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眠れる竜に歌う花  作者: 葉鳥
序章 満ちる一つ
2/5

歴史の影


 目も眩むほどの煌びやかな広い部屋の中、天蓋付きの寝台には紗の覆い布が引かれている。薄い布の向こうに見える人影は、か細くどこか頼りなさを漂わせていた。


「どう、したら……」


 風に吹かれれば消えてしまうような声で、娘は無意識に呟いた。寒くもないのに自らの肩を抱き、深く項垂れた娘は、不安に押しつぶされまいと手に力を入れた。

 怖い。逃げてしまいたい。でも、この道を選んだのは自分。

 こんな時、どうすると決めていた? そう、彼は助けてくれると言った。その言葉に甘えてしまうことになるが、最悪の事態は回避できるはずだ。

 心を決め、毅然とした瞳で顔を上げると、顔に掛かった髪が揺れた。堅く閉じていたはずの窓がいつの間にか開き、室内に夜風が強く吹き込んで、天蓋から垂れた布を大きく揺らした。布越しに窓を見た娘は目を瞠った。窓辺に誰かが立っている。


「久しいな」


 懐かしい声のような気がした。どこかで聞いたことがある、懐かしい声。


 ──久しぶり。


 胸のうちにこみ上げた感情は波紋のように広がっていく。


 ──迎えに来てくれたの?


 不安から解放される安堵、それ以上に、ここまでだったのかという落胆。そして間に合わなかったという絶望。

 娘はまるで自分のものではないような、不可思議な感覚に捕らわれた。


「いや、違う。私の役目はまだ先だ。今宵はお前の意志を聞きに来ただけ」


 ──なら、間に合うのね。


「時間がないことに代わりはない。どうする?」


 ──最期まで、生きたい。幸せに生きて欲しい。だから行く。


「お前が生むものが何か解っていてもか」


 ざわ、と心が揺れる。娘は自分であって自分でない意識を、別の誰かの中から見ているようだった。

 懐かしい誰かは、口に出さない自分の声を正確に聞き取って応えている。


 ──私の証だもの。そして、〝世界の調停者〟は必然。どこかで生まれる運命、でしょう?


「運命論は嫌いだね。だが、盲目のフェニアも『必然』と視たようだ」


 先見の二人に会ったのね、ともう一つの声が呟いた。


「決まったな。あいつを呼ぼう。……実は私は反対じゃないんだ」


 微かに笑いを含んだ声は、彼本来の陽気さを見せていた。自分の中のもう一人が、彼に深く感謝をしていることがはっきりと分かる。娘にとっても、彼はまるで他人ではないように感じられる。


「あの人に、凄く迷惑を掛けてしまうけれど……」


 初めてその意識が声に出た。二つの意識が、揺るぎながらも重なっていく。


「掛けておけ。あいつは気にしない」


 晴れやかな彼の声は、不安を吹き飛ばしてくれる。

 ではな、と言うと彼の気配が消えた。もう行ったのだろう。来たのも突然だが、去るのも突然の彼に苦笑したその時、いきなり頭の中に映像が飛び込んだ。



 一面が乳白色の世界で私は佇んでいる。


『行くのか』


 後ろから掛けられた声音は、深い寂寥感を滲ませていた。


『ごめんなさい』


 申し訳ない気持ちで振り向く。でも、私が再びここに立つことは、あなたも知っている。必ず戻ってくるわ、と頷いた私にあなたは、分かっている、と目で応えた。ごめんなさい、でも行かなくては。私が人間を知るために。


『私はいつでもお前のことを思うよ』


 私たちは涙を流す必要など無いとしても、その優しさに涙が出そうになる。それを置いて行ってしまう自分は残酷なのだろう。

 私もあなたを思う。たとえ、忘れてしまったとしても私はあなたを思っている。



 ああ、そうだったのね。不意に鮮明な記憶が蘇った。大事なことを忘れていた。

 だって、あなたは私の大切な──




 映像が途切れ、意識は元の寝台の上に返ってくる。覆い布を押し広げ、素足を絨毯に降ろして音もなく歩き、窓辺へ立つ。娘は蒼い瞳の端に涙を浮かべながら両手を腹部に当てて重ね、微笑んだ。長い、灰色がかった銀髪が風に揺れた。

 ──ごめんね、大丈夫。もう迷わないから。

 いずれ戻る日が確実に近付いているのだとしても。



 その数日後、城内から一人の娘が消えた。



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