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眠れる竜に歌う花  作者: 葉鳥
第一章 別離の旅路
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決別の宣告



 ブライトレット王との対面というものは、昔から一種の緊張感を伴っていた。

 それは世間一般的な恐れ多いという感情ではなく、セピアにとって微妙なものであった。

 父と言うには遠く、大きな存在としてセピアの中に植え付けられているその人は、今までもこれからも気安い関係には成り得ないと理解している。

 王の私的な居住区にある部屋での対談に少しばかりの居心地悪さを感じ、セピアはドレスの裾の皺を気にして撫でつけた。


「……では、良いな」

「承知致しました」


 厳かな声音は生来のものなのか、それとも王として後天的に身につけたものなのかは分からない。けれど、セピアの身を引き締めるには充分すぎるものだった。

 痩躯ではないが屈強なわけでもないのに、威圧を与える居住まいは厳しい。

 セピアは無礼と承知で目の前の男の顔を眺めた。親子なのだから似ているところを探せば見つかるだろうと模索するが、自分では良く解らない。髪の色はブライトレット王家に多く見られる金髪ではないし、瞳の色も父とは違う。強いて言えば、つり気味の目は父譲りのものだろうか。母は自分より穏やかな顔付きだったと記憶している。

 共通点と言うならば、セピアの表情は王と同様に固く微動だにしない。セピアはこの父王が表情を露わにしている所を見たことがない。自分にも昔は少なからず、感情の機微を周囲に伝えるだけの表情の変化は有ったはずだが、今となっては昔の話だ。

 王の為に出来ることをしようと決意したのは数年前で、十九年生きてきた中で考えれば最近のことだろうか。どうしてなのかは自分でも分からない。王が自分を娘だと考えているのか、ただの使い道のある駒として考えているのかセピアには知りようのないことで。どちらにしろ、この王のために働くのだろう。

 今もこうして命じられるままに動く自分がいる。


「この者を付ける」


 視線だけを動かして、王は背後に控えるその存在を示した。

 私的に──私的と言うにはあんまりな会話だったが──機密事項を交えた話をしていたというのに、王が退出させなかったことに最初から何かあるのだとは気付いていた。

 彼女は城の侍女服を身につけているのだから侍女なのだろうが、ピンと張った背筋と油断のない空気から、何か武術の心得でもあるのだろうと予測できる。甘くない生真面目な顔つきの、背の高い娘だった。

 今までセピアはこの侍女を見たことがなかったが、自分の城内での活動範囲を思えば不思議ではない。


「アーリとお呼びください。よろしくお願い致します、セピア様」


 アーリは綺麗に礼をした。声音も低めで、しかし耳障りではない。むしろ、城下の娘達がこぞって騒ぎ立てそうな凛々しさを持っている。彼女の配色はブライトレット人らしい薄い金髪と橙色の暖色で、セピアよりブライトレット王との相似点がある。


「よろしく」


 ふとアーリに妙な既視感を感じて、伏せた双眸を見つめた。どこかでこの娘を見たような気がしたのだ。

(いつだったろう、あれはまだ――)


「セピア・サディシラ・ブライトレット」


 セピアの思考は無機質な声に遮られた。

 呼ばれれば反射的に肩が揺れる。全ての名を誰かに呼ばれることはそうそうない。人の名は魔術的意味を持ち、古代ではその人の名を知れば、意のままに操ることさえ可能だったと言う。よって今でも王侯貴族の名は長く、普段は縮めた形で呼ぶのが習わしであり、相手に本来の名を知らすのは余程の信頼関係にある場合だけだ。

 王にそういった心がないとしても、セピアは名を呼ばれることに迷信じみた脅威を感じる。例え呼ばれたのが略名で、呼んだのが父王だとしても。しかしセピアは父であるからこそ、恐れるのかもしれない。


「ヴェルディグリ王家の名を背負いセピア・ヴェルディグリと改めよ」

「……拝命いたしました」


 呼ばれ慣れない、その名を呼ぶ日が来たのだ。

 女性は結婚すれば大抵、相手方の名を名乗る。その際、平民以上の者は自分の名前以降、総入れ替えになるのだ。王族女性のセピアを例にすれば、名前・母方の家名・国名で構成されている名が、結婚後なら、名前・実家の家名・相手の国名となる。

 そして今宣言された名は、母方の家名から父方の家名に代わったもので。


「不備の無いよう、役目を果たせ」

「御意のままに」


 何の感慨も抱かないその声が、静かにセピアに決別を告げた。









 ブライトレット国の王都ベルターク。

 様々な商店や露店が立ち並び、人通りも多く賑わう表通りから少し外れた日の陰る裏道。それは建築物と建築物の間に出来た隙間かとも思うような道であり、大人二人が斜めになってやっと並んで歩けるほどの道幅だ。人通りはほとんど無く一種の抜け道と化している。さらに言えば、真っ当な職業に就かない者や警吏に見つかりたくない者達が好んで通る道だった。

 複雑に入り組んだ裏道は無人だが、表通りからするり自然な動作で入り込んだ者がいた。黒い上着のフードを顔の半ばまで降ろし、ふくらはぎまである裾を翻した人影だ。

 その足取りに迷いはなく、どこか優雅ささえ感じる。編上げ靴の底は音を消す素材でも使っているのか靴音がない。遠目に見たら黒い影がふわふわと移動しているかのようだ。

 真っ直ぐに進み、時に曲がり、全く迷う風でもなく歩みは進む。しかしフードの人影はある左への曲がり角で足を止めた。

 一呼吸遅れて黒い裾がふわりと元の位置に戻った。振り返れば今までの道はしばらく一本道が続き、正面は行き止まりの壁で進むには左手へ曲がるしかない。黒いフードが何か考えるように小首を傾げると、はらりと一筋の黒髪がこぼれ落ちた。

 そして何気なく右手を身体の横へ伸ばし、壁に触れる。フードに隠れていない唇の端が微かに笑みの形を作った。


「見つけた」


 そのまま力を入れずに手のひらを押しつけると、壁はぐにゃりと捻じ曲がり半透明に透けた。人影は透ける壁に真正面から対峙すると、臆すことなく近付き壁を通り抜けた。

 振り向くとそれはただの壁になっており、人影は苦笑するように肩を竦めると、壁の内側に現れた正面の建物へ向き直る。


 〝エル・バレン魔術商店〟


 そう書かれた看板は何故か黒く煤けていた。


「失礼する」


 カランカランと響くドアベルは明るく、表通りの店と何ら変わらないような気がした。

 店内は明るい、とは言い難く、まだ日が高いというのに遮光性の布で窓をきっちりと覆い、店内はランプの光で仄かに照らされている。


「おう、久しいな」


 カウンターには組んだ手の上に顎を乗せた男がにやにやと笑っていた。人によれば嫌な感じの笑みに取られるが、その男のにやけ具合は意図が有ってのものではなく生来のだった。

 黒いフードがぐるりと店内を見回した。布を広げた机の上に所狭しと品物が並べられ、壁には色々と釘で打ち付けられているが、見上げれば天井からさえ何か紐で吊り下げられている。しかし何処かいつもと違うような違和感を感じ、「あの看板は」と思い出したように口にする。


「そう! 見たか、表のあれ。酷いもんだったろ」

「あの看板、この店が移動していたことと何か関係があるのか?」


 気に入っていたのになぁ、と口惜しそうな男にそう尋ねた。

 裏道をいつものように歩いていたが、所定の位置に店が見当たらない。引っ越したのかと次の出店場所を捜索していたのが、さっきまでのことだ。新しく張られた以前より巧妙な結界に少々驚き、辿り着いた先の看板は変に煤けている。何かあると思うのが当然の流れだ。


「前の場所で店やってた時、王城派と学院派が鉢合わせしてさぁー。それが運悪く両者共にちょっと血の気多くて、店の前でドカン」

「……災難な事だな」


 王城派魔術師と学院派魔術師との不仲は有名な話で、二年程前には魔術師間で名の知れた事件が起きたこともある。一人の男が身を持って納めた一連の事件を〝ディーゲの雨〟と言い、それを境に両者の対立は静かに収まりつつあった。しかし、それでもふとした拍子に小さな諍いが起きたりするのが現状だ。

 しかしながらその諍いに魔術が用いられるのは希なことで、もしかするとこの店の前が初めてだったのかもしれない。魔術師の規約では、無闇に人を巻き込む大きな術を使うことを禁止している。破ればそれなりの罰則が付くこともあり、破ろうと思って破るものではない。

 そして〝エル・バレン魔術商店〟は場所からも分かるとおり、正規の店ではない。警吏の兵を呼ぼうにも、現場はその店先。どちらにしろ苦渋の選択で、大事にしたくないのは全員一致の意見だろう。示談で済ませることになったのは目に見えている。

 この店が巻き込まれたのは、不運としか言いようがなかった。


「おかげで改装しなくちゃならねえし、ついでに引っ越して結界も変えてみた。どうだ?」

「良いんじゃないか。心得のない者には到底見つからない」


 そう請け負うと男は途端に機嫌良く、いつものにやにや笑いを顔一面に広げた。


「そうかそうか! あんたがそう言ってくれるなら間違いないだろ」


 男の物言いに「高く買ってくれたものだ」と溜息をつくと、袖口から小さく折り畳んだ紙を取り出す。それを手渡された男は億劫そうに立ち上がり、カウンターの奥の棚をガサゴソと探り出した。抱えるほどの箱を降ろし、中を選り分け始める。


「はいよ。いつものやつな」

「助かる」


 差し出された紙包みの中身を確認し、懐から財布を出すと数枚の紙幣と小銭を選んで机上に置く。男はそれを数えながら


「なぁ、城勤めのあんたなら知ってるか?」


 他に誰も聞いてはいないのに、声を低くして囁くように話した。


「今度さあ、あの姫様、隣りの王様と結婚するんだろ? 〝隠し姫〟っていう王の秘蔵っ子」

「ひぞ……さすが情報が早いな」


 一瞬フードの下で妙な顔をした客には気付かず、男は得心して「やっぱそうなのか」と何度も頷く。


「で、何なんだよ。おかしいよな最近のこの国はさ。俺達ずっと王様の子供は王子一人だと思ってたんだぜ? それが、王妃様が亡くなって十年経つ今頃になって、庶出でない姫まで居ましたなんて何つーか……」


 男は一瞬間を置き、さらに声を潜める。


「都合良すぎるよな」


 王妃が亡くなって十二年、王子が生まれて今年で十六年。ブライトレット国で数ヶ月前に王から公開された情報があった。

 『王妃は王子を産む前に姫を産んでいる』

 その言葉は瞬く間に国中を巡り、隣国へも届いた。そしてここに来ての婚約だ。少々穿うがった見方をしても仕方ない。

 そもそも、姫の存在を隠していた意味も解らない。くだんの姫は人前には出ない。王妃の面影を感じる似姿は公表されたが、それが正しいのかは不明だ。

 男は王と〝隠し姫〟との血縁、つまり〝隠し姫〟が正当な姫であるかを疑っている。もし血縁など無い赤の他人を隣国の王へ送りつけて、正体が知れたら問題どころではない。それを理由に戦争にまで発展するかもしれない。

 それを危惧するほど両国の関係は危うい。


「安心しろ、お前が心配するほどのことではない。似合わん真似をするな」

「ひでえなあ。ま、その通りだけど」


 男は顎をさすりながら苦笑した。


「――ではな。あまり吹聴して不敬罪で捕まるなよ」

「心得てるよ」


 再びこの店には不釣り合いなドアベルの明るい音が響く。

 店から出ると、自然の太陽光の明るさが降りてくる。上を見上げれば高い壁の隙間から、細長く切り取られた空が見えた。

 男が思うようなことは隣国の人間も重々承知なのだ。リヴァー国がそれを敢えて受けた時から、最早引き返せはしない。戦はある意味もう始まっている。婚約が成立したその瞬間から。



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