第33話・つまりスキルは魔力を使った技だったわけだ
「……」
ゆっくりと落下を続けるダンシングウェポンで組んだ足場の上から、チラリと後方の砦を見る。
意識して見ていなければわからないほど一瞬、そこが光ることを知っていなければ気づかないような瞬き。
それが味方がいる砦から出ているのを確認したトライは、フルフェイスの兜に隠れて見えない顔で不満そうな顔を浮かべていた。
(……もういいか)
徐々に落下速度が遅くなってきている足場に乗ったまま、砦のほうから目の前にいる敵のほうへと顔を向けなおす。
バイクのサイドカーにそっくりな乗り物を操り、トライの周囲を高速で移動し続けているロンドへと。
戦いの終わりが近い。
そしてその終わりを迎えるのに、トライがロンドに勝利することは条件に含まれていない。
勝利しても、敗北しても、戦いは終わる。少なくともトライはそう聞かされている。
しかし
そうトライは「しかし」から続くようなことを考えていた。
勝敗に関係なく戦いは終わってしまう。勝負がつかなかったとしても戦いは終わってしまう。
せっかくの慣れてきた戦い方が、心が熱くなれるような相手が、更なる強さの切欠を掴めそうな戦いが。
終わってしまう
それが、感情を隠すということを全力で海にバカヤローと叫びながら投げ捨てた生き方をしてきたトライの表情を不満そうなものへと変化させていた。
トライ自身も、なぜこんなに心が高揚しているのかよくわからない。
よくわからないが、わからないものはわからないと割り切って、思うが侭に行動することにしているトライは理由を考えようとはしない。
戦うことが好きな性格では無かったはずだとしても、戦いや誰かを傷つけることを望まない性格だったとしても。
それでも「今」のトライは、戦うことを望んでいた。
戦って、勝利を得ることを望んでいた。
だから、彼は事前に下されていた命令を無視することにする。
……正確に言うならば、別のことに意識を集中させるために命令から何から全て忘れてしまった、と言うのが正しいのではあるが。
(……つまり、スキルは結局魔力を使った技のことなわけだ)
武器強化を行った状態で放つ魔力の放出。
それを幾度か使った結果、トライが感じていたのは何かに似ているという感覚であった。
本来であれば空中に打ち上げられたとはいえ、さっさと着地して地上で迎え撃つというスタイルが本来のトライの戦い方だ。
それをあえてダンシングウェポンを足場にした空中戦を挑んでいたのは、ただのノリとか雰囲気に流されたなんてわけではなく、もちろんパッシブスキル「空気←なぜか読めない」が発動しているので空気を読んだというわけでもない。
実はこっそりと、スキルと魔力の扱いを色々と実験していたのだ。
言葉として正確に理論を理解したわけではないが、というかトライの頭でそんなことは不可能なのだが、とにかく感覚としてトライは魔力の扱いを理解しはじめていた。
結果から言えば、魔力とはゲーム時代のMPとなんら変わることはない。
ただその扱いの自由度があがっただけで、オートで使ってくれるのがスキルでマニュアルで使うのが魔力を使った行動だというだけだ。
そしてマニュアルで使うということは、オートでは設定不可能な様々な部分に直接魔力を使用することができるということである。
それが最大限に活用された結果が、武器強化からの魔力開放だ。
考えてみればなんということはなく、魔力開放とトライの使う遠距離攻撃スキル「デッドライン」
その2つは出力が違うだけで、結果として行うことは同じことでしかない。
加減がわからなかったために、過剰とも言えるほどの魔力を使用した結果があの光の奔流というわけだ。
つまるところ、トライが何を得たのかと言えば……
(……こういうこと、だよな)
ゆっくりと降下していたダンシングウェポンの足場が、空中でピタリと「静止」する。
オート操作によって、トライの体重を支えるには出力不足だったダンシングウェポン。
それは今、トライから過剰な魔力供給によって、その安定性を飛躍的に高めていた。
「……ッ!」
ロンドの背筋に流れていた冷や汗は、その状況を確認した瞬間にさらに増える。
ただ静止しただけのはずなのに、ロンドの感覚は危険信号を体に送り始めている。
なぜそう感じるのかもわからない、だが本能があれは危険だと警鐘を鳴らしているのだ。
「終わりだ」
足場の上で屈んでいた姿勢からトライは立ち上がり、ロンドに示すように親指で後方を指す。
味方がいる砦のほうへと、今しがた何かが光った砦へと。
「何を言って……」
いる、という2文字がロンドの口から出ることはなかった。
魔力の流れを感じ取れる者ならば、トライの指した方向に異変が起きていることを感じ取れるのだから。
そしてロンドは、今まで「それ」に何度も悔しい思いをしてきた。
だから、トライの行動が何を意味しているのかをすぐに理解した。
「これは、攻勢防壁魔法『セイントキャッスル』か!」
ロンドが叫んだ魔法こそが対魔族戦における、グリアディア王国側の切り札。
今まで力で勝る魔族軍を退け続けてきた絶対の防壁。
ゲーム時代ではプレイヤーでも使える防御魔法で、一定範囲にモンスターが進入できないうえに、範囲内にいるプレイヤーを徐々に回復させる領域を作り出すもの。
さらにそこから二周りほど大きな範囲までを、レーザーのような光の魔法が襲うという攻防一体のスキルであった。
ちなみに致命的な欠点があったため、ゲーム時代は使用頻度が低かったのでトライはその欠点以外の性能を忘れているが。
もちろん、ゲーム時代は6人パーティーが2組も入ればいっぱいになるようなものでしかなかった。
しかし今回のものはトライが聞いている限り、砦全域をカバーしてなおさらに余裕があるというのだから、その規模は桁違いだ。
「なるほど、まんまと時間を稼がれた……というわけか」
戦いは終わったとでも言いたげに、ロンドは空中を走る速度を緩める。
それに顔を顰めるのはトライだ、兜で見えないが。
「まぁ、そうなんだけどよ……」
非常に残念そうな顔と声でそう言うが、それがロンドに伝わるとは思っていないのだろう、諦めの感情から無意識に溜息を吐いてしまっていた。
「……フ」
「フ?」
しかし、そうではなかった。
「フフ……ハハハ」
ロンドは、笑っていた。
それは終わりを意味する笑いではなく、これからが始まりだとでも言いたげな笑いだ。
「アハハハハハハ!」
片手で額を抑えるロンドは、まるで演劇のように笑い出す。
低く、擦れたその声は、思いのほかよく響き、二人の下にいた戦闘中の兵達にも届いた。
「アッハッハッハッハッハッハ…………馬鹿が」
笑いが唐突に止まり、息を深く吸い込んでから放った罵倒の言葉。
それが放たれた瞬間、ロンドの周囲に魔力の渦が巻き起こった。
小規模な竜巻のように荒れる空気にさらされ、崩しかけた体勢に喝を入れ、心構えも再び戦闘用に切り替える。
何かある、何か切り札を持っている、今のロンドの顔はそれを信じられるだけの表情をしている。
先ほどまでの炎のような、戦いを楽しむ笑顔はすでに無い。
あるのは感情の無い氷、まるで虫けらを見ているかのような表情のみだ。
「いつまでも同じ方法が通用すると思っているとはな……」
魔力の渦はロンドの周囲を巡ったあと、その上空へと昇っていく。
しかしそれは空気に溶けて消えることはなく、ロンドの魔力として空中に拡散している。
もし、その魔力の流れをトライが見ることができたならば、その広がっている魔力が特定の形に広がっていることに気がついただろう。
そしてもし、トライがゲーム時代の魔法スキル1つ1つにある視覚効果を覚えていたならば、それがどんなスキルかすぐに気がついただろう。
それがゲーム時代、NPCの店では絶対に入手ができない「レベル6」の魔法であると。
「見るがいい人間ども、これが、第6階位魔法『イグニートストーム』だ!」
ロンドの叫びと同時に、空中が「燃えた」
正確には広大な範囲に炎が出現したというだけなのだが、何も無い場所に炎が広がる光景は、まるで空が燃えているかのようであった。
状況のわからない後方の兵達はその光景を純粋に恐れ、前線で戦う兵達は思わず進む足を止め、空を見上げた。
やがてそれはロンドの真上部分を中心に渦を巻き始め、炎で作られた雲が竜巻に吸い込まれていくように、下方向へと向けてその矛先を伸ばし始める。
炎魔法『イグニートストーム』
この世界においては階位で表されるその魔法レベルは6。
ゲームではNPCからは入手できず、特定のモンスターを特定の手順と専用のアイテムを使って倒すと低確率で入手できるもの。
やり方さえわかってしまえば入手は容易なため、入手手段が公開されてからはすぐに普及したプレイヤーにとっては一般的な魔法だ。
ただしその威力はレベル5以下と比較にならず、発見直後は魔法使い系の需要が一気にあがることとなったほど高威力を誇る。
その後発見された同レベル帯の別属性魔法と比較しても威力が高く、攻撃範囲も適度な広さを持つことから人気の高かったスキルでもある。
もちろんトライもこれは覚えている、というよりも手順を発見したのはトライ達だったりする。
その後も頻繁に使われていたので、というかダメージは無いが巻き込まれていたので、忘れようにも忘れられないスキルだったりする。
だから、気づいた。
「……こりゃやべぇ」
このまま2つの魔法がぶつかりあえば、確実にセイントキャッスルは負ける。
威力とか、込められた魔力量とかの問題ではない。
セイントキャッスルの欠点、それはセイントキャッスルより魔法レベルの高いスキルが範囲内に入った瞬間に「消滅する」というこだった。
敵味方を問わず、レーザー範囲の端っこに触ったような入り方をしただけでも問答無用で消滅してしまう。
そしてセイントキャッスルの魔法レベルはNPCの店から入手可能な「レベル5」である。
高レベルマップになれば敵はわんさかとレベル6以上の魔法を放ってくるので、発動してもすぐに消されてしまうため、トライ達がゲームを始めるころにはすでに微妙な扱いをされていた。
レベル6以上の魔法が発見されて以降は、プレイヤー側もレベル6以上の魔法を使うようになったのでむしろ邪魔扱いされてしまうことになる。
これが理由で、トライはゲーム時代にこのスキルを目撃することは無かったため、作戦で伝えられるまでそのスキルをすっかり忘れていた。
「まあでも、よ」
しかしこの状況は、何故かトライの心を高揚させた。
これはつまり、この男を倒す必要ができたということだ。
この男がいる限り、セイントキャッスルは絶対の防御にはなりえない。
この場で倒さなければ、いつかはやられる。
ならば、今やる必要がある。
トライの笑みが、狂気的な形を描く。
それに本人はおろか、周りの誰も気づくことはできなかったが。
戦いを再開しよう、そう思った瞬間に、一瞬だけ「我々は時間稼ぎだ」と言っていたジュリアのことを思い出すが――――
「もういいか」
――――どうでもいい、そんな気持ちがトライの心を占めていた。
今は、命令なんかどうでもいい。
今は、戦争の行方なんかどうでもいい。
今は、ロンドとの勝負以外はどうでもいい。
どうしてそんな考えをしているのか、自分をそんな風に疑うことさえどうでもいい。
余計なことは全てどうでもいい、ただ戦うだけでいい。
だから、今するべきことは、握り締めた剣を振るうことだ。
ロンドが放とうとしている炎を、切り裂くだけだ。
炎を切り裂き、ロンドを切り伏せ、魔族軍を切りまくる。
それだけでいい。
トライが、足場からロンドに向けて飛ぶ。
それと同時に、砦から完成したセイントキャッスルの光が放たれ、光の壁がドーム状になってどんどん巨大になっていく。
光の壁と一緒に迫ってくるトライへ向けて、ロンドが叫ぶ。
「死ね! 人間があああああ!」
白い光のドームを背景に、黒い影となってしまったトライという光景。
それを真正面からトライだけを見ていたロンドは、見えるはずの無いものを見た。
どんなに力があろうとも、どんなに強力な装備を身につけようとも、所詮人間は人間。
策を使い、策に溺れ、自ら泥沼に嵌まっていく矮小な存在。
策ほど、力で正面から破られたときに弱いものは無い。
策など、所詮は力の無い弱小種族がするもの。
だから、破るだけの力を持って、正面から打ち破ろうとしてやった。
新たな魔王に教えてもらった力の使い方とは言え、それを使いこなせた自分はやはり力があったから。
この力の前では、人間など恐怖か絶望しか感じることは無い。
地上で呆けている人間達のように、自らの死を待つことしかできない……はずだった。
だから、ロンドは見えたものが信じられなかった。
なぜ、あんなものが見えたのか。
なぜ、こんなものがここにいるのか。
なぜ、自分はこんなものと戦っていたのか。
黒い影の、顔らしき部分。
なぜ、そこに、赤い亀裂が見えるのか。
なぜ、それは、笑っているように見えるのか。
なぜ、それが、兜の意匠ではなく、「人間の顔」だとわかるのか。
なぜ……
――――――――――
「うおおおおおおおらああああぁぁっ!」
ベルセルクブレードに青い光が迸る。
それはすぐに剣の大きさを超え、トライの身長を超え、身長の倍を軽く超え、3倍ほどの大きさにまで広がる。
青く、しかし黒く、されど強く輝く光の奔流は、振るわれた剣の軌跡から大きく飛び出す。
間欠泉のように、唐突に空中から噴出した超常現象は、同じ超常現象である炎の竜巻へと真っ直ぐに突き進む。
ぶつかり合う光と炎。
炎を貫くためだけに真っ直ぐ突き進む光、光を飲み込まんと巻きつくように攻める炎。
だがしかし、真っ直ぐに進むものを止めることができるのは、同じ真っ直ぐに進むものか、逆に全く動くことのないものだけだ。
トライの性格を現したかのように真っ直ぐに、ひたすらに真っ直ぐに突き進む光を、炎が止めることはできない。
動くべき道を荒らされ、存在を構成する魔力そのものを破壊され、炎の渦はただの魔力となって空中に霧散していく。
そして、その先にあるのは、炎を生み出した存在であるロンドがいる。
「う、お、あ、あああああああ!?」
怖い。
ロンドはこの瞬間に、恐怖を抱いていた。
死が迫っていることが怖いのではない。
死を、笑いながら生み出す男を恐れていた。
避けなければ死ぬ、しかし恐怖で体が動かない。
車を動かせばいい、恐怖で魔力がうまく操作できない。
怖い、ただひたすらに、怖い。
心からの恐怖というものを久しく忘れていたロンドは、この瞬間全く動くことができないでいた。
むしろ死ぬことでこの恐怖から逃れられるのであれば、死を受け入れても構わない。
死が安堵に繋がると思えるほどに、恐怖していた。
ロンドの視界が真っ白に包まれていく。
せめて意識が無くなるまでは目を開けていようと、それが今できる最大限の抵抗だと思い、決して目を閉じることはしなかった。
だから、ロンドは困惑した。
自分の目の前スレスレを「通過」していく光の柱に。
当たらなかったことに、困惑した。
間違いなく直撃コースであったはずなのに、確実に死んでいたはずなのに。
「よぉ」
原因はこいつだと、すぐに理解できた。
目の前にいる悪魔の鎧を着た男。
先ほどの恐ろしい姿は何だったのかと疑いたくなるほど、軽い空気で話しかけるこの男。
「またな」
剣は左手だけで持っている。
右手は体の後ろにあって、思いっきり殴る体勢だった。
兜の意匠は、確かに悪魔が笑っているように見える。
だがしかし、ロンドは確かに感じた。
(ああ……こいつ、また「笑って」やがる……)
トライの右手がロンドに迫る。
恐怖にすくんだ今のロンドは、反応することすらできない。
いや、反応することを、体ではなく頭が拒んでいるのだ。
負けた。
しかしロンドは思いなおす。
今回は、負けた。
一瞬、刹那の瞬間にそう思い直した。
だから、殴られる瞬間に、顔面に拳が吸い込まれる瞬間に、言葉を吐き出した。
「次は勝つ」
大砲が放たれたかのような轟音が、空中に響いた。
空を舞うのは、炎魔将軍と呼ばれた男と、その男が操る漆黒のハルバード。
魔力の供給が無くなった炎の車は、ただの車となって力無く落下していく。
後に残るのは、腕を振り切った姿勢の悪魔。
広がるセイントキャッスルの白い光が、その姿を黒い影へと変えていた。




