第42話・つまり何もないことが何かあるってことだ
王城内のある部屋。
壁に剣が2本、交差するようにかけられ、部屋の隅には実用性の低そうな鎧が飾ってある部屋。
実用性を重視した机と椅子、応対用のソファーと小さなテーブルが用意された、かなり広めの空間。
そこは紋章騎士団の長のために用意された、執務室であった。
朝日が空の頂点を目指して昇り続ける午前中、朝独特の刺すような光が照らす室内にいたのは、部屋の主である紋章騎士団長。
そしてその前に起立しているジュリアだった。
「命令を無視することは、褒められたことではないな」
「申し訳ございません」
「特にトライの監視任務に関しては、極秘とはいえ国王からの命だ。
極秘だからこそ誰も知らず、お前を問い詰めたりはしないが、大問題になりかねんのだぞ」
「……申し訳ございません」
トライの名前が出ると、精悍な顔つきで凛としていたジュリアの顔つきが若干曇る。
それも一瞬のことではあったが、騎士団を纏め上げる長という立場の者が、それを見逃すほど鈍感ではない。
「……気持ちはわからんでもないが、自分で決めたことなのだろう?」
「…………はい」
間の長さが、どれだけ迷いを持っているか容易に想像させる。
「任務は続行できるな?」
「はい、問題ありません」
どれだけ迷っていようとも、騎士としてのジュリアが了承した。
ならば少なくとも自分はそれを信用しよう、そう考えるのがこの男の性格だった。
「ならばいい、今日は注意だけで済ませる。
退室して構わん」
「ありがとうございます」
暗に、次は無いことを仄めかせておくことは忘れない。
そしてその言葉の意味を理解できないような、鈍感な女ではないことも理解している。
踵を返し、ドアを開けて扉の向こう側へと進むジュリア。
「失礼します」
礼をして、扉を閉める。
その一瞬に見えたジュリアの顔が、影を生んでいた。
退室して、部屋から遠ざかっていく足音をしばらく聞き届けた後、紋章騎士団長は机の引き出しから1枚の紙を取り出す。
「どいつもこいつも、何を考えているんだか」
そこにあるのは国王からの非公式な命令書。
書いてある文章はただ一言。
「任務は退役まで継続」
国王にどんな真意があるのか、ジュリアが何を考えて婚約を了承したのか、なぜトライが大人しいのか。
主に3つ目の理由が一番気になってはいるのだが、どれも団長には理由がわからないのであった。
――――――――――
「どういう意味だと思う?」
「とりあえず顔がちけぇ」
昨夜からずっとジュリアの言葉の意味がわからず、少ない脳味噌で考えて考えて考えた結果人に聞こうという暴挙に出たトライは、特に理由なくブライアンに問合わせていた。
とは言っても考えすぎて眠れない、などということがこの男にあるわけが無いので、寝不足で目の下にクマがあるなんてことは無い。
「まあ女性の兵士はよく言う台詞だわな。
男に生まれたかったとか男だったら良かったのにとかってのは……」
ちなみにグリアディア王国の騎士団は女性の兵士も少なくはない。
紋章騎士団に入れるような実力者となると滅多にいないが、通常戦力である騎士団であれば少数ではあるものの、探せばいる程度にはいる。
「でもよ、冒険者だったら男も女も関係ねーんだろ?
下手な男よりつえーヤツなんて腐るほどいるって聞いてんぞ」
「お前な、騎士団と冒険者を一緒にするなって。
仕事をやるも休むも自由な冒険者と、命令があったら動かなきゃならん騎士とじゃ状況が違いすぎるだろ」
逆に冒険者と呼ばれる集団には相当な数の女性戦士がいるが、これは自分のタイミングで仕事ができるという都合があるからこそだ。
女性の体の仕組みはトライのいた世界もこの世界も共通している部分が多く、それに伴って女性にはどうしても身体能力が落ちる時期が月に一度発生する。
冒険者であれば気兼ねなく休みを取ることができるが、自分達の都合で動くことの難しい騎士団という組織において、それはどうしてもデメリットとなってしまう。
そのため女性の騎士というのは非常に珍しいのである。
「そりゃそうかもしんねーけどよ、それが理由で婚約ってのがわかんねぇんだって。
ジュリアってそんな感じのヤツじゃねぇだろ」
さらにヒートアップするトライの背後に嫌な気配を感じ取ったブライアンは、そちらへ一瞬だけ目を向け、そして後悔する。
途端に顔から脂汗を流し始め、視線はキョロキョロと周囲を落ち着きなく見回している。
「ん、ああ、うん、いや、まあソウダナ。
俺はソロソロ仕事に戻ろうカナー」
「おい?」
休憩時間はまだまだたっぷりあったはず、そしてブライアンという男はその休憩時間を目一杯使う男である。
そんな男が休憩時間を削ってまで仕事に戻ろうという行動に違和感を感じたトライだが、その違和感が何かというところまでは気づくことができない。
それに今回は自分なりに納得できない部分も多いわけで、できればもっと話をしたいということもあったのだろう。
「ふむ、どんな感じなんだ?」
「そりゃおめぇ、こうガッとだな、婚約してる暇があったら剣を振る! とか言いそうな……ん?」
「サーテ仕事シゴト、巡回は行かなきゃナー」
不意に後ろからかけられた声の正体、それは言わずもがなジュリアである。
やっとブライアンの脂汗の理由に気づいたトライであったが、もはや色んな意味で手遅れだった。
ブライアンは速攻で逃げている、笑顔の後ろに鬼の幻影が見えれば、ブライアンでなくても逃げただろう。
ブライアンと同じくらい脂汗が顔から流れ出たあたりで、あくまでも穏やかな声でジュリアが話しかけてくる。
「そうかそうか、私はガッと言う感じに見えているのか」
「お、おう」
魔王の攻撃と相対したときよりも恐怖を感じるトライであった。
「余計なお世話だ!」
「ごふぁあっ」
炸裂するジュリアの必殺「何かその辺の色々凝縮パンチ」は、レベル差を超えてトライの防御力を貫通し、正確に顔面をクリーンヒットしてダメージを与えるのだった。
「ぐふっ……」
――――――――――
「まったく……たかが婚約ぐらいで騒ぎすぎだ」
場所は変わり、城下町を二人は連れ立って歩き回っていた。
グリアディア首都内での騎士団に課せられた主な仕事は大きく3つに分類される、任務・訓練・巡回である。
このうち任務の無い団員はローテーションで訓練と巡回を行うことになっており、今のトライとジュリアは巡回の時間だ。
ちなみにこれは騎士団の仕事であって、紋章騎士団には巡回と訓練の義務は無く、ある程度の自由行動が認められている。 事前に申請さえ出せば街の外に出ることも可能だ。
「おー痛てて、ここ最近で初めてまともなダメージもらった気がするわ」
実はまともなダメージになったのは本当にこれが初めてだったりする。
トライがこちらの世界に来ての初ダメージがまさかのギャグシーンとは、ある意味で流石と言えるだろう。
「いいか?
これは私なりに納得して決めたことなんだ、お前たちが余計な心配をする必要は無い」
「それなら別にいいけどよ……」
一瞬でトライの表情は真剣なものに変化する。
それを見逃すほどジュリアは腑抜けてはいなかった。
「どうした?」
「いや、あそこの路地に入っていったヤツが何か変だなと思ってよ」
言われてジュリアがそちらに目を向けてみるも、その変なヤツはすでに見当たらなかった。
見当たらなかったが、それ以外の怪しい人物達を発見する。
周辺の店を物色しているように見せて、何も無い虚空を右に左に見ている者。
ジュリアとトライの姿を一瞬だけ見て、不自然なくらいに距離をとって歩いていく者。
まるでスラム街の人間という印象を受けるようなボロボロの服なのに、何故か汚れが少ない服を着た者。
そんな格好をしている彼らからは、街と同化しているかのような希薄な気配しか感じられない。
そしてジュリアには、そんなことをする人物達の心当たりがあった。
「……1つ聞くが、その変なヤツはどんな気配だった?」
「俺に気配なんてもんがわかるかよ。
まあ、感じたことをそのまま言うなら……何も無かった、だな」
「何も無い、か。
なるほどな」
気配などわからないとは言いつつも、こちら側の世界に来てから妙に敏感になった自分の感覚をトライは信用している。
そしてそれが何かわからなくとも、誰かに説明を始めれば以外とすんなり言葉に変わっていくことも学んだ。 人は成長するものである、馬鹿でも。
「おうよ、まるでアイツのいた場所だけポッカリ穴でも空いたみてぇだったぜ」
何も無いという状況は、時に注目される理由となる。
あるべき場所にあるべき物が無い、それを人は異常と判断する。
「なるほど、この街での気配の消し方に慣れていないようだな。
気配の消し方は上手いようだが、気づかれているようでは二流だ」
「……捕まえとくか?」
「ああ、外部の者の可能性が高い。
それに……向こうに何かあるようだしな」
話をしながらもすでに路地に向かっていた二人は、迷うことなく路地に入った。
角を曲がり、途端に大通りとは比較にならないほど閑散とした通路を、神経を尖らせて進んでいく。
「何かって何だよ」
「大通りに数人、怪しい奴らがいたことは気づいていたか?」
「あー、誰かを尾行してるっぽいヤツら?」
一応はトライも気づいていたようだ。
手出しをしなかった理由は無駄に性能のいい『勘』のようだが。
「恐らく騎士団の隠密組織だ。
主な任務は要人を極秘裡に護衛すること」
ジュリアの予想はあくまでも推測にすぎない。
隠密組織はメンバーの顔も名前も公開されておらず、その内容を知っているのは彼らの直属の上司と国王、そして補佐官を含めた上層部の数人のみだ。
それでもジュリアが彼らをそうではないかと予想できたのは、彼らの特殊な気配の消し方にある。
主な任務が護衛であるということは、自然と彼らの任務は首都内かその近辺における任務が主なものとなる。
彼らは経験で理解しているのだ、ただ気配を消しただけでは、トライのように何も感じ取れないことを理由に探知されてしまうということに。
街中での正しい気配の消し方は、まるで一般人であるかのように歩き、一般人であるかのように気配を放ち、一般人と何も変わらないように振舞うこと。
木の葉を隠すなら森の中という諺があるが、彼らはその逆。 森の中に隠れるなら木の葉になればいい、それが彼らなりに発見した街中での正解なのだ。
誰かを尾行している素振りはプロのそれであるのに、気配やその他はまるで一般人という特徴は、まさに彼らに当てはまる条件であった。
もちろんそれだけで彼らと断定することはできないし、そもそも断定されてしまっては仮にも「隠密」を名乗る彼らの名折れである。
故にジュリアはあくまでも推測しているに過ぎず、断定はできていない。
とはいっても第六感は間違いないと告げているので間違いないのだが。
「なるほど、つまりこの先に要人がいるってことか。
だったら俺らが動いたほうが都合いいってわけだな」
「護衛対象によるとは思うが、向こうから接触してこないということはそういうことだろう」
巡回の騎士で片付けてくれるならばそのほうがいい、という二人の判断は正しかったのだろう。
気配が無かった怪しい人物はとっくに見失っているのだが、それとは違う誰かがトライとジュリアの視界を掠めるように目撃される。
その方向に向かえば同じように僅かに目撃でき、まるでどこかに誘導しているかのような動きを見せていた。
「この先って何があんだ?」
「……孤児院が1つあったはずだ」
「孤児院?」
「ああ、しかもその孤児院は……」
「あら?」
不意に響いた第三者の声、それはトライもジュリアも聞き覚えのある、ここ最近聞かなかった声。
しかしその声を忘れることなどできるはずもない、ある人物の声だった。
「お二人とも、こんなところでどうされたのですか?」
そこにいた人物、それは町娘のような服を着た、この国の第二王女。
エルメラが不思議そうな表情で二人を見つめていた。