女神と登校中のこと3 そして屋上でタイマンす
おかしい。
手洗い場の蛇口を逆さにし、出てきた水を顔に受けて授業後の眠気を覚ましながら、今朝の出来事を反芻する。
ゾーハルをおんぶした地点から全力疾走し、どうにか始業ベルに間に合うことができた。それはいい。俺、意外と体力あるなあ、なんて思えたし。
俺がおかしいと考えているのは、同じような時間帯に登校する生徒達とすれ違った際の、やつらのリアクションだ。
ふつう、銀髪の美少女をおんぶして疾走する同窓生を見たらなんとする。
注目するか、携帯電話のカメラで写真でも撮るか。
童貞仲間の友人たちだったら殴りかかってくるか、呪いの藁人形に打ち込むための釘でも買いに行っていただろう。
だが、あいつらは笑顔で言ってのけたのだ。
「おはよう。ハルカさん」
「よお。大河!」
記憶の中にある姿のまま、親しみの込もった――あるいは儀礼的な笑顔で、やつらは俺とゾーハルに挨拶をした。名前だって、ゾーハルじゃなくて「ハルカ」で通っているようだったし、やつは完全に穴勝の生徒として、俺に朝から背負われて登校しても違和感がない存在として、学年の垣根を越えて認知されているのだ。
ゾーハルのやつはおぶさりながら、「面白いものがみられるぞ」などといい、結局校門に着くまで降りなかった。そして何食わぬ顔で俺に続いて校門をくぐり、俺と同じ教室に入ってきた。見知らぬ美少女の侵入に驚いた様子の生徒はいなかった。
これが、やつのいう「おもしろいもの」だったのだろうか。はっきり言って面白くない。不気味だ。
ゾーハルの人間社会への溶け込み様は、異常だった。
一時間目の授業は社会だった。
出欠を確認する教師は当然のように、「ハルカ・アンダーソンさん」とハーフの子のような名前を呼び、ゾーハルは「はぁい」なんて返事をしていやがった。
ちなみに俺の机の引き出しに入れっぱなしだった教科書、消しゴムや修正液を駆使した、関係者が見たら卒倒しそうな歴史上の人物の落書きもそのままだった。過ぎ去った時を、こんな細かいところまで元に戻したゾーハルなら、人間社会に溶け込むことくらいわけもないことなのだろうか。だんだんそう思うようになっていった。
HRに訪れた担任の星川も、相変わらず胸元が大胆に開いたシャツを着て男子生徒を魅了していたが、やはりゾーハルの存在について騒ぎ立てる様子はなかった。
そして、迎えた昼休みである。
「タイガくん、ちょっといいかしら」
「……ああ」
振り返った俺の生温かい視線を躱し、ゾーハルが教室を出ようと促してきた。ちょうどいい。聞きたいことがたっぷりあるからな。
立ち上がって、ゾーハルについていく。
足取りは静かで、ゆっくりとしていた。クラスメイトたちの机の横に下がっている鞄や道着袋に足が当たってしまったときには、「失礼いたしました」などと言って頭を下げていた。
俺と連れ立って出て行く背中に、「ハルカさん、お昼はー?」と問いかける女子には、「タイガくんと頂きますわ。ごきげんよう」ときたもんだ。胴に行った演技だった。気品すら感じる立ち居振る舞いだったと言っていい。どうやら学校では、おしとやかなお嬢様、といった仮面を被って過ごすつもりらしい。
「あの、西條君」
「ん?」
教室を出て行くゾーハルにはやたらと声がかかり、俺には誰も話しかけてこないことに僅かばかりの寂しさを覚え始めたとき、斜め後ろから苗字を呼ばれた。
「ええと……?」
振り返った俺は歓喜に打ち震えるどころか混乱した。
俺を呼び止めたのは、やや暗めの栗色のショートボブ、丸っこい目と大きな瞳。太ってはいないがぽっちゃり目の体型と合わせて、子パンダのような印象の女子だった。きっちりと第一ボタンまで留められたシャツのボタンと、小脇に抱えた大学ノートに数冊の参考書が、「優等生」という感想を抱かせた。
問題なのは、こちらの優等生さんの顔に、全然見覚えがないということだ。うちのクラスにこんなコ、いたかな。
ちなみに、パッと見で人の特徴や印象を記憶できるようになったのも、王様生活がもたらした恩恵の一つだ。社交の場で、「どちらさま?」などと言えば、存在を軽んじているとみなされて外交問題に発展しかねない。
「なにか用かな?」
それは元の世界でも同じことだ。せっかく話しかけた相手に「誰だっけ」とか言われたら悲しいに決まっているからな。俺は、早く来いと目で訴えてくるゾーハルを尻目に、できるだけやさしく問いかけた。
「あ、はいあの! あたし……えっと」
暫定「パン田さん」はもじもじしている。
「タイガくん。早く」
ゾーハルは露骨に急かしてくる。
そして、実は俺も急いでいた。昼休みは限られている。目的地――屋上にはベンチが設置してあるため、そこで昼食を取ろうとする生徒は多い。秋~冬にかけてはかなり寒いので、その利用者は激減するのだが、それでもゼロにはならない。人に聞かれたい話をしに行くわけでもないので、できれば一番乗りをして他の生徒を閉め出したいのだ。
「ごめん。ちょっとゾ……ハルカに用があるから、後で」
「あ……うん」
パン田さんがものすごく悲しそうな顔で頷いた。よほど大事な用事だったのかもしれないが、世界が消滅してしまうことの方が重大だろう。
「悪いね」
後ろ髪をひかれる思いで踵を返し、すでに歩き始めていたゾーハルの後を追った。




