怪物捜しのこと1
五つの事件現場の中で、我が家からもっとも近かったのは八足北公園だった。ここは、飲み会帰りの二十代の男性がさらわれた、とされていて、もっとも古い現場でもあった。すでに現場検証は済んだらしく、公園周辺の規制線は解除されており、寒さを凌ぐもののない深夜の公園は、ひっそりと静まり返っていた。
「ま、何もない、よな」
ありふれた遊具、猫フンの臭いがする砂場などを見て回り、捜査というよりは幼少期の思い出に浸ってから、犬ころのように地面を嗅ぎまわっているゾーハルから遠ざかり、公衆トイレで用を足した。
真夜中、生きた人間を攫う怪物の候補はいくらかある。本当に異世界の怪物が事件に関与しているなら、残された痕跡をもとに奴らの種類を特定し、発見の糸口を掴めるかもしれない、というのがゾーハルの狙いだった。
だが――
「どういうことだ、タイガ。血痕はおろか、犯人の遺留品の一つも落ちていないではないか!」
「…………ここ、男子トイレですけど」
「違うな。ここは“現場”だ」
いったい何に毒されたのか。
公衆トイレに侵入してきたゾーハルは、プリプリと腹を立てていた。どうやら公園内で、有効な手がかりを発見できなかったらしい。
だが金田〇じゃあるまいし、警察が証拠を持ち去ったあとの現場で、そもそもいたかどうかも分からない怪物の痕跡を探すことなんてできると思うか? つーか、それは金〇一にも無理だわ。たぶん。
事件の概要を調べ、歩きながらあれこれと考えているうちに、俺はある仮設を導き出すことに成功していた。冷たい夜気の中を歩いて、頭が冴えたのかもしれない。探偵ごっこがしたいゾーハルには悪いが――
「あっ! あれは、怪物の毛ではないか!?」
小便器の下に落ちていた縮れ毛を指差すゾーハル。
「なわけないだろ……触るなよ」
そこは、俺が使っていたところじゃないか。
「この黒い付着物はなんだ……むぅ! これはまさしく、血痕!」
「どうしていなくならないんだろうな。和式の便座だと上手く用を足せないやつってさ。つーかお前、近づきすぎ」
公衆トイレにありがちな汚れにいちいち反応するゾーハルは、今度は個室にしゃがみ込んで歓声? を上げている。なんだかとても残念な生物に見えた。つーか、失踪事件の現場だというのにみんなよく平気で利用できるな。あ、その点は俺も、か。
ともかく、ゾーハルが言うようにこの公園に手がかりはほとんどない。深夜に人気のない公園で、男子トイレに女子高生と二人きり、という怪しさ満点の状況から脱しなければ。
「ここはもう出ようぜ、ゾーハル」
両手を広げてお手上げポーズを取ってみせると、ゾーハルが大げさに肩を落としてため息をついた。それでも、なにかないかと便所をうろつくJK姿の女神の背中には、なんともいえない哀愁が漂っていた。
「なあ、ゾーハルってば。考えを聞いてほしいんだが」
「……よかろう。ただし、次の現場に向かいながら、な」
今度は手洗い場の汚れを食い入るように見つめていたゾーハルが顔を上げた。期待と怒りが半分半分、といった顔をしていた。
「ふふん。どの現場に赴いても、状況はあまり好転しないさ。ゾーハル、君はきちんと事件の概要を理解できていないようだね」
「なんだ貴様、そのいつもにも増して不遜な態度は……」
「ふっ」
肩を怒らせるゾーハルから視線を外し、髪をかき上げて気取ってみせた。ちょっと恥ずかしいけど、女神の迷走を止めてやらないとな。
「事件のあらましを読み、地図を前に思考を巡らせていれば、君も私と同じ結論に至ったはずだ」
「何のつもりか知らんが……頭の中を直接いじくって絞り出してやってもよいのだぞ」
「……すみません」
だが、これだけは言わせてもらうぞ。
かの高名な、身体は子供で頭脳は大人な探偵よろしく、俺は眼鏡をクイッと上げる動作をした。そして、軽くため息をついて――
「わかっていないなぁ……ワトソン君」
「はあ?」
あれ。ゾーハルのやつ、ノリが悪いな。気を取り直して、もう一発。
「ふっ。悪いがゾーハル。この件に関しては、俺がポアロだ」
「色々間違いすぎていて、指摘する気にもならん」
「…………」
二人の間に沈黙が訪れる。トイレの個室を照らす白熱灯のフィラメントが燃える音すら耳に届くほど、深い沈黙だった。
「……わ! 待て、待ってくれ!」
ゾーハルの右目が妖しく光を放った。
「ご、ゴホン。とにかく、ここには証拠なんて残ってないだろうぜ。他の現場も似たり寄ったり、だろ」
咳払いを一つして仕切り直し、俺は自分の見解を述べることにした。
ゾーハルは魔眼で俺を威圧するのを止め、腕を組んでフン、と鼻を鳴らした。彼女の探偵ごっこに付き合ってやろうと思ったのに、なぜか裏目に出た。
ま、ともかくこの事件が異世界がらみであろうとなかろうと、これ以上被害者が出る前に食い止めなければ。俺は、そんな大義名分で、羞恥心に蓋をした。
「もともと、たいした手がかりもなかったんだろう。この公園を調べても得るものはないさ。警察の規制が解除されていて、普通に公園で遊べるのがその証拠だ」
俺は公園の砂場でまだ新しい、玩具のくま手を見つけたことを話してやった。幼児が使うプラスチック製のもので、塗装もキレイだった。三か月も前のものには見えない。これはつい最近、子供たちが砂場で楽しく遊んだことを示している。
「公園に来てみて、何も収穫がなかったわけじゃない。警察が現場を一般に開放してもいい、そう判断するほどに調べ尽くしても何も出てこないんだ。この事実が、かえって俺も考えを後押ししてくれているのさ――って、おい!?」
ゾーハルの足元で、青白いオーラが渦を巻き始めた。
「とっとと結論を話せ。妾がその“考え”とやらを黙って聞いているうちに、だ」
俯いて喋るゾーハルの表情はわからない。だが、間違いなくイライラしている。自分はもったい付けて話すのが好きなくせに、と抗議する時間はないようだ。俺は、とっとと結論を言うことにした。
「お、俺は、この事件に異世界の怪物が関与している可能性が高い、と思うんだ」
「左様か!」
ゾーハルが顔を上げた。花が咲いたような笑顔だった。
「やはり! 妾の言うた通りであったな!」
少女のように笑うゾーハルだったが、相変わらず言うことは偉そうだ。まあ、せっかくノッてきたんだから、そういうところには目をつむろう。
怪物の仕業であるという前提で、今回の事件を考えれば、その種類は自ずと限られてくる。異世界で怪物退治を始めたばかりの頃は、ハン国を放浪して、情報収集をしたものだ。奴らは種族ごとに習性や特徴があり、基本的にはそれに忠実だ。奴ら相手の方が、複雑な思考をもつ人間よりやりやすいかもしれない。もちろん、怪物は関係ない、という可能性も捨て去ってはいけないが。
「可能性が高い、だけだけどな。怪物が人を攫う理由は、なんだと思う?」
その辺を今口に出しても、ゾーハルを混乱させるだけだ。彼女が自力で犯人――怪物の種類を絞り込めるように水を向けてやることにした。
「決まっている。食うため、だ」
即答するゾーハル。むろん正解だが、彼女のどや顔を見る限り、黙っていても怪物の種類までは特定できそうもない。俺は大きく頷いてやり、話を続ける。
「そうだな。だが今回の奴は、この場で獲物の味を確かめなかったようだ……どこかに巣があって、連れ去ったのだとしても相当な手際の良さだ」
「巣を作る……飛龍の類いか!」
「いや、それはない。あんな巨大種が狩りをしていたら大騒ぎになる。それに奴らは食欲旺盛だ。一匹でも、被害者が三か月に五人じゃ少なすぎる」
ゾーハルの唇が「へ」の字になった。心配しなくても、すぐに正解にたどり着けるさ。
「周りを見ろ。公園はそう広くないし、片側通行の道路一本をはさんですぐにアパートやマンションが建っているだろ? 被害者が襲われて叫び声の一つも上げていたら、いくら夜中でも周囲の住人の誰一人として、そういったことに気がつかないとは思えない。怪物は、獲物が人気のない公園や路地裏に入って行くまでじっくり待つことができるか、誘い込むような術と知恵をもっていて、叫び声も上げさせずに連れ去ることができるやつだ。こうなるとかなり絞り込まれてくる」
「そうか! 人狼だな!?」
「違うな」
確かに人狼は素早くて、他の獣系の怪物よりも頭がいい。やつらなら、昼間は人の姿で過ごし、腹が減ったらそっと狩りをする、なんてことも可能だろう。しかし、やつらはこの世界で隠密行動ができない致命的な欠点がある。
「満月の夜、やつらは盛大に狩りを行う。三か月もあれば、何回満月を迎えたと思う? 人狼は血に飢えた衝動に逆らうことはできないからな。そんな凄惨な事件が起きていれば、失踪事件より大々的に報道されているはずだ――おい、ゾーハル?」
ゾーハルの魔眼の輝きが薄れて、濁っていくような気がする。大丈夫だろうか。ブツブツと何事か呟いている口許に耳を寄せると――
「妾……なんだかバカにされている気がする……神なのに」
「そ、そんなことないぞ!」
結論を急いだ方がよさそうだ。ポケットからプリントアウトした資料を取り出して、今回の最重要ポイントを指差した。
「ゾーハル、これを見ろ。『現場にはバッグや財布、ネックレスや腕時計等の貴重品がばら撒かれていた』って書いてあるだろ?」
「きちょうひん……? 妾……わからない……ぞーはるは……おろかもの」
ゾーハルは虚ろな目で文字列を追うが、もはやその思考は自虐の方向にしか向かないようだった。
「犯人は金属が苦手なんだ! さあ、人を攫い、小食で、ほとんど痕跡を残さない爪のある怪物といえばなんでしょう!?」
「…………幽鬼?」
「はい! せいかーい! 大正解です! いやー、さすがゾーハルさん! お見事な回答でした~」
「……やっぱり、バカにされている気がする」
手を打ち鳴らし、ゾーハルの周りを回って盛り上げてやったが、彼女の表情は優れない。
「そんなことはないさ。獲物を攫うときに、邪魔な貴金属をはぎ取るのに爪を使ったんだろう。腕ごと切り落としたりしていないのは、狩りを誰かに命じられているからだ」
「黒幕が別にいる、ということか」
ゾーハルの言葉に、二度、三度と頷きを返す。
「ああ、そうなるな。幽鬼を従えて、やつらにとっては異世界の八足町に三か月以上も潜伏してしまうぐらい頭がいいやつとなると、候補は少ないぜ」
「高位の不死者か、あるいは魔族、といったところか……ふむ」
ようやく目の輝きを取り戻したゾーハルが、顎に手をやって視線を宙にさ迷わせた。なにか、心当たりがあるのはこいつも同じらしい。
「タイガよ。とんでもない奴が紛れ込んできたようだな」
「ああ……責任を感じるよ」
俺とゾーハルが思い描いた怪物は、どうやら一致していたようだ。俺たちは頷き合い、公衆トイレを出た。
「こらあ! 君たち!」
公衆トイレを出ると、そこには特徴的な格好をしたミドルエイジの男性が立っていて、彼はこちらを威嚇するように懐中電灯の光を当ててきた。
「君たちは高校生だな。その制服は穴勝の生徒か! こんな時間になにしとるんだ? 名前は? 家はどこだ?」
「ゾーハル」
「うむ」
ゾーハルの右目が、赤く光った。