第41話・つまり俺が嫌いなタイプのヤツってことだ
ダニエル=ダーモント伯爵。
ノモルワ帝国の抑え役であるラウ卿の領地に隣接する領地を持つ貴族である。
政治手腕に関しては上手くやっているようだが、その背後には黒い噂が耐えることはない。
また、性格や態度に関しても良い噂は無く、血も涙もない残虐で非道な男だという。
そんな領主が馬車にも乗らず、自らの領地内を歩き回ればどうなるものか。
「……」
一般市民は誰もが跪き、顔を地面に向けて視線を合わせようとはしない。
もし間違えて目が合ってしまえば、何を理由に因縁をふっかけられて痛い目に合わされるかわからないからだ。
だが、例えそうやって最低限の接触のみを行おうとしたとしても、何も起こらない、というわけではない。
「……おい、そこな娘」
「は、はいっ」
モーゼの海割りのごとく人々が道を開ける中を堂々と歩く銀髪の男は、たまたま視界に入った見た目のいい女性に声をかける。
そこに明確な理由は存在しない、たまたま視界に入り、たまたま見た目が良さそうであったというだけだ。
「顔をあげろ」
銀髪の男は引き締まった肉体でずんずんと進み、シワこそ無いもののそれなりの年齢を重ねた顔から低めの声で命令する。
「は……はい……」
「ふむ」
背中だけを覆う黒いマントの下に着た深い藍色のキッチリとした服を纏った腕が女性に伸びる、掌には白い布手袋がつけられており、そちらもまた高級品の雰囲気を出している。
「なかなかいい顔をしているではないか、我が屋敷に招待してやろうか、ん?」
貴族が見た目のいい女性を屋敷に招待する、それは言わずもがな「そういうこと」である。
そしてその誘いという名の招待は、一般市民にとっては強制にも近い。
「そ、その……わたくし、などにはもったいな……ヒッ」
ダニエルの鋭い視線が女性に向けられ、ただでさえ怯えていた女性は体をビクッと跳ねさせる。
貴族に逆らえばどうなるか、この街ではそういったことになった事例は無いが、他の街でのそういう出来事はすぐに噂として出回るものだ。
逆に、同じような領主であるのになぜこの街では起こらないのか、それは簡単な理由がある。
「旦那様、そんな市民を相手に本気になることもありますまい。
夜のお相手でしたら高級娼婦を貸切にでも致します故、今は予定をこなしてしまいましょう」
ダニエルの後方に控えていた数人の男たちの中から、執事服を纏った年配の男性が姿を現して声をかける。
ダーモント家の良心とまで言われるダニエルの執事、ライルという人物である。
「……爺よ、世の中には手馴れた娼婦より、初心な町娘のほうが好みだという変態もいるらしいぞ」
「不肖この爺めは旦那様が幼少のころよりお世話をさせていただいております故。
旦那様の趣味趣向はご理解させていただいているつもりでございます」
「ふん、ああ娘、お前はとっとと失せろ。
変態の話などをして嫌なヤツの顔を思い出したわ、この怒りで貴様を殴りたくなる前にとっとと消えろ!」
「も、申し訳ございません!
今すぐに!」
女性は一応の礼儀として、すぐに立ち上がるものの一礼をして去っていく。
去れと言われているのでそのまま立ち去っても問題は無いのかもしれないが、それを欠くことで別の怒りをかいかねないとあれば欠かすわけにはいかないのだ。
周囲の人間達が次は自分かもしれないと怯えている中、ダニエルはその姿を見てニヤリと笑い、次の予定へと向かうのだった。
ダニエル=ダーモント伯爵。
この男こそが、ジュリアの婚約者である。
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「……ってのがダニエル卿って人物だな」
「うわ最悪じゃん、ジュリアさんなんでそんな男と……」
「他にも自分の前を横切った子供を蹴り飛ばしたとか、賄賂を渡して他の貴族に色々と融通してもらってるとか。
貴族間のトラブルだけは間違っても起こさない辺り、かなりヤリ手だとは思うけどな」
場所は変わり首都の城内、残念な性格の盾騎士ブライアンが、同僚にジュリアの婚約者情報を聞いているところだった。
今現在、紋章騎士団を筆頭に騎士団内、ひいては城内の噂はジュリアの婚約に関する話ばかりになっていた。
曰く、政略結婚である。
曰く、バーロッツ家が弱みを握られた。
曰く、ダーモント家が公爵家・候爵家に取り入って裏から手を回した。
ダニエル卿という人物の悪評から、まともな縁談が設けられたとは微塵も思われないという状況になっていた。
「……」
「なんだ、トライでも落ち込むなんてことあんのか?」
そのニュースを聞いて以来、トライの様子は落ち込み気味のように見える。
最近のジュリアはお目付け役を解除でもされたのか、あまりトライの前には姿を現さない。
別に婚約が決まったからといってすぐに騎士団を辞めなければならないという決まりは無いし、結婚したとしてもそれは同様だ。
お目付け役という任務は秘密ではあるが、それでも正式に命令があれば何かしらの形でジュリアが離れることはトライにも伝達される。
それが今の時点で無いので、任務は続行中のはずである。
トライは当然その任務のことを知らないのだが、それでもジュリアの行動に違和感を感じずにはいられないようだ。
「落ち込む、っつーかよ。
なんで言ってくんなかったのかな、ってな」
「そりゃあまあ、色々あるわな。
それにまだ正式に退団したわけじゃないんだし、噂のほうが早いなんてよくあることだし」
「色々、ね」
少し前に、一緒に遊んだことを思い出す。
なんてことのない日常であった、何度でも繰り返せる日々の1つだと思っていた。
だから「また」という一言を出した。
だが、思い返してみればジュリアは「行こう」と約束しなかった。
良くも悪くも白黒ハッキリ言うタイプの彼女にしてみれば、曖昧な状態で保留するのは珍しい。
彼女が言った言葉は「行きたい」と、希望を口にしたのみ。
思えば、あれは結婚する前の最後の遊びだったのかもしれない。
そう思った瞬間、トライの心の中には何とも言えぬモヤモヤとした感情が渦巻き始める。
それが何なのか、自分ではわからない。
わからない時は、わかるまで動いてみる、それがトライという男だった。
――――――――――
夕日が照らす赤の時間。
回遊式の王城の外壁上で夕日を眺めるジュリアの姿があった。
「よぉ」
付近に階段等は無い、いきなり現れたように見えるトライは、地上から思い切りジャンプして外壁の上まで登ってきたようだ。
防衛手段であるはずの外壁の意味が無い、設計者泣かせな男である。
「……トライ、か」
いきなりの登場にも関わらず、ジュリアは特に驚いた様子は無い。
いろんな意味で慣れてしまったのであろう。
「聞いたぜ、婚約の話」
お膳立ても駆け引きも無い、真っ直ぐな言葉。
トライは、いつでもそうだ、そういう男だ。
言ったことで後悔することもあるが、言わずにずっと後悔するよりはずっとマシ、それを無意識で実行する男なのだ。
そういう男だと、ジュリアは理解していた。
「……相変わらず、飾らないな、お前は」
理解していたからこそ、会いたくは無かった、話したくはなかった。
会ってしまえば、話してしまえば、何かが変わってしまうかもしれないから。
「飾り過ぎよりはマシだろ」
この男は、きっと変わることは無い。
そしてきっと、トライは今、ただ聞きたいだけなのだろうということもわかる。
聞いて、それからのことはそれから考える、そういう男なのだ、というくらいまではこの決して長くはない付き合いの中で理解できた。
「婚約の相手、あんまいい噂聞かねぇぞ?」
「そうだろうな、私もそう思うよ」
「だったら何で……」
ジュリアは、トライの顔を見ようとはしない。
沈みゆく夕日を眺め、暗くなっていく景色の中を佇んでいる。
その夕日が照らすジュリアの表情が泣きそうに見えて、トライは言葉を詰まらせた。
「……ダニエル卿の領地は、ラウ卿の領地と隣接している。
もしノモルワ帝国がラウ卿を打ち破り、グリアディア側に進行してきた場合、真っ先に戦争となる領地だ。
その時のために武力に秀でたバーロッツ家と繋がりを持っておきたい、というのは妥当な判断だろう」
実際問題として、ラウ卿の領地に隣接している領地は他にもあるのだが、地形的な問題でダニエル卿の領地が進行ルートに選ばれやすい。
そして進行しやすいということは、大多数の移動に適しているだけの草原や、罠を仕掛けにくい地形が多いということになる。
それは即ち、戦争をしやすい地形であるということ、迎撃をしやすい地域であることにつながる。
「バーロッツ家としても、ノモルワ帝国に近い領地に往来がしやすいというのは利点になる。
そもそも戦うことで成り上がってきた一族だ、ダニエル卿を通じてラウ卿の軍を支援する体裁が整えば帝国側に圧力をかけられる。
戦になれば、他家とは比較にならないくらいの戦果をあげられるだろう。
本当はラウ卿のところが良かったらしいが、残念ながらラウ卿は御子息が生まれ、側室はいらないと公言してしまったからな」
ラウ卿の子供はまだ生まれたばかり。
ダニエル卿のところへジュリアが嫁ぎ、すぐにでも身篭ればラウ卿との年の差は2~3歳程度になるだろう。
そうなれば年の近い子供同士という理由で、ダニエル卿は気軽にラウ卿の元へと出かけることができる。
子供同士が仲良くなれば、自然と将来の領主同士、いい関係になれるだろう。
そしてその子供には、バーロッツ家の血が入っているということを理由に、自然とバーロッツ家が戦の最前線であるラウ卿の領地へ出入りが可能になるのだ。
「……俺が聞きてぇのは」
不満顔で絞り出したトライの言葉は、ジュリアのさらなる説明に遮られる。
「つまり、私がダニエル卿のところへ嫁ぐことで……」
それが、トライには、ひどく不愉快だった。
遮られたことが、ではない。
「俺が! 聞きてぇのは!」
「っ!」
ジュリアに詰め寄り、彼女の肩を掴む。
そこまでして、彼女はやっとトライを真正面から見た。
やっと、気づいた。
トライの顔が、怒りに満ちていることを。
「領地とか家とか、そんなことじゃねぇんだよ!」
わかっていた。
ジュリアもそんな話を聞きにきたわけではないことくらい、わかっていた。
わかっていても、その話をすれば、決意が揺らいでしまうような気がして、言えなかった。
「お前が、それを望んでんのかって聞いてんだよ!」
答えない、答えられない。
だから、会いたくなかった。
「……私は」
だから、彼女は答えないままトライの手を払いのける。
答えれば、取り返しのつかないことになってしまう気がして……
払い除けた手を置き去りにして、ジュリアはトライに背を向けて歩き出す。
「……私も、お前のような男に生まれたかったよ」
「ジュリア……」
ジュリアは、城壁の上を歩いて去っていった。
夕日は沈み、星が輝く空の闇が、ジュリアの後ろ姿を隠していく。
その背中が、泣くのを我慢している子供のようで、それでも泣かないと決めた大人のようで。
トライは、ジュリアを追いかけることができなかった。