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異世界でのこと2 そして帰還す

「勇者どの……これはどういう事態ですかな?」

「宰相どのともあろうお方がご存知なかったのか。グベルト王は血塗れの勇者――俺を呼び出すために女神と取引をした。王ご自身の命を投げ出したんだ」

「なんですと?」


 俺は、どやどやと押し掛けた重臣たちに事と次第を説明し、やつの最期の詳細を伝えた。遺書を開封すると、そこには秘儀を実行に移すまでの苦悩や、世継ぎがいないことについて、いつどこで死ぬかもわからない身で妃をめとるわけにはいかなかった、などと記されていた。


「なんという……御労しい」

「グベルト王……」


 涙ぐむもの、床にひざまずいて祈りを捧げるもの、納得できないと鼻息を荒くするもの。居並ぶ重臣たちの反応は様々だったが。


「ナサニエル……あんたはずいぶんと冷静だな」


 でっぷりと太った農務大臣に近づいた。


「あんた、王の後継者に相応しい人物に心当たりはないか?」


 遺書のおかげで、王の最期に関する俺の言葉を疑うものはいなかった。

 しかし、問題はこのあとだ。王には子が、すなわち世継ぎがいない。


「へ? すみません、勇者さま。なんでしょうか。突然のことで、ぼんやりしてしまって……」


 本当に、呼びかけられて初めて我に返ったという表情をしていた。


「そ、そうか。いやすまない。なんでもないんだ」


 やたらと汗をかいているのはデブだからか? 王の死に動じないやつを探して鎌をかけていけば、混乱に乗じてよからぬことを考える輩をいぶりだせると思ったんだが。

 ああ、事情を飲み込めていないやつに補足しておいてやると、グベルト王には実子がいないんだ。自分の親戚や娘を妃に奨めてくるやつもたくさんいたが、グベルトは頑なに拒否していた。王国の存続を第一に考えなければならない王族としては失格だが、妃選びをしている余裕はなかったし、やつ自身が長生きできないとわかっていたからじゃないかな。下手に何人も世継ぎ候補がいても困るし、年端もいかない子供を神輿に据える輩が出てきてもよくない。ともかく、ハン国にとって指導者を失ったのは大ピンチであり、権力が大好きな重臣たちにとってはビッグチャンス、というわけだ。

 戦後の混乱を極める国に必要なのは、権力闘争に明け暮れるようなタヌキじゃない。真に国を想う英雄を見極めろ。

 グベルトはきっと、俺にそう言いたかったに違いない。

 さて。他に悪企みをしていそうなやつは……


「勇者どの、勇者どの」

「ん?」


 重臣たちに睨みを利かせていると、徐々に落ち着きを取り戻した彼らは、次第に王位継承者について話し合うようになった。そんな輪からそっと抜け出て俺に近づき、話しかけてくるやつがいた。


「勇者どのは、始めから知っておられた……のではありませんかな?」


 それは財務大臣のダブラナだった。ナサニエルほど太ってはいないが、恰幅のいい、いかにも悪いことを考えていそうな中年の男だ。目の周りの隈がまさにタヌキを連想させる。眼窩の大きさの割に小さい目がさらに小さく細められ、口元には歪んだ笑みが浮かんでいた。


「なんのことだ」

「王の、尊い犠牲の件に決まっておりましょう」

「…………」


 俺は答えず、黙ってダブラナを見返した。沈黙は金。肚を探り合いでやたらと喋るのは、相手にこちらの意図を掴ませるきっかけにしかならない。


「お世継ぎをもたれなかった王の崩御は国の一大事……悲しみに暮れている臣どもも、すぐに現実について考えなければならなくなりましょう。今、この場でもっとも力ある勇者どのが彼らをまとめ上げれば、彼らは喜んで従うでしょうな」

「……そんなことは考えもしなかったが?」


 こいつ。俺こそが国を狙っていると言いたいのか。馬鹿なやつだ。

 素直にダブラナの言葉を否定すると、やつは扇子を開いて口元を隠して笑った。


「ほほ。勇者どのにその気がなくとも、私が声を上げればそうなります」

「馬鹿を言うな」


 耳を疑う発言だったが、なんとか平生を保った。数々の修羅場を潜り抜け、大分肝が据わったらしかった。


「まあまあ。周りをご覧ください」


 顔を上げると、いつの間にか俺とダブラナに視線が集まっていた。驚いたことに、ひそひそと話し込む俺とダブラナ向けられていたのは、不安や猜疑ではなく何かを期待している視線だったのだ。


「皆、指導者を失って不安なのです。勇者どの」


 ダブラナが、声のトーンを上げた。


「お、お断りだ。俺は、そんな立場に立つ男じゃない」


 思わず声が上ずった。俺は大変な勘違いをしていた。ダブラナは他の誰でもない、この俺を暫定的な国王に据えるつもりなのだ。だが、そんな話に飛びつくほど俺も馬鹿じゃない。少し前まで日本の公立高校に通っていたんだ。王様なんてできる訳がないし、やる気もない。


「とにかく、無理だ。俺には国を治めることなんてできない」


 ダブラナから、重臣たちから離れるように後退しつつ、両手を前に出して横に振った。


「魔物には勝てずとも、我らとて烏合の衆というわけではありません。政は我らにお任せください。それに」

「それに?」

「あなた様以外の誰が王位を継承しても、重臣たちの間でいらぬ権力闘争を生みましょう。我が国に今求められているのは、政治屋ではありません。力ある、カリスマなのですよ」


 このとき何も言い返せなかったせいで、俺は二十年も国王をやらされる羽目になった。







 グベルトの国葬から二十年。

 魔物の大軍を退け、女神が遣わした勇者を王に据えたハン国は近隣に比類なき大国に成長した。武力外交を行う必要はほとんどなかった。

 恥ずかしながら妻をめとり、世継ぎも生まれた。

 王子が立派に成長し、成人を迎えた祝賀会の夜。

 銀髪の女神が枕元に立った。

俺は、元の世界へ帰してくれるように懇願した。

 魔物を一掃して世界を救った功績を認められ、俺の願いは叶えられることになった。もちろん、四十手前のおっさんではなく、元の年齢、元の時間、元の場所へ帰らせてもらえることになった。

 女神は、失われた命も戻してくれると約束した。

 俺は、深い眠りへといざなわれた。

 夢の中で、グベルトと子供たちの姿を目の端に捉えた。

 皆、笑っていた。







「大河~。朝ごはんだよ!」


 長い夢を見ていた――そんな気分だった。

 懐かしすぎて聞きなれないように思えてしまう声で、目が覚めた。

 二十数年ぶりの我が家だ。見慣れたロックスターのポスターが張り付けられた天井を見て、そう確信した。

 立ち上がり、すぐに向かったのは洗面所だ。

 まるで卒業アルバムを見たような気分になった。そこには異世界に旅立つ直前の、十七歳の高校生の姿が映っていた。

 本当は、夢だったのかな?


「ササッと食べちゃってよね! 片付かないんだから!」

「ああ……」


 階下へ降りていくと、食卓とその周辺には懐かしい光景が広がっていた。

 大学を卒業して就職し、フレックスタイムの会社で働く姉――凛子は、これまで通り母親代わりに家事をこなしてくれている。

 食卓に並んでいたのは炊き立ての白米がこんもりと盛られた茶碗、その隣にみそ汁――これはきっと塩からいに違いない――が湯気を立てるお椀があり、おかずは固めの目玉焼きと、強制的に長ネギが薬味として添加された納豆だった。コップに注がれていたのは、どう考えてもその朝食には合わない特濃の牛乳だ。

 凛子は、台所で朝食作りに使用した調理器具を洗っている。明るめの茶髪を腰のあたりまで伸ばしているのだが、仕事がある日はたいがいポニーテールにしている。母親のエプロンを付けているが、背中の蝶々結びが不自然に歪んでしまっているところが、少々不器用な彼女のオリジナルだ。

 正面にはすでに身支度を整えた親父が座り、新聞片手に牛乳を飲み干したところだった。ややくたびれたスーツがなで肩によくフィットしている。母さんの死後、五十五歳という年齢よりは老けてしまったが、どうにか心と身体を壊さずに働いてくれている。姉が作る食事をうまいともまずいとも言わずに黙々と流し込み、黙って仕事に向かうのが常だった。


「大河……最近、どうだ」


 懐かしい日常の風景に目を細めて味噌汁を啜っていると、親父が珍しく口を開いた。

 実は異世界を救ってきた、なんて言ったら、病院に連れていかれるだろうか。


「別に、どうってことないぜ」


 こんな風に言葉を交わすのは二十年ぶりだ。なんだか照れくさいぜ。


「そうか」

「ああ」


 親父は視線を新聞に戻し、片手で納豆をかき混ぜ始めた。器用なやつだ。

 俺もそのまま、自分の皿に視線を戻す。

 さて、目玉焼きなんて口にするのは久しぶりだ。あっちには鶏なんていなかったし、卵を焼いて食う習慣がなかった。


「おはようございまーす」


 添え物のブロッコリーを片付け、メインディッシュに用いるは醤油かソースか決めあぐねて腕を組んだ俺の耳が、誰かの声を捉えた。


「おはよう。ハルちゃん」


 ハルちゃん?

 誰だ?

 朝食の時間帯に人が訪ねてきたことなどなかった。

 顔を上げると凛子が笑顔で振り返って、お玉を振っている。表情を見る限り、闖入者ということはないようだ。そして凛子の目はどうやら、俺の背後に向けられているようだ。


「わあ! おいしそう!」


 振り返る前に、声の主は歓声をあげて俺を回り込んだ。横を通り過ぎていったあと、独特の香りが鼻をくすぐる。忘れもしない、これは……異世界の花の香だ。

 天然の香水を纏った女は、自然な動きで――まるでもう何年もこの家に住んでいる家族の様な足取りで、向かって右の空いている席に座った。

 女は左手に白米てんこ盛りの茶碗、右手に箸をもち、


「いただきま――」

「待たんかい!」


 テーブルに、箸ごと右手を叩きつけた。モリモリと朝ごはんを食べ始めたのは、グベルト王と百人の生贄の命と引き換えに、俺を異世界に召喚した女神――ゾーハルだった。




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