第四話:潮風の街と、懐かしい声
店内に戻ると、案の定、冴子さんと太陽くんが心配そうな顔で私を待っていた。
「大丈夫? 嫌なこと言われた? 私、警察に電話して文句言ってやろうかしら」
冴子さんの過保護なまでの優しさに、私は「大丈夫です」と無理に笑ってみせた。
けれど、その日の仕事はまるで手につかなかった。
瀬尾漣とは、一体誰なのか。それ以上に、心の奥底に沈めていた「岬町」という名前が、重い澱のように胸をかき乱す。
時計の針が19時を指した。
「お疲れ様です」と太陽くんに声をかけ、私は事務所のドアを叩いた。
中では冴子さんが端末で発注作業をしていた。
「冴子さん……」
「どうしたの?」
冴子さんは作業を止め、椅子を回して私を真っ直ぐに見つめてくれた。その温かい眼差しに、視界が少しだけ潤む。
「すみません!」
私は、勢いよく頭を下げた。
「ちょっと、どうしたのよ」
「……しばらく、お休みをください。行かなきゃいけない場所が、できてしまって」
ーーー
列車から降りると、湿り気を帯びた潮風が真っ先に私を出迎えた。
「……何年ぶりだろう」
両親が離婚するまで住んでいた、岬町。
この町に、私はこれまでの記憶のすべてを置いてきたはずだった。二度と戻ることはないと思っていた場所に、皮肉にも「死者からの遺言」で引き戻されるなんて。
駅を出て、海沿いの道を歩く。
錆びついたガードレールも、波の音も、何も変わっていない。けれど、それを懐かしむほど、私にこの町への愛着は残っていなかった。
「あ……あの店、まだあったんだ」
通学路の途中にあった、色褪せた暖簾の駄菓子屋。
父にお菓子を買ってもらい、海を見ながら二人でサイダーを飲んだ記憶が、不意に、鮮明な色彩を伴って蘇る。
私は吸い寄せられるように店の自販機で飲み物を買い、海を臨む古いベンチに腰を下ろした。
勢いだけで来てしまったけれど、手がかりは何もない。瀬尾漣という男がどこにいたのか、それを知る人間なんて、この町にいるのだろうか。
途方に暮れて海を眺めていた、その時。
背後から、記憶の底を揺さぶるような、掠れた声が聞こえた。
「……もしかして、栞?」




