第43話・つまり王国の騎士団ってのはやっぱすげえわけだ
王国の南西に位置するスラム街にほど近い場所。
裏路地を何度も曲がった先に不審者を追いかけていたトライとジュリアが遭遇したのは、まさかのエルメラであった。
「お勤めご苦労様です」
スッと片膝を地につけ、臣下の礼をとるジュリアの反応はさすが慣れたもの。
「よう」
友達のように気軽に片手をあげるだけの挨拶をするトライのほうがおかしいのだ。
裏路地の中とはいえ相手は王族、いかなる場所でも最低限の礼儀を守るべきなのが騎士という職業。
だがどうしても最初の出会い以降、王族である前に友人であることを先に感じてしまうトライにはそれも難しいことだった。
エルメラの笑顔が微妙に引きつる。
さすがに私室等ではなく裏路地とはいえ城下町、そこでそんな軽々しい態度をとるのはまずいと思った、少なくともジュリアはそう受け取った。
「コラ、一応街中なんだからちゃんとやれ」
「あぁ、悪い悪い」
全く悪いと感じていなさそうな態度で渋々と臣下の礼をしようとするが、全然やり慣れていない。
やっと片膝をついて頭を垂れるという仕草が、どこかぎこちない姿勢になっていた。
「構いませんよジュリアさん。
トライさんも楽にしてください」
エルメラのその一言で、緊張から解き放たれた二人が立ち上がる。
「……おう」
「……了解いたしました」
「それで、お二人はどうしてこちらにいらっしゃったのです?」
一瞬だけ、トライとジュリアの視線が交差する。
それは付近にいるはずの不審者に対する警戒と、その不審者をどうするかという相談するためだ。
エルメラがこの場にいる以上、騎士としての任務を全うするのであれば彼女の護衛が最優先となる。
不審者の捜索は打ち切り彼女と行動を共にして、巡回に情報だけ引き継ぎをしておくというのが本来の正しい行動。 エルメラもそれはわかっているはずだ。
「不審者がこちらの方向へ逃げていったのを確認しましたので。
この先の孤児院でエルメラ様が公務を行っている場合、エルメラ様が狙いかと思い急ぎ追跡しておりました」
淡々と事実だけを語るジュリアの表情には、およそ感情と思えるものが何も浮かんでいない。
目は口ほどに物を言う、という諺があるが、会話において人間の表情というものは様々な情報を持っているものだ。
それらを感じさせない、というのは話術におけるテクニックの1つだ。 使いどころは選ぶ必要があるが。
「まあ、それはご苦労様でした。
私のお仕事は終わりましたので、これからお城に帰ろうかと思います。
よろしければ、お二人に護衛をお願いしてもよろしいですか?」
「……ええ、よろこんで―――」
「おい」
次の瞬間。
ジュリアとエルメラの間を何かが遮った。
それは分厚い鉄のようなもの、まるで光さえも吸い込んでしまいそうな艶のある黒色の板。
ほんの少しだけ離れれば、それが剣の形状をしていることに気づいただろう。
トライの持つベルセルクブレードという凶器にも近い大剣が、二人の間に壁を作っていた。
咄嗟のことだったのだろう、エルメラは片足半歩分だけ後退し、左腕を腰に右腕を左手の少し上に持ってくる。
それはまるで、そこに「普段持っている」ものを取ろうとしているかのような仕草だった。
「おめぇ誰だよ?」
「っ!?」
エルメラらしからぬ苦虫を噛み潰したような表情をしたエルメラのような人物は、咄嗟に身を翻して反対側へと逃亡しようとする。
「1つ、エルメラ様はトライの不遜な態度を全く気にしていない」
「いつの間に……っ」
だがそのころには、鉄の壁の向こう側にいたはずのジュリアがそちら側に立っていた。
両手には片手剣と鞭剣を抜刀している状態で、逃がそうという気配は感じられない。
「2つ、エルメラ様はどんな場所でも私のことはジュリアと呼び捨てに、トライのことは必ず様をつけて呼ぶ」
他の通路は無いかと周囲を見渡し、不審者は自分が絶望的な状況にいることを悟ってしまった。
王国に侵入する任務をする以上、彼女の身体能力は決して低くはない。
スラム街という性質上、二階建て三階建ての建造物は非常に少なく、彼女の身体能力があれば屋根の上まで一気に跳躍することは難しく無いだろう。
そこに、見たことも無い不思議な剣が浮かんでいなければ。
トライのスキル『ダンシングウェポン』によって浮かぶ六角形の剣が6本、空中から彼女に狙いをつけていた。
そこから発せられる威圧感は、動けば殺すと言われているような気がして、彼女は動くことができない。
「3つ、エルメラ様は孤児院に行くことを、間違っても仕事だなんて言わないのだよ」
「え、そうなの?」
「……お前が聞くな」
「―――っ!」
不審者の女はヤケクソにでもなっかのように、突然トライに向けて走る。
もちろん何も考えていないわけではない。
図体のでかいパワー重視であると思われるトライが、運よくすりぬけられる可能性が一番高いのではないかと判断したためだ。
当然ながら、その判断が一番の間違いなのだが。
「フッ!」
彼女には見えなかった、トライが一瞬で彼女の真正面に移動したのが。
トライがすでに攻撃の体勢を整えていることに、それが彼女が走り出してから僅か数瞬の間に行われたことが。
剣を持っていないほうの手が掌底の形で腹に叩き込まれる。
トライにとっては相当に、絶妙に手加減をしたつもりだったのだが、女性の体には一瞬だけ宙に浮くほどの衝撃が襲うのだった。
「がっ……ふ……」
一撃で意識を失った女性が仰向けに倒れていくのを眺めながら、呆れた表情でジュリアが呟く。
「もう少し手加減してやろうな……」
「お、おう」
かなりうまく手加減できたつもりであっただけに、口と鼻から血を吐いて気絶している女性の姿に軽くショックを受けるトライであった。
――――――――――
「これでよし、と。
あとは隠密の人員が回収してくれるだろう」
「クソッ」
縄でぐるぐる巻きにされた女性は変装まで解除されている。
と言ってもそういった魔法を使っていたわけではなく、顔つき自体が似ていて後は化粧と髪型だけで変装していた。
どうやって顔つきを似せたかは様々な想像ができるが、少なくとも元から似た顔だったわけではないようだ。
その証拠に、目立たない場所に何箇所か手術跡のような縫合の形跡が残っていて、回復魔法でも消しきれないような強引な手術をされたことが容易に想像できる。
化粧を落としてみればエルメラほどとは言わないまでも中々の美人さんだ、整形美人ではあるが。
そんな美人さんはエルメラのような、だがハッキリと違うとわかる声色で二人を嘲るように笑う。
「ふん、私を捕まえたところで無駄さ」
「別の人員がエルメラ様を誘拐した頃だから、とでも言いたいのか?」
「なっ!?」
何故それを、と口に出しかけて女性は押しとどまった。
カマをかけられているだけという可能性を考えたからだ、そう考えること自体は間違いではないが、些か思いつくのが遅かったようだ。
「お前たちは我々を甘く見すぎだ。
お前の仲間がすでに行動を起こしているというのなら、もう全員捕縛されているころだろう」
「馬鹿な!
あんなわかりやすい監視をしている護衛どもに我々が……」
「馬鹿はお前だ、それは囮だよ」
「え、マジで」
「トライには気づいていてほしかったよ……」
王国の隠密組織は、若い隊員の教育も兼ねて二段階の監視体制を行っている。
一段階目は若い衆による通常の監視、これは最低限街中に溶け込むことこそできても、何かを監視していると見る人が見ればわかるレベルの低いもの。
もちろん一般人に気づかれるようなものでは無いが、同じ世界にいる者たちであればすぐにわかる程度のものだ。
だがそれこそが隠密組織の狙いでもある。
二段階目に、ベテラン衆による完全に気配を馴染ませた監視と気づかれないレベルの監視が周辺に多数いるのである。
これを知らずに潜入してきた者たちは、一段階目の若い衆に気をとられて彼らに気づかれないように行動をする。
そして若い衆を気にして行動している、という狙わなければできない行動をとっている怪しい人物達を、ベテラン衆が監視するのである。
「―――と、言うわけだ」
女性は歯をギリリという音が聞こえそうなほど食いしばり、ジュリアを睨みつけている。
自分の腕にそれなりの自信を持ち、自分のいる組織をそれ以上に信頼していたのだろう。
それが王国側の罠に見事はまり、醜態を晒すことになってしまったのが許せないようだ。
「ってかそれってコイツの前で言っていいのかよ」
「別に構わんさ、知ったところでベテラン衆を見抜くのは至難の業だ。
事実さっきの場所に何人いたかわかるか?」
「いや全然、ジュリアはわかったのか?」
「見知った顔の1人に気づいただけだ。
それ以外は全くわからなかったよ」
実際には新人3人に対してベテランが7人いたのだが、侵入者の彼女はともかくトライとジュリアにも全く気づかれていなかった。
恐るべき練度の高さである。
「そういうことだ、念のために孤児院の様子を見に行くぞ」
そういってさっさと歩き出すジュリアは、もう偽エルメラに興味を無くした様子だ。
「よお、お前さん……なんつーか、俺が言うのもあれだけどよ」
逆にトライのほうは、悔し涙さえ流し始めた偽物に何か思うところがあったのか、彼女に話しかけていた。
「せっかくエルメラそっくりの美人なんだからよ、馬鹿なこと考えねぇで真っ当に生きてみろよ。
自分がいた世界ってのはよ、思ってたより全然狭いもんだぜ」
トライは、彼女が顔を「似せられた」ことに気づいていなかった。
今の顔が彼女そのものの顔だと信じているのだ。
そんなエルメラに似た彼女が涙を浮かべる姿が、トライの何に訴えかけたのかはわからない。
捕まった先で、拷問の果てに殺されてしまうかもしれないことはわかっている。
それでも、生き残ることができたのであれば。
全てを白状して、生かされることを選んだのであれば。
その言葉が、彼女を暗い道から明るい世界に導く切っ掛けになればと、トライは彼女にそう声をかけた。
「……」
返事は返ってこない。
彼女が何を考えているかもトライにはわからない。
彼女が何かを決める前に、トライはその場を去るのだった。
「……今更……今更真っ当な生き方なんて……出来るわけ……無い」
彼女の呟きは、トライが去った後に生まれ、隠密の隊員が来る前に消えていった。
――――――――――
「なんつーか、寂れてんなー」
「スラム街に近いからな、これでもマシなほうだろう」
裏路地を抜けた先にあったのは、急に開けた場所を占領するように広がる孤児院だった。
現代で言えば小さめの幼稚園や保育所を想像するとわかりやすいだろう。
平屋で学校の教室くらいの部屋が2~3室並ぶ建物と、その前面に広がる大きな庭。
木製の柵が庭と建物をぐるっと囲み、建物の裏側と庭のある一点だけ大きく空いている。
庭側の空いている部分にはアーチ型の看板がたっており、そこにこちらの文字で「孤児院」と書いてあった。
「なんでこんなとこにエルメラが来てんだ?」
「街中では様をつけろ、様を。
話すと長くなるから今度話すよ、多分覚えきれない」
「ここのガキ供にもわかるような感じで頼むぜ」
「それ、自分がここの子供達と同レベルだと言っているんだぞ」
事実同レベルなのでどうしようもない。
下手をすれば子供達のほうが頭がいいかもしれないだけに、さらにどうしようもない。
建物内にエルメラらしき人物の特徴的な金髪クルクルの髪型をした女性が見えるので、彼女がここにいることは間違いないようだ。
とはいえ、それだけではいおしまい、というわけにはいかないので、ジュリアとトライは直接話しかけるべく孤児院の入口へと向かって柵沿いに歩き始めた。
「む」
だがジュリアが何かに気づき、唐突に足を止める。
原因は馬車が通れる程度には大きな、孤児院の正面入口から真っ直ぐ伸びている道、そこから出てきた馬車が原因だ。
その馬車に描かれている紋章、それは―――――
「おい、あの紋章って確かおめぇの……」
「ああ、間違いない」
盾の後ろに上向きの剣があり、その剣が王冠の中央を通っている紋章。
盾と剣と王冠は、それぞれ平民と騎士と貴族を意味している。
一般的に貴族が持つ家紋は、その家の初代が自らの好みや家風に沿った華や動物、または魔術的な模様がつけられるのが普通である。
それを後世の人間が代々使用し続けるのが当然という世の中にあって、過去の家紋を破棄し、自らが考えたとされるその独特な印象の家紋。
そんな家紋を持つのは、王国広しといえどただ一人だけ。
ダニエル=ダーモント伯爵家の紋章が描かれた馬車が、孤児院の前に来ていた。




