか、学校の連中に認知され、受け入れられているのかを説明しろ。お前、いったい何をしたんだ?」
いつまでも疑問を疑問のままにしておくのは身体によくない。全部話させるまでは逃がさんぞ。
「……そんなことをせずとも、逃げはせん」
退路を断つためと、ヘンな話を人に聞かれないように屋上の扉に鍵をかけた。こういうセキュリティの甘さが、うちの学校のいいところでもあり、PTAを怒らせる要因のひとつでもある。
「これを使った」
ゾーハルが、自身の右目を指差した。
「目?」
見たままの感想を言うと、ゾーハルががっくりと肩を落とした。
「愚かもの。これは、“入植者の魔眼”だ」
「……なんだそれは」
「知らんのか」
今度は呆れ顔になった。忙しく表情が変わるのを見ているのは楽しいが、さっきも言ったように昼休みは短い。
「要点を簡潔に話してくれ。俺が知らない単語は使わずに、だ」
扉に寄りかかって、腕を組んだ。かつて王の玉座に座っていた頃の風格を出したつもりだった。だが、ゾーハルが次の行動に出た途端、俺の威光は吹き飛び、盛大に叫ぶ羽目になった。
「うわあああ! な、なにやってんだ!?」
ゾーハルが右手の人差指を、自身の眼下に突っ込んだ。トマトがつぶれたような音が妙に大きく響き、一瞬ののち、彼女の右手には血の滴る眼球が握られていた。
「……これは妾の力を精製した魔法具だ。入植者の魔眼は、あらかじめ吹き込んでおいた個人情報を、相対する人間の記憶に擦り込むことができる。これを眼球の代わりに仕込んでおけば、どこへ行っても誰にも怪しまれずに潜入することが可能となるのだ……なんだ? その顔は」
「……」
目の前で自ら眼球をくり抜く女の子を見たら、誰だって俺みたいになるだろ。まあ、そういうのは昔から苦手だったがな。コンタクトとか出し入れするのも見ていられないタイプなんだよ、俺は。
あ、言っておくけど、魔物とかの血は全然平気だ。ダメなのは人型をしたやつね。見た目バケモン入ってると、臓物が飛び出ても大丈夫だ。
「まあよい。それよりも聞け。こいつにはな――」
空腹だったことも手伝って、胃の不快感が尋常じゃない。きっと顔だって青ざめているに違いないのだが、冷血ゾーハルのスプラッター解説は続く。
「妾は遠い異国からやってきた貴様の遠縁の孤児、という情報が吹き込まれている。両親はテロに巻き込まれて死亡したことになっていて、縁ある貴様の家に引き取られたという設定だ。妾が直接脳に干渉する訳ではない故、人体への悪影響はまったくない。そうだ、ここを見ろ、これは他にも――」
「わかった。わかったから!」
ゾーハルが目玉を突き出してくる。動きに合わせてボタボタと血と何かが混ざった液体が飛び、足元のコンクリートを汚していく。これって、後で誰かが見たら騒ぎになるだろうな。ちくしょう。
「なんだ。魔眼の凄さはこれからだというのに」
「いいからしまえ! 気色悪い!」
「ふん」
心底不満げに口を尖らせたゾーハルが、真っ暗だった眼窩に魔眼を無造作に入れ込んだ。ギュポン! なんてトイレが詰まった時に登場するアレみたいな音と共にそれは吸い込まれ、ぐるりと一回転して元の位置に収まった。
「いきなり気色悪いもん見せやがって……なんのつもりだ」
ピンクのハンカチを取り出して目の周りを拭うゾーハルに恨みのこもった視線を送ったが、魔眼を作った女神は眉ひとつ動かすことはなかった。
「説明しろというから、してやったのだ。それより本題に移ろうぞ」
「望むところだ……って、どこ行くんだ」
ゾーハルは素早く駆けていくと、一番景色のいいベンチを選んで腰を下ろし、いそいそと弁当を取り出して手招きした。
食欲なんてないが、食べないと午後の体育が辛そうだ。仕方なく俺もゾーハルに倣うことにした。
「ほほお。魚の煮つけか!」
歓声を上げるゾーハルの横で、俺は静かに弁当の蓋を閉じた。
オカズのメインは、つぶらな瞳が可愛い金目鯛の煮つけだったのだ。ゾーハルの弁当箱には身が入っていて、俺の方にはお頭が入っていた。
恨むぜ、凛子。
◇
「怪奇現象が起こる?」
秋晴れの空の下、眼下に見える校庭には、食事を終えてボール遊びに興じるものや、昼休み返上で秋季大会に備える生徒達の快活な姿があった。
一・二年生の教室がある西棟と、三年生の教室、それに各種の特別教室がある東棟を繋ぐ空中回廊――ただの渡り廊下だ――では、女子生徒たちのグループが柱ごとに固まり、話に花を咲かせているようだった。
その渡り廊下の向こうには、別館――図書室の大きな窓が見える。
中では結構な数の生徒が熱心に机に向かっていた。きっと三年生だろう。受験シーズンはすぐそこまで迫っている。
生徒たちが思い思いに青春を謳歌し、未来への希望をつなぐ努力をしている。
長らく離れていた、普通の生活。
戻って来たんだなあ。
眼下で繰り広げられているのは、ずっと求めていた何気ない日常――それを実感できる風景だった。
目は荒いがしっかりとした造りのフェンスに寄りかかって、そんな光景を見下ろしながら口を突いて出た非現実的な言葉に、ゾーハルが深く頷いた。
「左様。妾の力に引っ張られて、すでに様々な影響がこの世界に起こりつつある。この――」
「もう、やめろよな」
また右目に指を突っ込もうとするゾーハルに釘を刺す。指先ってのは、バイ菌だらけなんだぜ? それを体内に突っ込もうだなんて、どうかしてるぜ。
「ふん。この魔眼が効力を発揮したことが、なによりの証拠だな……世界の裂け目から、魔力がこの世界に流れ込んでいることの、な」
少し残念そうに言ったのち、ゾーハルは右目の下をとん、と触るだけに止めた。
異世界から魔力が流れ込んでくることによって、ゾーハルの魔法具が正常に働く場を作ったということか。
ちょっと待てよ。まさか、それって――
「この世界でも、魔法が使えるようになるってことか?」
この世界で魔法がちょこっとでも使えたら便利だと思うけどな。キャンプの時の面倒そうな火おこしとか、暑い夏にはかき氷屋をやるとかさ。
期待を込めてゾーハルを見ると、彼女はゆっくりと首を横に振った。
「それはない。大気にわずかに混じる程度の魔力では、貴様が使っていたような現象を引き起こすには至らぬ」
ゾーハルは、「妾の様に、自身の体内で魔力を発生させられる特別な存在は別だが」と付け加えた。
それを聞いた俺は、彼女が自分を「特別」とか言ってしまったことは別として、少しだけ残念な気持ちになった。
まあ、こっちであんなことしたらどこかの研究機関に捕らわれて解剖されるか、秘密の戦力として裏社会で生きていくしか道が無くなってしまうかもしれないから、使えなくていいんだけど。異世界の攻撃魔法は、本当に危険なのだ。
あ、そうだ。いい機会だから訊いてみよう。
「なんでお前の魔法は、そんな便利な使い方ができるんだ?」
異世界で使えたのは、とにかく相手の生命活動を停止させることを目的とした攻撃魔法だけだった。ゾーハルの様に、記憶を操作するような、いかにも魔法っぽいものは教えてもらえなかったのだ。王様暮らしの最中に書庫を漁ったこともあったが、そうした知識に関する蔵書はなく、臣下のものたちにも知るものはなかった。
「…………」
「なんだ、どうした?」
ゾーハルが急に険しい表情を作り、口中で何かを呟きながら立ち上がった。訊いてはいけない話だったのか。
「うっ!?」
一瞬、視界がホワイトアウトした。立ちくらみに似た感覚に襲われたが、すぐにフェンスを掴んで転倒を避けることができた。狭まった視界はすぐにもとに戻り、顔を上げると――