第十九話:潮騒に溶ける告白と、新しい朝
民宿の門の前で、手の甲で何度も涙を拭った。窓ガラスに映った自分をじっと見つめる。「大丈夫」。そう自分に言い聞かせて、中に入った。
「お帰り。楽しかったかい?」
おばちゃんがいつもの笑顔で迎えてくれる。
「はい。とても……」
部屋に戻り、冷たい水を一口飲む。少し飲みすぎたかもしれない。窓際の椅子に腰を下ろし、夜の海を眺めた。昨日まであんなに底知れず怖かった暗闇が、今はどこか穏やかに見える。
静かだ。波の音と、サイドテーブルに置かれた銀色の時計が刻む、チッチッという音だけが部屋に満ちている。
目を閉じ、漣君に思いを馳せる。
壊れてしまった私の時間を元に戻すために、彼は命を削ってこの時計を直してくれた。あの一通の遺書がなければ、私は一生、この町に戻ることはなかっただろう。彼は、私が自分自身の過去と向き合うための機会を、最期に遺してくれたのだ。
自然と涙がこぼれ落ちる。私の知っている漣君は、小学校の時の笑顔のままだ。時計を直してくれた彼も、遺書を書いた彼も、私は知らない。
けれど……私は、間違いなく彼に心を救われていた。
いてもたってもいられなくなり、私は開け放たれた窓から、夜の海に向かって叫んだ。
「漣君……! 私も、あなたが大好きです!」
安っぽいドラマみたいだと笑われても構わない。あの日、あのアパートの前で、彼は私の壊れそうな心を守るために、必死に叫んでくれたのだから。
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翌朝、宿代を精算し、荷物をまとめる。
「また観光に来たときは寄ってね」
おばちゃんの言葉に、ふと思い出した。そういえば、私はただの観光客だと思われていたんだった。
私は足を止め、振り返って真っ直ぐにおばちゃんを見た。
「ごめんなさい。観光客ではないんです。ここは……この岬町は、私の故郷なんです」
自分でも驚くほど、晴れやかな笑顔が出ていた。
おばちゃんの驚いたような、でも温かな顔を背に、私は民宿を出た。
家に帰ろう。そして、自分の時間を、自分の足で生きていくんだ。




