第33話 少女サンティ
命尽きて時間の経った白装束の女と、返事のないエス。当初の予定とは全く違う展開に呆然としていたイーツのルクイトールがミディエの嗚咽を伝えた。
「ミディエ、無事なのか?」
イーツの問いかけにも、ミディエはしばらく泣き続けるだけだった。
「ミディエ、聞こえているか? シェニムには到着しているのだな? 他の二人とサンクテクォはどうしている?」
話しながらイーツを先頭に三人は外へと向かっている。明らかに今は語りかけに応えないエスの前にいるよりも、シェニムへ向かったほうが良い。
「陛下、皆が。スタークも、ヴェールも、聖獣たちも」
イーツはその声を聴いて即座に洞窟の中であるにもかかわらず身体を浮かし、速度を上げていた。姉弟も慌てて追いかけるが、イーツが振り返り声をかけた。
「お前たちはもうしばらくここにいるのだ! 倒れている女もそのまま置いておくわけにはいくまい! 議長にここへ来るように伝える」
「分かりました! クウォンテ、もう少しエスに話しかけてみましょう」
「うん、そうだね」
幼い弟は、留まることにホッとしたものの、エスの前に倒れる白装束の女にも不気味さを感じていた。
イーツも女の正体が気になりつつも、飛びながらミディエが落ち着くのを待った。
「スタークたちはやられたのだな? 相手はファンデルか?」
「分からない。分からないけど、いや、いやだ。今、サンティも、倒れた」
その直後、ミディエのルクイトールを介して聞こえた誰のものとも知れない悲しい叫びが、イーツの胸を震わせた。
「ミディエ、今のは誰の叫び声だ?」
イーツには全く聞き覚えのない声だった。
「多分ファンデル。ファンデルが乗り移ったサンクテクォの幼体の声だと思う。でも、もう動いていないみたい」
ミディエは、崩れ続けている左腕を押さえながら、ゆっくりと風穴の方へ近づいていった。
「ああ、腕が」
ミディエの苦痛の声が漏れる。
「ミディエ、そなたの傷は自分では治せぬのか?」
イーツからそう言われるまで、ミディエは自分の傷を治すことに全く意識が向いていなかった。それ以上に凄惨なものを見たせいだ。
「分かりませんが、できると思います」
ミディエは革袋を漁った。もうコムーニャのフォッシリアも残り少ない。ヴェールの肩を治したときはいくつのフォッシリアを使っただろうか。それもよく覚えていない。七つか、いや、十以上か。
革袋の中にはフォッシリアが十はある。自分の腕一本なら充分であろうとミディエは推測した。試しに四つほど元素に戻し、腕の血を吸わせた。
「あ、熱いっ。これじゃ、ヴェールも驚くよね」
動かなくなったヴェールの亡骸を思い出し、再び涙が流れる。悔しさに強く噛みしめすぎた唇からは血が滲んでいる。
「酷い顔、しているんだろうな」
身体も心もボロボロの状態だったが、ミディエの腕は僅かに元素を残し元の形に戻った。
立ち止まり、その場に膝をつき、できたばかりの左手で大地を殴りつけた。痛みが伝わる。同時に自分だけ生きている悔しさが頭を破裂させそうになる。
「ミディエ、どうだ? 今急いで向かっておるが」
ルクイトールから聞こえるイーツの声が、ミディエの正気をかろうじて保たせていた。
「腕は治りました」
そう答えたミディエだったが、ただイーツの到着を待つ気分ではなかった。両手の拳を握り締め、脚の回転を速める。数日前に眠った先代のサンクテクォの亡骸の横を通り過ぎ、サンティと幼体のサンクテクォが共に倒れている場所へと急いだ。
「そんな、酷いっ!」
サンティの両目は失われ、後頭部には穴が開き、今なお血が流れ出ていた。ミディエは胸の部分に耳を当ててみたが、もう既に生命の機能は停止している。
一方で、幼体はただ眠っているだけだった。見た目では黒い靄を発していること以外、幼体だった頃のサンティと見分けがつかない。
ほんの数日前まで、組合の外でいつも遊んでいたサンティ。それがまさかこんなことになるとは。
両手のひらの上に乗るほどの大きさのサンクテクォの幼体。この幼体が皆を殺したのだろうか。
ミディエは、革袋の中からひとつのフォッシリアを取り出した。
「ファーブレネン」
そう唱えると、ミディエの足元に火柱が立ち上がった。そのまま幼体に意識を向ける。すると、少しずつ火柱は獲物を求めるように動き出した。
「ご、ごめんな、さい」
不意に聞こえた言葉に、ミディエの心は乱れ、ファーブレネンのフォッシリアとの繋がりが途絶えた。火柱はその場の草を燃やし尽くすと小さくなって消えた。
「今、あなたが言ったの?」
ミディエが幼体に向かって怒りを込めた声で聞いた。
「ごめんね、ミディエ。こんなつもりじゃなかったんだ」
名を呼ばれ、ミディエは一瞬たじろいだ。その声も、喋り方も懐かしい。
そして、その声はイーツにも届いていた。
「ミディエ、誰だ? 誰と話しておる?」
ミディエはその問いに答えることができなかった。ミディエ自身、誰と話しているのかまだ理解できていない。
「ミディエ、本当にごめん。いつも悪い結果になってしまって。でも、まだきっと間に合うから」
「間に合う? 一体何が間に合うって言うの?」
ミディエは厳しい口調で黒い靄を纏うサンクテクォの幼体、あるいはファンデルに問いただした。だがサンティの口調で話すサンクテクォの幼体は、ミディエの問いに答えることなくまた眠ってしまった。
「この服はシェニムの巫女。ということはバシリアスの母か。確か、名はジャネルだったな」
そのころエスの前には新しい議会の議長、エドナが駆けつけ、エスの前で何が起こっているのか検分していた。女の素性は、その衣服と瞳の色、年齢で推測できた。
相変わらずエスからの反応はない。だが、イーツから話を聞いていたエドナには思いついたことがあった。この場所にも「聖獣の目」が置かれているのだ。
聖獣の目はその場の出来事を記録するフォッシリアだ。その記録を見るには議長の許可がいるが、その議長はエドナ自身だ。エスの反応がなくなったのは大きな異常だ。議会にも知らせるべく、エドナはジャネルの遺体と聖獣の目を手に、姉弟と共にバルバリの国へと飛んだ。
フィクスムの塔を中心に広がる五本の大通り。その中心部分に五角形をかたどるように並んだ五つの門。その門は既にバシリアスに破壊される前の姿に戻っていた。オルビスを持つ姉弟の力あってこそだ。
議会はその箱だけは完全に再建されていたが、まだ中身である人選は完全ではない。
それでも現状で集められる者を集め、エドナは今フィクスムの塔で起こっていることを説明した。
「エスが沈黙しているのも、おそらくこの女、ジャネルが関係していると思うが、想像を巡らせても意味がない。ここに聖獣の目を持ってきた。皆にも観てもらう。それで良いか?」
議長の言葉に反論するものはいなかった。だが、その誰しもの顔に緊張の色が見える。バシリアスによるあの惨殺の現場を観て間もないから当然だ。それでも一番ショックを受けていたであろうエドナは気丈に振る舞っている。
「では早速この場で良いな?」
この場というのは、できたばかりの議会の応接室だ。広さはさほど広くないが記録を見るのに広さは関係ない。
エドナが全員の承諾を得ると、すぐにその映像を映し出した。聖獣の目には何千年にも渡る記録があったが、エドナはジャネルが現れてからの映像を選んで記録を呼び出した。
「二人は塔に近付く前に声を聴いたと言っていたな。これから流れる記録の声と同じか、注意して聴いていてくれ」
「分かりました」
エドナはテラとクウォンテに頷き返して、シェニムの巫女、バシリアスの母であるジャネルの姿を聖獣の目に念じた。すると、部屋の中にエスが漂うフィクスムの塔が映し出され、ジャネルが姿を現した。
「結局穢れはこの三百年は減らぬままか」
女の声ではない。聖獣の目の記録から聴こえてきたのは男の声だ。だが、その姿はどこにもなかった。
「充分に人が生活できる環境になっていたということでしょう。今では穢れをフォッシリアに変える方法を知るノヴィネスもいなくなっています」
今度はジャネルの口が動いた。
「器の作成も進んでいないようだが?」
「それは、ある程度聖獣の血が濃くなければならないようですね。純血のノス・クオッドの雌でないと駄目なようです。私が器を得られたのは偶然。しかし、器は必要ないと思われます。穢れが残る土地もごく一部。特に、このチェア山脈近辺では、生身で充分生活できるでしょう」
「よく分かった。早速人選をして送り込むとしよう。五人も送ればいいだろう。各部門から優秀な若者を選べ。安全は保証されていないからな。第一線の人材は向かわせるな。死んでしまえばそれまでだ。送った者らが一年間生き残れば、計画通り我々も降り、帝国を再建する」
「かしこまりました」
ジャネルはそう言ってエスに向かって頭を下げた。
「それで、その五人はどこにいつ頃降ろされるのでしょう?」
ジャネルが話す男の声はエスを通じて聞こえる。その男の声が、少し考えた後に答えた。
「初めはこの塔が顔を出す地上と考えていたが、つい最近あのファンデルが暴れたばかりだからな。空か五人ものよそ者が降ってきたらすぐにでも攻撃されかねん。できるだけ多くの人々が自由に行き来している場所が良い。通信が遅れる可能性もあるが、総合的に見ればヴァーブラ公国の近くが良かろう。駄目だったら、次の人材を送れば良いだけのこと」
「では、私も早速向かいましょう」
「いや待て、この国の者たちがそこへ向かっているようだ。お前は一旦器から抜けた方が良いぞ」
「はっ」
ジャネルがそう短く返答すると、ジャネルの口から白い靄が抜けだし、彼女はその場に倒れこんだ。
それからすぐ三人の足音が近づき、イーツたちが姿を現した。
「どうだ、今の声は?」
エドナが姉弟に尋ねると、二人揃って「間違いない」と、塔に近づいた時に聞いた声と同じだと断言した。
イーツから話を聞かされていた議長のエドナと若い姉弟には今の映像の意味することが理解でたが、議会の面々には何が話されていたのか全く理解できなかった。もとより自分たちが知るエスという存在とはまるで異なるものを見て、恐怖や不安、驚きといった感情が震えとなって現れていた。
「なんなのでしょうか、今のは? どういうことだかさっぱり」
一人がエドナに問いかけた。
「アンテは滅んでいない。エスを通じて、どこからかこの世界を監視していたのだ」
「アンテ? アンテとはなんですか?」
エドナはこの場にいる者たちを見渡した。何から話すべきか、どう対処すべきか、考えるにはあまりに多くのことが起きている。しかも、頼るべきバルバリの王であるスタークの安否も分からない。
エドナは、ごく短く、バルバリの民や、ノヴィネスたちが置かれた現状を伝えた。
「アンテは、ファンデルを生む元になったマシナと戦争をしていた種族。ファンデルに滅ぼされたはずが、一万年もの間、どこかに隠れていた。エスを使っていたところを見ると、三つの鏡のさらに上。空の彼方にでもいるのだろう。その極めて好戦的なアンテの、しかもある程度の力を持って選ばれた五人がやってくる。そういう話だ」
チェア山脈に囲まれたバルバリの国。その中心に聳えるフィクスムの塔。そのはるか上空。一万年もの間、フィクスムの光を集める巨大な三つの鏡を制御するための船が浮かんでいる。
空に浮かぶ船の一室。髪の毛はほぼ失っているが、豊かな銀色の髭を蓄えた男が、画面の中に映る巨大な星を眺めつつ、斜め後ろに立っている体格のいい青年に話しかけた。
「リンゲよ」
その声は、聖獣の目に記録されていた声だ。
「はっ、ここに」
「若者らと共に、お前もムテルに降りろ」
「その役目は?」
髭の男はリンゲの方へ振り向くと、画面を切り変えてエスの前に立つイーツを映し出した。
「こいつを連れてこい。生かしてな」
「かしこまりました」
そのイーツは夜を徹してシェニムへと飛んでいた。「まだきっと間に合う」と言ったのは、果たしてサンティだったのか、もう一体の幼体なのか、それともファンデルなのか。
今は何が起こっていようとも、イーツにはミディエの無事を信じて急ぐことしかできなかった。
恒星フィクスムは明日に向けて見えない場所を移動している。
一日の最後までフィクスムの光を浴びていたシェニムの大樹も、もうない。その幹に身を寄せ眠っていたサンクテクォも、そこにはいなかった。
かつて一万年もの間、ファンデルが眠り続けた風穴跡を照らすのも、眩いフィクスムの光から柔らかい星の光に変わっている。
その淡い光が二体のサンクテクォの亡骸を照らしていた。
そのうちの一体。両目を失ったサンクテクォの鼻先に、幼体のサンクテクォが激しい眠気と戦いながら前足で触れた。
幼体のサンクテクォの毛が逆立ち、波打つように七色の光が移りゆく。亡骸となったサンクテクォに光が移ると、その光は輝きを増し、少しずつ凝縮していった。
巨大だったサンクテクォの身体も光に圧縮されるように縮み、やがてその形さえも変えた。傍に立つ、銀髪のバルバリの民と同じような姿になると、亡骸を包んでいた光が、その亡骸に吸い込まれるようにして何度か点滅したのちに消えた。
「やあ、今日からは君がサンティだ。私は、聖獣サンクテクォでも、ファンデルでもあるが、サンティになるべきではないからね」
少女の姿に変わったサンクテクォの亡骸が目を開くと、その瞳はサンクテクォのものとは違い、夜空の星のように七色の輝きを持っていた。




