第30話・つまり戦いが始まるわけだ
「……あ〜」
光の間欠泉を生み出したトライは、その光景が終わると同時に悲しそうな声を出した。
天使のような顔が見ているのは、間欠泉の原因となった自らの剣。
支給品で訓練以外ではあまり使わない代物だが、支給されてから一ヶ月もの間を使い込んで愛着すら湧き始めている一品だ。
その剣は今、見るも無惨なほどボロボロになっていた。
「ふむ、放った魔力量が多すぎて耐えられなかったのか?
これではもう使い物にならないだろうな」
「ほほう、強化もやりすぎるとこうなるのか」
二人の騎士は悲しそうな顔をしているトライに気づきながらも、あえて冷静に分析をする。
愛着を持つのは仕方のないこととはいえ、戦闘中に壊れてしまった際にはそんなことをしている余裕はない。
そんなことをしてしまえば致命的な隙を晒してしまうだけで、彼らの常識からすればそれは「死」と同義だ。
だからこそ、これは普通のことで気にする必要はないと学んでもらう必要がある。
例え普通ではないほどに愛着のあった装備だとしても、それを気にしている時間など無いのだと気づいてもらう必要がある。
戦場での「死」は、誰にでも平等であっさりと訪れるものだから。
その予兆をほんの少しでも知っていただけで回避できるのであれば、彼らはそれを教えることを戸惑うことはない。
誰でも隣人が死ななくて済むのであれば、助言をした程度で死ななくて済むのであれば、誰でもそれをするだろう。
「……うし」
ヒビ割れ、刃は欠け、根元から三分の一ほどのところから先が消えてしまった片手剣を眺めていたトライは声を出した。
二人の会話と、気を使ったような雰囲気から何かを気づいたようだ。
トライは先端の無くなった片手剣を無理矢理地面に突き刺し、垂直に立たせる。
それをもう一度じっと見つめ、両手を合わせて合掌のポーズをする。
「すまん、今までありがとよ」
きっとそんなことをする必要は無いのだろう。
道具は所詮道具でしかなく、作った人間への感謝こそされども道具そのものに感謝をする必要など無い。
それでもトライは、僅かな時間とはいえ共に過ごした道具に、自分の命を預けてきた武器に、感謝の言葉を伝えるのだった。
悪く言えば不器用で、良く言うなら誠実と言えるその態度。
ジュリアはトライと同じようにして目をつむり、合掌をして声こそ出さないものの祈りを捧げる。
騎士団長は口角を僅かに上げるだけの笑顔を作り、何も言わずに二人を眺め続けていた。
「……うし、復活。
悪ぃな団長、ぶっ壊しちまった。 これどうすりゃいいんだ?」
突き刺した剣を片手で引き抜いたトライが騎士団長に向き直り、二人に近づきながら話しかける。
復活と自分で言っただけあり、吹っ切れたようなすっきりとした表情がトライの顔に張り付いていた。
「ああ、溶かして再利用できるかもしれんから廃材置場に置いといてくれ。
新しいヤツは後で渡そう、今壊れたのはちょうどよかったかもしれんな」
「ちょうどよかった、とは?」
意味深な騎士団長の言葉にジュリアが違和感を覚えたようだ。 トライは当たり前のように気づいていないが。
「ああ、実はな……」
――――――――――
魔族。
それは人間と似た、人間ではない存在。
体の一部が、あるいは1つの器官が、はたまた体の全部が人間とは違う「何か」になっている種族。
そこに統一性はなく、例え親と子であっても「何か」が同じであることはない。
その「何か」が例えどんなものであっても人間と似た見た目になるとと、瞳の白目と黒目が逆転していることだけが共通していることだ。
そんな魔族の一人。
周囲からは「炎魔将軍」と呼ばれ恐れられている魔族の男がいる。
その男の名はロンド。
細長い黒色の鉄板を何十枚も並べたような形状の全身鎧に身を包み、どう見ても重量のありそうなそれを支えるのに十分すぎるほどの盛り上がった筋肉。
身長2メートルにも及びそうな筋肉の塊が持つ武器は、その巨体に見合うだけの巨大な斧部分を持った黒いハルバート。
槍になっている部分を地面に突き刺し、反対側の石突に両手を乗せている。
年季を感じさせる50代にも見える顔つきだが、その逆転した白目はギラギラと輝いているように見える。
炎のような印象を持たせる赤みを帯びた金色を逆立て、両方の口角を上げた獰猛な笑みをハルバート越しに見える景色へ向けている。
彼は興奮しているのだ。
これから起きる戦いを前に、程よい緊張感が包まれている自分と、自分の仲間たちの仲間を見て。
力を振るうことこそ魔族にとっての喜び、その喜びを目前に控え、彼は興奮しているのだった。
そう、ここは戦場。
前回の侵攻した場所と同じく、魔族とグリアディア領との境目に位置する砦の僅か手前。
すでに明日にも侵攻を開始できるほどの準備は整っている。
自分が命令をすれば、今すぐにでも戦いは始まるだろう。
彼が持つハルバートの先には、それだけの準備を整えた魔族達がいた。
と言っても、さすがに準備が終わったのはつい先ほど。
ここに来るまでの疲労も溜まっているであろうし、何より自分自身が多少なりとも疲労を感じている。
戦いを始めるのは今日ではなく、しっかりと休息をとって明日にするべきだ。
他の魔族達もそれをわかっているのか、各々がテントで休憩していたり雑談をしたりして時間を潰している。
今すぐにでも突撃と命令したい気持ちを抑え、炎魔将軍ロンドは自らのテントへと向かおうとする。
「将軍殿」
そこへ声をかけてくるものがいた。
ボロボロのフード付きマントを羽織った男で、その内側を見ることはできないが掠れた声が特徴的だ。
ロンドはすぐにその人物の正体に気づいたようだ。
「……霊魂使いか、調子はどうだ?」
「ハッ、まだ万全には程遠い状態ではありますが、戦闘であれば問題ありません。
……この度は私の失態により、将軍殿のお役に立てず申し訳ございません」
霊魂使い、と呼ばれた男はギリッと奥歯を噛み締める。
「構わん、見えず匂わず触れられずの霊魂を斬る者がいるなど、そう簡単に考えられるはずも無い。
むしろそれだけの使い手が人間側にいる、という情報を知れただけ貴様は役にたったとも言える。
戦場でも貴様の活躍に期待させてもらうぞ?」
「あ、ありがたきお言葉!
霊魂使いの肩書きに賭けて、必ずやご期待に答えさせていただきます!」
「うむ、今は少しでも調子を取り戻せるよう回復に務めるがよい」
「ハッ、貴重なお時間を失礼いたしました」
その言葉を最後に、霊魂使いと呼ばれた男は踵を返し、野営地の中へと消えていった。
その後ろ姿を眺めながら、ロンドは今回の戦における最大の興味へと思考を向ける。
それはすなわち今しがた話題になった人間の存在、霊魂を斬るほどの使い手。
霊魂を使う、という存在は非常に珍しい。
それは肉体を持ったゾンビやスケルトンとは違う。
レイスやワイト等と呼ばれる存在に近いが、肉体を持たなくとも現実に干渉してくるそれらとは違い、霊魂は現実に干渉することはできない。
言うなればそれらはまさに魂そのものであり、記憶やそこから形成される意思等といったものを持たない、純粋な生命力の塊のようなものだ。
純粋であるが故に、何の能力も付加されていないその魂にできることは少ない。
その魂を例えば魔力等に変換するにしても、空気中の魔力を直接操作したほうが効率が遥かに効率が良く、わざわざこの手段を使う者は滅多にいない。
それでも、技術として未だに伝承が続いているのにはもちろん理由がある。
それは霊魂に術者の魂を連結させ、反映させることができるのだ。
術者の魂が反映された霊魂は肉体こそ無いが、限定的な視覚・聴覚・嗅覚などの感覚を共有することが可能となる。
一度反映さえされてしまえば、相当な距離があっても容易に遠隔操作ができることもあり、偵察や敵情視察の手段として重宝されている。
さらに霊魂そのものは見ることどころか、匂いもなく触ることさえできない完全なステルス状態だ。
風呂を覗くなんてことは朝飯前にできるという、ブライアンが聞いたら土下座して師事を願うほどな高性能を誇っている。
脳筋が多い魔族の中ではその有用さが今いち理解されていないという残念さはあるが……
しかしロンドはその性能を理解している魔族だ。
今回も信用していたし、目的の情報を手に入れてくれるだろうと思っていた。
ただしそれは「昨日まで」と一言つける必要ができてしまったが。
原因は一人の人間。
魔族であれば普通に行動するものはいるが、人間であれば普通は寝ているような時間を狙った偵察。
待ち構えているかのようにその人間はいたらしい。
用心のために、すぐには行動せずまずはその人間を観察した。
やがて二人の人間と合流し、雑談らしき会話を始めたり遊びのような魔力放出を始めたので、いざ侵入をしようとした時のこと。
突然最初にいた男が武器強化を行い、霊魂が見えているかのように攻撃を開始してきたというのだ。
純粋な生命力の塊である霊魂であったことが幸いし、1度や2度なら何とか耐えることに成功した。
普通の人間であれば10度以上の攻撃を加えられたとしても余裕を持って耐えられるほどのエネルギーである霊魂だが、それでもそれ以上は耐え切れないと判断。
すぐにその場を離脱し、剣の届かない空中へと逃げたその瞬間に、その人間は恐ろしい芸当をやってのけた。
霊魂が万全の状態であったとしても消し去るほどの魔力を剣から放出し、逃げた先にいた霊魂を一瞬にして消し飛ばしたのだという。
反映させた霊魂は、残念なことに痛覚まで共有してしまう。
あまりの痛みに霊魂使いは気絶してしまった、という報告をロンドは聞いていた。
霊魂の反映は大量の魔力を消費する上に、下手に再度偵察として送り込めば再び消され、今度は死んでしまうかもしれない。
もう一度王国に潜入させる、という手段は実質的に使えなくなったと判断するべきだろう。
それほどの使い手に、ロンドは思いを向ける。
「……霊魂を斬る、か」
神妙な顔をしていたロンドは、口角を持ち上げ、ハルバートを片手で持ち上げる。
ぼんやりと魔力のようなものを纏わせ、ロンドは何もない虚空を睨み、それを振り抜いた。
彼と共にあり、彼の魔力を吸い続けてきた黒いハルバートが轟音を上げ、斧の刃部分から炎を吹き出す。
魔力による武器強化を伴ったハルバートは虚空を振り抜き、その後ろにあった地面を抉り、燃やす。
「去るがいい人間、俺が霊魂を斬れぬとでも思ったか!」
獣が咆哮をあげたかのような叫び声を響かせ、今しがた切り払った虚空へ向けて言葉を放つ。
何もなく、何もいないように見えるその場所から、何かが確かに消えていく感覚をロンドは感じていた。
「ククク、貴様だけが霊魂を斬れると思うなよ?」
何もない空間には、恐らく人間側の霊魂使いがいたのだろうとロンドは思っている、そしてそれは間違いではない。
ゲーム時代にそんな職業は無かったが、この世界ではそれなりに有名な職業だったりする。
人間にも、魔族にも、獣人にだって存在する職業だ。
最も、人間や獣人にとって霊魂とは死者というイメージが強いらしく、その技術や継承の仕方は秘匿されていて伝承者の数は数えられるほどだが。
まだ見ぬ霊魂を斬るほどの人間。
その男をこの眼で見れる瞬間を期待して、ロンドは瞳をさらにギラつかせる。
「ククク、貴様は俺の獲物だ……
楽しみにしているぞ、人間」
ロンドは自分のテントに戻るまでの間、ずっとギラついた笑顔をしたままだった。
――――――――――
「時は来た!」
獣の咆哮が戦場に響く。
人間の砦を大地の向こう側に見据え、その間を何もない荒野が駆け抜ける。
一階建ての家の屋根に登った程度の高さがある丘の上から、ロンドは声と共に周囲を見渡す。
周囲にいるのは、千人に届きそうな数の魔族達。
皮膚がスライムのようなものもいれば、一見しただけでは人間と差が無いように見える者もいる。
しかしここにいるのは、全員が間違いなく魔族であり、そして自分の声に従った者たちである。
彼らの目的はたった1つ。
この砦は通過地点でしか無いが、始まりの瞬間でもある。
今日この日、この場所から魔族の伝説が始まると、全員が信じている。
ロンドは、それをただ言葉にして伝えようとしているだけだ。
「我々は、今までずっと戦ってきた!
憎き人間達を根絶やしにするために、我らが理想郷を手に入れるために!」
その言葉が言い終わった瞬間、言葉にしようのない暗い感情が満ちる。
憎しみや、恨みといった単純なものだけではない。
悲しみや、怒り等が含まれているとしてもまだ足りない。
複雑に絡み合ったそれらが生み出す、負の連鎖から生み出された暗い感情が、その場に溢れていた。
「そして先日、我らが願いを聞き入れてくださった悪魔が現世に降臨された!
後は悪魔の導きに従い、人間共に滅びの道を歩ませるだけだ!」
歓喜の声が上がり始め、暗い感情に包まれていた場が別の感情へと変化していく。
それが喜びや興奮だけで表現できるような、生易しいものではないが。
「だがしかし!」
その空気を引き締めるかのように、ロンドは言葉を続ける。
「人間共は卑怯な手段を使い、悪魔を封印している!
自らの運命を受け入れようとせず、醜く汚く足掻いている!」
戦場は再び暗い雰囲気に包まれ始め、怒りの感情が強くなっていく。
それを感じ取ったロンドは、再び口を開いた。
「なればこそ! 我らの手で人間共に引導を渡してやろうではないか!
貴様らのしていることは無駄だと、悪魔がこの世に降臨した時点で運命は決まったのだと、人間共に教えてやろうではないか!」
誰かが足を強く地面に叩きつけ、地を鳴らした。
一定のリズムを持って鳴らし続けられるそれに、やがて周囲の魔族も同じく地を鳴らし始める。
小さな音が同時に響けば、大きな音となる。
大きな音が同時に響けば、さらに大きな音となる。
波のように広がっていく地を叩く音、全ての魔族がそれをやり始めたタイミングを見計らい、ロンドは最後の言葉を放った。
「戦だっ、進めぇえいっ!」
言葉と同時に、ハルバートの石突を地面に強く叩きつける。
ロンドの魔力を吸ったハルバートが火を吹き、地面に叩きつけられたそれは炎の柱となってロンドを包む。
それが進軍の開始を意味する合図。
炎が空に向かっていくのに合わせ、魔族達は歓声をあげる。
歓声を上げたまま、振り返って人間達の砦を睨みつける。
人間達に伝えるのだ、これから攻めるぞと。
人間達に見せつけるのだ、我らは策など必要無いと。
人間達に教えてやるのだ、我らがどれほど恐ろしいかと。
先頭の集団はすでに走り始め、それに続くように後続の集団も徐々に走り始めていく。
演説を終えたロンドの元に屋根の無い馬車の荷台が用意され、黒地に赤のアクセントがされたその荷台にロンドが乗り込む。
馬の無い馬車はロンドが乗ると同時にタイヤを回転させ始め、炎を車輪から吹き出しながら移動を開始する。
魔族の侵攻が、始まった瞬間だった。
――――――――――
魔族の先頭集団にいた一人が砦の変化に気づく。
「人間共が出てきやがったぜ」
そこには砦の巨大な門が開かれ、中から騎士達が出てくる光景が映っていた。
戦闘が始まる高揚感を胸に持ち、その魔族はさらに速度を上げようとした瞬間。
「……え?」
早めるどころか、彼はむしろ速度を下げた。
後続の邪魔になるほどではないが、横を走っていた魔族達に次々と追い抜かれていく。
魔族は総じて競争心が強いため、普段であれば悔しがるような状況だ。
しかしその魔族はそんなことが気にならないほど、自分が見えた光景に驚いていた。
「な、なんで……」
彼は魔族の中でも、視力が高い個体だった。
だからこそ、見えてしまった光景に驚き、それが彼の足をゆっくりとしたものにしてしまった。
信じられない、信じたくない。
だがしかし、そこにある光景は幻のように消えてくれたりはしない。
言葉にすれば、誰かが答えを出してくれるかもしれない。
その言葉がきっかけとなって、幻のように消えてくれるかもしれない。
現実にはそんなことは起こらない、そう理解はしていても、彼はその言葉を口にせずにはいられなかった。
「なんで、悪魔が出てくんだよ!?」
騎士達の先頭。
そこにいるのは、彼らが目的としていたはずの「悪魔」だった。