第28話・つまり意外と精神面にきてるってことだ
「……?」
真っ暗な空間、衣服さえも身に着けず生まれたままの姿。
水に浮いている時のようなふわふわとする心地よい感覚がするが、自分の姿以外は何も見ることのできない暗い世界がそれ以上に気分を悪くする。
(あー……こりゃ夢か。 こういうのなんつーんだっけな?
確か……白昼夢だっけ)
トライが夢を夢として認識している状態のことを言っているのであれば、正解は「明晰夢」である。
白昼夢は目覚めている状態で見る夢、ようは妄想とかが幻覚として見えるようになってしまうヤバめの現象のことである。
そんな残念な勘違いをしているトライではあるが、さらに残念なのはそれを指摘してくれそうな誰かがいなかったことであろう。
「……」
声が出ない。
そのことに気づいたのはそのすぐ後。
口は開くし喉が震えている感覚もする、音だけが口から響いてこないという不思議な状態だ。
その不思議な状態の原因が喉に異常でもあるのかと思い、手を動かそうとしたところで更なる異変に気づく。
体が動かない。
全く動かないわけではない、力を入れれば筋肉が若干ではあるものの収縮をしたりはしている。
だが骨とでも言うべきか、体そのものを大きく動かすことが全くできない状態になっている。
まるで土の中に埋められでもしたかのような感覚がしていた。
今のトライは自分で何かをすることができず、ゆらゆらと浮かんでいるような感覚に流されるだけだ。
時間の感覚もよくわからない状態でそのまま浮かんでいると、まるでベッドの向きそのものが変わったかのような感覚と共に、体が垂直になるよう傾いていく。
自分の意思でやっているわけではないが、体は自然と立っている姿勢へと変わっていく、それでも体を動かせそうな気配はない。
体が真っ直ぐになった感覚になり、地面を踏んだような感触がトライの足に伝わる。
コンクリートや石のような硬さは無く、土を踏んだような感触でもなく、柔らかい草の上に裸足で立っているような、それでいて冷たいという不思議な感触が伝わる。
何かもっと別の似ているものがあったような気がしながらも、どうせ夢の中で真っ暗だからとあまり気にしない。
水に浮いているようなふわふわした感覚は無くなったが、今度は地面に立っているという安心感が心を落ち着かせてくれる。
相変わらず体を動かすことはできないが、夢の中なら大丈夫だろうとよくわからない理由で気楽に構えている時だった。
足が、地面の中に沈んだ感触がした。
トライが無意識に首を下のほうに向けると、不思議と動けなかったはずの体はすぐに動いた。
確かに足が沈み、足首まで闇の中に消えてしまっている。
その足首が埋まっている場所からは、沈んだ時に生まれたのであろう波紋が生まれ、水面のような状況へと変化していた。
不審に思い、足を引き抜こうとしてみる。 しかし首以外の体が動かせる気配はやはりしない。 自由に動かせるようになったのは首だけのようだ。
せっかくだからと首を動かし、左右を見てみる。 見えるのは、どこまでも続いるののか、それとも実は目の前に壁があるだけなのかもわからないような暗闇だけ。
ふうと溜息を吐きながら、正面に顔を戻してみる。
人が立っていた。
どこかで見たような、ただの町人のような風体の男が。
麻でできた一般人が着るようなものにフードをつけたようなものを着ているが、よく見ればその下に鎖帷子のようなものがチラリと見える。
この国に来て最初に襲撃してきた彼らのような格好だった。
それを見てやはり襲撃か、魔法か何かを使った精神攻撃のような何かかと予想する。
ゲームであった時代であれば精神攻撃は単純にMPにダメージを与えるとか、敵味方の姿が入れ替わったり全部同じに見えたりする混乱状態の付与などであった。
睡眠というバッドステータスも、物理的に動けなくなるものの本当に寝るわけではなかったので、当然夢を見るなんていう現象も起こらなかった。
それが現実化し、実際に寝て、夢さえも見るという状況になった現在であれば、何かしらの手段を用いて夢の中に侵入してきたり特定の夢を見せることも可能になるのであろうと予測したようだ。
ゲーム時代にそんなスキルは当然存在しなかったが、トライが知らないだけでそんな設定の魔法やイベントも存在したのかもしれないと、全ての設定を知っているわけではないから逆にすんなりと受け入れることができた。
だからこれは誰かの攻撃で、これから悪夢でも見せようとしているんじゃないかとトライは考えている。
自身の装備品が全ての状態異常を無効化してしまう、という事実をトライが思い出すことは無かった。
「お前ガ、殺しタ」
フードの男が、まるであごが外れた人間が無理矢理話しているような口調で話し始める。
「……」
襲ってきたからだろ、と答えようとしたが、トライの口から音が響くことは無かった。
「お前が、殺した」
トライの右側から、別の声が聞こえる。
今度ははっきりとした、ちゃんとした言葉と口調で。
声に反応したトライがそちらを向くと、やはり同じような格好をした男がそこに立っている。
言葉を返そうと口を開いた瞬間、今度は反対の左側からまた声がかかる。
「オマエが、殺した」
やはりこちらにいたのも、同じような格好をした男だ。
「死にタクナかッタ」
正面にいる男が話すと同時に、身に着けていた衣服の腹あたりが突然ボロボロと崩れだす。
服が無くなった男の体は、生きている人間ならばなくてはならない腹部がごっそりと抜け落ちていた。
「死にたく無かった」
右側にいた男が同じ言葉を放ち、正面の男と同じように服が崩れていく。
肩口から体を挟んで反対側の腰あたりまで、斜めに裂けるようにして崩れていき、崩れた部分と同じ部分の肉体が消えている。
「シニタくなかった」
「死にタクなかッタ」
「死ニタくナカった」
反対側にいた男も同じように服が崩れ、体の一部分が消失している状態を見せ付けてくる。
気がつけば足元に別の男が現れ、闇の中から上半身だけを出してトライの下半身にしがみついている。
後ろからさらに別の男が現れ、トライの背中におぶさるようにしてまとわりついてくる。
トライの体は、動かない。
「シニタクナカッタ」
少し離れた水面のような闇の中から、今度は人間ですらないオーガが穴の中から出てくるような動作で出現する。
その体はボロボロに腐り始めており、顔にいたって骨が一部見えるほどに腐り落ち、もはや原型を留めていない。
同じようにして、人間が、オーガが、果ては先日倒した魔族までもが次々と現れてくる。
統一性なんて何もない、敵対しているはずの彼らの共通点は1つだけ。
トライが、殺してきた相手だ。
斬られた時の姿のままでいるものもいれば、体中が腐って誰だったのか認識できない者もいる。
肉体があるならまだしも、まるで幽霊のように青白い半透明な煙のようになっているものもいる。
火事のときに出るような黒煙が、まるで顔のような模様を作り上げているものだってある。
元が人間だったのかモンスターだったのかなんてわからないが、全てがきっとトライに殺された者たちなのだろう。
「人殺シ」
「ドウシてオマエはイキテいる?」
「なんで俺たちが」
「ナンデオマエダケガ」
「イヤだ、いヤダ」
怨みが、憎しみが、怒りが音となって空気を震わせる。
手が、トライの体にまとわりつく。
血に塗れた手が、腐った手が、半透明な手が、黒煙のような手が、トライの体を埋めるようにして近寄ってくる。
トライの体を亡者の群れが埋め尽くしても、トライの体は動かない。
「……うるせぇよ」
亡者達の動きが、止まった。
「俺には、お前らの気持ちなんかわかんねぇよ」
少しだけ、亡者達がトライから離れる。
「俺ぁ馬鹿だからよ、死んだヤツの気持ちなんざわかんねぇ」
さらに亡者達の距離が離れる。
いや、正確には離れているのではない。
「今となっちゃ罪悪感が無えってわけでもねえ。
……ゲームとはいえ、知らねぇうちに人殺しになってたわけだしよ」
離されているのだ。
体は相変わらず動いてはいない、それでも動かせるものがある。
「でもよ」
動かせるものが何かを明確に説明することはできない。
それは意思という単純なものなのかもしれないが、それだけでは説明がつかないような何かが確かにそこにある。
「迷ってちゃいけねぇんだ。
俺が俺の守りたいヤツらを守るためには、誰かを殺すことだっていつかは必要だったんだ。
俺が誰かを見逃したら、そいつが俺の守りたいヤツを殺すかもしれねぇんだ」
力を持った意思が、トライを中心として広がっていく。
亡者達はもう、力に逆らうのが精一杯で近づくことなどできない。
「怨みも、憎しみも、全部受け止めてやる」
さらなる意思が、トライの中に集中するような気配がする。
次の言葉が最後だと、亡者達にも理解できた。
「俺を殺してぇならかかってきやがれ!
全部受け止めて、全部飲み込んで、全部ぶっ飛ばしてやる!」
集中されていた力が一気に開放された。
突風のような衝撃波が放たれ、亡者達の群れは闇に溶けて消えていく。
怨みと憎しみと、そして悲しさが混じる声だけが闇の中で反響していた。
「だったら」
突然、トライの後ろから声がかかる。
怨みなど一切こもっていない、透き通った女性の声が。
聞きなれた、ジュリアの声が。
「私のことも、受け止めてくれるのか?」
後ろを振り返るトライ。
そこにいるのは確かにジュリアだった。
だが、その姿は決してトライの望んだ姿ではない。
「私の死も、受け止めてくれるのか?」
彼女の腹部には、剣が突き刺さっていた。
――――――――――
「うおああぁぁぁっ!?」
騎士団用の宿舎、トライに割り当てられていた個人部屋。
そこに備え付けられた簡素なベッドの上で、トライは飛び起きた。
「はぁっ、はぁっ……」
体中から嫌な汗を流し、べっとりと濡れたシャツが不快感を与えてくる。
ひんやりとした空気がその温度を下げ、トライの体温を急速に奪っていく。
「……はぁ、なんか嫌な夢見たような」
トライは夢の内容を忘れていた。
嫌な夢だった、ということだけははっきりと覚えているが、どんな内容だったかは全くわからない。
少なくとも、もう一度寝ようなんて思えるような精神状況ではないようだ。
「まだ朝日も昇ってねぇのか。
……ちょっと早えけど訓練でもやるかね」
悪夢の原因はきっと昨晩の襲撃と、そこで起こした悲惨な光景のせいだろうとあたりをつけてみる。
ゲーム時代のトライがついていた職業には、「バーサーク」という戦闘になると勝手に発動し、軽い興奮状態になるスキルがある。 それの影響で戦闘中は気にならなかったようだが、戦闘が終わればトライはただの高校生にすぎない。
自分では大丈夫だと思っていたようだが、本人でさえ気づかない精神的な部分でかなりの負担があったのだろう。 それが悪夢という形をとって影響した、少なくともトライはそう考えているようだ。
そんな時はとりあえず体を動かしてみる、というのがトライの方針だ。
もともと中身の少ない頭であれこれ考えていても仕方が無い、と人生経験から導き出した結果である。
身支度を整え、昨晩と同じような黒いシャツと支給品の片手剣を持ち、ゆっくりとした足取りで訓練場に向かうトライだった。
――――――――――
「ふぅ~……」
しかし訓練場についてトライがやり始めたのは、剣術の訓練ではなかった。
隅っこのほうで胡坐をかき、目を閉じてゆっくりと精神を集中させていく。
可能な限り無心になれるように、雑念を取り払うように、何も考えないように……
何も考えないのが9割を占めるのだが、とりあえずその作業自体には成功する。 成功したころには、トライは先ほどまでの夢の内容も、そんな夢を見たことさえも忘れてしまっていた。
良くも悪くも集中するのは得意なようである。
(魔力、魔力……いまいちわかんねぇなぁ)
ちなみにこの訓練は魔法習得のためのものだ。
近衛騎士団に入る条件の1つに「魔法の習得」という項目があるため、将来の近衛騎士を生むために騎士団の訓練内容にも組み込まれている。
これはその訓練の初歩、自分の魔力を感知するための訓練である。
この世界で魔力はどんな生物にでも存在し、全く存在しない生物というのは1種としていない。
その量も似たようなスタイルであれば、例え騎士と一般人でもそれほど大きく差があるわけではない。 さすがに魔法をメインに扱う者は、それらと比較にならないくらいの量を保持しているが。
ただしその使い方はかなり適性が分かれており、強化が得意な者や放出することが得意な者、その両方をバランスよく使える者、特殊な使い方しかできない者などがいる。
適性があっても上手く扱えるかはまた別問題であり、それこそ訓練や実戦によって経験を積まなければ魔力があるだけという状態だ。
その魔力があるだけ、という状態から魔法が使える状態になるためには、まずは魔力という存在そのものを認識できるようになる必要がある。
そのための訓練として導入されているのが、トライがやっている方法というわけであった。
(魔力って多分MPのことだよな……
でもスキル使ってる時は勝手に色々やってくれっからなぁ、いまいちよくわかんねぇんだよなぁ)
そしてトライの状況は、はっきり言ってかなり苦戦していた。
ゲーム時代に魔力という概念はMPとして数値化されたものでしかない。
そのMPを消費して使うのはスキルであり、それはスキルを使うという意思こそ必要ではあったものの、魔力やMPの流れを理解することとは全く違う。
というかそんなものを知ることができるようなシステムですら無かった、所詮はゲーム。
つまり魔法という技術に関しては、トライは素人同然ということである。
幸いなことにまだ朝日も昇らぬ早朝。 周囲に人気はなく、夜勤の兵士が城内を巡回している程度にしか起きている人間はいないだろう。
天気もよくなりそうな雲の無い空に、心地よい風だけがトライを応援するように撫でてくる。
集中するにはなかなか都合のいい状況だからという理由で、黙々と精神修行を続けるのだった。
――――――――――
(これか?)
そしてついに、トライは魔力らしきものの感覚を掴み取る。
もしかして魔力が全快だからわからないだけかもしれないと、音が出ないようなものを選んで様々なスキルを無駄に起動させ、MPを一旦全て消費しきってみたのだ。
そして再び座り、MPが自然に回復していくのを待ちながら自分の中に何か変化が無いかと集中していた結果、それらしき感覚が体の中にあることを理解した。
ちなみにこのやり方を試したのは今回が初めてであるが、それは普通こんな方法をとることができないため誰も教えてくれなかったのが原因だ。
魔力の存在を知らずに魔力を消費する方法がこの世界には存在しないのだ、トライならではの方法と言える。
(この感覚は……なんとも言えねぇな……)
ちなみに魔力の感覚は非常に説明がしづらい。
一旦把握してしまえば確かにそこにあることはわかるのだが、まるで手足のように自然にそこに存在する。
あまりに自然すぎていて、意識して感じないと体の一部としてしかわからない。
手のひらを見たときに意識しなければそこにある指紋を確認できないのと似たような感覚で、指紋を見ようとしなければ手のひらとしか見えないのだ。
この感覚が非常に掴みづらく、魔法が使える人間と使えない人間の第一の壁がこことなっている。
ちなみに一般の騎士や兵士でこの感覚を正確に把握しているのは4割を下回る程度しかいない。
(魔力がわかったはいいけど、これをどうすんだって話だよな)
残念ながら、魔力の存在がわかっただけでいきなり扱えるようになるわけではない。
どんな風に扱えばどんな結果になるのか、そもそもどう扱えばいいのかがさっぱりなトライであった。
「なんだ、もう来ていたのか」
「……おう」
目を閉じて集中していたせいなのか、いつの間にかジュリアが近くまで来ていた。
声に反応して目を開けてみると、朝日がやっと昇り始めたようであちこちに日差しが生まれている。
トライのいる場所は塀によって影になっており、朝日が出てくるまで気づかなかったらしい。
腹に剣が突き刺さったジュリアの姿がフラッシュバックする。
それも一瞬のことですぐに忘れてしまうが、なんとなく気まずい感覚がしてすぐに目をそらしてしまう。
ジュリアはその態度を不思議に思うことはなく、魔法の訓練に集中していると勘違いしたようだが。
「魔法の訓練か。
どうだ、感覚は掴めたか?」
「おかげさまでなんとかな。
こっからどうすりゃいいんだかはさっぱりだけどよ」
うーんと顎に手をあてて少し考えるジュリア。
魔力をどう扱うか、というのは意外と伝えることが難しい。
細かなコントロールや魔力配分、特定の術式に沿った魔力の展開などは、まず扱えること自体ができてからだ。
これだけは個人の感覚によるものなので、説明しろと言われても伝え難い。
「なんというか、グワーっとやってバーって感じで……」
ジュリアにはこれが精一杯だった……