第44話・つまりやっぱり俺が嫌いな、マジで嫌いなタイプだったわけだ
孤児院の中にある一室、この孤児院において最も気を使った来客用の部屋には現在、6人の男女が安っぽいソファーの周囲にそれぞれ構えていた。
踏めば軋む音が響くほど年季が入ったことで、黒ずんで妙に雰囲気のある木材で組まれた部屋。
安物とはいえ傷も革の破れもない綺麗に整えられたソファー。
床や壁とは違う、元々が黒い色をしていたと思われる重厚な気配を放つソファー用の低いテーブル。
どれもが決して高いとは言えない、むしろ一般家庭の人間でも時間さえかければ何とか揃えられる程度の物ばかりではあるが、大切にされたことで独特の雰囲気を持った心地の良い空間がそこに生まれていた。
その心地良さも、現在は緊張を放つある人物のせいで全てが台無しである。
来客である貴族らしくないガッシリとした体躯をしたその男は、下座にあたる場所にどんと座って腕を組み、対面の者たちを睨むように見据えていた。
その堂々たる座りっぷりたるや、男の後ろにドーンとかデーンとかババーン等という擬音が聞こえてきそうなほどである。
男が座るソファーの後ろに立っているのは、彼の執事らしき老齢の男と護衛らしき屈強な体格の男が並んでいる。
スラム街に近い場所にある孤児院という場所に似つかわしくない、貴族然とした彼こそがダニエル=ダーモント伯爵である。
「よくぞおいでくださいました」
居た堪れない雰囲気を全身から放つダニエル卿を前に、全く動じることなくニコニコと笑顔を絶やさない女性がいた。
ダニエルの対面、上座にあたり本来であれば来客が座るべき位置にいる彼女こそは、どんな状況であれ敬うべき対象の王族であるエルメラだ。
ダニエルと同じようにソファーを挟んで後ろに、ジュリアとトライが立って並んでいる。
二人はとても居心地が悪そうにしているが、ジュリアは持ち前の鉄仮面を被って何とかダニエルに気づかれないようにしている。
トライは何をどうやっても顔に出るので、普段からこういう顔の人物だということで押し切るとジュリアは心に決めていた。
「王女殿下がこちらにいらっしゃるとお聞きしましたのでね。
そうでなければこのような場所に来ることは無かったでしょう」
このような場所、という発言にトライの顔はさらに険しくなる。
しかしエルメラとジュリアは眉1つ動かさずに平然としているので、自分だけが感情的になっていると気づいた。
人間というものは客観的に自分を観察したとき、思いのほか冷静になることもある。
「まあそれはわざわざ申し訳ございません」
全く変わらないエルメラのニコニコとした表情は、不思議なことに本当に笑っているように見えた。
それでいて何も考えていないとはとても思えないほど、思慮深い何かを感じられる。
もしここでエルメラを何も考えていないお飾り王女、等と判断しようものなら、その人物は一生をかけても昇進することは無いだろう。
「このような場所に孤児院があること自体、信じられぬことですな。
私が中央にいたならば、こんな孤児院はすぐにでも閉鎖させて国立に統合しているところですぞ」
「んだとテメェ」
ビキリ、とトライのほうから音がしたのをジュリアは感じ取った。
それと同時に殺気にも近い何かが大気を震わせているような錯覚さえ感じられる。
もちろんそれは戦いに身を置くジュリアだから感じ取れるものであり、他の者たちは気づいていない様子だが。
いや、ダニエルの護衛らしき男だけは顔から大量の冷や汗を流しているので、ジュリア以上に強く感じているようだ。
「落ち着け、不敬だぞ。
お前は口を出さないでおけ」
ジュリアに言われることで実際に口は閉じたが、態度を改めることはしない……というかできないトライ。
殺気がガンガンに溢れて獣の唸り声さえ聞こえてきそうな形相をするトライに、護衛の男は冷や汗が止まらない。
幸か不幸かそれほど殺気の影響を受けていないダニエルは、トライを一度睨みつけた後で興味を無くしたかのようにすぐに視線を逸らす。
視線が向かう先はもちろんエルメラだ。
「まあまあ落ち着いてくださいトライ様。
それよりもダニエル卿、今日は私に何か御用があったのではありませんか?」
一瞬だけ様付けでトライ呼ばれていることに目を見張るダニエルだが、すぐに気を取り直して会話を続ける。
トライがエルメラの命の恩人である、ということはすでに一般人レベルまで広がっている噂話であるため、その辺から様付けされることも不思議ではないと判断したのだろう。
「今話すべきではありませんな、騎士かと疑わしいほどの野蛮人がいるようですし。
出来れば改めてお話をさせていただきたいのですが、お時間の都合をつけていただけませんかな?」
その野蛮人はそろそろ顔がライオンか何かに変形しそうな状況になっている。
隣で手綱を握るジュリアがいなければそろそろ2~3発くらいパンチが飛んでいただろう、ダニエルはジュリアに命を救われているのである。
提案に対してエルメラは数秒の間を置き、一瞬だけ天井のほうへと視線を向けた後、真っ直ぐにダニエルを見つめて言葉を返す。
「そうですね、では今夜にでも如何でしょうか」
満足のいく回答を得られたダニエルは姿勢を崩し、ソファーの背もたれに深く背を預け、深く溜息を1つ吐いた。
「ではそのように、時間と場所は追って連絡をいただけると助かりますな。
それにしても……」
ぐるりと室内を見回すダニエル。
雰囲気のある家具、窓から見える外の景色。
子供が最近有名な「悪魔騎士ごっこ」をやっているようで、棒きれを片手に敵役の子供を追っかけている。
怪我をしないように孤児院の大人達が、微笑ましい笑顔で彼らを見守っていた。
施設の規模やこの部屋の様子から見て、決して資金があるわけではないし、子供達に十分な教育ができている様子でもない。
それでも、そこにいる人間達は笑顔でその日常を過ごしていた。
だが、そんなものはダニエル卿の目には映っていない。
「王女殿下はなぜこのような場所にいらしたので?
わざわざ来られるような場所には思えないのですが」
その目に映っているのは何なのかはわからない。
濁った瞳は色を映していないかのように、笑顔という色に何の価値も感じていないような表情でそんなことを言うのだった。
冷徹というよりも感情が抜け落ちたかのような表情、ジュリアとトライはそれに言いようのない恐怖を感じる。
それでも表情が変わらないのはエルメラだけであった。
「色々ですわ」
恐怖が通り過ぎ、言葉の意味が侮辱や見下したものであると今更理解したトライは、恐怖を怒りへと転化させる。
それは人間の本能のようなもので、とても自然な感情の推移である。
「テメェ黙って聞いてりゃこの野郎」
それでなくてもトライは人を馬鹿にした発言を嫌う性格だ。
さらにその相手が同レベルの貴族相手ならばともかく、まだ年端もいかぬ子供達を相手に言っているように見えたのだろう。
トライには彼が「未来ある子供達」を馬鹿にされたような気がして、思わず素の話し方をしてしまった。
「……野蛮人は黙っていろ、貴様に何がわかる。
お忍びとはいえ王女殿下が動くとなればそれは大事なのだ。
わざわざここに来るためにどれほどの護衛が動員されていると思っている、どれほどの金が動いていると思っている、その全ての人間が別の仕事をしていればどれほど効率的に業務が進んだと思っている。
その全てを推してでもここに来る理由がここにあるようには見えんと、私はそう言っているのだ。
ここまで言ってやらんとわからんのならば口を閉じていろ」
ダニエルの言葉にトライは「ぐ」と言葉を詰まらせる。
実際問題としてお忍びと銘打ってはいるものの、そんなことをあの国王が許すなんてありえない。
当然のように大量の隠密部隊を使った護衛がついているし、巡回の騎士達もこの付近を注意するようにそれとなく情報が流されていたり誘導されていたりする。
トライとジュリアがここに来たのは全くの偶然ではあるが、実際に人員が動員されているであろうことはわかっているトライとしては反論できない。
「そうですね、護衛の皆様には申し訳ありませんわ」
トライに言ったとはいえ、エルメラに言ったも同然の言葉はもはや不敬罪と言われても文句の言えないレベルだ。
それでもエルメラは変わらず、笑顔のままでただそれだけの言葉をダニエルに返す。
色々な理由があると言いつつ、その色々が何かを語るつもりは無いようだ。
「これは言葉が過ぎましたな、申し訳ございません。
雇用と支払いが発生しているのですから、王女殿下が何を気にすることがございましょうか」
トライに対する態度と180度違う物腰に、トライの中でダニエルの評価が「媚びを売るヤツ」という小悪党にも近いレッテルがばっちりと貼られてしまった。
もはやこうなってはダニエルが何をしてもイラだってしまうことになる、ということくらいは自分のことを把握しているトライだ。
だからこれ以上波風をたてて、ジュリアやエルメラの立場を悪くするくらいならばいっそ離れてしまおうという決断をするのは当然だった。
「あ゛ー! もう知らん!
俺は外にいるからな、後は任した!」
要するに丸投げである。
ジュリアのホッとしたような溜息が妙に空間に響く。
ちなみに護衛の男はジュリアよりも心底ホッとした表情で溜息を吐いていた。
勢いよく扉が閉められ、トライがいたことが嘘のような静けさが広がる客室。
微妙に居心地が悪いその空間で、最初に口を開いたのはやはりと言うべきか、ダニエル卿だった。
「……ジュリア殿もあのような野蛮人の相手は大変であろう」
ここに至るまで全く話題に出さなかったことではあるが、このダニエルこそがジュリアの婚約者だ。
トライは目の前に婚約者がいるというのに、その話題を少しも出そうともしないダニエルの態度にイラついていた部分もあったのだろう。
「……任務ですので」
ジュリアの表情は硬い、エルメラとは違う意味で感情の読み取れないものだ。
「引き継ぎを早く終わらせて、早く私の下に来るといい。
我が屋敷にはあのような野蛮人はおらんのでな、ジュリア殿は何も心配する必要は無いと思うのだがね」
ジュリアが未だに婚約止まりであるのは、一重に彼女が騎士、それも紋章騎士という王国でもそれなりの立場にいることがあげられる。
ただの騎士でも任務の引き継ぎや退役手続き等でそれなりに時間をくうものだが、それが紋章騎士ともなればさらに時間がかかる。
引き継ぎ1つとっても、彼女と同等かそれ以上の仕事ができる人間を選出するか、それに代わる案が出てこない限りそう簡単にできるものでもなかったりするのだ。
しかも彼女の場合は「トライの監視役」という、ある意味この国の現在において最も重要な役割を持っている以上、次の人選が未だに終わっていないのだ。
それが原因で婚姻届けは元より、結婚式の日取りすら未だに話が進んでいないという状況なのだった。
「これでも紋章騎士の端くれ、引き継ぎをするにも私の都合ですぐに、というわけにはいきません」
いっそ無機質とも受け取れるほどの淡々とした回答の仕方に、婚約者に取るべき態度というものは一切見受けられない。
だがそれは相手であるダニエルも同様であり、愛しているが故に「早く結婚を」と言っているわけではないようだ。
目の前にいっそ修羅場と言ってもいい状況があるというのに、未だにニコニコとしているエルメラだけがこの空間の唯一の癒しであろう。
「……まあいい、私の用事は済みました。
私は先に失礼させていただき……」
そう言ってダニエルがゆっくりと席を立ち上がろうとした時のことだった。
「キャアアアァァァッ!?」
外から、孤児院の庭よりもさらに向こう、大通りの方向から女性の叫び声が聞こえた。
だがそれは遠くまでよく聞こえる高い音が響いたにすぎず、よく聞けば様々な人物の叫び声が聞こえてくる。
老若男女を問わず様々な声が聞こえてくるが、全ての声はある共通点を抱えている。
恐怖の感情が含まれている。
「これはっ!?」
咄嗟に建物内部を見回し、隠密部隊らしき数名が気配を漏らした……いやあえてジュリアに気づかせたことを確認し、ジュリアはダニエルとエルメラに一礼をして外へ飛び出していく。
同様に異変に気づいたトライと合流し、騒ぎの方向へと向かっていく二人の騎士。
その後ろ姿を眺めながら、ダニエルは誰にも聞こえないような声で呟いた。
「……いくらなんでも、早すぎる」
エルメラの笑顔が、その時だけは消えていたことに、ダニエルが気づくことは無かった。




