先輩の助言
「で、話って何?」
目の前の女性は座るや否や木下にそう切り出した。
ここは、朝のコーヒーショップ。
今日は木曜日で、木下は3日目になる日替わりパンを頬張りながら、今日もレジ前の席に座っていた。
早起きも3日目になるとおおよその到着時間もつかめてきて、気持ちにも余裕が出てきたので、今日はPadを片手にメールチェックをしている。
ちなみに、今日は凶だ。
昨日は吉だった。
急ぎの依頼を思い出してメールをしようとしていた時、その相談相手からちょうど声をかけられた。
「あれ、木下くん?」
「あ、美咲さん、おはようございます」
「早いねー、優雅に朝食?」
「ははは、ちょうど良かった!今まさに美咲さんにメールしようと思ってました」
「えっ、何?」
「いや、新しいクライアントの案件で相談したい事があって」
「そっか、、、すぐ済む話?私、今日は外出してそのまま直帰なのよ」
「うーん、10分くらいですかね?」
そう言うと、美咲と呼ばれた女性は腕時計を確認しながら、
「8時半か、、、したら今どう?」
「えっ?良いんですか?」
「良いわよ、私も飲み物を買ってくるから待っててね」
そして、冒頭のセリフに戻ることになる。
古賀美咲は木下の8つ上の先輩で、現在は育休明けの子育てママとして、時短勤務をしている。
木下の入社時には教育係をしており、時短ながらも部下5人のチーフとして現在も活躍中だ。
「美咲さんの担当って、主婦やOL向けのサイトが多いですよね?」
「そうねー、クッキングとカルチャースクールに、資格のサイトとか、ズボラ家事のすすめ!なんてのもあるわよ」
「そこに、新しいアプリの告知広告を入れる事って可能ですか?」
「んー、モノによるけど、何系?」
すると、木下はうつむきながらボソボソと呟いた。
「えっ?聞こえないわよ!もっと大きく話しなさい!」
ピシャリと叱咤されると、腹をくくったように
「女性向けの恋愛シミュレーションです、、、」
「はっ?」
美咲は思わず聞き返していた。
「だから、恋愛系のアプリですよ」
「えーっ!木下くんが?」
「はい、部長命令で、、、」
「ふふふ、はははっ!そう、木下くんが!」
「笑わないで下さいよ」
「ごめんごめん、あまりにも意外すぎて」
美咲は肩を震わせながら持っていたカップに口をつけた。木下は軽くため息をつきながら続ける。
「それでですね、ユーザー層的に美咲さんが担当しているサイトが告知するのに良いかなと思いまして」
「へぇ、メインは?」
「20代から30代のOLから主婦がメインターゲットです」
「したら、確かにピッタリだわ」
「ですよね、なので、ぜひお願いしたいです」
美咲はカップを置くと、カバンを開けてPadを取り出した。
「で、詳しいは資料あるの?」
「はい、送りますか?」
「うん」
Padはチーフと役職階級のみに支給されているもので、縦横の連携や、急な仕事に対応する為に使用している。
木下はすぐに企画書を添付してメールを送ると、美咲はすぐに資料を開いた。
「ふーん、すごいユーザー数ね」
「そうなんですよ」
「で、その新シリーズが再来月にリリースと」
「はい」
「んで、メインが、、、」
そう言うと、美咲は急に口を閉ざした。
信じられないものを見たような表情だ。
「あのさぁ、これ、ちょっといい?」
「はい?」
「どう見ても木下くんよね?」
Padを軽く持ち上げて、木下の顔と見比べる美咲。
「そうですか?」
「いや。なんかキラキラ度の高い、ちょいS気味な君でしょ、これ」
「美咲さん、実は、、、」
事の経緯を説明すると、美咲は盛大に笑い出した。
「あははは、すごいわねー!まさか、木下くんがメインモデルのアプリができるなんて!」
「メインじゃありませんよ!イメージです、ただのイメージ!」
「さすが我が社一のイケメンね。スケールが違うわ、スケールが!」
目尻にたまった涙を軽くぬぐいながら美咲は続ける。
「しかも、肉食系木下!こりゃ、うちの女子社員はこぞってダウンロードするわよ」
「やめてくださいよ!」
憮然としながらコーヒーを飲む木下に、美咲は
「ごめんごめん。だって実際かなりモテるのに浮いた話を全く聞かないしさ」
「そんなモテませんよ、ぼく」
「またまたぁ。合コンだって、飲み会だって断りまくってるって言う噂よ?」
「単に苦手なだけです!何か、合コンに来る女の子ってギラギラしてて怖いんですよ、、、」
会話しながらも資料を一通り見終えた美咲は、やれやれと言う顔でPadをしまいながら話を続ける。
「まぁ、女子の気持ちも分かってあげてよ。史上最年少チーフで社内一のイケメン、まじめで温和な性格とくれば、必然的に競争率も上がるでしょ」
たくさんの褒め言葉になんと返して良いか分からず、木下は曖昧に答え始めた。
「まぁ、僕も女性に興味が無いわけじゃなくて、それなりに気になる人もいるんですよ?」
意外な言葉に美咲は大きく目を見開いた。
「えっ、誰?私の知ってる人?」
興味津々にきいてくる美咲に少し後ずさりながら、
「美咲さんは知らない人です」
と、素直に答える。
「なぁーんだ、残念」
美咲はつまらなそうに飲み終えたカップをクルクル回している。
「で?行動はしないの?」
「えっ?」
「気になってる子にアプローチ!」
急な質問に木下は少し考えながら
「今は、いいんです。とりあえず自分を磨きます」
「えっ?」
「もっと出来る男!っていう自信ができたら、その時はきちんとアプローチしますよ。なので、今は仕事もプライベートも後悔しないように思いっきり頑張ります」
「へぇ、、、」
美咲はニヤニヤしながら聞いている。
「なんすか?」
「いやぁ、ちょっと見ない間に少し男らしくなったんじゃない?」
「、、、そうですか?」
「うん。今までは何でもそつなく完璧にこなす代わりに、なんか捉えどころも無い頼りなさを感じてたけど」
「美咲さん、結構ひどいっすね、、、」
「ははっ。でもさぁ、ちょっと魅力的になったよ、男として」
木下は意外な言葉にビックリしていた。
美咲は憧れの先輩で、自分なんてまだまだお子様だと思っていたからだ。
「それは、ありがとうございます」
「でもね、今でも素敵よ?もっと自分に自信持ちなさい!自分磨きも大事だけど、本当の木下くんを分かってもらうことも大事なんだから。真剣ならなおさらね」
「真剣、、、ですか?」
「そう。しっかり相手と向き合いながら距離を近づけるの。お互いに刺激しあって成長しあえる関係の方が、私は良いと思う」
「ひとりよがりは良くない、、、ですかね」
「本気なんでしょ?相手の気持ちを一番に理解しようとする繊細な心の貴方なら、出来ると思うわ」
「あ、ありがとうございます」
照れる木下に美咲はふんわり微笑むと、
「じゃ、仕事の話に戻るけど良い?さっきの話ね」
「はい」
急な話の展開に慌ててメモを取り始める木下。
「広告用バナーと告知ページの2枚、クライアントの承認がちゃんと取れたものを私にメールで頂戴。そしたらこちらも動きます」
「はい、すぐに取り掛かります」
木下がメモをしたのを確認すると、
「さっ、もうヤバいから行くわよ!」
そう声をかける美咲。
木下が時計を確認すると出勤10分前になっていた。
「うわっ!やば!」
「恋バナしてる場合じゃなかったわ!」
「恋バナなんてしてません!」
急いで準備をしている木下の為に、トレーとカップを片付ける美咲。
「あ、すみません」
「いいの、いいの。その代わりさ、、、」
「はい?」
「進展あったら教えてよね?」
ニンマリ笑う美咲に木下は笑顔で、
「美咲さんに、一番に報告しますよ」
そう言うと、美咲は嬉しそうに
「よし!さぁ、今日も働くわよ!」
そう切り出して颯爽と歩き出したのだった。