第8話、ウィロビー屋敷?
ラットンが曳く荷車は、森に入った。周りに草が増えていたが、街道の名残があって、そこを俺と水運びの少女を乗せた車は進んだ。
いつから使わなくなったかはわからないが、一応形が残っているということは、元は立派な道だったんだろうな。
さわさわと枝の葉が揺れる。風が吹いて、木漏れ日もまた動く。俺は護衛なので、獣が現れないか警戒する。鳥の声や虫の囁きなどが耳に届き、いたって健全な森だった。
「昔は、よくここに来たんだ」
少女は言う。
「ウィロビー屋敷にも、水を届けていたから」
「なるほど」
それで、そこの少女とお友達になった、と。
「でも、その口ぶりだと今はいない、だな」
「そうだね……。結構、前になるかな。突然、そこの家の人もろともいなくなっちゃったんだ」
いなくなった、か。何とも意味深だねぇ。誘拐とか、あまり考えたくないけど、森の一軒家なんて、盗賊などに襲われたとかだろうか。
「引っ越したのか?」
「わからない。そういう話はなかったし」
少女は眉間にシワを寄せる。
「いつものように水を届けにいったら、誰もいなかった。屋敷の中も探したけど、その子も、家の人も、誰も」
ふむ、引っ越すのなら、水を届けにくるこの少女に、事前に言うだろうしな。知らされていなかったとなると、引っ越しの線はない。
「屋敷が襲われた形跡は?」
入ったというのなら、荒らされていたり、あまり考えたくないが血痕とかあったりしなかっただろうか?」
「ううん、特に何かあった様子はなかったと思うよ」
少女は首を振った。……そうなると賊や獣の可能性も考えにくいな。もっともこの少女が、その屋敷のものをどこまで知っていたか、疑問ではある。何か希少なものとか盗まれていたとしても、気づかないかもしれない。
「謎だね」
「うん。結局、しばらく通ったけど、誰もいないまま。しばらくしたら、屋敷の周りに野犬、いや狼かもしれないけど、見かけるようになって、行かなくなったんだ」
襲われたら危ないから、という至極もっともな理由だった。
「でも、今は行こうとしている」
「しばらく来ていないから、もしかしたら戻ってきているかも、って思って。また水を買ってくれるなら、稼ぎにもなるし」
ニシシ、と少女は笑った。なるほど、若いのにしっかり仕事のことを考えていて偉いなぁ。
やがて、森の中の屋敷に到着した。……先ほどから、異様な臭気が漂っている。狼だか野犬だかは見かけていないが、この臭いは、よろしくないな。
「だいぶ荒れてきたね……」
少女もわずかに顔をしかめている。
「戻ってきている様子はなさそう」
「だろうな」
人がいなくなった建物って、意外に早く腐っていくからな。周りの植物が侵食して、壁が蔦や葉に覆われつつある。濃い緑の匂いに混じる、この生臭さは……。
「ここって前からこんな臭いがしているのかい?」
「ううん、前はしなかったよ。……屋敷が腐ってきているのかなぁ」
いや、そういう臭いとは違うな。これは引き返したほうがいい――
「よっと!」
少女は、荷車の御者台から飛び降りた。
「おい、ちょっと――」
「庭に、埋めているものがあるんだ!」
そういうと少女は駆け出した。
「ちょっと見てくるね!」
「あっ、待て! ここは――」
俺は慌てて、少女の後を追う。記憶違いでなければ、ゴブリンとかオークとかの周りで漂っている独特の獣臭に似ている。
もしかしたらこの屋敷に、流れのゴブリンが棲み着いたのではないか。嫌な予感がして、少女の後を追えば。
「あああーっ!」
悲鳴が聞こえた。これだよ――
中庭らしき場所に踏み込めば、ゴブリンが四体ほどいて、少女が倒れていた。
『ギギッ!』
ゴブリンが、俺が現れたことで慌て出す。子供くらいの体躯のゴブリンの前に、完全武装の俺が現れれば、熊と遭遇した一般人のようになるのも無理はない。
抜剣! ブロードソードを抜いて、そのまま少女の元へ駆けるが、ゴブリンの一体が、粗末な弓を構え、矢を放った。
危ないっ、と。この素早い弓さばき、ゴブリン・アーチャーだな。いるんだよなぁ、ゴブリンの中に、やたら弓の上手い奴が。
だが次は撃たせない。肉薄し、弓ごと両断!
『ギギャ!?』
まず、一人! って、うるせぇ! 残ったゴブリンどもがギャアギャアと喚き散らしている。
というか、これマズいぞ。仲間を呼んでる!
もしかしなくても、ここゴブリンが大勢いたりする!?
ゴブリン二体が、意識を失っているらしい少女を運ぼうとする。こらこら、そうはさせない。巣穴に他種族のメスを連れ込んだゴブリンどものすることなど、お察しだ。
残る一体が、小さな石の斧を手に威圧する。うるせぇ、蹴飛ばすぞ――っと、蹴飛ばしちまった。ゴブリンは小さいからね、しょうがないね。
「!」
殺気を感じて停止。俺の目の前を矢が通過した。屋敷の窓や、壊れた壁の穴にゴブリンがいて、弓を構えていた。
ここは中庭。後ろを除く前と左右、さらに二階などからゴブリンが矢を放ってきた。
これには俺も後退! ゴブリンの矢には、毒が塗ってあることも多々ある。小さく非力なくせに、小賢しいのがゴブリンだ。舐めてかかると、手痛いしっぺ返しを食らう。
「ここはゴブリン屋敷か!」
ウィロビー屋敷って聞いていたのに、家主がいなくなったら、ゴブリンの巣になってしまったとか、落ちぶれ感が半端ない。……というか、俺とは別に、人が住んでいたわけで、何でウィロビー屋敷だったんだか。同名の別人、俺とは縁もゆかりもなかったりして。
壁の裏まで後退。飛んでくる矢から逃れる。こうしている間の、あの少女が――そういや、名前も聞いてなかったな。
ゴブリンが少女を誘拐する理由はお察しだが、このまま逃げ帰るわけにもいかない。多勢に無勢でも、救出しなくてはならない。
正規のクエストではないが、現場で依頼を受けてるからね。冒険者として、しっかり仕事はしないとな!
壁から、ゆっくりと中庭の様子を探る。ゴブリンどもがギャアギャアうるさくて、少女の姿は……見えない。もう屋敷の中に連れていかれたか。
建物の中なら、庭をつっきらなくても、適当な窓から中に侵入したほうが早いか? それなら四方八方から矢を浴びせられることはない。
俺は、振り返り、近くの窓を見つけると、そちらに移動する。雨戸を開いたら――
「ぎゃっ!?」
「わっ」
ゴブリンと鉢合わせ。思わずその小鬼じみた顔面をぶん殴った。反射って怖いね。
せっかく侵入しようというのに、騒がれても面倒なので、素早く窓から部屋に滑り込むと、起き上がろうとしているゴブリンの頭を蹴飛ばした。
「悪いな」
味方を呼ばせないよ。