第28話 国王イーツ
支配のオルビスは淡い光を帯びてシェニムの風穴へと向かって飛翔している。オルビスと知らねば、はぐれた精霊の一部か、真冬に見かける氷虫の光に見えたかもしれない。それほどにゆっくりとした、かつ、不安定な動きだ。
そのオルビスが来るのを、ただじっと待つ者がいた。先代のサンクテクォだ。
二年前に倒されたシェニムの大樹跡を正面に見据え、風穴を背にその入り口に立つ。
風穴の奥でも、単為発生による二体目の分身が、オルビスの、いや、ファンデルの到着を待っている。
人と同じく声帯を使った発声による意思疎通を教えられていない先代と、その先代から新たに発生した幼体は、サンティと呼ばれる個体と違い、思念によっての意思疎通を基本とする。
声と思念。そのふたつにはいくつかの違いがある。意思疎通の手段として使う場合の最大の違いは、距離による制限の有無だ。
ファンデルが幼体を器にすべくシェニムの風穴へ向かっているとサンクテクォが知ったのは、ユーランが伝えようとして伝わったわけではない。強くユーランの意識がシェニムの風穴と、サンクテクォの幼体に向いたことで、自然と伝わってきたことだ。
ここでの幼体の役割はファンデルをおびき寄せるための餌だ。その餌としての役割を全うさせるために、先代はやらねばならないことがあった。
それも充分な時間の余裕をもって成し遂げられるはずだ。ユーランたちも、じきに帰ってくるはず。
その時を待つだけ。
その状態になると、時が経つのが遅くなる。無論感覚的な問題だが、同時に疲れも呼ぶ。先代は自分の寿命が近いと感じていた。
スキアボスたちに眠らされ、その直前と目覚めた直後。あわせて二体の幼体を発生させた。これまでの通常時ならば、聖獣は幼体を発生させて数日でその命を閉じる。
先代のサンクテクォは大きく息を吐いた。
聖獣たちはこの世界の象徴として扱われている。
その聖獣に大きな変化が起こっている。この世界にも間違いなく変化の時が訪れているのだ。
そして、今その変化は加速しようとしていた。
ミディエたちがファンデルの行動を気にする中、ブロアヒンメルの王都への扉が再び開いた。
「ヴァーブラより聖獣を連れ、吾輩に会いに来たものが居ると聞いたが。やはりそういうことか」
ひとりの男が扉の向こうでそう述べると、門にいた衛兵たちが同時に膝をつき、頭を下げた。
門より出てきたのは、右耳にオルビスを付けたバルバリの民だった。年齢はヴェールよりもやや年長に見える。
確かに衛兵は「王と古くから仕える者以降、新たに宮殿に人は入っていない」と言っていた。つまり、現在のブロアヒンメルの王こそ、変化のオルビスに繋がるバルバリの民だったのだ。
宮殿に目当ての人物を捜しに入っていた衛兵が、王に対して来客を一人ずつ紹介した。
ブロアヒンメルの王がスタークの名を聞いたときに、全く反応がなかったところを見ると、スタークがバルバリの王となる前に下界に降りてきていたのだろう。それでも、スタークを含め三人がバルバリの民だとは見抜いている。
「これだけ集まっているということは、書状で短く記していたことより何か良からぬことが起こっているのであろうな」
その問いに対して答えたわけではなかろうが、サンティが空に向かって小さく唸った。
「先代が随分と弱ってきたようだ」
話には聞いていただろうが、実際に人間の言葉をしゃべるサンクテクォに、王は少なからず驚いている様子だ。
「門前で話すようなことではなさそうだ。宮殿に参られよ。衛兵たちは門を閉め、外からの者は通すな」
王がそう衛兵に命じたのを見て、ミディエが「少しお時間をください」と衛兵のひとりに駆け寄った。
「ヴェール様、お願い致します」
ブロアヒンメルの王の手前、ヴェールに礼を尽くした言葉で頭を下げると、ミディエはルクイトールのフォッシリアをひとつ衛兵の耳の下で構えた。
「ルクイトールのフォッシリアを差し上げます。もし、我々を追ってきたという者が参りましたら教えてください」
要領を得ず話を聞いていた衛兵だったが、その話が終わるころにはルクイトールは衛兵の血を吸い、彼と繋がるようになった。ヴェールに耳を切られたことさえ気づいていない。
「は、はあ。かしこまりました」
ミディエが衛兵にちょこんと頭を下げ門の中に入ると、門は静かに閉じた。
フィクスムは既に沈んでいる。スタークはひとまず宿に困ることはなさそうだと胸を撫で下ろし、サンティが先ほど呟いたひと言を思い出していた。
「サンクテクォ、先代が弱ってきたと言っていたが、大丈夫なのか?」
サンティは肩に誰も乗せることなく、人の歩みに合わせゆっくりと長い脚を動かしている。
「大丈夫だ。慌てたところでどうしようもない。ブロアヒンメルの王にも、ゆっくりと耳にしてほしい話でもある」
「そうか。ならいい」
スタークはあっさり引き下がった。
人ほどには表情の変化を見せないサンティだ。それでもある程度付き合っていれば、何か思慮していることはスタークにでも分かるようになっていた。
サンティとの付き合いが長いミディエも「サンクテクォが三体存在している」と語ったことといい、今の様子といい、心配には違いないがそれでもやはり聖獣だ。ノス・クオッドやアンテより、この世界の中心に存在している。それがゆえに行く末も案じているのだろうが、人間たちとは寿命も違えば世界とのかかわり方も違う。ミディエとはいえ、まだ聖獣のすべてを理解できてはいないが、サンティのことは誰よりも近くで見ている。
ファンデルともう一体のサンクテクォとの間に何が起きたのか。
サンティの表情から微かに怒りが漏れているのを読み取ったミディエの胸には、サンティが「大丈夫だ」と言ったとはいえ、不安が広がっていた。
スタークたちが通されたのは三十人ほどが入れる客間だったが、王宮の中にある客間の中でもおそらく一番狭い部屋であろう。そこにある円卓をサンティも含めて全員が囲んだ。軽い食事と飲み物も円卓の上にある。
敷物と壁は柔らかな毛皮のようなもので覆われているが、派手な装飾は全くない。暖炉の石はよく磨かれていてそれ自体は美しいものの、やはり飾り気はなかった。それもおそらくは王の好みなのだろう。王自身も襟の高い正装ではあるが、ヴァーブラの一般的な貴族と変わりない。
「さて、では話を聞くか」
ヴァーブラ公国ではザックワーズ公の側近はその場にいたが、このシンヌイ宮殿では、王の合図で王以外の者すべてが外に出された。
最後の給仕が部屋を出ると、王が再び口を開いた。
「吾輩がブロアヒンメルで国王をしている理由は後で語るとして、まずは名乗らねばなるまい。吾輩はイッツァーテ・ヴォルフォード。イーツと呼んでくれて構わん」
イーツは自身に歳が近いからかヴェールに向かって話したが、返す言葉はヴェールの息子、スタークから紡がれた。
「私はバルバリの王、スターク=ヴィン・オーリンゲン。これから陛下には数万年分の話を聞いていただかなくてはなりません。とはいえ、それほど長くはならぬようにしますが」
イーツはまずスタークの口から「バルバリの王」と名乗られたことに眉間に皴を寄せ、その皴を話が進むごとに深くしていった。
アンテ同士の戦い。マシナを使った戦争。アリーチェ帝国。マシナ同士の戦い。ファンデルの発生。アンテの滅亡。スキアボスと、ノス・クオッド。エス。八つのオルビス。バルバリの民。フォッシリア。ノヴィネス。シェニムの巫女。バシリアス。組合の消滅。ミディエによる新たな検石主の力。聖獣に訪れた異変。
「そして、つい先ほどのことだが、もう一体のサンクテクォは永遠の眠りについた」
最後にそうサンティが言うと、その場にいた四人共が驚愕した。
「サンティ、それじゃあファンデルはどうするの?」
サンティの隣に座るミディエが、椅子から立ち上がり聞いた。
「さっきは大丈夫だって、先代がいれば大丈夫だって言ってたけど、いなくなったらどうなるのよ?」
「幼体がどこまで受け取ったかによる。が、当然寿命は分かっていたはずだし、幼体が成体と共に過ごした時間も通常より遥かに長い。幼体だけでも問題ないだろう。ユーランとフィルも向かっているし、大丈夫だ」
独り言のようにそういったサンティの表情は、悲しみも怒りもない、ただただ虚しさを見ているようだった。
「じゃあ、ファンデルは封じられるってこと?」
ミディエがサンティの様子を窺いながら聞いた。
「ああ。今は器を纏っていない、弱り切ったファンデルの姿だからな。その方法は私でも知っている。だが、不思議だ」
虚空を見つめるサンティに、ミディエはどうしようもなく哀しくなった。
「不思議って、何が?」
「うむ、不思議なことに、ファンデルからは邪な気がまるで伝わってこない。器を失い弱っているからなのかもしれぬが、まるで殺気がない。それよりも、違うことで胸騒ぎがするのだ。ファンデル以外にも何か良くないことが起きているような気がする」
「ファンデル以外に? それって一体何が」
隣の席で首を捻るミディエに、イーツは事も無げに自身の考えを述べた。あたかもそれが答えであると分かり切っているかのように。
「今聞いた話からすれば、我々の敵というのならファンデルではなくアンテではないのか? なんといっても、我々はファンデルの分身だ。オルビスに繋がっていようが、なかろうが。そうだろう?」
つい今しがたまで自らの口で説明していたスタークも、その事実に簡単に頷きたくなかった。確かにファンデルが自分たちの祖先を作った。だがそのファンデルはバシリアスの身体を使い、ピートを操り、自分たちを襲った。バルバリの国で虐殺を行った。その事実が、血の匂いが頭から離れない。それに今もサンクテクォの幼体の身体を狙っている。
「アンテの時間稼ぎ」
ミディエがバシリアスの家で見た本の書き込みを思い出した。
「その意味が分かれば、もしかしたら本当のファンデルの使命が分かるかもしれない。」
「バシリアスは一体何をしようとしていたのか。今となれば最初に対峙した時のことが悔やまれるな」
懐からバシリアスの書き込みを記した本の切れ端を取り出して見ているスタークの呟きを最後に、しばらく沈黙が流れた。
この間、ほとんど口を開かなかったヴェールは、イーツがどういう人物か見定めていた。
ヴェールの目に、イーツはブロアヒンメルのザックワーズ公と比べ、君主として随分と肝の据わった男のように感じられた。それだけではなく、この世界の一万年以上にわたる話を、スタークの口からたった一度耳にしただけですべて正確に理解していた。
さすがオルビスに繋がる者といったところだろう。ヴェールはそう思うと同時に、年老いた剣士である自分に何ができるのかも思案していた。
ファンデルの動きだけでなく、聖獣たちの動きも不確定だ。サンティは心配ないと言ってはいるが、胸騒ぎがするとも言っていた。
そもそもファンデルがバシリアスから抜け出た経緯が分からない。ファンデルの意志か、バシリアスの意志か、その時が来たからなのか。
バシリアスの家にあった絵の数々と「アンテの時間稼ぎ」という言葉。時間稼ぎしているというアンテは、はるか昔に滅んでいるのではないのか? もしもアンテがバシリアスもそうであったように復活の時を待っていたとして、その時が近づいているのだとすれば、バシリアスはアンテ復活のためにファンデルを目覚めさせたとは考えられないか?
ヴェールはそこまで考えて、自分が推測したところで何も事態は変わらないと思考を巡らせることを止めた。幸いにもイーツがその辺のことは得意そうだ。風の剣を使うしか能のない年寄りは黙って剣だけ振るとしよう。そう割り切ったヴェールは、再び剣を使う道を開いてくれたミディエと目が合い、微笑んだ。
「ちょっと、ヴェーちゃん聞いてるの?」
「聞いとるよ。聞いとるが、儂には剣を扱うことしかできん。ミディエに肩を治してもらうまでは酒を飲むことしかできんかったが。いずれにせよ、難しい話はスタークと国王陛下に任せるよ」
そう言ったヴェールに、イーツは声を上げて笑った。そして、その笑いを止めると、帯で額に巻き付けてあるオルビスに触れた。
するとイーツの姿が一瞬で変化した。
「先生にはまだまだやってもらわないと」
姿同様に若くなった声でイーツが言うと、ヴェールは目を見開いて立ち上がりイーツを指さした。
「イーツとは、あの泣き虫のイーツか!」
イーツは予想よりも驚いているヴェールに笑いを堪えながらお辞儀をした。
「ご無沙汰しております、オーリンゲン先生。でも、泣き虫だなんて酷い。誰でも風を纏った指で額を弾かれれば涙を流しますよ」
イーツは、ヴェールがバルバリの国で子供たちに剣術を教えていた頃の、教え子の一人だった。




