噂の○○王子
「木下さんとは、是非とも一緒に仕事をしたいと思っていたので、今回はとても嬉しいです!宜しくお願いしますね!」
リーダー格の女性がそう告げる。
ここは、恵比寿にある最近できたオフィスビルの一室だ。
名刺交換もそこそこに、開口一番にそう告げられた木下は、少したじろぎながらも、微笑を浮かべた。
「私ったら、急過ぎましたね!ささ、座って下さいな」
木下の後ろに控えていた高橋と樋口も彼が促されるのに合わせて席に着いた。
「すごく立派なオフィスですね」
素直に思った事を口にした木下に微笑みながら、先ほどのリーダー格の女性が答える。
「ありがとうございます。最近、引っ越しをしたばかりで、まだまだ片付けがあるんですけど、何とか形になりました」
「いやいや、素敵ですよ」
シュガーハニープロダクツと言う何とも甘々な会社名だか、この会社が200万ダウンロードを突破した恋愛アプリを擁する会社だ。
今回のクライアントとの初顔合わせに、チーム木下は挨拶に出向いていた。
向こう側のメンバーは4名。
リーダーらしい女性の、香川佐知子と書かれた名刺と、彼女の顔を改めて確認して、木下は話を切り出した。
「香川さん、こちらの自己紹介をしても宜しいですか?」
「えぇ、ぜひお願いします」
促され、立ち上がる木下。
「僕が、チーフで統括を行います木下です。隣に座るのが高橋、彼は主に調査や企画進行を行います」
「宜しくお願いします」
高橋が立ち上がり軽く会釈する。
「そして、奥に座るのが、樋口です。彼女は主に、御社との窓口になってもらいます。なので、メールなどのやり取りは彼女宛にして頂けますと幸いです」
「宜しくお願いします」
樋口も立ち上がり会釈をする。
「こちらのメンバーは以上です」
三人で合わせて再度挨拶をすると、相手側も立ち上がり答え始める。
「では私たちも、自己紹介させていただきますね。隣の彼女は竹内です。彼女には私の補佐をしてもらっています。その隣がシナリオライターの斎藤志保さん、さらにその隣がイラストレーターの内田加奈子さんです」
“宜しくお願いします”
7名全員で立ち上がったまま挨拶を済ませ、
「座りましょうか」
と言う香川の一声で再度着席すると、木下はずっと気になっている事を口にした。
「香川さんは、僕の事、ご存知なんですか?」
「はい、存じておりました」
「失礼ですが、どこかでお会いしましたかね?」
申し訳なさそうにそう切り出すと、
「いいえ、噂に聞いていただけですわ」
「噂?」
「はい!」
はて?なんの噂だろうか、、、そんなに目立つことはしていないはずだが、と考え始めた木下に、香川は続ける。
「木下さん、今、別な所で地図アプリのお仕事をなさってますよね?」
「はい」
「その担当者の方と、私が知り合いで、今回ご紹介を頂きました」
「はぁ、、、」
女性向きの企業に紹介をされるような事をした覚えが無い彼は、さらに不思議そうな顔で答える。
「言いにくいのですが、、、木下さん、そこの社内ではロマンチック王子って言われているんですよ?」
「はいいい???」
驚きすぎて、とんでもなく素っ頓狂な声を上げてしまう木下。
(王子!?俺が!?何で!?)
訳が分からず、混乱した頭で隣の二人を見ると、俯きながら肩を震わせている。どうやら、心の中で爆笑しているみたいだ。
「いったい何で、、、」
地図アプリの話し合いにロマンチックな点なんてあったかなと考えていると、香川はさらに続ける。
「夏頃の商談前に、ゲリラ豪雨があった日を覚えていませんか?」
「はい、ありましたね、確か」
(そう言えば、あの日の商談は、その会社だったな)
「その日に、何か良いことがあったのではないですか?」
「えぇ、確かにありましたけど、、、」
「困っていたら、行きつけのカフェ店員から傘を貸してもらって、駅に着いたら虹が出ていたとか」
「はい、、、」
「しかも、ダブルの虹!」
「はい」
「何か良いことがありそうな気がして来ましたって、商談時に仰ったそうなんですよ」
「言い、、、ましたね」
あの日の出来事を思い出し、ほっこりした優しい笑顔で返す木下に、目の前の女性たちの目がみるみる輝いていく。
「そのことがあって、あちらの会社では木下さんの事、ロマンチック王子と呼ばせて頂いているみたいですよ。このご時世に、そんな素敵な気持ちでお仕事に望まれるなんて、お話を聞いて、私、感激してしまって、今回に至った訳ですわ」
何とも返しようが無い木下に、ずっと笑いを堪えていた高橋が、
「それに、いま流行りの塩顔イケメンですからね、チーフは。確かに王子フェイスですよ」
新しいからかいネタでもつかんだ喜びを噛みしめるように口を添えた。
樋口は、、、まだ、笑いのツボから回復できていないようだ。
(二人とも、後で覚えてろよ、、、)
木下は心の中でそう呟くと真剣な顔で商談相手に向き直った。
「お話はわかりました。そして、ありがとうございます。ですが、、、大変困った事もあるんです」
「困った事ですか?」
相手の女性4名が一斉に顔を合わせた。なんのことだか、心配しているようだ。
「大変、言いにくいのですが、、、」
『『『『はい』』』』
張り詰めた雰囲気が部屋に伝わる。
「申し訳ないのですが、、、」
『『『『はい』』』』
「僕はですね、、、肉食系じゃないんですよ」
困り顔でそう木下は切り出したのだ。
すると、もはや堪え切れなくなった隣の部下二人が一斉に笑いだした。
「こらっ!失礼だぞ、お前ら!」
「だってチーフ、今それ言っときますか?」
「あはっ、あはっ、あぁ苦しい、申し訳ありません、うちの木下が、、、」
最初からずっと笑いをこらえていた樋口はもう虫の息だ。
涙目で、出されていたお茶を口に含みながら、必死に笑いを堪えていた。
そんな二人を困り顔で叱咤する木下。
「すみません、うちの部下が」
木下が前を向くと、何とも優しげな女性陣の笑みが目に入ってきた。
「想像通りの方でよかったですわ、木下さん。確かに、コンテンツの主題は肉食系男子ですが、そうでは無くても全く問題ありませんよ」
香川がそう切り出した。
「本当に大丈夫ですか?」
「はい。むしろ、私達が助言頂きたい事は別にございます。私たちはこの通り、女性がメインの会社ですから、一般的なオフィスでの日常が想像しにくいのが現状です」
木下はざっと周りを見回した。
ガラス張りの商談ルームの外を見れば、なるほど、たくさんの女性が忙しそうに働いている。
「確かに、そのようですね」
「はい、ですが、今回はオフィスラブがテーマですから、一般的なオフィスの事で教えて頂きたい事は沢山あります」
「はぁ、その辺りは問題ないかと」
「恋愛アプリは非日常を楽しむゲームです。そして、実際のプレイヤーは20代から30代のバリバリ仕事や子育てをなさっている方も少なくありません」
「そのようですね」
高橋が商談前にまとめてくれた、プレイヤー層のグラフを思い出しながら木下は答える。
「そこで、普段の仕事としてのリアリティは追求しつつ、恋愛へ向かう背景的なものに非日常的な要素があった方が、より感情移入をしやすいと思いませんか?」
「なるほど、そういうモノですか」
「はい、ですから、ぜひともご一緒させて頂きたいのです」
ニッコリ笑顔でそう頼まれれば、こちらとしては断る理由もない。
「では、分からないことだらけで、ご迷惑は沢山おかけするとは思いますが、今後とも宜しくお願いします」
木下がそう切り出すと、安心したように香川も
「良かったわ、何卒宜しくお願い致します」
差し出された手をとり、軽く握手をすると、その場にいた全員がそれに続いた。
ようやく、話し合いがスタートし、
その後は、今後のスケジュールを確認するなど、和やかに進んでいったのだが、商談の最後にイラストレーターの内田から、とんでもない爆弾が投下された。
「メインキャラクターのデザインを木下さんをモデルにしてもいいですか?」
お茶を飲みかけていた木下が、むせかえる姿に、部下二人は憐れみの目を向けていたとか、いないとか。