第35話・つまり魔王はヤベェ、マジでヤベェわけだ
誰もが茫然自失となる中にあって、たった一人だけそれを予想し、誰よりも早く動いた人物がいた。
「5分よ」
その言葉が確かに聞こえたはずの植物幼女型の魔族は間抜けとも言える声を出す。
「……ふぇ?」
その暢気な言葉に気を悪くしたのか、それともそもそもそういう気分であったのか。
それは本人にしかわかることのない部分ではあるが、とにかく彼女はそういう気分であった、
すなわち、怒りだ。
「5分だけなんとか抑える!
その間に全速力で撤退させなさい!」
端から見れば幼女にマジギレするという、性格が非常に残念であると思われそうな態度ではあったが、この場でそれを指摘できる者はいない。
その怒りが焦りから来るものだということまで気がつける者など、ことさらに少ない状況であった。
「急いで!」
普段であれば、怒っている時でさえどこか余裕のある、まるで怒っているフリをしているかのような態度の魔王。
それが今、そんな余裕など全く無い表情で言葉を吐き出す彼女の姿に、幼女は言い知れぬ恐怖を感じ取っていた。
魔王からではなく、魔王にそんな態度をとらせるほどの「敵」に……
「奥の手……使わせてもらうわよ……」
途端に、魔王の周囲に再び魔力の嵐が巻き起こる。
しかしそれはグラヴィティプレスの半分ほどでしかないほどに小さく、少ない魔力だ。
先ほどの大魔法とでも呼べる現象を、そしてそれを生み出す過程を見たものであれば、いっそ落胆さえできるほどの魔力量でしかない。
それが1つであるならば。
例えばそれが、「4つ同時」に展開されていればどう思うであろうか。
その4つ全てが、グラヴィティプレスよりも高度に、精密に、計算されつくされた魔方陣に編み上げられていく様を見ればどうであろうか。
ありえない。
誰かが、いや、恐らくは誰もが、大魔法と光の剣による激突をそう思ったであろう。
しかし今、幼女の目の前に広がる光景は、それと同じくらいに「ありえない」ものであった。
「5分たったら、私は一切行動できなくなるわ」
魔力の渦の中から、あまり大きくは無い声量で魔王の声が響いた。
しかし幼女には、魔王の顔を流れる汗と苦しげに歪んだ表情を確認するのと同時に、確かにその声を聞き、そして同時に悟った。
5分が限界なのだと。
「……回収、頼んだわよ」
魔王は、人に頼ることをしない。
結果的にそうなることが多いとはいえ、自らそれを口に出すことはほとんど無い。
そうなるように周りを動かし、そうなるような状況を作り出していく、それがこの魔王という存在だ。
そんな魔王が、「頼む」と言った。
幼女がその言葉に何かを感じ取った。
そして無言で、反対側にいた糸目の魔族と頷きあう。
二人の魔族は、魔族としての実力……つまり戦闘能力は、決して高いほうではない。
それでも、この二人が魔王の側近とも言うべき距離に常にいる、というのは決して魔王の趣味などではない。
魔王の求める能力に最も近いものを持っていた。
目の前で生み出されつつある圧倒的な「戦闘能力」を持つ魔王だからこそ、最も欲したのはそれ以外の能力。
「植物さん達、力を貸してぇーーーっ!」
どこまでも暢気に聞こえる声を精一杯張り上げ、自らの眷属とでも言うべき植物達へ魔力と共に命令を送る幼女。
その呼び声に答えたのは、彼らのいる場所から後方に広がる森の木々であった。
木々の葉が光を帯び、紅葉の終わりを告げる落葉の如くその葉を舞い散らせる。
ただし実際に散っているのではなく、葉の形へと変化した魔力の光だけが、幽体離脱したかのように木々から離れていく。
やがてそれは魔族達へと降り注ぎ、ひらひらと舞いながらも、まるで吸い込まれるように負傷した部分へと張り付いていく。
起こる変化は「治癒」
再生という細胞の自己増殖作用の促進による回復ではなく、無から有が生み出され、それが限りなく自然な形で既存の存在と融合していく。
物理法則を完全に無視した、魔法により起こる神秘の現象。
幼女の持つ能力は、ことその方面に関しては他の魔族に追随を許さない、回復特化とも呼べるものであった。
ただし媒介として「生きた植物」が必要という、破壊を得意分野とする魔族にとっては異端とも言える能力なのだが。
幼女の能力によって傷が癒え、足取りがしっかりとした魔族達は撤退の速度を上げる。
「……」
無言で地面に片膝をつき、地面にそっと手をつける糸目の青年。
彼の手に触れたものは、自らの影。
触れられた影は形を変え、無数の細長い紐のような形へと変わっていく。
それは魔族の兵達へと伸びて行き、彼らの影と繋がる。
繋がった影から再び影の紐が伸び、近くにいた別の魔族の影へ、そして再び別の影へ。
無数に伸びた紐はほぼ全ての魔族の影へとつながり、そして最前線にいる者たちへと繋がった。
生まれた現象は「闇」
影から真っ黒な霧が生み出され、光さえ通さぬとばかりに視界を奪い去っていく。
ほとんど全ての魔族から生み出されるその霧は、瞬く間に魔族の姿を闇の中へと包む。
不思議と魔族にとっては視界の邪魔にならないという魔法の神秘によって、闇の中を魔族達は駆け抜ける。
状況の好転を逸早く察し、少しでも戦果をと単独行動に走った人間の炎魔法が飛来する。
しかしその魔法は霧に触れた途端、炎の塊という与えられた命令に従うことができずに崩れ去っていく。
無力化こそされなかったものの、ほんの数メートルも進まないうちにただの炎の波と化す。
そして、その程度でダメージを負うような弱い魔族は、この戦場にはいなかった。
魔法の弱体化という能力を持つ特殊な魔族。
希少な能力ではあるが、肉体性能を弱体化することはできず、扱う本人の肉体能力が低かったため、その能力を評価されることはなかった異端の青年。
青年が放った霧に隠れ、人間の追撃が難しくなった霧の中を魔族達は走り抜ける。
二人は、魔族の評価基準で言えば決して強くは無い。
だがしかし、魔王の考える評価基準で言えば、非常に「使える」能力を持った魔族であった、
あとは時間さえ稼げば撤退は無事に完了するであろう。
そんな安堵の息を吐いたころに、「それ」魔王の呟きと共に完成した。
「……『エクステンションフォース・トリプルスペル』」
魔王が展開していた魔力構築が完了し、何も無かった空間に突如として菱形をした水晶が3つ出現する。
そこで終わっていれば、そんな能力を持った魔族もいる、程度の認識でしかなかった。
展開された魔法は1つ。
そして
展開されずに構築を続けている魔力は「3つ」
展開された1つのスキル、その効果は「本体とは別に魔法を扱えるオプションを3つ出現させる」というもの。
出現したのは3つのオプション、そして展開されていない魔力は3つ。
それがどんな意味を持っているのか、幼女と糸目の青年はそれを直接目にする。
「むぅぁああー! 『エクステンションフォース・トリプルスペル』三重起動!!!」
それぞれの水晶から、さらに3つの水晶が生み出される。
9個もの水晶が追加され、合計12個となった水晶が魔王の周囲に浮かんでいた。
「はぁー、はぁー……」
ただしそれを生み出した本人は苦痛に顔を歪め、顔に汗が滲んでいる。
これほど高度な魔法を、12個同時に制御するのにどれほどの負荷がかかっているというのか、むしろ展開できているだけでも奇跡のような現象だ。
魔力の扱いの難しさを知るものほど、そのありえなさを理解できる。
そして、この状況がどんな惨状を生み出すことができるのかも……
「行くわよ……『ガトリングスペル』……」
目を瞑り、集中するかのように言葉を一度切り、深く息を吸い込む。
破壊のキーワードは、もはや唱えられた。
勢いよく目を開き、攻撃目標を視界に納める。
狙いは、グラヴィティプレスを破ったあの騎士ただ一人。
「十三重起動ぉっ!」
一斉に輝く12の水晶。
数秒の溜めを置き、放たれる無数の魔法。
火が、水が、風が、土が、氷が、雷が。
鉄が、光が、闇が、毒が、衝撃波が、無属性が。
魔法で再現可能なあらゆる属性の矢が、まさしくマシンガンのごとく放たれる。
発射間隔こそ4秒に1発ほどと早くは無いが、それが13個もあれば問題になりはしない。
回避することなど想像もできないようなその光景は、魔族にとって反撃の狼煙にも思える光景であった。
――――――――――
ほんの少しだけ時間を遡り、グラヴィティプレスを打ち破った直後のこと。
「……っぷあー!
なんじゃ今のは!?」
トライは自分が何をしたのかもわからず、目の前の光景を疑問に感じていた。
ゲーム時代には一度として相殺することのできなかったスキルを、余裕さえ感じるほどの攻撃を持って相殺しきった。
いくら魔力の扱いを多少覚えたとはいえ、ここまで強力になっているとは思っていなかったのだ。
(……とはいえ、もう一回はできねーな)
グラヴィティプレスを打ち破る瞬間、トライの体は不思議な力に満たされていたような感覚があった。
それが今では、欠片も感じとることができていない。
なんとか湧き上がる力を感じ取ろうと、体の内側に意識を向けていた時、トライの頭上を一発の炎魔法が飛んでいった。
「ん?」
炎を見上げ、向かった先を見つめ、いつの間にか黒い霧が発生していることに気づく。
トライはその黒い霧に見覚えがあった。
「……『愚か者の霧』……だっけか。
確か、敵味方問わず魔法スキルの威力と効果時間を減少させる……だったような……」
仕様を思い出しつつ、この場合の運用目的を軽く考えてみるという、珍しく頭を使う行動をするトライ。
少ない脳の稼動領域をフル活用した結果、出てきたのは「敵は逃げに徹した」というものであった。
ゲーム時代なら肉体能力の高いモンスターがこの隙に攻撃を仕掛けてくるのだが、ここは現実化した世界。
撤退の補助として使うのであれば、これほど適したスキルも無い。
視覚情報を遮断しつつ、霧の中では魔法が大した威力にならない。
事実として味方が放った魔法は魔力的な力を持った魔法ではなく、ただの炎の波となって霧散していった。
これでは追撃戦を行ったところで、大した結果にはならないだろうと簡単に予想できた。
……このへんは言葉ではなく本能的に「そんな気がする」程度の認識ではあるが。
「……何だ?」
だからだろう。
「……何か、飛んできて……」
意気揚々と追撃戦に移りたがっている人間の軍が、かなり近寄ってきていることを気にしなかったのは。
魔法が弱体化される霧の中から、魔法が飛び出してくる、ということを想像しなかったのは。
それが1発や2発などではなく、マシンガンのごとく大量に打ち出されてくるなど考えもしなかったのは。
「う……おっ!?」
それはただの脊髄反射。
飛来した魔法の矢を、咄嗟にガードアタックで上空へ弾き飛ばす。
「!?」
驚いていられるほどの時間的余裕は無い。
弾いた瞬間に、2発目がトライに迫っていた。
それを地面に叩き落すようにして再びガードアタックで弾く。
2度あることは3度ある。
それを知るトライは、3発目を余裕を持って確認し……
「……マジかよ」
その後方に無限とも思えるほど続く魔法の嵐までも確認してしまった。
目前に迫った3発目を後ろに流そうとして、トライは咄嗟に上空への打ち上げへと切り替える。
(やべぇ、他のやつらが近すぎる。
迂闊に弾けねぇぞ!?)
4発目、無理な動きをしたため、もはやガードアタックで打ち返すのは間に合わない。
しかし避ければ、近寄ってきていた騎士団に直撃する。
グラヴィティプレスを放ったのと同じ者がこれを行っているのであれば、直撃した兵士は死ぬ可能性が高い。
「があっ!」
苦肉の策として、ガードアタックの要領で肩から体当たりをする。
(……多少は軽減してる、な)
ぶつかった衝撃で若干後ずさりこそしたものの、大きなダメージは負っていないことがすぐに理解できた。
(剣だけじゃ確実に手数が足りねぇ、多少食らっても死にはしねぇ。
だったら、両手両足全部使って耐え切るしかねぇ!)
相手の放っている魔法の嵐にも、見覚えが無いわけではない。
ゲーム時代の仲間が、同じようなことをしていたのだ。
それと同じ発想をする存在がこの世界にいても別段不思議なことではない。
トライにとって重要なのは、仲間と同じ攻撃であれば時間制限がある、という点だけだ。
「お前ら! 絶対に俺の前に出んなっ!」
魔法の嵐が見えた人間の軍は、思わず足を止めていた。
トライに言われるまでもなく後ずさり、再度撤退の準備を開始している。
その言葉を話している間でさえ、すでに数発の魔法がトライに到達している。
「……MP足りっかな……?」
大技を連発した影響が、ここにきて出始めていた。
制限時間が来るのが先か、トライのMPが尽きるのが先か。
青白い光を剣だけでなく、両手両足に纏いながら呟く。
トライの頭の中で、スイッチの音が再度鳴ることは無かった……