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これまでを振り返ってのこと そして女神は動き出す

 俺の名前は、西条大河。

 昨日まで異世界ってやつで、勇者そののち王様をやっていました。

 努力の甲斐もあって異世界も平和になったので、女神に頼んで元の世界に帰してもらったのですが、目覚めるとなぜか我が家にその女神が住んでいて、いつの間にか同じ高校に通う俺の親戚として、こっちの世界に溶け込んでいやがりました。

 女神は、俺が異世界で暮している間にこっちの世界で経過した時間を元に戻そうとしてくれたのですが、どうもそれが上手くいかなかったらしく、しかもこっちの世界に力を大量に注いだせいで、異世界とこっちの世界が近づき、衝突して互いに消滅してしまう危険まで生じていると言いました。彼女がこっちの世界に来たのは、世界の消滅を防ぐためだったのです。

 世界の消滅を防ぐためには、大きな力の流れによって生じた世界の綻びを直し、近づきすぎたせいで変なかたちに結びつこうとしている世界を切り離すことが必要だそうで。女神は俺の生活圏に溶け込みながら、世界の綻びを探すことにしました。

 綻びといえば、俺の身体も大変なことになっています。

 なんと、女神は俺の身体を異世界に召喚される前の状態に戻すことにも失敗していたのです。

 おかげで、俺の身体は魔力を使って暴れ回っていた頃――すなわち異世界で勇者として戦っていたあの頃のように、頑強で、火に巻かれても凍らされてもへいちゃらです。

 ただしそれは、俺の体内に魔力があれば、の話だそうです。中途半端に人間に戻されたせいで、俺は自分で魔力を補充することができません。無敵の勇者どころか、女神から魔力を補充してもらわないと並の人間以下の身体能力しか発揮できない「でくのぼー」になってしまいました。ちなみに現在のところ、魔力を俺に補充する方法は二つです。

 ひとつは、女神と密着して過ごす。

 もうひとつは、魔力を込めた吐息を吸う。

 女神をおんぶして全力疾走したり、彼女の打突に耐えられたのはこのおかげです。

 早くもとに戻してもらわないと困るのですが、女神にしても世界の綻びを直したり、自分の存在をこの世界に繋ぎ留めたりするのにたくさんの力を使っているため、俺の身体を元に戻すのは二の次、三の次にならざるを得ないそうです。

 それなら、さっさと仕事を終わらせて欲しいものです。彼女がどうにかしたい綻びとやらは、たくさんの力を注いだ俺の周辺で起きる可能性が高いらしいので、俺もそれを手伝うことにしたのですが……







「起きろ。タイガ」

「ん……」


 何ものかが、身体を揺すってくる。薄く目を開けると真っ暗だった。つまり、まだ夜だということだ。

 今日は凛子も親父も酒を飲んで帰ってきた。二人で飲み直し、ぐでんぐでんになって自室へ向かったから、今頃はそれぞれのベッドの上でいびきをかいているに違いない。

 まあ、明日は祝日で休みだ。ちょっとトイレに行きたい気もするけど、俺も今日は色々あったし、ゆっくりと休んで――


「起きろ!」

「……ん!?」


 瞼越しに強い白色光を感じ、何かが重いものを投げつけられたようだ、と思った次の瞬間、耳元で大きい声を出され、さすがに目を開けた。肩を揺すっていたのは、ゾーハルだった。


「ななな、なんだよ! 降りろよ!」


 ゾーハルは部屋の電灯を点けたあと、俺の腰に跨っていたのだ。腰に感じた衝撃と重さは彼女のものだったというわけだ。俺は慌てて飛び起き、ゾーハルを振り落とした。

 腐……婦女子の諸君、仰向けに眠る健康な男子に、不意打ちでそういうことをしてはいけない。特に起き抜けや、寒くて少々の尿意を布団の中で我慢していた場合は禁忌もいいところだ。絶対やるなよ!?

 

「とっとと起きろ。“仕事”に行くぞ」


 身体を起こし、ゾーハルと一緒に剥がれそうになった布団を引きずり上げてヘソの下を保護する俺に、ゾーハルの冷やかな視線が突き刺さる。


「……外で待つ。四十秒で支度しろ」


 ゾーハルはそう、何かに影響されたようなセリフを言うと、黙って部屋を出て行こうとする。

 その背に、「一階(した)で待っててくれ!」と言った。とりあえず出すもの出さないと、まともに歩けやしない。ドアの前で待機されていてはたまらないからな……ちなみに言っておくが、出すのは小便だ。

 異世界の女神は「フン」と鼻を鳴らして部屋を出て行った。お前が変な起こし方をするからいけないんだ、俺に罪はないと思いつつ、ヘンな動悸が抑えられなかった。







「仕事ったって……何も今夜から始めなくてもいいだろうに」


 今更ながら時計を見ると、深夜二時を少し過ぎたところだった。

 ゾーハルに聞こえないのをいいことに、ブツブツと文句を言いながら用を足し、自室に戻ってスウェットの上に厚手のパーカーを羽織る。被り物を着脱するのは面倒だからな。顔のガーゼが剥がれてしまうと困る。

 それにしても、薬というやつはすごい。

 帰りに病院に行ってみたのだが、貰った痛み止めを飲んで三十分もすると、ヒリヒリ、ジンジンしていた痛みが嘘のように消えてしまった。傷に塗る抗生物質入りの軟こうはしみたりしないし、異世界で経験した薬草と薬湯の治療とは比べ物にならない。

 さて、今夜は寒いらしい。布団から出てすぐに冷えてしまった足をソックスで保護し、そっと階段へ向かう途中、ゾーハルの部屋――かつてお袋が使っていた部屋だ――の前にさしかかった。

 こいつ、人様の家でどんな暮らしをしているのだろうか――


「開けるな」

「うおっ!?」


 ドアノブに手をかけると、背後からゾーハルの声がした。押し殺した、ドスの効いた声音である。どう考えてもそれは――


「在、不在に関わらず、妾の部屋を覗いたら神罰を下す。よいな」

「……ふぁい」

 

 予想通り、本気の脅しだった。

 なんなんだよ。ツルの恩返しじゃあるまいし……むしろ、異世界を救った恩返しをしてくれよ。


「行くぞ。貴様の家族には海よりも深い眠りに落ちるまじないをかけておいた。昼まで起きることはない」


 昼まで起きないって、いい大人がそんな時間まで寝てていいのかよ。魔法が効くとわかったら、すぐ使いやがるんだから。あ、そうそう。魔法といえば、ゾーハルに言っておかなくちゃならないことがあるんだった。


「あのさ、あんまし家族に魔法をかけないでくれないか」

「何故だ。身体や精神への影響はないぞ」

「そうかもしれないけどよ……」


 人の心を操るような魔法の恐さは、俺が身をもって体感した。あの、自分の意志までもが捻じ曲げられてしまう感覚。もしかしたら凛子や親父は、夢の中で起きなければならない葛藤と戦っているかもしれない。

 今日、俺たちをスルーしていった連中もそうだ。どう考えても異質なゾーハルと俺の姿を見ても、眉ひとつ動かさないなんて。記憶の操作とか刷り込みやなんかが、両方の世界を救うために必要な措置だというのはわかっているが、できるだけ、あいつらの自由な意思を奪わないでやって欲しいのだ。


「ふん。まあまあのことを言うではないか……よかろう。可能な限り、魔法の使用は控えると約束しよう」

「わりいな」


 階下へと向かいながら考えを話すと、ゾーハルも頷いてくれた。俺たちはひとまずリビングに向かい、ソファーに腰を落ち着けて相談することにした。ゾーハルは早く外に行きたがっていたが、寒いからな。


「さて、では“仕事”の話をさせてもらおう」


 早速、ゾーハルが口火を切った。


「先にも言ったように、怪奇現象は貴様の周辺で起こるはずだ。何か心当たりはあるか」

「そうだな。最近、異世界の女神が居候になった」

「居候……」


 ふざけた回答より、居候扱いされたことの方がショックだったらしい。


「冗談だ。今日一日、お前に関連したこと以外で気になったことはない」

「そうか。ならば、この事件を追ってみようではないか」


 なぜか制服姿のゾーハルが、ジャケットのポケットから折りたたまれた紙片を取り出して広げた。


「これは――」

「人が攫われ、現場には爪痕。これは充分、怪事件だと思わんか」


 ゾーハルが取り出したのは、今朝親父が呼んでいた新聞の切り抜きだった。そこには、血なまぐさそうな事件の概要が記されていた。


「これ、近所だな」

「左様。貴様の周辺とはいっても、その範囲はこの町一つくらいだろうと考えている。この世界の法則では起こりえない事件がきっと起こるし、すでに起きているはずだ。そこに異世界の力が絡んでいれば、放置するとそこから世界の裂け目が大きくなってしまう。少しでも“おかしい”あるいは“不思議だ”と感じるような事件や噂があれば、それを調べていく必要があるだろうな」

「う~ん、じゃあ、八足(はったり)町で起こる事件の捜査を……する、ってことか?」


 腕を組んで、唸ってしまった。天才高校生が警察顔負けの推理を展開する――なんてマンガを読んだことはあるが、当てがあるようでないような、まさしく雲をつかむような話だぜ。


「ともかく、被害者が連れ去られた現場、とやらに行くぞ。痕跡を調べて、妾の世界と関係がない、とわかれば引き上げてくればよい」

「わかった、わかった――って、どこへ行くんだ?」


 まだ話も終わっていないというのに立ち上がるゾーハル。そのまま玄関に向かおうとするので、慌てて止めた。


「なんだ。妾は、早くたん……いや、世界の崩壊を止めねばならんのだ」


 たん……なんだろう。「探検」か、まさか「探偵ごっこ」か。ともかく、半日かけて高校に行っている暇があるのだから、さして事態は切迫していないのだろう。新聞に、事件現場に関して詳しい所番地が記されているわけもない。どこへ向かうつもりなんだ。




「こいつを使おうぜ」

「言っておくが……妾も、そのつもりだったのだぞ」

「へいへい」

「タイガ! 貴様!」


 ゾーハルを伴って自室に戻り、パソコンを起動した。

 まずは、下調べしないとな。





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