怪しい失踪事件の概要のこと
インターネットで事件を扱った報道番組の動画を探し、無料公開している衛星画像と照合する作業は、わずか一時間で終了した。同じ町内だからな。なんとなく見覚えがある場所ばかりだったのだ。
公開されている中で、警察が同一事件として捜査している八足町の行方不明者は五人だった。いずれも深夜、職場を出た後、あるいは友人との集まりの解散後、行方がわからなくなっていた。
警察は目撃証言、駅や商店に設置された監視カメラの映像に不審なものはなかった、としている。
行方がわからない五人に、共通点はない。五人のうち三人は、八足町の住人ですらなかった。
被害者が連れ去られたと思われる現場には、被害者の遺留品と、わずかな血痕(現在鑑定中)、壁や地面の爪痕だった。また現場はそれぞれ異なる住宅街の路地、公園、そして、駅前の繁華街の路地裏だった。
わずか三か月の間に五人の被害者が出ているというのに、警察の捜査はなんの成果も挙げられていないらしかった。
「なあ。この事件、関係ないんじゃないか?」
簡単に分かることをまとめた俺は、仏頂面でベッドに腰かけていたゾーハルに意見を述べた。
「何故だ」
「だってよ、俺がこの世界に帰って来たのは昨日だろ。 最初の被害者は三か月も前に行方不明になっているんだぜ?」
「歪んだ時空のせい、だろうな」
ゾーハルはそっぽを向いて、不機嫌そうに言う。
「世界の変化を概ね戻し、最後に貴様をこの世界に転送する段になって、あちこちに歪みや裂け目が生じるのを感じた。例えば鋭い爪をもって、夜中に人間を攫う怪物が、そうした裂け目と歪んだ時空を越えて、この世界に入り込んでしまったのかもしれない」
「……マジ?」
目を見開いてゾーハルを見る。彼女はこれまで、「怪奇現象」とかなんとか言っていたが、初めて具体的なことを言ったな。
「異世界の化け物が、こっちで暴れているかもしれないってことか!?」
ゾーハルは画面をプリントアウトしたものとにらめっこして、何も言わない。
「じゃあ、この被害者は全員……もう、死んでいるかもしれないってことだろう!」
なんで、もっと早く言わなかった。
そんな危険なことが起きていると知っていれば、のんびりしている時間がないと説明してくれていれば。
「てめえ、ゾーハル……」
「落ち着け。人間たちが死んでいたとしても、妾の力で元に戻してやる。肝要なことは、そうなった原因を除去し、貴様の世界を元に戻すことだ。奴らが通った歪みを閉じていけば、互いの世界を引き付ける穴をふさぐことになり、結果として世界の衝突も回避できる」
ダメだ。ゾーハルは全然わかっていない。
「あのなあ、死んでも生き返ればいいだろうってもんじゃねえだろ!?」
「……?」
ゾーハルが片眉を上げて、首を傾げた。「なんだよ、うるせえなあ」とでも言いたげにこちらを見ている。
「俺を異世界に召喚した時もそうだったじゃねえか。グベルトと、百人の子供と、その親たちの命をお前は捧げものにさせたんだ。俺は忘れねえ。我が子を手にかけた親たちが、死に際俺に向けていた目を!」
「あやつらも結局、生を取り戻させた。忌まわしい記憶は消し去られ、平和に暮らして居る。なんの問題がある」
世界を救うためだかなんだか知らないが、犠牲になってもいい命なんてない。死んでも生き返ればよくて、辛い記憶は消せばいいなんて、俺は納得できない。
「ゾーハル、俺はなあ――む!?」
突然、唇と舌が動かなくなった。すなわち、喋ることができなくなった。
「むむー!!」
確認するまでもない。ゾーハルの仕業だ。
「少しは大人になったかと思った場面もあったが……所詮は子供、か」
ゾーハルは、椅子から立ち上がった俺を冷やかに見返してくる。
「古今東西、無償の愛を示した神はいない。そもそも、神のいない世界で暮らす貴様には理解できぬ話であり、また理解してもらおうとも思わぬが、これ以上貴様の御託に付き合うのも面倒だ。妾が話し終わるまで、姦しいその口を閉じていろ」
女神はベッドから立ち上がると、足を動かすことなく、床の上を滑るようにして俺に近づいてきた。圧倒的なプレッシャーが、彼女の姿を陽炎のように歪ませた。蛍光灯が、パソコンの画面が明滅しだした。
「妾は救国の勇者を求められ、それに応じた。なるほど、貴様の観念からすれば、命を投げ出したものたちはさぞや可哀想な存在だったろう。だがハン国の若き王も民どもも、喜んで妾にその命を捧げたのだ。結果として世界は救われた。それだけだ。それが事実なのだ。王とその民草の死にざまを見たと言ったな。では心得ているだろう。誰が貴様に怨み言を言った? 誰が妾を呪って死んでいった?」
「…………」
女神の言葉が、尖った氷柱のように突き刺さる。
「妾はてっきり、貴様はあのまま妾の世界で死を迎えるものと思っていた。王の暮しは存外に気に入らなかったようだな。元の人生よりも長くを暮らし、妻をめとり子まで成したというのに」
冷笑を浮かべた女神は、ゆっくりと俺を回り込んで背後に回る。
「貴様に捨てられた王妃と王子は、悲しみに暮れていたぞ? グベルトの復活後、突然空いた王の椅子を巡ってハン国は真二つに割れた……妾が奴らの記憶と想いを操っていなければ、魔物がいなくともあの国は大混乱に陥っていただろうな」
背中を冷たいものが伝う。
一旦言葉を切った女神は、また正面に回った。まるで俺の様子を楽しむように、下から上にゆっくりと視線を這わせる。長い銀髪が顔の左半分を隠していた。明滅する光の中、古い活動写真のように切れ切れに見える彼女の赤い魔眼が、俺の目を捕らえて離さなかった。
「妾が為すことは、両世界にとって必要な措置なのだ。妾は神の一柱として、異世界に干渉し、変化させてしまったものを元に戻さねばならない。だが限定的にしか力を振るうことができない妾には、手駒が必要だ。その点、妾の魔力を吸い、行使できる貴様ほど使い勝手の良いものはない。世界の綻びによって起こる現象によって死んだ者は生き返らせるし、その記憶の操作も当然行う。大いなる運命の流れを取り戻すまで、決してやめない。それが、妾が果たすべき責任だからだ」
俺の考えが甘かったのか。
口を塞がれていなくても、ゾーハルに何も言い返せない。だが、納得はできない。
「だいたい、な」
唐突に、ゾーハルが息を吐いた。緊張感が薄れ、電子機器の異常も治まった。
「貴様が帰りたい、などと言いださなければ、こんなことにはならなかったのだ。それをよく、わきまえろ」
あ、それ言っちゃう?
西条大河、KO負けが決定した瞬間だった。
口の周りの痺れも消え去ったが、俺は何も言えなかった。
「ふん。死んだ魚の様な目になりおって、情けない奴だ」
ゾーハルがベッドの上から地図を取り、ヒラヒラと振った。
「とはいえ、理不尽を押し付けたのは妾たちが先だ。故に、貴様にはそれなり以上に便宜を図ってやったのだ……仕事が済めば、妾のことなど忘れて楽しく暮らせると約束するから」
もう少し、付き合え。
そう言ったゾーハルの表情は分からなかった。クルリと踵を返してしまったからだ。
「ゾーハル……」
「行くぞ。一番近い現場に案内しろ」
それ以上の会話を望まないのか、彼女は足早に部屋を出て行こうとする。
何か言わなければいけないような気がしたが、結局それはわからないまま、俺たちは玄関に向かった。




